第39話


 シムスさんが目の前に持ってきたカバンが、私の気持ちを揺らぐ。



「なんで私に?」

「なんとなく…です」



 質問をしているが、私は「ありがとう」を言って、自然とシムスさんからカバンを受け取った。手にした物は思ったより大分軽い。あのジュンのカバンがこんなにも軽いものなんで、彼女は本当に最低限の物しか揃わないだなと改めて思った。

 シムスさんは当然このカバンの持ち主を知っている。ただ、なぜ王都に戻ってから騎士団に返すではなく、私に渡した理由はわからない。彼女のなんとなくには、引っ掛かる。

 シムスさんのことを気になりつつも、私は視線を手元のカバンに集中する。



 たとえジュンの物だとしても、勝手に他人の物を開いてみるのは人としてどうかと思うが…持ち主はもういない以上、私が中身を見ても問題はないと、ゆっくりとカバーをめくって、カバンを開ける。

 カバンの中を見たのは初めてだ。隔てが二つで、カバン中の空間を三つに分ける。

 表側にある空間には筆記道具一式と怪我の手当用の布らしき物があって、清潔さを保つため、怪我用の布と筆記道具の間はちゃんと別の布で隔てている。



 真ん中にある空間は、ハンカチと私が好きなリンゴ味の飴が何個か入っていて、一つ一つ丁寧に紙に包まれている。王都から来る時も、山に居る時も、私が疲れたらジュンはいつもこの飴を渡してくれる。ただし、一日一個と制限されていた。子供扱いされてちょっと不満あるけど、ジュンから貰ったこともあって、飴自体の癒し効果は抜群だ。

 一、二、三…残りの飴の数を数えると、あと15個ある。帰り道の分まで用意していた。こんなもの、出発前の準備リストに入っているわけがなかった。どこでこんなに飴を買えたのか、どんな気持ちで一つずつ紙を包んでくれたのか…知りたい。


「何が一日一個だよ、まだいっぱいあるじゃん…」

 視線がぼやけ始める。



 続きに裏側の空間を見ると、硬貨数枚とひとつ小さな布袋が入っている。お金の管理はイワンさんに任せているから、ここのお金は多分何かあった時のために準備したジュンの私財だ。

 概ねジュンにとって実用性のある物しか入ってないカバンに、謎の布袋が私の興味を引く。

 カバンから取り出す時手で触った感じ、何かちょっと柔らかいけど形のあるものが入っていそう。布袋を留める紐を開け、中身を覗くと、金属制細いチェインのようなものが入っていた。さらに中身を取り出す。



 手に取った物は紛れもなくブレスレットだ。王都ではなかなかみない面白いデザインをしていて、細いチェインがかりんの花を繋いでいて、枝がブレスレットの止めになっている。私の目にも留まるくらいのいい品物だ。

 でもジュンはこういうアクセサリーに興味があるわけではないし、見るからにはこのブレスレットは多分カルデンか、ウルムで買ったばっかりの物だし。

 彼女はなぜこんなものを買ったの?



 ブレスレットをまとまった状態から伸ばし、何か手掛りになりそうな部分あるかを探す。ジュンのことだから、きっとこれに何か仕込んでいるに違いない。チェインの接続部、枝状の留め金具、メインとなるかりんの花びら部分、細部まで細かく確認する。

 花びらの裏面を正面にして、そこに刻まれた物が目に入った瞬間、私は固まり、一瞬で溢れ出す涙のせいで何も見えなくなった。



『クリス』



 他でもなく、私の名前、しかも親しい人しか呼ばない愛称だ。

 なんだよ、あれだけ呼ぶのを拒んでいるのに、なんでこんなところに私の名前を刻むのよ…

 私をあなたの何だと思っているのよ…

 ねぇ、答えてよ、ジュン…



 もう傍にいない人に問いかけても、回答が返ってくるはずがない。

 気づいたら、大きいな涙粒がぽろりぽろりと、私の手のひらとブレスレットに落ち続ける。

 ダメだ、泣いちゃダメだ。涙をこらえないと。



「クリスティーナ様…どう、され…」


 隣でずっと黙って私を見つめていたシムスさんがまた心配そうに私に話を掛けるが、途中で言い掛けた言葉を吞み込む。言葉の代わりに、彼女は片膝をベッドに着き、両手を伸ばして私の体を包むように抱き着き、彼女の腕の中に引き寄せた。優しく、ゆっくりと耳元で囁く。



「思い切り泣いていいですよ。ここは私しかいませんから」



 シムスさんの言葉に含まれた力はその優しさを反して、大きなハンマーのように、冷静を偽るためにせっかく築き上げた私の心の壁を打ち砕けた。

 ブレスレットを握ったままシムスさんに抱き着き、顔を彼女の肩に埋めて静かに泣き始める。悲しみをこらえることも、ジュンへの思いを隠すことも、全部を諦めた。

 ジュンとの出会い、子供の頃王城から抜け出したこと、冒険にし行ったこと、魔物討伐したこと、口付けをしたこと、手を握られたこと……ジュンと一緒にしたこと、ジュンにしたこと、ジュンにされたこと、彼女との思い出が止まることなく、どんどん流れてくる。

 どれくらい時間経ったのかわからないが、シムスさんの腕の中に泣き疲れた私は、今まで誰にも口にしなかった思いをこぼす。



「ジュンが好きだ、大好きだ…」

「はい」

「ずっと傍に居て欲しかった、一緒に居たかった…」

「はい」

「ジュンに愛されなくても、結ばれなくても、彼女を私だけのものにしたかった。私はずるい女…」

「それは、違います」

「私のジュンを、返してくれよ…」

「……」



 私の感情を包み隠さず全部シムスさんに話した。一か月の付き合いもないシムスさんに。なぜこんなことをしたのかもわからない、きっと彼女のあの言葉に『この人なら言っていい』と思わせる何か不思議な力がある。

 ずっと顔を上げずにいたので、シムスさんの様子が見えない。でも、私の話を聞きながら、彼女の手は私を落ち着かせようとずっと背中を撫でさすっている。

 ふっと王城にいるジュンと私がよく知るお姉さんを思い出す。タニアがここに居たら、きっとシムスさんと同じことをする。



 思い切り泣いて、話して、一瞬気持ちまで軽くなった。

 頭をシムスさんの肩から離れ、手で目元の涙を拭いたら、視線を上げて彼女の顔に当てる。シムスさんの目に涙のような物がうるうる溜まって、いつでも溢れそうになっている。



「シムスさん…」

「クリスティーナ様は隊長が好きなこと、実は察していました」



 シムスさんは片手を自分の目を擦って、涙を拭き払いながら、私を驚かすような言葉を発した。

 察していたって…最近私はそんなにわかりやすく気持ちを表したのか…

 涙を拭いたら、シムスさんは手をひざ元に置き、視線を真っ直ぐに私の目に投じる、続きをつづる。



「私には婚約者はいますが、好きな人はいません。自分だけの物にしたいほど好きな感情もありません。でも、それはずるいことではないくらいはわかっています」

「うん、ありがとう」

「今言ったらもう遅いですが、きっと隊長もクリスティーナ様が好きだと思います」

「そんなこと…」

「隊長は、ジュンさんはただまだ自分の気持ちをわかっていないだけです。彼女はいつも、『姫様』のことしか考えていませんから」

「……」



 シムスさんが言ったことが本当かどうかもうわかるすべがないが、ジュンはいつも私のことを考えていることのは否定しない、できない。そんなの、私が分かりきったことだから。

 折角泣き止んだのに、涙がまた溢れ出す。



 手に握っていたブレスレットを伸ばし、留め金具を開け、私はそのブレスレットを左手の手首に付けた。


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