9文字目 7年の歳月、変貌した伯爵家
あれから7年の時を経る。
ナイエルディア伯爵は、当時アルカレンスが提示した条件に関係なく、伯爵家内に限らず敷地に住まう全ての民に対して、
当時の状況から施策を全て見直し一から立て直した結果、想像以上の信頼と安定感を得ることとなった。
当時の民は今までの仕打ちから、情報が色々と錯綜し危惧していた様子であった。
「あれだけの悪政を強行していた伯爵が、人が変わったかのような施策を始めている」
「何かウラがあるのではないか?でなければ税率が半分以下になるような旨い話はない」
「前向きなことをしてるけど、上げてから落とす非道なことをするつもりじゃ…」
長い間苦しめられていた民たちは色々と思うところがあったようだが、結果的にそれは杞憂に終わった。
そもそもだが悪政を強いる要因として理由に挙げられるのは、
・自身の立場を誇示あるいは誇張するため
・懐を必要以上に温める目的のため
であることが多いのだが、伯爵家に於いては後者に重きを置かれていたようである。
つまり、ナイエルディア伯爵が改心したことにより、必要以上に貯めこまれていた財産を施策によって一挙解放し、
伯爵家敷地内限定ではあるが徐々に景気を右肩上がりに変貌させ、民の信頼を取り戻すまでに至った。
これによりインフレに次ぐインフレで高騰するしかなかった物価が当時以上に下落し、民衆の生活水準も底上げされた。
問題は伯爵家内はどうなっているのかだが―――
「おとーん」
自室から飛び出してきた人ひとり。
食卓にふんわりと座すると、当主席に座っていた痩身の男性が言葉を受けて返答する。
「おお、カレンか。お前の提案した施策、なかなかに好評だぞ。やはり人は礎だな」
その昔、アルカレンスを冷遇していた小太りで傍若無人だったナイエルディア伯爵だったが、
眼前にいる穏やかな性格をした痩身体型の男性がまさか同一人物であるとは、事情を知らない者が見れば嘘とも思えるだろう。
当時見えていた敵意を露にするような明らかなご貴族様だった面影はもはや存在しない。
それどころか、アルカレンスの口出しを恐る恐る実行したことが切っ掛けで、アルカレンスにも仕事を少し手伝ってもらっている。
当時からは想像できない姿である。
「せやろーおとん。やっぱ大事なんは人とのつながりやで。金は二の次やよ二の次」
「確かにそうだな。いやはや、昔の私は私腹を肥やすことだけ考えていてどうかしていたと思うよ、はっはっは」
人格矯正でもしたかのような変貌ぶりである。
最初はアルカレンス自身も気味悪がっていたが、彼が昔の話をし始めるにつれ、今の姿が本来の彼であることを理解していった。
程なくして、同じ扉から同じく痩身体型である女性が姿を現す。
「あ、おかんーおはよー」
「ああ、カレン、おはよう。しかし、伯爵令嬢なのにお前という人はまたそんな言葉づかいを…」
二の句を継ごうとしたが彼女は取り止める。
「…いえ、カレンらしいと言えばらしいですわね」
「ええなぁおかん、物分かり早い美人さんでな」
「ま、義母をからかうのではありませんよ」
―――この女性が当時、アルカレンスに最大威力の焔魔法を投げつけたナイエルディア伯爵夫人のレナンディその人である。
ナイエルディア伯爵共々、人格矯正でもしたかのような変貌ぶりを見せた。
やはり当時を知る人物が見ると、薄気味が悪くて仕方ない。
物分かりも当時からは理解が及ばないレベルであり、先の伯爵本人共々別人と言われても違和感を感じない。
が、こちらについては実は、アルカレンスの能力行使によって本当に人格矯正された御仁である。
当時アルカレンスは【全快】の能力を行使し彼女を快癒させたが、最後に緑色だった光が一瞬だけ蒼色に帯び代わり消えていった。
あの蒼色の光こそ、アルカレンスが隠れて行使した能力の一つである。
【善悪反転】。
本来の意味は『善悪が逆の視点あるいは世界観あるいは反転現象』だが、アルカレンスは二つの単語を繋げて能力を行使した。
『善悪』は文字通り、善と悪。善人と悪人を意味する。『反転』もまた文字通り、ひっくり返ること、反対になることを意味する。
アルカレンスは当時、彼女が目を覚ました後の行動を危惧していた。
元々気性が荒く、当時の伯爵の傍若無人振りに愛に似た何かを見出して婚姻関係を築き上げたことが記録に残っている。
記録として残っている方がどうかしているのだが、誰が記録したかまでは定かではないし、今は関わらないことにする。
つまり、快癒してから烈火のごとく怒り狂う可能性すら高かったと踏んだアルカレンスが先手を打ったのだ。
能力行使の影響期限は本人のみぞ知る。当時読み尽くした本にも『自分の匙加減で一瞬も永久も使えるようになる』とあった。
実際の期限がどれほどのものかはアルカレンス以外には知る由もないが、先手を打った甲斐は今の彼女を見れば大いにあっただろう。
「レナンディ、調子はどうだね」
「ええ、あなた。危篤を脱してから何もかもが調子いいですの。おかげで夜も退屈しなくてよ」
「よ、よさないか、子供の目の前で」
此処だけを切り取れば仲睦まじい夫婦の会話だろう。
当初の泥臭い言い合いを、アルカレンスは転生する以前の記憶からもずっと知っているので、やはり最初は戦慄した。
それはそれはとても醜い争いに等しいほどだったと、今は懐かしくさえ思う。
二度とあんな憂き目には遭いたくはないが。
「カレン、お前ももうすぐ16才ですね?」
「そうかもうその年か。当時は妻を助けてほしい一心で条件を呑むとかなんとか言ったが―――」
不意に自分の話になったアルカレンスは反射的に姿勢を正した。
「あの時の私の所業は人であって人でない愚かしい行為そのものだ。彼女を助けてもらった以上、けじめは着けねばなるまい」
「お前の行動を又聞きした私も、同じことを思っていました。お前の傍にあった二冊の書物、その内の一冊はお前に贈与しましょう」
「もう一冊は確かに私どもの愚行が記されていた。つい先ほど拝借させてもらったよ」
アルカレンスの眉尻がピクリと反応する。
「ああ、安心するといい。私はあれを、来るお前の16才の誕生日に、自ら晒し上げようと思う」
「こうすることが、この期間までお前にしてきた私たちのせめてもの贖罪です」
伯爵の手には確かに証拠が詰め込まれた本があった。
彼は本を燃やすどころか、傍に呼んだ執事に手渡し厳重に保管するよう指示する。
一瞬、能力行使に不手際が?と不安を感じたが、よくよく思えばあの日は能力行使最初の日。
この8年の間に、ナイエルディア伯爵夫妻がアルカレンスへ報復するために敢えていい人を演じたとすれば話は逆転する。
今この場で、まさかと不審に思ったのが顔に出たか、伯爵はそれを見て大いに笑った。
「大丈夫だ、カレン。私はあの時、聖霊のうち二柱に血の誓約を交わしてある。そのような不義理は行わんよ」
ま、不審に思う気持ちもわからんではないがね。
そう付け加え、さらに大いに笑った。
「私の愚行の方こそ許してほしいと思わなかった日はありません。最大の焔魔法を、よもや大事な娘にぶつけるなどということを」
既に察しがついているだろうが、アルカレンスを『カレン』という愛称で呼称していること、
たった今のレナンディからの言葉で、アルカレンスは女性であることが判明。
当初は短髪を好む気質であったこと、さらに寂れた服装と幼い年齢という事情も相まった結果が起因し、女子には到底見えなかった。
よくよく見れば、女性らしいスタイルへと成長しており、白と黒が入り混じる両端のデザインのドレスが一層映える。
彼女の魂の生まれ故郷である『日本』で言うところの『関西弁』が、なお性別を分かりづらくしたとも言えよう。
「……それでええんか、おとん、おかん?」
彼女は若干ながら不信感を込めて言う。
「この8年弱、私たちは改めて幸せになれた。だからこそ、過去の過ちをそのままにはしておけんと思ったのだ」
「魔力は無くても私たちにとっての娘。私がお腹を痛めて産んだ子共々、大事な家族ですよ」
本当に変わった。
アルカレンス―――カレンは改めてそう思った。
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