第五話 「多神教」と「一神教」の考えの違い

 世界で侵攻されるキリスト教が日本では普及しなかったのは、日本独自の思考があったからだ。

 イエズス会のフランシスコ・ザビエルはマレーシアで武士ヤジロウと出会い、その者の勧めで日本での布教活動を決意する。まず、南蛮貿易で島津に利益があると近づく。その際、ヤジロウは通訳を行っていたが、ザビエルがインドから来たお坊様と紹介し、島津から歓迎された。キリストのことを大日(大日如来)と訳し誤解を与えていた。薩摩・島津の人々は彼の事を仏教の宗派のひとつだと勘違いしていた。これがあって宣教師は受け入れられた。それを見た仏教僧は反発。提案された利益も芳しくなく禁教が出される雰囲気に。そこで一行は京を目指した。博多・下関を経て山口に到達。守護大名の大内義隆との接見で仏僧の恋愛観について問題を起こす。当時の日本では男性同士の恋愛が当たり前。カトリックのザビエルからすれば禁忌。ザビエルは彼らに説教した。これによって、ザビエルの宗教と自分たちの違いに気づき、大内はザビエルたちを追い出した。

 山口を追い出された一行は京に。京は戦乱で荒廃。比叡山の僧侶養成機関が異国人を拒み、一行は京を去り受け入れられた山口に戻る。そこで大内に献上品を調達し、大内と接見し、廃寺の大道寺を日本初の教会堂として提供される。そこで僧侶の自堕落な生活を非難し、多くの改宗者を得た。気を良くしたザビエルたちは一般の民衆に布教活動を行ったが、日本人は他の国の人とは違い容易く洗脳されなかった。

 日本人は宗教に無関心ではなく、宗教が生活に馴染み過ぎて無関心に見えていただけだった。日本人は聖典などを読み込んだりしないばかりか宗派にも拘りがない。しかし、正月・盆・祭りなど生活にはしっかり宗教は根付いていた。

 ザビエルはキリスト教が如何に尊いかと説けば、民衆は「何故それほど有難い教えが今まで日本に来なかったのか」と返された。更に「入信儀式である洗礼を受ければ救われる」と告げれば、「なら洗礼を受けずにこの教えも知らない先祖はどうしているのか」と質問された。それに対し「洗礼を受けていない人は皆地獄行きだ」と答えると日本人は「お前の信じる神は随分無慈悲で残酷だ、全能の神ならご先祖くらい救ってくれてもいいだろう」と追及してきた。他にも日本人は身分にかかわらず「神は万物を作る際に悪まで一緒に作ったのか、神が作った世界に悪が存在するのはおかしいのではないか」など質問責めにあい宣教師たちは困り果てた。他の国で起こらない現象が日本では身分に関係なく起こっていた。

 日本人は仏教を受け入れながらも八百万の神々を崇める「多神教」が根付いていたため「一神教」の考えに疑問を抱くのが当たり前だった。

 仏教には禅問答があり悟りを開く問答も存在し、理解し疑問を問う習慣があったのも大きく影響していた。

 ザビエルはローマにいるイエズス会の者に「日本人は文化水準が高く粗探しをされます。そのため学識のある神父が必要です。とくに哲学がよくでき弁証法に優れた人物。僧侶と討論で明らかになる矛盾を直ぐに捉えられる人が必要です。よほど立派な宣教師でないと日本の布教はくろうするでしょう。好奇心が強く、うるさく質問し、知識欲が旺盛で、質問には限りがありません。また彼らの質問に私たちが答えた事を彼らは互いに質問しあったり、話したりして尽きることがありません。その文化・礼儀・作法・風俗・習慣はスペイン人に優る。日本人ほど理性に従う人民は世界中で逢ったことがない。もう精魂尽き疲れ果てた。自分の限界を試された」と綴っている。

 ザビエルは中国に布教活動に行くが病死する。

 戦国から安土桃山時代の人口は約1200万人とされ、改宗者は15万だった。南蛮貿易の利益を目的にキリシタン大名が増えていた。 


 



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