第三話 鉄砲保有数世界一だった日本
種子島に鉄砲が伝来された火縄銃を僅か半年で複製させた。日本で生産された火縄銃は優れた日本の職人によって性能が高められ、日本人が使いやすいものとなっていた。海外にもその性能と精度の高さが認められ、高値で取引されていた。先駆者のヨーロッパの火縄銃は精度が悪く、安鉄砲と呼ばれ安価で取引され、日本製と区別されていた。
現在の日本も限定されるが外国企業に特許料を払って日本で製造する「ライセンス生産品」について、米国などライセンス元の国へ完成品の輸出が解禁された。ライセンス生産品は現在、米国や英国など8カ国の79品目あり、迎撃ミサイルや大砲、弾薬などが含まれる。解禁は、日本にとって火縄銃の歴史の再現となるのは目に見えて明らかな判断だ。米国が諸事情から断念したレールガンの完成が頼もしい現実だ。
日本製の火縄銃とヨーロッパの火縄銃の比較を間近でみていた宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノはスペイン国王に「日本の国民は非常に勇敢で絶えず軍事訓練を積んでいる。容易に征服が可能な国土ではない」と書簡を送っている。日本の技術力の高さを警戒したスペインとポルトガルは、日本の植民地化を断念した。そして大航海時代が終焉を迎える。この時、世界の85%がヨーロッパ諸国によって植民地化されていた。
江戸幕府になってペリーが1853年、浦賀に来航。当時、鎖国政策を施行して日本だが主にオランダから情報収集していた。ペリーの恫喝的要求に対し、浦賀奉行所の与力・中島三郎助は「国にはその国の法があり、その法を犯すことはできない」ときっぱりと言い切った。主張すべきところは主張し、相手側の譲歩も引き出すことの重要性は昨今変わらない。相手の顔色を見て事なかれ主義で譲歩ばかりに邁進する弱気な外交に未来などない。屈すれば植民地化や属国と同等だ。敗戦しGHQに抑え込まれた負け犬根性はもう捨てるべきだ。先人が示してきた毅然な対応が日本の存在感を知らしめ、日本書紀に記された根底にある建国の理念で、世界の隅々までも一つの家族のように仲良く暮らしていける国にしていこうではないかという意味の「八紘一字」を担わなければならない時代を迎えている。そのためにも経済や技術、その象徴とされる戦闘術を手に入れることが最大の防御となる。
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