第25話
ミケルくんと子犬を連れて山小屋に戻って、ちょっとみんなと話をしたら、日が暮れた。焚き火の回りではないと、真っ暗で何も見えない。
村長は早く村に戻りたいみたいなので、たいまつを作って道を照らせばなんとかなりそうだが、魔物も出ていたし、いくら山に詳しいとは言え、安全のためさすがにこの暗闇の中で村長とミケルくんを行かせるわけにはいかない。
だから二人も一晩、私たちと野営することになった。
夜はカルバンが留守番している時偶然山小屋の近くで狩った山うさぎから作ったスープと、ずっしりとしたパサパサなパンで腹ごしらえをする。
魔物討伐でこういう美味しいと無縁なパンを食べ慣れていたが、ウルムで買ったこのパンは一段と『保存食』って感じ。食べたら口の中の水分が全部奪われて、さらに飲み込むため、結構な量の水を飲むことになる。それで量が少なくても、すぐお腹いっぱいになってしまう。
全然美味しくないけど、機能性は上の上だ。
姫様は一口パンを食べて、眉間に皺を寄せる。まずいと思っているだろうけど、彼女は黙って自分の分のパンを食べきる。
彼女の隣に座っているミケルくんもこういうパンに慣れてないみたく、喉にパンが詰まったような苦しい表情をしながらも、頑張ってパンを飲み込もうとしている。それを見てて、ちょっと申し訳ない気分になった。戻ったらミケルくんをウルムに連れて行って、美味しい物でもご馳走してあげようと心の中で決めた。
晩御飯の後、火の当番順を決めたら、各自の自由時間になる。カルバンみたいに後半の火当番に備えてすぐ寝る人もいれば、セシルみたいに他の人とおしゃべりしたりする人もいる。
山小屋の前、姫様とミケルくんは子犬たちと遊んでいる。
今日姫様が救った白い子犬はなぜかとても彼女に懐いて、晩御飯の時もずっと彼女の足元にいるし、今も尻尾を精一杯に振って彼女に構って欲しい雰囲気を生み出している。
姫様は子犬の期待に応え、体をかがんで右手を伸ばす。前に居る子犬の顎を手に乗せ、指で顎を触り続ける。子犬は目の閉じて、尻尾振りながら『キュンキュン』の鳴き声をする。気持ちよさそう。そんな姫様と犬の様子をみていると、思わず二人に近づき、子犬の前にしゃがむ。
「ジュンもシロくんと遊ぶ?」
呼び名からみると、この白い子犬は男の子だ。
私からの返事が返ってこなかったせいか、姫様が頭を上げ、楽しそうに私を見つめる。そして、かがむ姿勢を維持しながら私の隣に移動してきて、肩をぶつけてくる。
ずっとかがんで疲れたか、姫様はそのまま地面に腰を下ろし、膝を立てる。私の真下の地面を片手で軽く叩き、座れっと催促する。昔からこういうこと好きだよね、姫様は。彼女の指示に従って、隣に座る。
子犬も彼女を追って、私たちが座っている方にゆっくりと歩いて来る。
「可愛いね」
「そうですね」
姫様をマネして、手を伸ばして子犬を触ろうとした途端、子犬は私の前から消え、姫様のところへ逃げた。姫様が立てた片膝と地面から作り出した空間に、子犬は入って、前足を姫様もう一つの膝の上に乗せる。
私に怯えて逃げた思って、体を傾けて子犬の様子を覗く。その顔に怯えがあるところか、なんだか得意げすら感じてしまう。そんな姫様の足元に身を隠しながら私に威張っても。
「なんですかこの犬?」
「シロくんに舐められているね」
姫様は隣でクスッと笑う。
まさか今日救ったばっかりの犬に舐められた。さすがに面子が立たない、目に物を見せつけないと。
改めて姫様の体の前に手を通し、子犬の方に伸ばす。姫様の膝に乗せてる前足を狙って、隙を見て掴んでこの子を引っ張り出す。子犬は自分の危険を察知したか、すぐ前足を降ろし、私の手が掴めないところまで体を後退する。
なかなか勘のいい、賢い犬。ちょっと見直した。
「ちょっと、ジュン!シロくんを虐めないで」
別に虐めていない。ただこいつの生意気な顔にすこし腹立つ。自分もわからない、なぜこんな子犬に対してむきになっている。
姫様は後退した子犬の背中に手を乗せ、ゆっくりとさす。
子犬は姫様という強力な後ろ盾を得て、また意気揚々と姫様のすぐ隣に戻って来る。今度は膝からではなく、直接姫様の足の付け根に前足をのせ、さらに彼女の腕の中に入ろうとしている。
「シロくんは甘えん坊だね」
姫様は嬉しそうに両手で一所懸命に上がろうとしている子犬を抱き上げて、腕の中に置く。そうすると、子犬は私の方に向かって、また足を彼女の腕に乗せる。さっきよりさらに得意として顔で私を見る。
本当何なんだこの犬。自分が姫様の寵愛を得て、私に見せつけているのか。
「ひ…ちょっとこの犬貸してくれませんか」
また口を滑らせそうになった。
姫様からまだ同意が出ていないが、私は手を伸ばして彼女の腕の中の子犬を掴もうとする。でも、まさか子犬から威嚇を食らった。
力を絞り出して頑張って私を威嚇しているみたいだが、鳴き声があんまりにも可愛いから、思わず笑い出してしまった。
「わかりましたよ。もうずっとそこにいてください」
しょうがない、と子犬に向かって敗北を宣言する。今日はこの犬に一本取らせてあげる。
「ふふ、ジュンが負けた。シロくんすごい!」
「別に勝負していませんが…」
「ジュンはシロくんのライバルだからね」
私はライバルって、何の話?
子犬を顔の近くに上げ、「いい子いい子」と言いながら姫様は子犬の顔を自分の頬っぺたで擦れる。本当にこの子犬が好きだな。
姫様が子犬とじゃれあう間、私は目線を焚き火の方向に移す。
私は焚き火を見るのが好きだ。
薪が燃えて、時折にはじけるパちパちの音、柔らかく瞬く織火、風はないが自然と揺らぐ焚き火の炎、じんわりと伝わってくる温もり、すべてが私の精神を落ち着かせてくれる。野営の時も、冬部屋にいる時も、薪が燃えているところをずっとみていると、一日の疲れが自然と消えていく。
さっきまであれだけ子犬対してむきになっていたのに、今その気持ちはすっかり消えた。
「ねぇ、ジュン」
右腕から人のぬくもりが伝わって来る。姫様は子犬を抱きながら私の腕にくっつける。
その呼び声の雰囲気も普段のと違い、二人でいる時たまにあるやつと似ている。
「はい」
「やはり呼んでくれないね」
「何をですか?」
姫様が指していることはすぐわかったが、それでも思わず知らんぷりで誤魔化そうとした。彼女は気にしていないと思っていたが、違ったみたい。
「名前」
「それは、呼ぶような状況はないですから」
「二回も口を滑らせたのくせに?」
「…」
気づかれてた。音一つで切ったのに、それでも彼女の耳にちゃんと入った。
姫様と私の間暫く沈黙が続く。
彼女は手で抱えている子犬を地面に下ろして、両手を地面に付きながら体を私に屈んで来る。
突然の接近に、思わず体を後ろにちょっと反らした。目に映った彼女の赤い目に、私の驚いた顔が映りこんでいる。
「ジュンがそんなに呼びたくない理由が知りたい」
「ただあれを呼び慣れていたので、変えるのは難しいだけです」
これは嘘ではない。
彼女にはもう嘘を付かない、付きたくない。でも本当の理由は言えない。
正直自分もはっきりわからない。ただの線引きと思っているが、なぜそんな線を引いたのもわからない。何も考えずに、自分の漠然とした意思を従ったまま。
姫様は私の目を見つめるまま。私も目を逸らさず、彼女の目を見る。
彼女は半分納得したような表情をして、ため息をつきながら不満をこぼす。
「いつもそれ」
「本当のことですから」
「ジュンの石頭」
確かに私は頑固だけど、石頭ほど融通が利かない人ではないと思う。
姫様に言い返そうとしたところ、ズボンが何かに引っ張られている感じがした。下向きで見ると、先ほど姫様が地面に置いた子犬はいつの間にか私の近くに来て、ズボンの布を咥えて引っ張っている。この子はまさか姫様が私に対する不満を感じ取って、私を攻撃しているのか。
手を振って、子犬を振り払う。ズボンに集中しているから、私の手の動きを無視した。それ以上引っ張るとズボンが破れるから、片手で子犬の腹の下をくぐって、その子を持ちあげる。
力づくで子犬を私のズボンと引き離したせいか、子犬は私の手の中で暴れる。体をねじって、四つの足を振り回す。
「ちょっと、暴れないで」
私が子犬と軽く戦っている時、前からミケルくんの声がした。彼は不思議な表情で子犬を見ながら私たちに話す。
「シロは大人しい子なのに、ジュンねえさんにきついね」
「ジュンはシロくんのライバルだからだよ、ミケルくん」
姫様がまたライバル発言を持ちだす。
ミケルくんの表情は不思議から困惑に変わり、私に助けの目線をくれる。残念ながら、私もわからないので、頭を横に振る。
「でもシロは本当にクリスねえさん好きだね」
「それは同意見です」
力使いきって、ようやく暴れなくなった子犬は腹を私の手に乗せたまま、足を自然とぶら下がる。
こうみていると、やはりかわいい。
「山の探検が終わったら、シロくんを連れて帰るわ。それまでミケルくんは面倒みてくれる?」
「本当?いいよ、任せてくれ!」
なんか姫様はまたさりげなくすごいことを決めた。まぁ、犬一匹くらい、王城は余裕だろう。
そう思う私は、つっこむのを諦め、姫様とミケルくんを早く寝るように促す。
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