第2話 犯人からの要求
フリルいっぱいのブラウスは胸元のリボンが常に視界に入り、ピンクのミニスカートは頼りなく、何も履いていないも同然だ。
鏡の前に立ってみる。
そこには明らかに女装した男だとわかる変質者が写っていた。
こんな服は若い女の子が着るべき服で、40を超えたオッサンが着るものではない。
そんなことを思いながら、リビングに入ると美由紀は笑い声をあげた。
「フフフ、ごめん。でも、思ったよりと似合ってるよ」
美由紀は突然スカートの裾をつまみ上げて、中をのぞいた。
「キャ!何をするの!」
「男でも下着見られると恥ずかしいんだ」
「当たり前だろ」
美由紀は口角を上げて、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている。
「ちゃんと下着も着替えたのかなと思って」
服と一緒にご丁寧に、ピンクのショーツとブラジャーも入っていた。これも付けてこい、ということなんだろう。
「下着ぐらい、着替えなくてもバレないんじゃない?」
「ダメよ。何かの拍子でトランクス履いているのがバレたらどうするの?愛美の命がかかってるのよ」
男の股間にあるものを収納できる設計になっていないショーツは僕の象さんが押しつぶされて圧迫感があり、ブラジャーは胸が締め付けられる感覚と肩ひもが気になって仕方ない。
不安な足元を誤魔化すため内またになりながらモジモジとしている僕の肩を叩いて、美由紀は椅子に座るように促した。
「ほら、メイクしてあげるから座って」
美由紀は髭を丹念に剃ってきた僕の顔に、ファンデーションをのせた。
そのあと言われるがままに目を閉じたり、口を開けたり閉じたりしているうちにメイクが終わった。
「こんなもんかな」
一緒に送られてきたショートボブのウィッグをつけた。
「ほら、聡志、これも付けないと。フフフ、もうダメだ」
大きな白のリボンが付いたカチューシャを手渡した美由紀は、僕の姿をみて笑いをこらえることができずお腹を抱えて爆笑している。
漫画だと男でもメイクしてウィッグを付ければ美人になるところだが、現実はそう簡単ではない。
玄関の前に車が停まる音が聞こえた。タクシーが着いたみたいだ。
真っ赤なハイヒールを履き、ふらついている僕の背中を美由紀が押した。
「ほら、タクシー着たわよ。いってらっしゃい。がんばってね。ちゃんと身代金もった?」
子供にハンカチ持ったと聞くような口調の美由紀からは、緊張感は感じられない。
「ああ、大丈夫。じゃ、行ってくるよ」
真っ赤なポシェットに身代金を入れた封筒があるのを確認して、覚悟を決め家を出た。
◇ ◇ ◇
土曜日の駅前は多くの人々が行きかい、混雑していた。
犯人からの指示通り駅前の噴水の前で立って待っていると、五歳ぐらいの男の子が僕を指さした。
「ママ、あの人、男なのにスカート履いてる!」
「見ちゃダメ!」
教育上よくないと判断した母親が、子供の手を引っぱり足早に去っていってしまった。
約束の10時は過ぎ、10時半を回っても犯人からの指示はまだない。
通行人からの刺さるような視線に逃げ出したくなる衝動に駆られるが、愛美のことを思うと逃げ出すこともできず待ち続けるしかない。
―——ピロリーン
スマホにメッセージの着信音があった。
「ちゃんと下着も履いてるか?」
「履いている」
「写真を撮って送れ」
写真を撮って送れって、ここで?
通行人はチラチラとこちらを見ている。躊躇していると、次のメッセージが届いた。
「早くしろ。娘がどうなってもいいのか?」
衆人環視のなか意を決した僕は、少しかがんで自撮りモードにしたスマホを股の間に入れ、ミニスカートの中を撮影した。
雑踏の中でもシャッター音は響き渡り、周囲の人々がこちらを振り向いた。
「警察呼んだ方がいいかしら?」
そんな声も聞こえてくる。
緊張と恥辱で汗が吹き出しながら、指示通り写真を送信するとすぐに返信があった。
「よし、いいだろう。つぎは電車に乗って、××駅に向かえ」
××駅と言えば隣の駅だ。
警察が来る前にと逃げ出すようにこの場を離れ、改札をくぐりホームに上がろうとしたとき、もう一通メッセージが届いた。
「外回りの電車に乗れ」
内回りのホームに向かっていた足を止めた。
内回りなら一駅なのに、あえて環状線を1周するような意図は分からないが、指示通り外回りのホームへと向かい直した。
数分待った後、やってきた電車は休日の昼間ということもあり多くの乗客で混雑していた。
一瞬ですれ違う駅前と違って、逃げ場のない電車ではジッと見られてしまう。
混雑する車内でも、僕の半径2mには誰も近寄ってこない。
こんなバリアフィールドいらない。
相変わらず子連れの乗客が乗り込んでくると、僕を見るなりあからさまに別車両に移動されるし、女子高生からは面白がって写真を撮られてしまった。
「次は××駅~。中央線ご利用の方はお乗り換えです」
目的の駅を告げるアナウンスは、ようやく地獄から解放される福音のように聞こえ心は歓喜に満ち溢れた。
電車から降りた瞬間、スマホからメッセージの着信音が響いた。
「『あいみ』と尻文字で10回書け」
乗り換えのターミナル駅でもある××駅のホームは、多くの人々が行き交っている。
できるだけ目立たぬようホームの端に移動して、お尻を振った。
それでも奇妙な格好のおじさんの奇行に、周囲の視線は釘付けとなっている。
「あの人、何やってるのかな?」
「きっと、注目されるのが嬉しいんじゃない」
「変態」
そんなヒソヒソ声の会話が漏れ聞こえてくる。
ようやく10回目の「あいみ」を書き終えるころには、目には涙が浮かび始めていた。
駅のベンチにへたり込むように座っていると、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「青葉さん?」
「森下課長!」
直属の上司である森下課長だった。吹き抜ける風に課長の長い髪と白のロングスカートが揺れた。
「やっぱり青葉さんだったのね。駅のホームで女装してお尻フリフリしている人がいるなって思ってみてたら、青葉さんだった。青葉さんって、そういう趣味なの?」
課長の言葉が胸に突き刺さる。娘が誘拐されたから仕方なくと言いたいところだが、課長が警察に連絡しないとも限らない。
「あ、はい。実は……」
「美由紀はこのこと知っているの?」
職場結婚した美由紀と課長は同期で、今も連絡を取り合うほど仲が良い。
「はい、メイクも美由紀にしてもらいました」
「ふ~ん、そうだったのね。じゃ、月曜日からその恰好で仕事にきてね。部長には私から話しておくから」
「あっ、いや、これは……」
「いいから、私に任せておいて。女の子の格好するの好きなんでしょ。さっきも嬉しくてお尻振ってたじゃない。じゃ、私用事があるから行くけど、月曜日からスカート履いてきてね」
課長はそれだけ言い残すと足早に去って行った。
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