第2話 交換日記

風呂にも入った、ご飯を食べた。それをこれに書こう。

ボールペンをしおり代わりに挟んでおいたが、最初のページであったため、そこまでの意味をなさないと気づいたのはこの時だった。

よく見てみると最後に自分が書いた項目から少し増えていた。

『19:22、夜ご飯を食べた。サラダと肉じゃがだった。ここのご飯はやっぱりおいしい。

返信が来て少し嬉しかったです。私はしずくと言います。』

しずく......か。

『19:33、お風呂に入ってハンバーグを食べた。食べた後に少しスマホをいじった。

いい名前ですね!』

......いざこうしてみると何も話す話題がないな......。

そう、これは所謂ネットと同じ、何処かの知らない相手とメッセージのやり取りをしているようなものだ。それも時間制限付きの。

眼を瞑って何を書こうか考えていると日記帳が机から落下し、床の上で閉じてしまった。

拾い上げ、開いていたページを再び開くとたった今までなかった文字が増えていた。

『19:35、ありがとうございます。つかぬことをお聞きしますが、何歳でしょうか?』

さっきまで確かにこんな文無かった。いつの間に増えたんだろう。

もしかして、日記を更新するには一度ページを閉じないといけないのか。

『19:36、17歳です。名前は拓と言います。高校に通っています。』

一度日記帳を閉じる。すぐにページを開く。まだ返ってきていない。こんな早くも字が書けるわけないだろうと心の中で突っ込んだ。

再び閉じて一呼吸置く。日記を閉じたり開いたりする僕は周りから見たら変人だろうなぁ。ここが家でよかったかもしれない。

少し時間をおいて日記を開いた。

今度は期待通りだった。

『19:38、そうなんですか? では同い年ですね。誕生日とか聞いても大丈夫ですか?』

同い年......。そんな事が有るのか。

『19:40、誕生日は二月三日です。もう二か月ほど前に過ぎてしまいました。』

ページを一度閉じる。もう無意識に行えるほどになった。

『19:42、そうなんですね、私は3月31日です。ちょうど昨日でした。』

ペンを走らせる手は止まらない。

『19:43、そうなんですか? 少し遅いですがおめでとうございます。』

『19:46、ありがとうございます。』

時間が経つのが早く感じる。

『19:48、今何されてますか?』

『19:52、これを書いてますね。』

確かにそうだ、なに言ってんだ俺。

『19:53、すみません。変なこと言ってしまいましたね。』

『19:58、いえいえ、つい笑ってしまったので大丈夫ですよ!』

「拓ってば!」

「え、何?」

気づくとすぐ後ろに母がいた。

「何してるの、日記開いたり閉じたりして。」

「見てたの!?」

「うん、それよりちょっと手伝ってくれない?」

「どうしたの?」

「おばあちゃんのものがまた見つかったからまた整理したいの。」

おばあちゃんはつい先日亡くなった。肺癌だったらしい。

会うたびに体調が悪くなっていくように思えた。そんなおばあちゃんの遺品、日記を書き続けたいが、仕方ない。

「わかった。でもちょっと待って。」

「ありがとう。あっちで待ってるから。」

僕は日記に『20:05、お母さんに呼ばれた。おばあちゃんの遺品整理をするそうだ。少し待っててください!』と書き残し部屋を後にした。

「こっち来て。」と声がした方向、倉庫の中だった。そういえば今日少し片づけるって言ってたっけ。

母が指さした段ボールの中には、僕が子供のころ遊んでいた玩具などとおばあちゃんのものが混じっていた。それを見てなんだか懐かしいような切ないような、複雑な感情に襲われた。

そのなかに少し小さめの手帳のようなものがあった。

「これ......日記?」

「どれどれ?」

中をぱらぱら開いてみるとかなりびっしり書いてある。一日一日というわけではなさそうだが、おばあちゃんが結婚してから亡くなる数か月前まで書いていたようだ。

「おばあちゃんも日記書いてたんだ。」

「それは一応私が持っておくから渡して。」

「うん。」

母は日記を複雑そうな眼差しで自分の懐に入れた。おばあちゃんが亡くなってから何か思うところがあるのだろう。

その他の遺品も段ボール箱へと仕舞われていく。そこそこ整理できたあと、母は一言「ありがとう」と感謝を述べ、再びリビングへと戻っていった。

序に寝る支度まで済ませ、日記の前に戻った時には二十二時を過ぎていた。

『22:11、祖母の遺品の整理を少しした。寝る支度も終わって後は寝るだけだ。』

一度本を閉じてしばらくして本を開いたが、日記に次の内容が追加されていることはしばらくなかった。

相手はもう寝てしまったのだろうか。

一応日が跨ぐまで起きていようか。そう思う程、この交換日記というものに夢中になっていた。

そういえば日記の説明の部分にこの日記の内容は今日が終わると消えてしまうのだったか。

記念に写真でも撮っておこうか。春にお花見をしたときに写真を撮ったりする、一年に一回来ることに対して記録に残してみようとするあれみたいに。

こういうものは年をとればとるほどその分何度も経験するものであるからか、記録に残そうとする人は少ないように思う。

そういう風になる前に、見返したときに懐かしさを味わうために写真を撮っておく。僕がいつも意識していることだ。時間の流れはとても早く、そして思っているよりも短いのだから。

そうして僕はスマホのカメラアプリを起動し、日記の写真を撮っておいた。少し影が変になっては仕舞ったが、許容範囲だ。記録に残れば気にしない。

そのまま慣れた手つきでカメラアプリを上にスワイプしてタスクキルして、SNSを開く。夜はネット上の活動が盛んになっているように思う。人が公に活動する昼間と違い、夜は人が癒しを求めて彷徨う。そんなこんなで昼間なかった投稿が増えていた。

今日はエイプリルフール。活動者がその流れに乗って、ネット上は自分のアイデンティティを活かした洒落た嘘で溢れかえっていた。

センスがある投稿は高く評価され、度が行き過ぎた嘘には批判コメントがついていた。

それがエイプリルフールのネットの姿だ。これを眺めるのが案外面白い。

画面をスワイプする、スワイプする、その繰り返し。

ふと我に気づいた時には既に二十三時半を少し過ぎ、今日という日が終わるのも僅かになっていた。

慌てて日記帳を開いた。内容が増えている。

『22:48、寝る準備が整った。でも今日という日が終わるまで少し夜更かししようかな。お疲れ様です。すみません、本を読んでいました。』

少し申し訳なさを感じて新たに日記を書いた。

『23:47、すこしSNSを眺めた。すみません、遅れました。本、好きなんですね。』

もう寝てしまっただろうか。そんなことを思いつつ日記を開いたり閉じたりする。

あと少しで今日が終わる。一日限定の交換日記も今日で終わり。もう少しだけ時間があったのなら。

そう思ったって時間は戻らない。SNSを見ていた自分を殴りたい。

日が跨ぎそうになる直前、返信は返ってきた。

『23:57、今日が終わる。本を沢山読むの好きなんです。意外と面白いですよ。』

最後、相手に届いてほしい。その一心でできる限り早く、手を動かした。

『23:58、そうなんですね、好きな本のタイトルを教え』

そこまで書いたところで日記はひとりでに閉じた。

エイプリルフールは終わった。質問が相手に届くこともこの答えが返ってくることももうなかった。

僕は虚ろなベッドに沈んだ。

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