第3話 娘のためなら何でもできる?
森下課長に月曜日から女装して出勤してくるように言われ呆然としていると、スマホから着信音が鳴り響いた。
「自動販売機で、缶コーヒーを10本買って飲め」
缶コーヒー10本ぐらいなら、余裕で飲めそう。
今までの指示に比べれば、今回の指示は楽そうに思えた。
砂糖入りばかりだと口の中が甘ったるくなりそうなので、普段は飲まないブラックコーヒーも数本購入してベンチに腰かけた。
朝からの精神的な疲労がたまっており、変な汗を流してのども乾いていたので今回の指示は逆にありがたかった。
3本のコーヒーを立て続けに飲んだ。
10本ぐらい楽勝。
それが思い違いだったのを、6本目のコーヒーを飲み終えたときに気付いた。
すでに胃の中はコーヒーで満たされており、胃の中の貯水率は100%だ。
それでも、7本目のコーヒーを一口ずつなんとか飲み終えたとき限界を感じた。
ズボンだったらベルトを緩めて調整できるが、そもそもベルトがなくホックで止めてあるだけのスカートはお腹が苦しくても緩めることができず、お腹が張って苦しい。
時間制限はかかれていないし、ちょっと休憩しよう。
ホームのベンチの腰かけたまま、お腹に入れたコーヒーが消化されるのを待った。
ほっと一息をついていると、その衝撃は突然訪れた。
青天の霹靂。
そんな言葉が脳裏に浮かびながら、僕はトイレへと小走りで向かい始めた。
お腹を抱えながらホームの階段を降りると、トイレの案内板が見えた。
トイレが近づくにつれ指数関数的に尿意と便意の威力が増してくる。
社会人として、いや人間として漏らすわけにはいなない。絶対に、負けられない戦いがここにあった。
やっとトイレにたどり着いたが、あいにく多目的トイレのドアノブは赤いマークが表示されおり、誰か先に浸かっているようだ。
ピンクのミニスカートのまま男子トイレに入るのは一瞬躊躇したが、校門と暴行のダムは崩壊寸前の今はそんなことを構っている場合ではないと思い直し、トイレへと入っていった。
男子トイレに入るなり、小便器で用を足している二人の男性が突然の乱入者に目を丸くしながらこちらを見つめた。
そんな視線にお構いなく、お腹を抱え個室へと逃げこむ。
「ふ~、助かった。人間としての尊厳は保てた」
漏らすことなくトイレを済ませることができた僕は、安堵の気持ちが胸いっぱいに広がり思わず独り言が漏した。
ミニスカートで駅のホームで尻文字を書いておきながら、人間としての尊厳とはと思わなくもないが、駅のホームで漏らすより100倍マシだろう。
トイレの個室をそっと開けて、周りの様子を伺う。
今ちょうど一人出て行って、トイレ内には誰もいない。
今がチャンスとばかりに素早く手洗い場へと向かった。
手を洗っていると一人の子供がトイレに入ってこようとしたが、僕の姿をみてぎょっとした表情となり逃げるように出て行った。
トイレの外からは、その子供の泣き声混じりの声が聞こえてきた。
「ママ~、トイレに変な人がいた」
子供の遠慮のない言葉が胸に刺さる。今の僕は、どこからどう見ても変な人。
だけど、娘を助けるためには仕方ない。
トイレから出ると先ほどの男の子は母親に抱きかかえられており、母親は不審な視線を僕に向けている。
冷笑や嘲笑など自分が傷つけられる周囲の反応はまだ我慢できるが、子供に泣かれてしまう罪悪感は親の身としては辛いものがある。
出すものを出して少し余裕の出てきたお腹に、残り3本の缶コーヒーを詰め込むと次の指示が届いた。
「持ってきた10万円で、駅ビルのジュエリーショップでネックレスを買え」
指示とともにネックレスの写真が添えられていた。これを買えということみたいだ。
早速改札を抜け、駅ビルに入っているジュエリーショップへと向かう。
休日ということもあり店内は、多くの買い物客でにぎわっていた。
ジュエリーを買うという期待と幸福に満ちた時間を、突然の乱入者よって壊された抗議のような視線が向けられるが、それに構うことなく店員さんを呼びスマホの写真を見せた。
店員さんの顔には一瞬怪訝な表情が浮かんだが、購入することがわかるとすぐに営業スマイルへと変わった。
プレゼント用のラッピングをしてもらい、お店を出た。店員さんと話すというハードルはあったが、今までの指示に比べれば簡単であった。
しかし、身代金として持ってきた10万円をここで9万円近く使ってしまった。
犯人の目的は何だろう。
犯人の意図が分からないことを不審に思っていると、次の指示を知らせるスマホの着信音が鳴った。
「駅前にある、パルティーダというカフェに行け」
いよいよ身代金の受け渡しなのか?少し身構えながら、指示されたカフェへと向かった。
カフェはお昼時ということもあり、店の外まで行列ができていた。そのほとんどは女性客で、男の姿はまばらだ。
行列の最後尾に並び順番が来るのを待つが、電車の時と同様逃げ場のない状況で軽蔑の視線が向けられるのは辛い。
後ろに並んでいる女子大生たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。
「あれって、絶対男だよね」
「うん、しかもオッサンだよね」
「自分の父親があんな格好してたらどうする?」
「え~、私だったら家を出て、親子の縁を切るな」
うるせー。例え親子の縁が切られようとも、娘は助ける。それが親ってもんだ。
心の中で毒づきながら、早く順番が来ることを祈った。
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