2.老人と海 アーネスト・ヘミングウェイ ―見よ、人間は逞しい
先に言っておきたい。これを読む前に車輪の下の感想文を読んでくれた人がいるなら、これから作品ごとに文のテンションが変わることに気づくはずだ。個人的にその作品を語るにもっともふさわしい調子で書くつもりなので、どうか楽しんでもらいたい。
ノーベル文学賞受賞、簡潔で大胆ながら極めて繊細な表現で食いついてきた読者を逃さない。およそ本について多少知識のある人なら誰しも、いやおそらくは本とあまり触れ合わない人でも知らない人は少数派と言えるだろう文学の巨匠、ヘミングウェイ。彼の短編「老人と海」を紹介したい。
僕が手に取ったのは新潮文庫出版の高見浩訳なのだが、何を隠そう、表紙に惹かれて買ってしまった。表紙の世界はエメラルドグリーンのかリブの海の中。円形に回遊する小魚たちの中央にでかでかとカジキが描かれ、水面の向こうのボートから老人が様子をうかがっている。とにかくこの透き通るような激しい表紙に惹かれて出会ったわけだ。
表紙もさることながら、訳も素晴らしい。他の訳も見てみたが、新潮文庫版が個人的には一番好きだ。一文目から違いが見て取れる。なんだかこう、作品らしさというか、ヘミングウェイらしさがよく出ているのだ。もしこれを機に興味を持ってくれる人がいたならば、新潮文庫版がオススメだ。2024年4月現在、「老人と海」を歌で表現しているヨルシカとコラボしたカバーのものも書店で見られる。
この物語はひたすらに孤独である。しかしにぎやかである。キューバの漁師である老人は不漁が続いたうえ、共に漁をしていた少年は親に言われて別の船に乗り、「サラオ(スペイン語で「不運のどん底」)」と呼ばれていた。そんなある日いつものように漁に出ると大物の手応えがある。八十四日ぶりの獲物に沖へと引っ張られながら、老人と巨大なカジキとの死闘が始まる。
簡潔な文章からなるキレのある描写は職人肌の老人を表すには最適解と言えるだろう。何日もカジキと格闘しながら一人カジキと会話し、次々に試練を与える大自然に果敢に挑む不屈の老人は逞しい。
その理由はともあれ(ぜひ読んで確かめてほしい)、結局釣り上げたカジキは港につく頃には頭と尻尾だけになってしまった。八十四日ぶりに仕留めた大物が台無しになったのだ。にも関わらず老人は使い物にならなくなった道具をスクラップから持ってきた材料で作り、また漁に出ようと話す。大きな稼ぎを、そして何より漁師の誇りのような巨大な獲物を失ったにも関わらず、そこに泣き言も言わず次の仕事をする準備を考える。今まで見てきたものが「頑固な執着心」ではなく「不屈の精神」だったことがわかる瞬間だ。しかも彼はそれを先進国がゴミとしか見ていないものからこれほどの物語を紡ごうというのである。なんと清々しい物語だろう。彼は孤独でありながらもカジキと、海と、少年と、漁師仲間と壮大な対話をしているのである。
思えばこの物語は自分の読書ライフの転換点だったかもしれない。エンターテイメント性を狙っていないのに、こんなに素晴らしい物語が存在するのか。そう感動した記憶がある。「エモい」という言葉で高度な感情を伝えられる時代に生まれてよかった。
この物語は、エモい。
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