第六話 名前では呼べない

第17話

 真冬がすぎ、天気がすこしずつ温かくなる時期、旅に向けての準備作業は本格的に始動する。

 冬のおかげで、去年負った怪我が完全に治った。今年に入ってから、体の調子を試すために二回ほど王都近辺村の魔物討伐も行って、これからのことを万全な状態でに臨めることを確認した。

 護衛小隊の事前会合も何回か実施し、移動路線と手段の計画、必要の物用意などが着々と進み、つい出発の日を迎えた。


「では、セシル、気を付けて。クリス様をちゃんと守ってね」

「わかってる」


 両手でセシルの服の裾を掴んだままタニアは頭を上げて、ずっとセシルを見つめている。それは姫様が鈍感と言う私でもわかる、いつまでも名残を惜しむ、愛情のこもった眼差し。いつものタニアと違って、艶っぽく見える。

 見たことがないタニアを目の当たりにして、すこしだけ衝撃を受けた。恋というものは、こうも人を変えられることに感心する。


 無意識に視線を姫様に移す。彼女はアルフリート様と何かを話している。


 タニアを見ていたら、自然と思ってしまう―いつか姫様もきっと誰かと出会い、そして恋をして、その誰かに向かってタニアのような表情をする。

 その時、彼女にとって私はもう要らない人になるだろうか。

 考えたくない。

 去年陛下から聞いた、バルト国第二王子との話、どこまで進んでのか。

 知りたくない。


 それは将来私が直面しなければならない現実だけど、今心配しても仕方がない。私はさっき気にしていたことを追い出そうと、何回か頭を振って、気を取り直す。


 表は姫様がグラウべ山へのお忍び旅だから、今日はタニアとアルフリート様しか見送りに来てない。

 短い会話のあと、予定時間の通り王城から出発した。


 グラウべ山は国の南側にあるため、王都から向かう私たちは、国を横断することなる。最短の道を取る場合、馬車での移動は約6日でグラウべ山ふもとの町ーウルムに到着する。


 しかし今回はなるべく人の多い町を避けたいため、最短ではなく、すこし迂回するような路線を計画している。細々と小さい村で夜を過ごし、途中はカルデンで必須品を補給してからウルムへ向かう。何もなければ、10日くらいでウルムに着く予定。

 馬だけならもっと早く着くが、移動時間と荷物のことを考えたら、姫様を馬車に乗せることにした。馬車と言っても、王家用の豪華なやつではなく、機能性重視の普通の荷馬車に近いもの。


 それでも、最初馬車と決めた時、姫様はすごく嫌がっていた。馬乗りたい乗りたいと、うるさいくらい私に言い続けている。「イワン隊長が決めたことなので、私に言っても意味がありません」と話したら、不満漏らしながらも引き下がった。

 馬車苦手だから、てっきりイワンさんにも口酸っぱく言うかと思った。

 なんなんだろうな、私にだけしつこいのは。


 最初の三日間は平穏だった。姫様は大人しく馬車の中で座って、寝たり、外の風景を眺めたり、持ってきた本を読んだり、たまに私たちに話を掛けたりしていた。

 そのまま四日目を迎える。


 馬車前後の護衛は日にちに交代する形なので、今日はシムスと私が馬車の後方、イワンさんとセシルは馬車の前方を守る。

 シムスと回りを見ながら、好きなことや、王都の美味しい店や、どこの武具がいいのか、色々と雑談していた。タニアと姫様以外の女性とこんなに私生活の会話するのはほぼ初めてだ。シムスと気が合うところが結構あると気づき、話してとても楽しい。


「ねぇ、ジュンーー」

 シムスと歓談している最中、姫様の呼び声がした。


 視線を馬車に移すと、後ろに座っている姫様は、体をすこし馬車から乗り出して、つまらなさそうに私を呼んでいる。

 馬を馬車に近づき、姫様の様子を確認する。


「どうしたんですか、姫様?」

 目の焦点は私ではなく、私を通り越して後ろの何かに合わせていて、不機嫌な顔をしている。私を呼んだのに、何も言わず、見向きもせず、ただ「はぁ」とため息をつく。これは多分昨日と一昨日の馬車生活で、限界を迎えている。


「姫様はどうされましたか?」

 シムスも心配そうに後ろから近づいてきて、姫様の様子を尋ねる。

 シムスが近くに来たに連れて、姫様の視線もようやく私の後ろから私に移し、顔がさらに拗ねるようになる。そして何か思い付いたよう、一瞬目を光らせた。10年くらい姫様と行動を共にした経験が言う。なにか面倒なことが来る。


「馬に乗りたい」


 やはり来た。相談ではなく、ただ私にねだる。

 元々姫様は乗馬が好きで、馬に乗って走る時の彼女はいつも楽しそう。だから、ただ馬に乗りたいくらいなら乗せればいいはずだが、あいにく乗用馬は4匹しかない。護衛の4人用で空きがない。

 それに、今彼女を馬に乗せられない別の理由もある。


「ダメ?」

 私の返事を待たずに、姫様はさっきと違って、お茶目な顔で訊く。そんな可愛い上目遣いされても、乗用馬の数は増えない。


「馬が足りないので、ダメです」

「えーー私がジュンの馬に乗って、ジュンが馬車に乗れば解決でしょう!」

「そんなことしたら、姫様は一瞬で前に出て追いつかなくなるでしょう?」

「バレたか」

「はぁ、何年のお付き合いだと思いますか?」

「うぅ…」


 私の勘だけど、きっと姫様が私の馬に乗った瞬間、鞭を馬に当てる。三日分の窮屈な気分を晴らすように、速度を上げて隊列から飛び出す。私たちには迷惑を掛からない程度で前に走るかもしれないが、二人だけでのお出かけではないし、追いつくのも大変なので、こんなことが起こる前に防いでおく方のが良い。


 しかし、彼女のしょんぼりした顔を見るにちょっと忍びない。何か気晴らしできることがあれば。

 そう考えている時、姫様はまた顔を上げて、すこし恥ずかしげな表情で尋ねる。


「じゃあ、ジュンと一緒に乗れば大丈夫?」

 それも一案かもしれない。

 別にそこまで変なことではないけど、提案した本人はなぜかちょっと照れている。乗せる側のこっちまで恥ずかしくなるじゃない。


「ぷっ」

 隣から吹き出すような小さな笑い声が姫様と私の会話に割り込んでくる。シムスが何かをこらえきれず、笑いだした。

 私だけではなく、姫様も思わずシムスに注目してしまう。


 シムスも私たちの視線を感じ、わざとらしい咳払いをしてから言う。

「笑ってしまってすみません。ただ、お二人のやりとりがあんまりにも可愛かったですので」

「そうなんですか…?」


 普段からずっとこんな感じだし、今日の姫様はすこし甘えが増えたくらいで、人を笑わせるほどの可愛い要素はないと思うが。


「隊長…じゃなくて、ジュンさん乗せてあげたらどうですか?もうあんな感じになっていますし」


 シムスが言いながら視線で指してくれた方向を見たら、姫様がキラキラとした目でこっちをみていることに気付く。

 ここ三日は辛そうだし、やりたいことは大した問題じゃないので、今日だけは彼女の思うようにしてあげようと心の中で自分に言い聞かせる。


「わかりました」

「やった!」


 彼女元気の一声で、無視しようとした過去のことがよみがえる。今日も彼女に負けてしまった。

 己の甘さに嘆きながら、馬車の後ろから隊列の前に移動し、イワンさんに事情を説明する。姫様だけ乗るなら絶対許可しないだけど、私が共に乗るなら色々対応できるので、渋々と同意してくれた。

 隊長の同意も得て、姫様を降ろすために今日馭者担当のカルバンに一旦馬車を止めて貰う。


「スタッ」

 馬車が止まった途端、後ろから軽い着地音がした。見なくてもわかる、それは姫様が馬車から跳び降りた時の音。

 待たされたら催促しに来るので、その前に引き返す。

 私が馬から降りるの代わりに、姫様が鐙を踏んでスーと馬に乗った。相変わらず軽快な動きをしている。もちろん、彼女が飛び出さないように手綱は私が強く握ったまま。


 姫様が安定に乗ったことを確認したら、私も鐙を踏んで馬に乗った。両手を彼女の腰を回って、後ろから抱えるように手綱を握る。


 この体勢を取った瞬間、さっき彼女が照れる理由が分かった。

 私の腕と手綱で作り出した狭い空間に、姫様が居る。

 距離が近すぎる。


 二人で同じ馬乗ることはあったのだけれど、それは私たちまだ子供の頃だし、その時私まだ乗馬全然できてないから、姫様が後ろで教えながら乗っていた。今とは全く別の状況。


 鼻から入ってくる微かな香り、髪が顔にあたる時のこそばゆさ、姫様のすべてが今までにないほど私を刺激し、彼女のことを意識させる。

 やはりちょっと恥ずかしい。その上で言葉ではないうまく話せない何かの気持ちも混ざっている。


「では、出発しましょうか」

 自分の動揺を隠そうと、平然とした口調で姫様とシムスに出発の宣言をする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る