秋-2 文化祭ライブ
十月五日、文化祭当日。髪の間を通る風の涼しさも日光の温かさも心地良く感じる、絶好の行事日和だった。校門には文化祭実行委員が制作した木製のアーチが設置されている。「御作高校第四十二回文化祭~秩序あるフリーダム~」と書かれたそれはペンキと風船でカラフルに装飾されていて、小学生が作ったみたいとからかう者もいれば自由な校風を表している力作だと言う者もいた。前者の生徒は実行委員の副委員長に蹴られており、実は副委員長に構われたくてわざと言っていたと知る者はにやついていたが、通りかかっただけの俊は知る由もない。
基本的には誰でも入場可能なので、他校の生徒や小中学生、卒業生なのか大学生らしきグループやカップル、保護者たちがわらわらといて敷地内はひっきりなしに賑わっている。事前準備が主な担当だった俊は、出来上がったパフェを家庭科室から教室まで運ぶ係を一時間だけ担当し、それ以外は自由時間だった。パフェは三種類あるが、グラノーラにヨーグルトを掛け、オレンジソースを垂らした上からバニラアイスを乗せ、これでもかというチョコレートソースで覆い、缶詰のフルーツとホイップクリームをぽこぽこと置いた「盛り盛りカロリー贅沢パフェ」が人気だった。
俊はお昼までは横谷と、お昼からは大輔と行動を共にし、お化け屋敷に入ったりお好み焼きを食べたりした。横谷も大輔も、女子とまわっている男子を見て「陰キャは陰キャらしくさえきちとデートですわ」と同じことを言っていたが、俊が「まあまあ」となだめるのを聞くか聞かないかのうちに「おっ射的あるじゃんやろう!」「保護者会が焼いたパンだって!」とはしゃいでいた。横谷は美術部の展示の店番に、大輔はゲーム研究会の発表に行き、一人になった俊は予定通り軽音部のライブ会場である体育館に入った。既に生徒や私服の人々が集まっており、俊のあとにも続々と人が来て、体育館の半分以上は埋まった。
七組ほどのバンドにより、全員で合唱できる有名曲や懐かしの曲、アーティスト名しか知らなかった曲などが次々と披露された。俊はロックバンドのライブに行った経験はなく、昨年の文化祭はひっそりとしていたので音楽への「ノリ方」はわからない。ただ今日は橋近の活躍を近くで見たかったので、前から六列目くらいの中央付近、皆が拳を突き出してノるようなゾーンに紛れ込んでいた。タイミングを間違えるのが怖くて拳を上げはしなかったが、高校生なりに怒涛の迫力で響くギターの音、空気をうねらせるベースの音、空間を切り裂くドラムの音、そして体の毛穴を開かせこちらもエネルギーを放出させて共鳴せねばと思わされるようなボーカルの声が、知らず知らずのうちに俊の体を小さく縦に揺さぶらせていた。楽しい、と思う。この高揚を感じられたのは、心身を震わせる音と周囲の空気感を間近且つど真ん中で浴びられた所以であり、つまりここにいさせてくれた橋近のおかげなのであった。一年生の頃の高校生活も悪くはなかったが、橋近に出会ってから彩りが増したのは間違いない。
だからか、ステージに現れた橋近を見上げたとき、「ありがとう」という感謝が湧き上がった。僕に落ち度のある出会いだったのに、友だちにしてくれてありがとう。演奏を観に来てくれるのが嬉しいと言ってくれてありがとう。僕を、唯一の人だと……。
「ニッケコルトンです。どうぞよろしく!」
橋近が自己紹介をして、二人が好きなバンドの代表曲の演奏が始まる。アニメのタイアップ曲として知っている人もいるのか、もしくは知らずとも迫力を楽しんでいるのか、イントロから頭を振る人たちも多かった。マイクを通した橋近の声を、俊は初めて聞く。日常の声色より少しざらつきがあるアルトは、俊の耳を貫き、通り越して体育館の後ろまで飛んでいった。Aメロを太い声で歌い切り、Bメロなしにいきなりサビに入る構成に観客も湧く。本家と同じく魂の乗った歌声のあと、優しく儚さすら感じる歌声で曲が締まる。その一秒後に、俊は拍手をしていた。パチパチという子どもじみた音はすぐに周囲の歓声に掻き消されたが、主が誰かがわからずともいち早い称賛は橋近の耳に入ったのではないかと勝手ながら満足した。そのあとの二曲も大いに盛り上がり、俊も体を揺らして楽しんだ。
橋近の「次が最後の曲です」にお決まりの「えーっ」というレスポンスがあがったが、先ほどまでのMCと違いやや固い声色だったので、俊は「あっ」と背筋を伸ばした。橋近が息を吸ってから「最後にオリジナル、やらせてください」と言うと、ドッと場が湧いた。ベースの女子が「作詞作曲、はっしーです!」と、ドラムの男子が「頑張ったよー」と声高に言う。二人は違うクラスなのか学年なのか、俊の知らない人たちだったが、楽しそうに演奏していて好印象だったし、今の口調からも橋近を好いているのが窺えた。
目立つ外見と振舞いから、「あの人は僕の高校生活に関係がない人だ」と決めつけて一言も喋らず卒業式を迎えていたら……。人に出会わなかった際に被る損失に気付く機会は生涯ないし、そのまだ見ぬ損失に怯えて誰もかれもと出会おうとすると疲弊してしまう。それどころか俊は、たった一人に自ら人に話しかけるだけで膨大なエネルギーを使い、その日は帰宅早々眠り込んでしまう。
だから僕はこの先も友人が多い人間ではないだろう。でもこんな出会いが人生に存在しているなら、せめて同じ空間にいる人に対して「関係がない」と勝手に切り捨てるのは止めよう。イントロのギターを掻き鳴らす橋近を見て、思った。
「すべてのあさにささぐ、びょうどうでいてくれというねがいを、それがかなわないとしりながら」
疾走感がありながらもどこかメロウなAメロ。橋近が心を込めて書いたのであろう歌詞とメロディが、俊をぐっと捉える。
「どれだけはしってもたどりつかないばしょがある、でもたどりつかないとしっているひとはだれひとりとしていないのだ、かなしいきぼうだ」
音が激しくなりつつ、静止も効果的に使われるBメロ。格好良い、ひたすらにそう思った。自分自身が生んだ世界を、自分自身が選んだ表現方法で人に届ける姿のなんと輝かしいことか。
「どうしたってぼくらなりふりかまわずいきてしまう、こっけいでもいいといえるゆうきはないままに、どうしたってぼくらなりふりかまわずいきてしまう、だれかのてのうえからのがれてじぶんだけのあさをむかえるために」
サビだとわかる盛り上がりは、それぞれのメンバーと楽器が持つポテンシャルが最大限に発揮されていた。橋近の歌声はほとんど叫びのように体育館に広がったが、がなりはなく聴きやすく、心臓にストレートに入ってくる。観客に紛れ、遂に俊も小さく拳を突き出してみた。さっきからずっとそうだったのだろうが、自分が笑顔になっているのに気づく。「一人で来て一人で笑って、今の僕、キモいかも」、そんな考えが頭を過ぎったが、すぐに「別にいいか」とステージに意識を戻した。橋近の歌と演奏を楽しんでいる人が一人でも多くいると伝える方が大事だった。これから軽音部が主催するライブは全部観に行こう。来年は受験生だが文化祭には出るのだろうか、今後も音楽を続けるなら違う大学になってもライブに行こう、その先は――そう思いを巡らせたとき、橋近の寂しさが滲み出ていた笑みが思い出され、体は揺れたまま思考が停止した。
俺は人前に立って表現するパフォーマーにはなれないよ。世の中の大半が共感できることに共感できないから。
そこで俊は、胃が強烈に熱を帯び、膨らんでいく感覚に襲われた。何だろうこれはと戸惑ったが、次の瞬間に体中に「どうして好きになる人が同性というだけであの舞台から降りなきゃいけないんだ」という考えがかっかと巡ったので、この感覚は怒りなのだと理解した。自分で曲を作って人前で堂々と歌える人が音楽で生きていきたいと思うのは、なんらおかしいことじゃないのに。なのにどうして、たった一つ違うだけで諦めないといけないんだ。それも「間違っている」じゃなくて「大勢と違う」というだけで。
絶対に、諦める必要なんてない。カミングアウトするにせよしないにせよ、自分は間違っていないのだと胸を張っていればいい。だが――諦めなければと考えるに至らざるを得ない経験を、橋近は既に多くしてきているのだろう。ステージ上の橋近からは微塵も感じられない葛藤があったのだろう。だから言えない、「諦めないで」なんて。
最後のギターの余韻が消え、拍手と歓声が体育館に轟いた。橋近はギターを下ろし、清々しい笑顔で観客に大きく手を振っている。
パッと、橋近と目が合った気がした。十メートルは離れておりその間にもたくさんの人がいるのだから勘違いだろうと思った矢先、橋近はニカッとして、ピースサインを突き出した。最高潮に楽しい瞬間を、他でもない佐伯俊と分かち合おうとしてくれたのだとはっきりとわかった。
手を振る観客に紛れて、俊も高々とピースサインを掲げた。友人を独占するつもりはないが、様々な人の個性豊かな高揚が湧き上がる場で、一直線に自分たちを結ぶ友情があることは誇らしかった。あそこに立つ人気者と友人である自分を誇らしく思うことはなかった。
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