嘘を書くと本当になるノート

@morgenrot1202

前編

 四月一日、朝、『嘘が本当になるノート』が机の上にあった。眼鏡を付けてもう一回見る。やっぱり『嘘が本当になるノート』だった。見た目は普通の大学ノートだけど、ゴシック体で『噓が本当になるノート』と書いてあるのだから、そうなのだろう。


「ねーおねーちゃーん。変なノートあるんだけどー」

「なにー!?」

 洗面所からお姉ちゃんが叫んでくる。

「変なノート! 『噓が本当になるノート』ってやつ! これお姉ちゃんの?」

「知らない! 後でにして!」

 お姉ちゃんはドタバタと身支度をしているようだ。この忙しなさは、寝坊した時の慌てぶりだ。時計を見ると八時を回っている。春休みで良かった。新学期が始まってこんな時間に起きていたらわたしもお姉ちゃんみたいなことになってる。


 まあ、触らぬ神に祟りなし。わたしは朝ごはんにパンを焼いて、フライパンで作った目玉焼きを上に乗せて自分の部屋に戻った。


 パンを齧りながらノートを開いてみる。最後まで捲ったが白紙だった。持ち主の手がかりらしきものもない。こんなものは今まで見たことが無かった。


 少し不気味で、結構気になる。


 ペン立てからシャーペンを取り出して三回ノックする。嘘、と言われても咄嗟に思い浮かばないが、取り敢えず何か書いてみたい。


「ねぇちょっと!」

 お姉ちゃんがバン、と勢いよく扉を開けてきた。息切れてスーツも乱れてる。湿気で、せっかくヘアアイロンをしたでろう髪も変な癖が出始めている。お姉ちゃんは低気圧に滅法弱いので、多少精神が参って叫んでいてもわたしは寛大な心で聞かなかったフリをしてあげる。

「あんた、あたしの社員証知らない? 写真入って首からかけるやつ」

「知らないよ。お姉ちゃんの部屋にあるんじゃないの?」

「ないから言ってんの!」

「最後に使ったのはいつよ」「ああ! 今そういうの聞きたくない!」

 お姉ちゃんはご乱心で、竜巻となって家じゅうをひっくり返すだろう。そしてお母さんに怒られるのだ。そしてお姉ちゃんが逆切れしてわたしはしばらく部屋に籠ることになる。それはちょっと嫌だな。


 ……待てよ。

 一つのひらめきが脳を刺激した。今言ったことが嘘になれば、わたしはお姉ちゃんの社員証の在り処を知っていることになる……?


 わたしはペンを握り、文章を考える。知らないのが本当なのだから、嘘を書くとしたら、

「わたしはお姉ちゃんの社員証の場所を知っている。」


 書き終わり、最後に丸を付けた途端、思い出した。


「おねーちゃん! 洗面所のバスタオルの下見た!?」

「見てみる! …………あった行ってきます!」


 お姉ちゃんが出て行った後の自宅は台風一過さながらで、パンの咀嚼音がよく聞こえた。

 それにしてもホントに、嘘が本当になっちゃった。社員証がバスタオルの下にあったことなんて今まで知らなかった。そもそも社員証すら見たことがなかったのに、わたしは絶対にあそこにあるって確信を持って言えた。その知識が降って湧いたのだ。


「嘘が本当になるんだったら……」

 窓の外は菜種梅雨のど真ん中な降り方だった。天気予報では、今週一週間は雨。お姉ちゃんの気分は最悪だし、部屋干しで湿度高くて気持ち悪いし、何より、お花見に行きたかったのに台無しだ。この雨では桜も散ってしまってることだろう。

 だけど、もし晴れるのなら。


 わたしはノートにこう書いた。


『今週の天気はずっと快晴、絶好の花見日和だ。』


 天が割れて、漏れ出てくるような光が机を照らし始めた。だんだんと、光は太くなってきて、わたしが窓を開ける頃にはあっ晴れと叫びたくなる快晴が広がっていた。


「わあ。まじか」


 凄い、なんて貧弱な語彙しか出てこないが、凄い。

小鳥がさえずる。わたしの胸も弾む。手の先に力がみなぎってきたような気持ちさえしてくる。

 アイデアが次々と出てくる。両手じゃ収まらないくらい。シャーペンを一回ノックする。わたしのペンは万能の筆だ。

 わたしの視界は目玉焼きを映した。


『目玉焼きはA5ランクのステーキと同じ味がする。。』

 半熟の黄身は濃厚な肉汁で、少し焦げ付いた白身は柔らかな甘みがした。A5ランクのお肉を食べたことがないから、言葉で形容できないけど、途方もなく良い味がして、柔らかい。柔らかいんだけどお肉特有の歯応えもある。特に油が贅沢で、ほっぺが落ちそうになった。


『わたしのベッドは最高級品みたいにふかふか。』

 いつもはトランポリンに出来るベッドにダイブする。「ふっかふかだぁ……」

手芸の毛糸を100倍柔らかくしたみたいに身体が沈んでいく。起き上がろうとしても、身体が心地よさを知ってしまって動かなくなってしまった。二十四時間寝られるベッドだ、これは。

 まずい、と思って身体を捻り、転がって床に墜落する。骨盤にしっかりとしたダメージが入ってうずくまるが、おかげで二度寝は回避できた。

『腰なんて全然痛くない。』

 背を伸ばす。初めからなかったみたいに痛みが引いていた。確かに腰はぶつけたけど、上手く回避出来たからそもそも痛くなかった。そんな感じに頭が勝手に解釈した。


 それからわたしは、ノートが見開き一ページ埋まるほどの嘘を本当に変えていった。ただ、どれも些細でちょっとだけ幸せになる程度のものだ。在宅勤務のお母さんの肩凝りが治ったり、家の猫のノミを死滅させたり、洗濯物を乾かしたり。


 少し夢を見て、普段のバイトじゃ絶対買えないブランドの服も手に入れた。


 思いつくことはまだまだある。千円札が三枚しか入ってない財布も、諭吉でパンパンにすることだってできるはずだ。家を高級住宅に変えられるはずだ。もっと規模を大きくすれば、学校に隕石を降らせたり、世界一の美人になることだって夢じゃない。

 嘘という理想を書き連ねていけば、わたしはきっとなんでもできる。全能だ。


 でも、そんなことより女子高生にはもっと大切なことがある。

 メッセージアプリを開いて一緒に花見をするはずだった男に連絡を取る。

 “ももせ”

 “今日花見行けそう?”


 百瀬はわたしの幼馴染だ。保育園から高校までずっと一緒の進路で、もう十年はずっと一緒にいるが関係はずっと変わらず幼馴染だ。家族以上で恋人未満な繋がりだ。百瀬といるのは、他の友達といるよりずっと楽だし心地良い。

 この関係がずっと続けばいいのに、と思う反面、このままの関係でいたくないと思う自分もいる。手を繋いだり、ちゃんとデートって名目でお出かけに行ったりしたいのだ。

 百瀬がわたしの事好きなら、ずっとずっと悩むことは無いのに。


 スマホが振動して、百瀬からの返事が返ってきたことに気付いた。

 “あれ。中止したんじゃなかったっけ?”

 “今日、晴れたしお花見日和だからどうって話”

 “あー”

 “ごめん。急に晴れたからゆうたと遊びに行けって母さんが”

 “明日晴れてたら行けるけど”


「……くそがっ」

 急に聞いたのだから、断られても仕方がない。仕方がないんだけど、今だけはおばさんを恨みたくなる。

「ゆうた君となんていつでも遊びに行けんじゃん……」

 花見も今日行かなきゃいけないわけでもない。でも、今日遊びに行くならわたしとがいい。だって土砂降りを晴れにしたのはわたしなのだから、その恩恵を受けてもいいはずだ。

 ノートの次のページを開く。白紙の一行目にペンを置いた。

『わたしは今日、百瀬と花見に行ける。』


 スマホに通知が届く。この後の流れは、わたしの望んだ嘘のとおりになった。


 百瀬と十時、いつもお花見で行く公園に集合だ。


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