18文字目 『ナ・ベルリオ・ドナトーレ』


「おはようございま~す。よく眠れましたか~?」

「ああ、受付の姉ちゃん、おおきに。中々ええ宿やったで」

「ホントですか~? 来る人来る人み~んな『寂れた宿だな』って言うんですけど、そう言ってくれる人は初めてです~」


カレンは階段から降りてきて早々、宿屋受付の女性に声をかけられたのでさわやかに言葉を返してみせる。

もっとも彼女からすれば大抵の寂れた宿でも『ええ宿』の括りに入るので、相当なボロ宿でもない限りは熟睡するに余りある。

思えば彼女が幼少期の大半を過ごしたあの屋根裏部屋は、埃こそ溜まってはいなかったものの過去一番と言っても過言ではないほどの寝心地の悪い場所だった。


宿屋受付の女性は返答直後にこそ疑いの言葉をかけたが、内心まんざらでもなさそうだった。


「ま、ウチにかかりゃ~野宿でも一泊過ぎればフルチャージやよ」

「その『ふるちゃ~じ』というのはわかりませんが、すごいですね~」


常に笑顔を絶やさない受付の女性。

大体の場合、カレンがこのような大仰とも取れる言葉を使った場合、表情に出ない人物が相手でもわずかながらに表情のどこかしらがひくついていてもおかしくはないが、その片鱗すらおくびにも出さないあたり純粋であろう。

広義に表現を広げるならば、肝が据わっているのか器が大きいのか、いずれにしろ大物であることには変わりない。

現世で言うところの『プロ根性』というものだろう。


「そや姉ちゃん、ちょいと聞いときたいことあんねんけどな?」

「はい~、承りますよ~」

「ウチ用事で来たんやけど、書いてもろた地図の方向がごっちゃでいまいち場所がわからんでな。ここいらに―――」


一拍置いて。



「『ナ・ベルリオ・ドナトーレ』っちゅーの、居らんかな」




カレンが言葉を言い終わると同時に、その場にいた人物たちが一斉に物音を立て反応する。

後ろを振り返って軒並み人物の顔色を見たカレンは、大体察しがついたようである。


前に向き直ってみると、プロ根性のスマイルは絶やさずにいた受付女性の顔色はみるみるうちに青褪めていくのが分かった。

「……その、人が、どうかされ…れたん、のでしょうか?」

伸びていた語尾も縮こまるほどの反応だった。



(あのハゲチャビンのおっちゃんが言うとったんはこういうことやったんか)



一つ考えて、カレンは受付台にかけていた肩肘を離し、旅の荷物を紐越しに肩に投げ掛けて入口の方へと歩み始める。


「おおきに、姉ちゃん。あんさんらの心ぉ喰っとるヤツ、いてこましといたるわ」

去り際に後ろを向きながら片腕を上げて掌をひらひらと振ってみせた。



宿の建物を抜け、眼前に広がる田舎のような村の風景。

山側から軽く吹き付ける風に乗り、砂埃がぶわぁっと舞い込んでくる。


かつて滞在したナイエルディア伯爵領中南村のような海風らしき塩の気配。

カレンは髪をふわりと揺らしながら、うっすらと何かが感じ取れそうな気配が混じっているのが気にかかった。



「はあ~ぁ、あのハゲっちゃんの話が来よると大体やな予感バッチシ・ダブブル・ド真ん中~な展開になりよるんよな…」


大きい溜息をついて愚痴をこぼしたカレンだったが、今の立ち位置は冒険者。

それらしき風貌に髪を上で結うポニーテールスタイルで、両頬をぱんぱんっと二度叩き自身を奮い立たせる。


16才なり立ての頃にはなかった目の下の細い刃物傷。

絆創膏の上から傷を撫で、カレンは言い放つ。




「【待っとれやぁ、『レイスクイーン』】!!」






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