俺の読書感想文〜本棚あるうち本棚の中を歩め〜

遅筆丸

1.車輪の下 ヘルマン・ヘッセ ―期待は少年から何を奪ったか

多くの日本人がヘルマン・ヘッセを知るきっかけは、何と言っても中学1年の国語教材なのではないか。「少年の日の思い出」にて昆虫採集好きなエーミールが言い放った「そうかそうか、つまり君はそういうやつだったんだな」というセリフは使い所が少ないにも関わらず、一ヶ月くらいはこのセリフがクラスで飛び交っていたような気がする。

「車輪の下」は1905年のヘルマン・ヘッセの長編だ。

 ハンス・ギーベンラートは博学才穎、小学校の末に神学校に合格し、ついでマウルブロン神学校に入学した。優秀な生徒には高等学校という道もありながらなぜ神学校だったかと言うと、ハンスの家は決して裕福ではなく、ギーベンラート家に限らず賢い平民の子は学費が国によってまかなわれる神学校しか出世の道がなかったからなのだ。町の人々の期待を一身に背負いこみ、遊ぶまもなく勉強して見事神学校に合格したハンスは神学校で首席を目指すべく勉学に励む。生徒それぞれの人間関係が構築されていく中でハンスは同室のハイルナーという少年と親しくするがハイルナーの起こした喧嘩騒動が原因でハンスは謹慎を言い渡されたハイルナーを見捨ててしまい以降疎遠となる。しかしある事件をきっかけに二人の友情は元よりも深まり、模範生ハンスは勉強そっちのけで友情に耽溺していく。

 この物語が進むにつれ、ハンスはめぐる季節とともにズルズルと不幸の渦に呑まれていく。その不幸の連鎖には確実にきっかけがあるはずなのだが、この本の面白いところはまさに「すべてが結末のために用意されていた」ように思える点だ。不幸へと導かれる転換点となる場面はあるものの、読み終えてみればそれは物語が始まったときから既に不幸に向かっていたようにも思える。神学校に行き、牧師として栄光の未来を送ることを考えるより、ただの庶民として親方のもとで友人と働きながら平穏に生きていたほうが彼にとって幸せだったのではないか、と。不幸が彼を襲い続けた結果、終盤では些細なはずのことも悲観的に描かれている。まるで約束された当然の結末かのように、読者は自然に結末へと吸い込まれていく。

 結末についてもう一つ触れておきたいのは、予想打にしない結末でありながらも文中で一度ほのめかされている点だ。実を言えば僕は結末を聞いたことがあった。それで後半でほのめかされた時、少し不自然に思った。こんな終わり方では納得できない、そう思いながら読み進めるとまるでそんなものがなかったかのように物語が展開されていくではないか。ここからどういうふうに聞いていたラストに持っていくのか。疑問に思っていると突然それは現れたわけだ。しかも途中で提示された経緯とは全く違う経緯で。これには非常に驚いた。

 さて、この本のタイトルである「車輪の下」という言葉だが、作中にそれらしい車輪は殆ど出てこない。そこで気になって原文ドイツ語のタイトルを調べたら「UNTERM RAD」和訳すると「車輪の下で」「車輪の下に」と言った意味合いになり日本語版タイトルと違いはない。ではこの車輪とはなんぞや、というと、物語中盤で勉強を怠るハンスにマウルブロン神学校の校長が警告したときの比喩表現として一度登場しただけなのだ。その校長のセリフは当たり前のように聞き流され、ここから物語が大きく展開して後半に向かっていくにあたって大きな違和感として残る。それが逆に、各所に現れる何気ない情景描写などにおいてなんてことない「車輪」が登場するたび、過敏に反応してしまう要因となっている。どうでもいいとも言える描写が非常に意味を持つものに思えてくる、その臨場感は次第に些細な出来事からも過剰に影響を受けるするようになっていくハンスと重なり心情の生々しさを醸し出しているのが非常に味わい深い。

 この本をいつ読むべきか、と聞かれるといささか返答に困るだろう。読み終わったあと、結局読者は何を受け取ればよいのかわからなかった。人に過度な期待をして重荷を負わせてわいけないこと?ハンスを反面教師として勉強をしなければならないこと?様々な解釈が思い当たる。だからこそ、この物語は一生つきまとってくるかもしれない。大人になってこれを読んだとき、また別な気持ちを受け取るだろうその時が少し楽しみに思う。

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