第十話 蜘蛛は天敵

第31話

 朝起きた時、姫様はまだ隣で熟睡している。彼女を起こさないように、軽く体を起こしてテントから出る。

 シムスさんは後半の火当番の続き、朝食を用意している。



 昨夜のことがあって、姫様の顔を見ると、なんだかんだで気まずい。

 最近、というか去年年末くらいから、姫様が私にくっついて来る頻度が高くなっている。寄りかかって来ることもあれば、突然抱きしめてくることもある。ただ、昨日みたいに寄りかかるだけではなく、いつもと違う感じで手を触って、遊んだりすることはなかった。

 あれは初めてだった。



 私の指を優しく触れる動きと、私の手と膝の間に差し込んで来た姫様手の温度を感じながら、変な気持ちになった。魔が差したのように、思わず彼女の手を握りたくなって、握ってしまった。なぜそうしたのか、自分にもわからない。

 姫様は嫌な感じを見せず、その後も私に手を握らせてくれたまま、さらに私が離そうとした時も握り返してくれた。

 よく鈍感と言われる私でもわかる、あの時、私たちの間の雰囲気はあんまりにも主従らしくない。友人とも言えない。



 姫様は一体私をどういう感じで見ているのだろうか。

 私も一体彼女をどう思っているのだろうか。

 わからない。



 昔から人の感情を読み取るのは苦手だから、察しが悪い、鈍感と言われ続けていた。

 自分のことを後回ししがちでもあるから、自分のことをよく考えていなく、本心がどうなっているかも気にしたことがない。

 元々、そういうところに精力を割るくらいなら、もっと鍛えて姫様を守る方が有意義という考えは私にある。

 まぁ、そのうち分かるだろうと思って、私は考えることを諦めた。



「おはよう…」


 後ろから姫様の挨拶がした。朝が弱い彼女が自分で起きたなんで、珍しい。

 昨日結構遅くまで起きてたし、途中で寝落ちるくらいだったので、彼女の声はやはりまだ眠いと聞こえる。

 振り向いて姫様に「おはようございます」と返したら、彼女は頷いて、そのまま朝食を盛り付けているシムスさんのところに歩いた。

 いつも通りの姫様だ。

 ほっと安心して、やはり昨夜のことは気にする必要がないと自分に言い聞かせる。



 姫様に続き、イワンさん、セシルとカルバンもテントから出て、シムスさんのところに集まる。

 一晩が過ぎ、みんなが空腹になっている。

 焚き火を囲んで、野外にしては珍しい、温かい朝食を食べながら雑談して、今日の予定を再確認する。



 ***



 2番目の神殿を調査した後、私たちは四日を掛けて3から5番目の神殿を一通り調べた。

 予定より一日多くかかってしまった理由は単純に天気が悪かったからだ。この季節グラウべ山は滅多に雨降らないなのに、半日だけすごい土砂降りのような雨が降って、山道がとても歩きづらくなっていた。

 服も靴も大分汚れて、登山者らしき格好になった。



 神殿の調査は姫様の情報によって、思ったより大分スムーズに進んでいた。

 今まで調べた神殿は、外観はそれぞれ微妙な違いがあるけれど、基本は穹窿式の天井で、ドアなしの開放式だ。行くまでの道のりこそちょっと難しいが、誰でも気軽に入れるように建てられていたと思う。



 他の神殿も、最初こそ普通に壁に符号も絵も文字もないけど、姫様が触れれば、何かが浮かび上がる。

 触れるだけで反応しない場合は、彼女は毎回自分の指を切って、すこし血を出た状態で壁に触れる。そうすると、符号らしき物が壁にあらわれる。こういう時、彼女はあの『おのれベシュヴェーレン、おのれアルカナ』を言う女性の声を聞こえる。


 調査のためとはいえ、姫様に指を切らせることはやはり心に来る。それに、毎回彼女があの女性の声を聞くと、目に見えるくらい不安と緊張になっている。

 私は聞こえないから、どのような声と口調なのかは想像できないが、彼女の反応を見る限り、きっとその声が悍ましいだろう。



 姫様によって神殿の壁に符号や文字が現れる件について、一応『彼女は王族だから』という適当だけど、割と納得されやすい理由でみんなに誤魔化した。

 ベシュヴェーレン王家は女神に祝福された家系という言い伝えがある。その祝福を受けて、ベシュヴェーレン国は女神を信仰するようになった。


 見るからには、これらの神殿は相当古くて、建てる当時何か古来の力によって守られているかもしれないし、今の時代では解釈が付かない失われた秘術が仕込まれているかもしれない。

 姫様は王家の人だから、女神を祀る神殿で何かが起こしてもおかしくはない。



 そして、私が地図で各神殿の位置を記録し、外部の装飾について比較してみた時、面白いことを発見した。今調べが済んだ五つの神殿だけど、姫様が触れてすぐ反応するやつと血が必要のやつは、交互で存在している。

 1、3と5番目は姫様が触れたらすぐ文字が現れる方で、しかも彼女は自信を持ってその文字は我が国の古語の文字と言っている。穹窿天井の外部に模様がない。

 2と4番目は血が必要な方、そして現れる符号は古語っぽくない、別のものだと姫様が言う。穹窿天井の外部は縦の縞模様がある。

 もしこのパターン通りであれば、明日調査する最後の神殿はきっと2と4番目と似たようなことになる。



 完全に確信したわけではないが、とりあえず今気づいたことは旅のメモに記録しておくと、筆記道具をカバンから取り出す。


「ジュンさん本当に毎日真面目に記録書いていますね」


 丁度書き始めたところ、チャラそうな声で話を掛けられた。その声とその口調、セシルに違いない。

 彼は騎士団で私の副隊長を勤めていて、書類仕事もするけど、その報告の質はなんとも言えない。本人の性格が分かるとしかいうことがない…



「セシルもちゃんと報告書いてください」

「ええぇーージュンさん知ってるでしょう?俺書類仕事が苦手っす」

「書けばそのうち慣れます。剣技と同じです」

「げぇ」



 正論をぶちかましたら、セシルは言葉を詰んだ。

 こういう報告を書くのは、文才を求めているわけではなく、正しく物事を記録するすればよい。文才は天賦の才だから、練習してどうにかなるものじゃないけど、物事を記録するだけなら、回数をこなして練習すれば、殆どの人ができるはず。

 騎士団員らしいちょっと脳筋なセシルは、ただやりたくないだけだと思う…



「セシルさん、戻ったら書類仕事もきちんとこなしてくださいね。ジュンにばっかり押し付けたら、私は怒るわよ」


 後ろから両手を私の肩に乗せ、姫様の顔がふっと私の隣に現れ、セシルをからかうような軽快な口調で私とセシルの会話に割り込む。

 命令ではないけど、やはり姫様の口から発した言葉なのか、セシルの表情は一瞬すごく重くなった。



「わかりました。善処します」


 我が国の王女にはさすがに逆らえない。これを機に、セシルも真面目に書類仕事をこなせるようになったら万々歳だ。

 帰って騎士団に復帰したら、仕事がいつもより減るかもしれない。こっそり心の中に姫様に感謝する。



「ねぇ、ジュン」

「はい、なんでしょうか?」


 いつからはもうわからないが、この会話パターンはもう完全に何かが起きうる時、姫様と私の間の決まり文句になっている。

 ちょっと不安になり始めた。

 姫様は私がメモを書くために、近くの地面に置いた地図を手に持って、私が付けた印を細かく確認する。そして、地図を私とセシルの前に展開し、半分疑問のように自分の発見を話す。



「これとこれと、これ、完全に三角形になってないか?」


 姫様は1、3と5番目の神殿の位置を地図に指す。

 同じ直線上の三点でなければ、線を繋ぐと必ず三角形になる。それで位置関係を全く気にしていなかったが、姫様の話から改めてみると、これらの神殿の高低差を除き、平面の位置から見える三角形はほぼ正三角形だ。

 偶然にしては、出来過ぎた。



 そもそも、グラウべ山は一つの山ではない。いくつかの山が繋がって、合わせてグラウべ山と呼んでいる。

 私たちが調べた神殿も、地理上実は異なる山に存在する。しかもどちらもメインのグラウべにない。

 こんな複数の山で複数の神殿を建て、しかも平面の投影上は正三角形なんで、人が計算して意図的に作られたとしか思えない。

 そう考えると、他の三つも、もしかしたら正三角形の位置関係になっているかも。



 最後の神殿を調査して正確な位置を把握できれば、さらに何か魔物の仕掛けに関する手掛りが見つかりそうだ。


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