第30話 Side Khristina②

「えぇ?!どの手ですか?」


 私の怪我とも言えない怪我を聞いて、ジュンの声に明らかの慌てさが出た。言葉通り、どの手かを確認したいために、私の手を握っている右手を離そうとしている。

 離されたくないから、私からすぐ握り返す。

 指を切ったくらいにこんなに緊張するなんで、過保護にもほどがあると思うよ。


「右手。大したことないんだよ」

「見せてください」


 私の話を完全に無視して、ジュンは左手の手のひらを上に、私の前に差し出す。

 その動きは『右手を出して』と言っているような。

 本当に大したことがないから、別に見せなくていいだけど、ジュンはこういうところが諦めが悪くて、きっと見せてあげるまでずっと私を待つ。みせてあげないと、あとでうるさく言われ続けそう。でもこの話題を持ち出したのは私だから、終わらせる義務がある。


「ほら」

 仕方がなく、右手を出して、同じく手のひらを上に彼女の手に乗せる。

 そうすると、ジュンはすぐ私の手を自分の顔の近くに引っ張って、軽く触れながら確認する。


「何か鋭い物に切られた感じがしますね。傷口は浅くて綺麗なので、すぐ治りそうです」

「だから大袈裟なんだよ、ジュンは」

「姫様のことですから、大袈裟の方が丁度いいと思います」


 ジュンはいつもの雰囲気に戻っている。ちょっとほっとした。

 でも、いつもと違うのは、私はまだ彼女に寄りかかって、お互いの手を離さず握り合っていること。

 私の心の中、これは一歩前進した証だと思う。小さな一歩だけど、心の距離を大きく縮めたな気がする。


「そうだ、姫様」

 ジュンは何かを思い出したのように私に話を掛ける。

「なに?」

 今は気分がいいのに、なんだか殺風景な質問が飛んできそうだから、気だるく返事をした。


「もしかして、指は神殿の中で切ったのですか?」

「そうだね。気づいたら血も出ていた」


 ジュンの質問を聞いて、今日昼間のことを回想し始める。

 私は一人で神殿の中に入って、物の並べを確認したら、とりあえず壁を触ってみた。その時壁の何か鋭い物に当たって、指を切ってしまった。血も少し出たので、もしかしたら壁に残っているかも。


「古語っぽくない文字はそのあとで出たのですか?」

「あぁー」


 私のはっと悟ったの声を聞いて、ジュンは小さく「やっぱり」と呟いた。

 彼女が言いたいことが分かる。確かに、私が指を切ったあとに文字が壁に浮かび上がったし、あの忌々しい声を聞こえるようになった。

 丁度今私とジュンしか起きてないから、すこし話した方がいい。


「実は、文字が現れた後、私は変な声を聞こえた」

「えぇ?!」

「『おのれベシュヴェーレン、おのれアルカナ』と話す、女の声」

 本当は別の言葉もあったけど、それはジュンには言いたくない。前半だけを話して、後半は伏せておく。


「私は聞こえていませんでした…」

「でしょうね」

「その声は、大きいな手掛りかもしれません」

「そうね」


 ジュンの顔をみれていないが、彼女の口調からは手掛りを見つかった興奮を感じられない。どこか気が重い。

 実際、『かもしれません』ではなく、紛れもなく手掛りだ。

 彼女に伏せていた後半の言葉からわかる、その神殿は魔物の仕掛けに確実に関与していることを。あの言葉を聞いた後、外から聞こえてくるジュンの叫び声はあんまりにもタイミングが良すぎるせいで、私は思わず取り乱してしまった。

 その感覚、もう思い出したくない。


「でも、ベシュヴェーレンはわかりますが、アルカナはなんですかね?」

「他の神殿もまだあるので、全部調査した何かが分かるかも」


 誰なのかはわからないけど、アルカナは人の名前だと思う。

 我がベシュヴェーレン家、そして『アルカナ』という人を憎む誰かが、我が国に魔物の災害をもたらした。国ごと巻き込むなんで、一体なんの恨みだろう…パッと考えて、色んな理由が思いつく。実際どうなるやら…

 どうせ他の神殿を調査してみないとわからないし、今はなるべくジュンとの時間を大切にしたいから、深く考えて追い詰める気分ではない。

 すぐ脳からこのことを追い出し、また身をジュンに委ねて、目を閉じる。


 ふんわりとしたジュンの匂いが私を包み、手から伝わってくるジュンの温度が初春夜の冷たさを私から追い払う。

 彼女しか私に与えられない安心感がとても心地が良く、思わず気が緩む。

 今日ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れ、疲れと眠気が私に襲って来る。



 ***



 目が覚めた時、真っ先に目に入ったのは焚き火でもなく、夜空でもない。回りもまだ暗いみたい。

 薄っすらと焚き火の揺れが壁らしき物から透けってみえることから、私がテントの中にいることに気づいた。

 寝落ちする前は、ずっとジュンに寄りかかっていたのに、いつのまにかテントの中に移されていた。きっと私が寝たことに気付き、ジュンが運んでくれた。


 目が暗さに慣れ、透けって来る焚き火の光を借りて、すぐテントの中を見えるようになった。目的なくテントの天井を見上げる時、隣からスヤスヤと眠る時の軽い呼吸音が聞こえてくる。それに、このさっきまでずっと感じていた匂い…

 頭を左に回ると、ジュンの寝顔が目に入る。多分彼女今日の火当番時間が終わった。今夜後半はシムスさんが当番するので、ジュンがテントにいるということは、シムスさんがすでに外に行った。

 今のテントの中、ジュンと私しかいない。


 彼女は私に向かって横向きで寝ている。距離は思ってたより大分近い。昨日も一昨日も隣で寝ているけど、今日ほど近くはない。


 ドク、ドク、ドク。

 言うことを聞かないわがままな子供のように、私の心臓の鼓動はいつものリズムから外していく。

 どうせなら、とことん近づきに行きたい。

 手と肩を動かし、上半身をジュンの方向に向け、腰をグイっとひねって、体ごとを横向きの姿勢に変えた。仰向けの時よりさらに近くなった。


 ジュンは私の寝返り音に起こされていない、相変わらず静かに寝ている。

 普段は真面目で、時に無表情、時に凛々しいの顔しているのに、寝ているとよく寄せていた眉間が解いて、寝顔が一転して歳相応の可愛さが溢れる。ふわっとした外ハネの髪がその可愛さにさらにアクセントを加えた。

 去年切った髪が伸ばしたから、出発する前にもう一回タニアに切って貰った。髪型にあんまり気にしていないせいで、元々真っすぐな髪がちょっとくせ毛風になって、ジュンの自分に対して適当なところを表している。


 視線を耳近くの髪から耳に移すと、微かに光っている物を見かけた。

 左耳にはちゃんと私が送ったピアスを付けている。

 外さずに寝るなんで、万が一耳を怪我したり、ピアスが落としたらどうするの?そう心の中で文句言うけど、嬉しさが確実に文句を上回る。


 ジュンはそのピアスをただの誕生日プレゼントだと思っているが、私にとって、それは違う。

 私は自分でも驚くぐらい、彼女を独り占めしたい。だから、自分の紋章である花を入れたアクセサリーを送った。

 それは、『あなたは私のもの』という意味合いを込めている。

 そんなこと、ジュンが気づくわけがないけど。むしろ彼女が気づかないからこそ、安心して送られる。

 私のこういうところがずるいと自覚している。


 愛おしいジュン、私のジュン、私だけのジュン。

 彼女の無邪気で可愛いな寝顔を見つめると、この気持ちがどんどん膨らんで、私の思考と理性を蝕んでいく。

 気が付いたら、私はもう息が彼女の顔に触れるほどのところまで近づいてた。ほんの少し開けた唇に誘惑され、息を飲みながらキスしようとしている。


『ダメ』

 理性が私に歯止めをかける。

 私と一緒にいる時、ジュンの眠りは基本的に浅く、怪しいことがあればすぐ目覚める。彼女が寝込んだ時とは違って、今キスをしたらバレてしまう。

 すぐジュンの顔から離れて、気持ちを落ち着かせるように小さくゆっくりと呼吸する。


 去年の事件以来、私は確かに昔よりジュンを触れたくなって、好きという気持ちを従うままに彼女に接しているところが増えている。でも、いつもならもっと抑えたはずなのに、今日の私はどうしたのだろう。


 きっとあの声のせいだ。

 姿勢を仰向けに戻って、頭を空っぽにして数回呼吸したら、熱くなった顔と昂った感情も概ね普通に返った。

 余計なことを考えず、私は目を閉じ、眠りに落ちていく。意識がなくなる前、あの声も再び私の頭をよぎ、響く。



『おのれベシュヴェーレン、おのれアルカナ!やってみろう、お前の愛する人の命はない』


 ◇◇◇

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