第36話

 まだあるのか?

 女の言葉に、思わず一歩後退してしまった。

 こちらを片付けて、姫様のところへ加勢しに行くつもりだったのに、また長引いてしまう。



 にしても、女は次と言うわりに、回りに新しい魔物の気配を感じない、探知範囲内も魔物を認知していない。

 どこだ。

 女は魔物を操れるから、遠くから呼び寄せているかもしれない。



 突然、私の探知範囲内に一瞬、変な光というか、何か形を持たない煙のような物の気配がして、瞬く間に消えた。その気配が消えた後、近くにまた魔物が現れた。

 一瞬で消えた気配は神殿の左右両方を見渡せる木の上だ。

 枝が多く、新緑の葉っぱもいっぱいあるから、人くらいは余裕に隠せる。下から見上げても、葉っぱのせいで上の枝の後ろに隠しているものなら絶対みえない。

 どうやって声の遠近を操作したのはわからないけど、直感が言う、あそこは女の隠れ場所だ。



 女の居場所を概ね分かったけど、捕まるにはまず近くにいる魔物をどうにかしないと…

 魔物種類は変わってない、同じく蜘蛛だ。大型蜘蛛は今日で初めて見たなのに、次から次へと現れて、一生分を見た気分。

 私とシムスなら、さっきの作戦でなんとかできそうけど、女の今回は楽ではないという言葉に引っ掛かる。

 この蜘蛛の魔物は何か違うかも。



 そして、今一連の気配の流れからこそ分かった、魔物は遠くから来たわけではない、どうやら女がないところから作り出したみたいだ。

 無条件に魔物を発生させる仕掛けに紐づけたくなる。女はもしかすると、この国を千年以上苦しめた魔物と何か関係がある。王家が持っている情報より、さらに何かを知っていそう。



「この蜘蛛ちゃんも残念ながら、私今日最後の駒です」


 不意に、女から自分の限界を告げられた。どうやら女はこれ以上魔物を作り出せないみたい。

 でも、敵の言葉は軽々しく信じるほど私は甘くはない。

 改めて剣を構える。



「シムスさん、あの大きい木の上に女がいるみたいです」

「えぇ、本当ですか?!」


 シムスの顔は信じられない表情に変わって、またすぐさま真剣の様子に戻る。


「ええ、十中八九です。なので、新しく湧いてきた蜘蛛を片付けて、あの木の上を狙いましょう」

「わかりました」

「では、最初の方法で」

「了解です」


 小声でシムスと会話を交じり合い、彼女は私と異なる方向へ散開する。



「ピィーツっーー」


 3体目の蜘蛛が来ると待っている間、私たちと逆の方向から、鷲の大きな鳴き声がした。何回も鳴いて、聞くには相当苦しそう。

 もしかしたら、姫様たちはすでに鷲と鹿の魔物を仕留めたかもしれない。そう思っていると、気持ちはすこし楽になった。

 自分の方に気持ちを集中して、魔物が接近してくるのを待ち構える。



 蜘蛛らしき影が間もなく近くに現れた。やはりさっきの2体とほぼ同じの物だ。

 私は2体目の時と同じ動きを繰り返した。足を切り落とし、蜘蛛の移動を誘導しつつ、シムスに側面から接近して貰う。ここまだはなんの障碍もなく、全部想定通りになっている。

 何が今回は楽ではないか、人を脅かして。



 その心ほんの一瞬の隙に、一本の矢が私の肩に刺した。あのタイミングの良さに、思わず脱帽した。

 探知では気づいたはずだが、魔物に集中したせいで、それを危険として認知せず、避けろとしなかった。長くレームリッシュを使いながら戦った悪いところが全面的に出た。自分の判断力はもう通常通りではない。

 急所ではなく肩に当たったのは唯一の救いだ。手当できない今では、矢を抜くと出血が止まらない可能性があるので、抜かないようにする。刺されたままでも全然戦える。



「隊長!」

「大丈夫。シムスさんはそのまま続きを!」


 シムスは私の異様に気づいた。彼女に不安をさせないように、私はいつも通りの口調で指示を出す。

 ちょっと心配そうな様子を見せてくれていたが、シムスは私の指示通りで蜘蛛の側面で動きを撹乱する。



「誰だ?こんな卑怯な真似をして」


 私は蜘蛛を誘導しながら、矢の出所に向かって、その矢を放った人に怒りをぶつける。



「だから、楽ではありませんと言ったじゃないですか」


 また女から嘲笑するような返事が来た。女は軽く笑って、続きを言う。


「蜘蛛ちゃんが強くなるではなく、あなたが弱くなるから楽ではないとお伝えたかったです。相当、弱くなるからです」


 最後の強調に嫌な予感がする。

 肩に当たるくらいの弓の攻撃なんぞに、私は『相当』弱くならない。これからまた何かが来る。

 自分が回りへの警戒を最高に引き上げ、微かなの物音も、動きも見逃さないように。



『痛い』


 脳にこの感覚が伝わった時、ジンジンとした痛みがすでに私の全身を走った。神経がちぎれそう。

 この痛みは思えている。祈神祭の時、毒を盛られた時と…私がまだあの森の中にいる時、うす暗い部屋の中に、誰かに薬を飲まれた時…

 何かもっと前の記憶が甦っている。

 これは2回目ではなく、3回目なのか…なんで今まで最初の時のことを思い出せないんだ…



『痛い』


 そうだ、これ以上毒を体に入らせないように、矢を抜かないと。

 力を振り絞って、左肩に刺している矢を上から抜いた。よかった、そんなに血が出ていない。

 心臓の動悸も激しくなった。あの締め付けられるような感じはまだない、なら私は動けるはず。

 痛みの襲来に地面に落とした剣を拾い、私は再び蜘蛛に向かう。



『痛い』


 私は走っているのか、それとも歩いているのか?

 痛みのせいで、感覚が狂って、自分でもわからない。ただひたすらにシムスと話した通りに、蜘蛛の魔物を引き寄せ、時機を図って上へ登ろうとする。

 前回はすぐ倒れたのに、今日は随分耐えれているな。3回目だから、耐性が上がったのか?



「隊長、右!!危ない!!」


 近くにいるはずのシムスの声が遠く聞こえる。



 危ないって?

 すべての感覚が鈍くなった私は反応するすべもなく、突然蜘蛛の糸に絡まれ、手に持った剣もまた地面に落とした。

 蜘蛛の糸って、こんな感じなんだ。体に結構絡んで、ねばねば感はあるけど、そこまで気持ち悪くはないね。

 もう自分が何を考えているかもわからなくなってきた。

 ただ本能のままに。



 戦場で武器を落として、身の自由を奪われ、私はこれでまだ戦士と呼べるのか?

 きっと団長にすごい怒られるだろうな。



 痛みがさらに強くなり、手足もうまく動けなくなった。

 立てる力が無くなり、私はそのまま蜘蛛の前に倒れた。

 耳が直接地面に当たり、土から何人かがこちらへ向かってくる足音が聞こえる。



「ジュン!!!!」


 聞きなれた大好きな彼女の声だ。でもなんでそんなに焦っているの?

 頑張って彼女の声の方に顔を向ける。目が霞んで、輪郭とざっくりとした色しかみえないが、あの淡い金色の髪の主は彼女に違いない。

 無事でよかった…



 そう思っている間、太ももから筋肉が貫通された痛みがして、そして私の体は地面から浮かび上がった。

 人間って飛べるのだっけ?

 風を切りながら空中で浮遊して、妙にいい気分になった。



「セシル、速く!」

「クソっ、間に合わねぇ!!」



 その次、私の体は大きく上に上がって、強く振り落とされる。太ももに貫通した何かもその勢いで抜かれた。

 私は地面に着くことなく、どんどん落ちていく。

 今自分がどんな状況に置かれているかは、ようやく理解した。

 私は多分崖から振り落とされた。



「いやーーーーーーーーーーー!」


 最後に聞こえたのは、彼女の胸が張り裂けそうな叫び声だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る