夏-3 アイス

「新しいアー写、見た?」

 昼休み、二人は売店で買ったアイスを、中庭の隅で食べた。木陰で陽射しは避けられるとはいえ涼はない。隅の木の下まで芝生が広がっておらず土が見えていたが、橋近はどっかと座り込んだ。俊も隣に体育座りをする。二人ともバニラアイスにアーモンド入りのチョコレートコーティングがされたバーを選んでおり、豪快に口を開ける橋近は購入後一分でもう食べ終わりそうである。

「見たよ、格好良かったよね。マサシさんの眼差しが格好良くて。橋近くんもさらに好きになったんじゃないかって思ってた」

 校内でバンドの話が出来る喜びそのままに言うと、橋近は「ばっ」と破裂音じみた声をあげた。口を噤み、気取られないよう眼球だけ動かして辺りを窺っている。俊はやっと彼の意図を理解し、「大丈夫だよ」と言う。

「誰にも聞こえてないし、男が男を格好良いとか好きだとか思っても変じゃないよ。僕もマサシさん好きだしね。変だと言う人がいるなら、その人とは感性が違うだけ」

 橋近は暗がりの猫みたいな目をした。海に行ったと言ってはいたものの室内の部活動に勤しんでいる時間が長かったからか、夏休み明けの高二男子にしてはあまり日に焼けていない肌――しかしその耳は熟した桃のように染まっている。触ったら熱いのではないかという一抹の好奇心が、俊の腕を伸ばさせていた。

「わっ」

 親指と人差し指で橋近の耳たぶを挟んだ瞬間、彼は後方の木の幹に背を打ち付けんばかりに飛びのいた。花をつけてはいないが、椿の木だった覚えがある。

「こういうのって冬にやるんじゃねえのっ。冷たくてびっくり、ってさ」

 橋近はガードするように耳たぶを両手で摘まんであたふたしている。俊はきゅうりに驚いてひっくり返る猫の動画を見たときのような、かわいいと面白いとかわいそうが混ざった気分になった。

「ごめん。赤かったからどれぐらい熱いのか気になって。でも僕の体温も高いからあんまりわからなかった」

 幹から背を離さない橋近を見て反省する。

「急に人に触られるの嫌だったよね。それに、マサシさんが好きだって気持ちをからかうつもりも全くなかった」

 俊は手を顔の前で合わせ、座ったまま深々と頭を下げた。数秒後、ふは、と聞こえて顔を上げると、橋近は元の体勢に戻っており、「全然大丈夫」と笑っていた。

「ちょっとびっくりしただけ。佐伯がこういういたずらするって意外だったから」

「この前ふざけてよこやんの背中叩いたら、ジュース噴かせちゃったよ。気をつけるね」

「ジュース飲んでるとき以外ならいつでもやって」

 俊がほっとしたのも束の間、橋近の笑顔がまた消え、口を結んだ。やはりマズかったのかとどきりとしていると、彼は「前にさ」と切り出した。

「文化祭のライブでバクホンコピーやるって言っただろ」

「うん。絶対聴きに行くよ」

「ありがと。それと一緒に……オリジナル曲もやるんだ」

 そう言うやいなや橋近は「わー」と言って両手で顔を覆った。手の隙間から、口に咥えたアイスの棒が出ているのは可笑しな構図だったが、俊は「えっ! かっこいい!」と心を弾ませた。生まれてこの方、自分なりの作品を生み出す行為を図工や美術の授業でしかやったことのない俊にとって、それは未知なる挑戦だった。

「オリジナルやるって告知したらハードル上がるか自意識過剰じゃんって思われるかで、どっちにしろ恥ずかしいだろ。だったらステージでいきなり披露しちゃえって。でもこんなに音楽の話してる佐伯にまで言わないのはなんか変だよなって……」

「恥ずかしいわけない。すごいよ。教えてくれてありがとう、楽しみ!」

 前のめりで言った。昨年の文化祭でも軽音部のライブを観に行ったが、ステージ上に知り合いもおらず、体育館の壁に左肩を付けて「あの曲知ってる」とか「ベースが上手い気がする」とか思っていただけだった。後夜祭には橋近も出たらしいが、俊は早々に帰宅していた。

「頑張るわ」

 両手をどかした橋近が、照れ隠しらしく唇を尖らせて言った。


 そのあと、教室に戻った。「じゃ」「うん」と軽く挨拶を交わして、橋近は行動を共にしているグループのもとに「なーに話してんのっ」と戻って行った。俊は教室の隅の席に戻り、横谷と大輔に「おかえりー」と迎えられる。二年B組の空気感は一学期と変わらないが、二学期に入って決定的に変わったのは、クラスの人気者の孤独を知る人間が一人はいるということだった。

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