2文字目 転生前の「彼女」

時と世界を遡ること、はるか62次元の狭間と43年。

ハーシバル歴9371年にてすでに器に定着した魂が元暮らしていた世界、その名を『地球』。


彼の者が現在の世界に移り住む以前の、竜も聖霊も神獣も何もかもが架空の生物あるいは聖なる存在として描かれている世界。

敢えて悪く言うならば『徹底した現実的な世界』とも評されるこの世界で、「彼女」は確かに生を謳歌していた。



「はぁ~疲れた……ったくあのク〇上司、事あるごとに厄介事とトラブルのダブルパンチを押し付けてきやがって…」


言葉遣いから察するに、男勝りな性格のようであった。

見た目ではわからないくらい豊満な胸をキツそうに締め上げた状態で草臥れたスーツに身を包み、

その先に覗かせる肌はきめ細やかさを幾許か失っていて、履物であるヒールの片方は汚れている上に半分折れかかっており、

ポニーテール状に括り上げた髪も含めてボサボサであり目の下には明らかな隈が表れているという凄惨な状況下にあった。


「あちらこちらに謝り倒してやっと帰ってきたと思ったらやれあれがなってないだのこっち早く終わらせろだの、

  うち以外にも手が空いてる社員ようけおるじゃろが節穴なんか吹き抜けなんかいい加減にせえよ!」


あまりのストレスの溜まり具合に言葉の節々に彼女の方言が意図せず漏れてしまっている。

おそらく疲労度だけに絞らずともかなり危うい状態であることは察しが付く。


「それなんに自分らは定時きっかりで全員分のタイムカード切ってさっさと帰りやがるしよぉお!」


周囲の人物らから視線を向けられていることから、心の声ではなく実際の声としてしっかり言っているようである。

現に複数の人物には怪訝な表情が浮かび上がっている。


「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~むしゃくしゃするわぁぁぁぁあああ!!」


相当気が触れているのだろう、人目も憚らず大声を上げることに普段の躊躇いも何もあったものではなかった。

元々往来で大声を上げるような性格ではなく、女性であることを自覚しようと慎ましく生活することを心掛けながら

様々な努力を重ねて今の職業に就いたという経歴から、根は真面目で努力家だということが窺えた。


今に限っては普段から気を遣っていた気品すらみじんも感じない。


「いっそのことガードレールに足ひっかけてよろけて道路にどてーん!車にどーん!!ってな目に遭ったら

  誰かうちの身を案じだり悲しんだりしてくれんのかな~~~~~~~~~~~~~」


訂正しよう。ほぼ手遅れになりかかっている非常に危険な状態である。

その直後、何を思ったのかガードレールを目にすると、足取り重くそちらへと歩を進めてしまっている。


「はぁ…父さんや母さんには申し訳ないけど…何かこう…侯爵だとか、伯爵だとか、そういう身分の元に生まれてみたかった……」


さらに悪いことに、事ここに於いて意識を手放しかけてしまう。

それが仇となり、彼女が口走った通りガードレールに足を引っかけ、大きくよろけてしまい身体が道路側に流れてしまう。


次の瞬間、彼女の目に入ったのは、目が眩むほどの眩しいヘッドライトの光であった。

その光を放っていたのは丈の長い大型トラックであり、現在地点の前後には信号が視認できる距離ではなく、

さらに当該トラックの速度は一般道の制限速度よりもやや早く出ていたため、運転手が急ブレーキを踏むも時すでに遅かった。


(あ……これ、本当に……)


直後の生々しい衝突音と共に、彼女の意識はここで途切れ、以降元に戻ることはなかった。




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