第8話 レオさん
モヤモヤした気持ちはあるものの、ショーンのためにできることがあるとも思えないまま、また2日ほどが過ぎた。
この日はドラマの撮影の日だ。
実は今日は朝から準備してきたものがある。
「あの、レオさん」
「あれ? きみはこの間の」
「この前助けてもらったお礼に、お昼にお弁当作ってきたんです。よかったらフィリックの二人と一緒に食べませんか?」
拓斗と理澄くんのもとへ、レオさんを招く。
「あ! レオさん!」
あこがれのレオさんと一緒にお昼が食べられるから、拓斗はとってもうれしそうで、わたしもついニコニコしてしまう。
「ボク、フィリックの二人の料理専門のマネージャーなんです」
「料理専門? 変わってるね」
「果音の料理、すげーウマいんですよ」
「へえ、僕も料理が好きだから楽しみだな」
レオさんは穏やかに笑っている。怒ったら怖そうな人だけど、なんだかすごく安心感をくれる大人って感じがする。
「レオさんが好きな食べ物が全然わからなかったので」
大人の男性の好きなものなんて知らないから、今日のお弁当は前にショーンに作ったのと同じメニューにした。
甘い卵焼きに、チーズハンバーグにポテトサラダ、それにニンジンの炒め物。
「………」
お弁当のフタを開けたレオさんは、中を見てしばらく固まったように黙ってしまった。
「あ! もし嫌いなものがあったら残してもらってかまわないので」
わたしの言葉に、レオさんはハッとした。
「あ、いや、ちがうんだ。僕の好きなものばかり入っているなと思って、エスパーなんじゃないかってびっくりしたんだ」
「え! そうなんですか? よかった!」
大人の男性の好きなものって、みんな似てるのかな。っていうか、ハンバーグも卵焼きも、好きな人の方が多いよね。
「あ、ちなみにニンジンの炒め物は好きですか?」
このお弁当の中で、ひとつだけよくわからないメニュー。
「いや、あまり食べたことがないな……」
「うーん、やっぱりそうですか……メニューが間違ってるのかな」
「間違ってるって、どういう意味?」
「え? あ、えーっと、なんでもないです!」
パパを探してるなんて、言いふらすことじゃない。
「レオさんって、今度またハリウッド映画に出るんですよね」
拓斗が興味津々で質問する。
「ああ、そうだよ」
「すげー。英語もペラペラなんですよね」
「まあ、演技ができるくらいにはね」
「拓斗は本当にレオさん大好きだなー」
レオさんも、拓斗のうれしそうな無邪気な様子にクスッと笑っている。
「英語ってどうやって勉強したんですか? 俺もいつかは海外に行きたくて」
「もともと海外在住の親戚がいるから、英語は習っていたんだよ。それと、海外進出したときに語学学校にも行ってね」
「レオさんって、一人で海外に行って、オーディション受けまくったんですよね! かっこいいっす!」
「………」
拓斗の言葉に、レオさんは長い髪を耳にかけるような仕草をして遠くを見るような素振りをした。
「レオさん?」
「ん? ああ、いや。当時はなかなか大変だったな、と思って」
レオさんはそれだけ言って、またお弁当を食べ始めた。
「ところで、君たちの先輩が問題になっているようだけど」
「あ、レオさんってショーンさんと知り合いなんですよね」
「ああ、古い知り合いなんだ。彼は相変わらずなようだけど、大丈夫なのか?」
今度は拓斗の顔がくもる。それに、わたしも。
「正直俺は……ショーンのこと嫌いになれないから、助けてあげたいなって思ってるんですけど、何ができるのかなって考えてて」
「そうか、アイツにもいい後輩がいるんだな。嫌いじゃないのなら、後悔しないように助けてあげるといい」
レオさんは、ショーンのことをよく知っているみたいな口ぶりだった。
♪♪♪
レオさんとお昼を食べた次の日。
「俺、やっぱりショーンと仲直りしたい」
移動の車の中で拓斗が言った。
運転は鳴川さん、後部座席にフィリックのふたり、わたしは助手席に座っている。
「えー、でも拓斗、あんなにひどいこと言われてたじゃん」
理澄くんは相変わらずだ。
「でも俺、小学生の頃からショーンにダンス教えてもらったから今も踊れてるし。それにショーンも、いろいろ焦ったりしてたんじゃないのかな」
「うん。ボクも、拓斗とショーンは仲直りした方がいいと思う」
だって、あれ以来ずっとモヤモヤしてるんだもん。
「でも、ショーンさんと仲直りってどうやって?」
「とりあえず、フィリックのSNSで俺がショーンのこと怒ってないって発信するところからかな。でもここまでひどい炎上だと、それだけじゃ止まらないかもしれないな」
拓斗は悩ましげにため息をついた。
拓斗はすぐにフィリックのSNSで、メッセージと写真と動画を発信した。
【ショーンさんとケンカしたけど、仲が良いからよくケンカするんだ】
【あんな風に拡散されると、俺が悲しくなる】
そんな文章と、小学生の頃の拓斗と当時のショーンのツーショット写真、それに一緒にダンスをしている動画なんかをアップした。
それでフィリックのファンは『拓斗がそう言うなら』って少し落ち着いたけど、ショーンに愛想をつかしたレッグのファンや、興味本位で騒いでいる人たちは『事務所に言わされてるだけ』なんていって、まだまだショーンを悪者にしたがっていた。
「だめだー全然おさまんねえ」
何日か様子を見たけど、事態はなかなか収束しそうになかった。
しょんぼりしている拓斗を見ていると、胸がぎゅって苦しくなる。
♪♪♪
さらに一週間が過ぎた。
「え! 出演? ボクがですか!? それも明日?」
鳴川さんが「虹瀬くんにドラマに出てほしい」なんてことを言ってきた。
「エキストラで出てもらうかもしれないって、前から言ってあったじゃないか」
「それはそうですけど、演技なんてしたことないし」
思わず不安をもらしてしまう。
「大丈夫だよ、セリフはほとんどないから。画面に映ってくれるだけでいいんだ」
「なんですかそれ」
「実はね、ショーンの炎上した動画なんだけど」
鳴川さんがスマホを取り出す。
「ショーンはすっかり悪者になってるんだけど、虹瀬くんにもコメントがたくさんついていて」
「え?」
【この男の子かわいい!】
【ユースの子は誰? 名前が知りたい】
【フィリックの後輩? 人気出そう!】
「虹瀬くんの中性的なところが人気になってるみたいなんだ」
中性的どころか、女子なんですけど……。
「まあとにかく、少し映るだけでいいからドラマに出てもらうよ」
「はあ……」
メガネをかけてあんまり顔が映らないようにしていれば、ママにもバレずに済むかな。
「さて、あとはショーンだな」
「ショーンも出るんですか?」
「ああ。といってもこれから交渉するところなんだけどね」
鳴川さんは面倒そうだ。
「拓斗や君と仲直りしてるっていうアピールと、話題作りのために絶対出てもらわなくちゃ困るんだ」
ショーンって演技できるのかな?
でも、今度こそショーンの炎上騒ぎがおさまるといいなあ。
なんて、気楽に考えていたんだけど……
♪♪♪
「緊張しすぎ」
翌日のわたしは、教室のセットの窓際に立って平然としている拓斗と理澄くんを前にガッチガチに緊張していた。
「結局セリフなくなったんだろ?」
少しはあるはずだったわたしのセリフは、緊張でかみまくるから全部カットになった。
上半身だけ、拓斗と理澄くんのクラスメイトとして、音声なしで会話してる雰囲気だけを撮影するってことになっている。
思わず拓斗の顔をジッと見る。
「なんだよ、ひとの顔ジッと見て」
「なんか……拓斗ってすごいんだなって思って。もちろん理澄くんもだけど」
みんなが当たり前のようにカメラの前に立っていることがすごいことなんだって、実感した。
「じゃあ本番いきまーす! 用意!」
「パンッ」っと撮影開始の合図で監督の手がたたかれた瞬間、拓斗がカメラに映らない位置でわたしの手をギュッと握った。
「えっちょっと」
「こうしてたら緊張しないだろ?」
拓斗はイタズラっぽくニカッと笑って、そのまま演技を続けた。
「カーット! いいね! 自然ないい表情が撮れたよ」
なんとそのままOKが出てしまった。
「き、急にびっくりするじゃない」
「でもカメラ意識しなくて済んだだろ?」
また拓斗が笑顔を見せる。
カメラは意識しなくても、ちがう緊張が走ったんですけど……。
抱きしめられて以来、どうも拓斗を意識しすぎてる気がする。
教室のセットを出て「ふぅ……」って、気持ちを落ち着かせようとため息をついたときだった。
「ねえ、あの照明、なんかグラついてない?」
スタッフの人たちがなんだかザワつくのが聞こえた。
「あ! 危ない!」
「果音!」
スタッフの声と、拓斗の声に振り返ると、拓斗がわたしの腕を引っぱって抱き寄せた。
それとほぼ同時に「ガッチャーンッ!!」っていう何かが落ちて割れたような音がした。引っぱられた衝撃と大きな音に思わずギュッと目をつむる。
「あぶなかったな」
拓斗の安心したような声に、おそるおそる目を開ける。
目の前には、黒くて大きなかたまり。
「天井の照明が落ちてきた」
拓斗が天井に向かって指をさした。
彼が引き寄せてくれなかったら下じきになっていたんだって思ってゾッとする。それから安心する。
「いたっ」
ホッとしたら、脚に痛みが走った。
「ちょっと見して」
「え!?」
拓斗がわたしのズボンの裾を少しめくりあげた。
「ちょっと!」
「ばか! ケガしてないか確認してんだよ」
「じ、自分でする!!」
急いで自分でズボンをめくって確認した。
「ちょっと赤くなってる」
「破片がぶつかったのかもな。痛みは?」
「……少し。えっ」
言った瞬間、身体がフワッと浮いて、拓斗にお姫さま抱っこされていることに気づく。
「え!? ちょっ……」
「医務室連れてく」
「え、だ、大丈夫だよ」
「いいから」
こんな……お姫さま抱っこなんてされたら、この前のことをまた思い出しちゃう。
……男の子の格好で、全然ロマンチックじゃないけど。
でも、聞こえてくる拓斗の鼓動だって少し速い気がする。
拓斗が連れてきてくれたのは、スタジオの中にある保健室みたいなところだった。
「なんだよ、誰もいないのか」
拓斗は慣れた様子で引き出しを開ける。
「あった。
「暑いから、カツラはずしていいかな。誰もいないし」
カツラと、ついでにメガネもはずす。
わたしが小さな丸いイスに座ると、拓斗が足元にかかんで、またズボンの裾をペラッとめくった。
「わー! だから自分でやるってば!」
「遠慮すんなよ、自分じゃ貼りにくいって」
「そういうことじゃなくてっ——」
「心配なんだから、やらせろよ」
拓斗がわたしの言葉をさえぎるように真剣に言うから、それ以上拒めなくなってしまった。
「痛くない?」
「うん……」
拓斗が優しく脚に触れる。触られたところがじんわり熱くなってる気がする。
「拓斗、ありがとう」
「何が?」
「さっき、助けてくれて」
「ああ、うん。でも当たり前だろ?」
出た、拓斗の〝当たり前〟。
「拓斗の当たり前は、全然当たり前じゃないよ」
「当たり前だよ。果音は特別だから、俺が守りたい」
ふいに、わたしの顔を見上げた拓斗と目が合った。
「拓斗、それってどういう——」
そのとき「ガラッ」っと部屋のドアが開いた。
「拓斗くん、ケガ人が出たって? 何か手伝えること——」
現れたのは、レオさんだった。
わたしは今、カツラをはずしている……なんかちょっと、マズいかも。
「え……キョウ——」
レオさんはわたしの顔を見て、目は見えないけど驚いたような顔をして〝今日〟って、なんだかよくわからないことを口にした。
「あの……」
レオさんはハッとした。
「え、君、女の子だったの?」
マ、マズい。
「えーっと、これはなんていうか、その……」
「ああ、大丈夫。べつに誰にも言わないよ。君が女の子でも誰に迷惑がかかるってもんでもないし」
レオさんは、わたしに何か事情があることを察してくれたようだった。
「ケガは大丈夫?」
「は、はい。湿布を貼っておけば大丈夫そうです」
「そうか。撮影は大丈夫だから、ゆっくり戻っておいで」
わたしはコクっとうなずいた。
「拓斗くんはどうする?」
「あ、俺も虹瀬と一緒に戻ります」
「虹瀬? 君は、虹瀬っていうの?」
彼はまた、驚いたようなリアクションをした。
「そうか、じゃあやっぱり……」
レオさんは何かをつぶやいている。
「監督には僕から言っておくから、二人ともゆっくり戻ってきなさい」
そう言って、レオさんはスタジオに戻って行った。
「レオさんが黙っててくれてよかった〜!」
わたしが安堵する横で、拓斗は無言で何かを考えている。
「拓斗?」
「ん? いや、何でもない」
それからスタジオに戻るまで、ううん、戻ってからも拓斗はなんだかぼんやり考えごとをしているみたいだった。
わたしはわたしで、
——『当たり前だよ。果音は特別だから、俺が守りたい』
さっきの拓斗の言葉の意味をあれこれ考えていた。
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