第5話 拓斗の自主練

莉子に事情を説明した次の日の午後。

フィリックの二人は今日はムジカ本社の中にあるスタジオで、ダンスのレッスン中。

お昼を終えてヒマになったわたしは、ムジカの会議室で鳴川さんに夏休みの宿題を見てもらっている。

「わあ鳴川さん、教え方が先生みたい! わかりやすーい!」

「昔、塾でアルバイトをしていたからね」

「なるほど」って納得する。

これならマネージャー見習いをしていても宿題がはかどりそう。

「鳴川さんは、どうしてムジカで働いてるんですか?」

「芸能界みたいな派手な業界にはいなそうかな?」

苦笑いされて、思わずあわててしまう。

「そ、そうじゃなくて! 本当に教えるのが上手で先生みたいだから」

「そうだね。教師もいいなって思っていたけど、こう見えても大学生の頃は雑誌のモデルをしていたんだよ」

落ち着いた見た目の鳴川さんの印象からは正直「意外だ」って思ったけど、口には出さなかった。たしかにスラッと背は高いし、笑うと優しい顔も、メガネの奥の目はキリッとしてる。

「だけど、あるアイドルの女の子に出会って」

「女の子のアイドル?」

「僕と同じくらいの歳の子でね、拓斗みたいに華のある子だったんだけど」

鳴川さんは昔を思い出すように話す。

「だけど、その子はいつも忙しそうで大変そうで」

彼と同じくらいの歳ってことは、ママとも同じくらいってことかな。

「そういう人を助けてあげる仕事もいいなと思ったんだよね。そういう子たちがもっと仕事に集中して楽しめるようなサポートができるといいなって」

「そうなんだ」

「まあ、その子はあっさり芸能界を引退してしまったけどね」

なんだかママみたいだなぁ。

「あれ? そういえば虹瀬くんと同じ名字だな。すごい偶然だ」

鳴川さんの言葉に心臓が〝ドクンッ〟って今まで聞いたことのない音を鳴らした。

「え? 虹瀬っていうんですか? その人。もしかして……虹瀬ひびき?」

「うん。そうだけど、よく知ってるね、もしかして親戚?」

「え、えっと……そ、そうなんです、遠い親戚で」

「そうなんだ。本当にすごい偶然だなあ。ひびきちゃん、元気にしてるのかな?」

ママのこと知ってて同じくらいの年齢の男性……もしかして。

「あ、あんまり会わないから。元気だとは思いますけど、あはは」

大学生の頃ってことは、20歳を少し過ぎたくらい。

ママがわたしを生んだのが22歳のときだから、ちょうどその頃のママに会ってるってこと。

「マ……ひびきさんとは仲が良かったんですか?」

「彼女はアイドルだったけど、担当のヘアメイクさんが一緒でね。昔はみんなでときどきご飯に行ったりしてたよ」

もしかして、この人がパパだったりするのかな?

「今は連絡とらなくなっちゃったけど、あの頃、僕の結婚式にも出てくれて」

「鳴川さんって結婚してるんですか?」

「うん。モデル時代の彼女とね」

照れくさそうに教えてくれた鳴川さんの赤い顔とは反対に、わたしの顔はきっと青ざめてる。

もしかしてママは、鳴川さんがほかの人と結婚しちゃったから、身を引いたんじゃないの? なんて考えが浮かんでしまったから。

「もう4時か。虹瀬くんはそろそろ帰る時間かな」

なんだかこの場にいたくなくて、鳴川さんの言葉にホッとして荷物をまとめる。

「ありがとうございました」

ぺこりとおじぎをして、会議室を後にする。

「ふぅっ」ってちいさくため息。

そのままうつむいてムジカの廊下を歩いていると、ある部屋から「あーわっかんねー」って、聞き覚えのある声が聞こえてきた。【第1レッスン室】と書かれた部屋のドアをギイっと開ける。

「おつかれさまです」

「果音。おつかれ」

広い部屋の中にいたのは、拓斗くんひとりだった。

「ダンスのレッスン?」

今日はお昼前からずっとレッスンだって言ってたから、ずいぶん長い時間やるんだなって驚いた。

「いや、自主練」

「理澄くんは?」

「先に帰ったけど」

拓斗くんの言葉にさらに驚いた。

「あんなにダンスが上手いのに、拓斗くんだけ残って練習してるの?」

「当たり前だろ? できてないんだから」

〝できてない〟なんて、ますます意外な言葉だった。

「……練習、見学してもいいですか?」

拓斗くんは集中したいはずだってわかってるのに、なんだか家に帰りたくなくて、そんなことを言ってしまった。

拓斗くんは「いい」とも「ダメ」とも言わなかったけど、追い出したりはしないでくれたから、彼がダンスの練習をしているところをボーッとながめていた。

20分後。

「で、なんかあった? なんか顔が暗い」

練習を終えたらしい拓斗くんにするどい質問をされる。

「……じつは——」

さっきのことを説明する。

「鳴川さんが父親ぁ? ないない」

「でも……」

「だってあの人今でも奥さんとラブラブで、しょっちゅうデートしたり電話でいちゃついてるぜ?」

「だからって、わからないじゃないですか」

「まあそうかもしれないけど、果音の母さんが鳴川さんの結婚式に出たって言ってたんだろ? もし果音の父さんが鳴川さんだっていうなら、さすがに結婚式には出ないんじゃないか?」

「……たしかにそうですね」

拓斗くんはいつも冷静な意見をくれる。

「だけど……鳴川さんじゃなくても、パパがママ以外の人と結婚してる可能性もあるって、全然考えてなかったから。わたし、バカだったなぁって——」

大きなため息をついたら、涙がホロリとこぼれた。

「なんだよ、また泣いてんのか」

「な、泣いてないです!」

ゴシゴシ頬をこすって涙をぬぐった。

「嘘つくなよ、泣いてんじゃん」

そう言って、拓斗くんがわたしの顔をのぞき込んだ。

「笑ってた方がかわいいのに、台無し」

「え!?」

「ほら」

拓斗くんは、なんてことないって顔でハンカチを差し出す。

「あ、ありがとうございます。拓斗くんにハンカチ借りるの、2回目ですね」

変装でかけていたメガネをはずして涙をふく。

「それ、やめねえ?」

「え?」

「敬語。俺らって同い年だろ? 名前も拓斗でいいし」

「そ、そんな。人気アイドルにタメ語で呼び捨てなんて」

「俺がいいって言ってんだからいいんだよ。だいたい果音は俺らのこと知らなくて、普通の中学生だと思ってたんだろ?」

それを言われると、本当に申し訳ない。

「じゃ、じゃあ、ありがとう! 拓斗」

拓斗くんあらため、拓斗の優しさにニコッと笑った。

「絶対、笑ってた方がかわいいな」

そう言って拓斗も優しく笑うから、心臓がドキッて大きくはねたみたいに音を鳴らした。

「あ、ところで、いつもこんな風に自主練してるの?」

「ん? うんまあ」

「理澄くんは?」

「あいつはダンスも演技もほどほどでいいって思ってるみたいだから、レッスンだけで帰ってる。あいつはどっちも普通に上手いしな」

「だ、断然拓斗のほうが上手いと思う! なのにこんな風に努力してるなんてえらいよ!」

思わずかぶせるように言ってしまった。

「おう、あ、ありがと……」

ちょっとびっくりされてしまった。でも本当のことだし。

「だけどなんっかしっくりこないんだよなー」

ぼやくように言いながら、拓斗は小さくステップを踏んで、ターンして見せた。

「あれ? それってこの前ショーンに教えてもらってたところ?」

わたしの質問に、拓斗がうなずく。

「それだったら、ショーンはもっと……なんていうか、こんな感じ?」

ショーンのやっていた動きを思い出しながら踊ってみた。

「え……マジ?」

「え?」

「それだよそれ! 果音すげーじゃん! ダンス経験者?」

わたしは首を横に振る。

「スポーツは得意な方だと思うけど、ダンスなんて体育の授業で習ったくらいしかやったことな——」

わたしと拓斗は顔を見合わせる。

「これってもしかして、ショーンの遺伝子……だったりする?」

「ありえるんじゃねえ? この前から思ってたけど、果音ってなんとなく目がショーンに似てるし。なんていうか色素が薄いっていうのか」

「え!?」

拓斗に指摘されて、レッスン室の大きな鏡で自分の顔をのぞき込む。

たしかに少し、茶色っぽいし少し緑っぽいような……。

「自分の目なんて、毎日当たり前に見てるから、逆にじっくり見たことなくて気づかなかった」

「ショーンって、たしかイギリスの血が入ってるはず」

「じゃ、じゃあ、やっぱり……」

ショーンがわたしのパパ!

「ショーンは女好きだけど、結婚したことはないはずだ。元気出てきた?」

そう言って、拓斗がまた優しく笑った。

心臓が、今度はトクントクンって小さくて速いリズムを刻んでいるみたい。

「拓斗、まだ練習するの?」

少しだけダンスの練習につきあってそろそろ帰ろうとするわたしに対して、拓斗はまだ部屋に残ろうとしてる。

「次はドラマの台本読み。今週は歌番組とかロケとか多くてあんまり時間取れそうにないから」

「え、暗記が得意で簡単に覚えちゃうのかと思ってた」

「だったらいいんだけどな」

今度は苦笑い。

「だって、この前も拓斗は全然セリフ間違えなかったし」

「当たり前じゃん。レオさんがいるのに、ミスって撮影止めてらんねえよ」

だけど、拓斗以外の子たちは……理澄くんですらセリフを何度か間違えてた。

それなのに『当たり前』なんて言えちゃう拓斗って、プロ意識がすごいんだ。

——『器用……か』

この前、拓斗が表情をくもらせた理由がわかった。

〝拓斗は才能があって器用だ〟って言う鳴川さんの言葉だって間違ってないと思うけど、拓斗本人はこんなにがんばって努力してるんだもん。〝器用〟なんてひと言で済まされたら悲しくなって当然だ。

「すごいね、拓斗。全然努力なんかしなくても、歌もダンスも演技もできちゃうのかと思ってた。ごめん」

「え、いやべつに」

「なんていうか……尊敬するってこういうことかな。本当にかっこいいと思う!」

拓斗に向かってこれ以上ないってくらい、尊敬と応援をこめてニコッと微笑んだ。

「なんだよ急に」

「え! 拓斗、顔真っ赤!」

「そんなわけねーじゃん!」

拓斗って……ぶっきらぼうで言葉づかいが悪かったりするけど、優しくて努力家で、それにちょっとかわいいな、なんて思ってしまった。

拓斗がカメラの前で自信に満ちあふれて輝くのって、すっごくがんばってるからなんだ。

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