第15話

 ドアの外から聞きなれた声がする。

 彼女がこんな夜中で私の部屋に来るなんで、いつぶりだろう。

 冬の夜はとても寒いから、外で待たされるのはよくないと思って、私はすぐベッドから飛び出して、ドアを開ける。


 声でわかっているが、この目で見たらやはり驚く。寝衣のワンピースの上に毛布を羽織っている姫様が居た。


「今から寝ようと思っているところです。寒いから早く中に入ってください」


 王城の中で距離そんなあるわけではないとはいえ、なんで無防備な格好しているのだ。タニアが見たら絶対気絶する。

 それに廊下の気温にも全く合っていない、震えているじゃないか。風邪でも引いたらどうするの。


 姫様の格好に対して言いたいこと山々だけど、とりあえず壁に掛けている私のコートを取って、彼女が羽織っている毛布の上に被せた。コートは暖炉近くに掛けていないから、ちょっと冷たいが、毛布と一緒に二層構造にすれば、すこしは暖かくなると思う。ついてに彼女を暖炉の前に移動させた。


「ありがとう」

 体を包み込むように両手で私が被せたコートを引っ張る。見た目以上体が冷えているに違いない。しかし、私の部屋は今すぐ暖かい飲み物を準備できる道具を持ち合わせていない。どうすればいいかわからないと部屋で歩き回る時、姫様が話を掛けてくる。


「いいの」

 私が飲み物で悩んでいることを気づいたようで、コートをもう一回引っ張って、「これさえあればすぐ温まるから」と補足する。


「姫様、すみません。温かい飲み物の一つも用意できなくて」

 明日訓練終わったらポットを調達することを心の中で決めた。



「こんな深夜で突然来る私が悪いから」

「何があったのですか?また部屋に蜘蛛でも出ましたか?」

「違う!いつの話だよ!」


 軽くこぶしに叩かれる。

 蜘蛛という言葉が出た瞬間、姫様の体は一瞬不自然に震えた。

 普段は何も恐れず大胆不敵の姫様だが、一つ弱点がある―蜘蛛が怖くてしょうがない。


 子供の頃、姫様の部屋に蜘蛛が出て、真夜中半泣き状態で私の部屋に飛び込む事件もあった。その事件のあと、しばらくの間タニアと他のメイドさんは蜘蛛がないことを確認できるまで部屋に入らないくらいだった。


「からかってすみません。気が済むまで殴ってください」

「そんなことしないわよ」

 表情はまだ拗ねているだが、機嫌は全然いい方。改めて来る理由を聞こう。


「何があったんですか?」

「……最後父上と何を話した?」


 答えの代わりに、答えられない質問が飛んできた。

 陛下が彼女をその場から払ったから、気になるのは無理もない。

 これのためにわざわざ深夜で聞きに来たのに、お答えできませんって返事するのも無情だと思う。あんまりしたくはないが、彼女が納得するような嘘をつけば、なんとかなる。


「姫様が傷つきそうだから、言いたくないのですが」

「私が傷つく?」

「言いにくいことに、陛下からは姫様が無茶なことをしないように監視し、何があった時は力づくでも止めると命じられました」

「へい、そうなんだ」


 あんまり納得していないような表情。

 正直、自分はあんまり嘘をつかない人間なので、嘘をつくと表情や仕草からすぐバレてしまいそう。それでも、彼女に察されないように、真面目な顔を保つ。


「それで、父上直属部隊の人の仕事じゃないの?」


 私はすぐ己の愚かさに嘆く。

 姫様は賢い。彼女の前でこんなすぐバレるような嘘をつくのは何の意味もない。でも嘘をついたら、貫くしかない。


「二重保険みたいなものです」

「本当は何を言ったの?」


 全然納得していない、むしろ彼女の心の中では私もう噓つき確定。

 私を見ている彼女の顔には、ほんのすこし悲しさが混じりこむ。こんな顔させてしまって、さっきの自分に往復ビンタをしたい。

 それでも、本当のことは言えないから、ここは粘っていく。


「だから先ほどお伝えたことの通りです」

 私を見る目はずっと逸らしていない。逃げ場も与えてくれてない。


「わかった。そういうことにしておく。無理矢理聞いて悪かった」

 わずかな沈黙のあと、姫様は普段の表情に戻り、軽快な口調で言う。


 彼女はそれが嘘だとわかっていても、真実の追及を諦めたことに対し罪悪感はあるが、同時に私はほっとした。

 基本的に彼女には隠し事はしないが、この件に限って隠し通したい。陛下との約束は理由の一つだが、もう一つ自分勝手な理由もある。


「いいえ、とんでもないです」


 姫様は暖炉に向かって、手のひらを温めようと両手を伸ばす。

「話変わるが、セシルさんを推薦するなんで、タニアが怖くないか?」


 話が変わり過ぎて、全くついていけてない。

 セシルを推薦したからと言って、タニアと何か関係あるの?なぜここにタニアが登場するのは理解できない。


「タニアと何か関係ありますか?」

「えぇ?ジュンは気づいてないの?」

「何をですか?」

「はぁ…」

 と小さく、いや、割と大きいため息をつく。


「ジュンの鈍感力に感心する。セシルから何も言われていない?」


 副隊長をわざと強調した。

 確かにセシルは私の小隊の副隊長であり、騎士団での付き合いも長いが、なんでもかんでも言ってくれるほどよい私的関係を築いていない。酒飲みと誘われても、姫様のこともあって滅多に行かないし。だから、私は何も知らないし、何も気づいてない。


「いや、特になにも…」

「タニアとセシルさん。ここまで言ったら、さすがに察してくれたでしょう?」

 姫様はもう完全に呆れた顔になっている。


「あっ…ええぇ?!」

 ようやく彼女が話していることを理解した。それをわかった瞬間、衝撃で思わず驚きの声を上げ、開いた口が塞がない。


 本当に姫様に言われるまで、何も気づいてなかった。

 今思えば、タニアは自然に「セシルくん」と呼んでた。当時変とは思ったけど、こういう関係になっていることと全く結びつかない。

 あの騎士団員絶対無理のタニアだよ??気づくわけがないでしょう?


「ふふ、本当に知らなかったみたいだね」

 私の表情が面白かったのか、にやりとした笑みが姫様の口角に浮かぶ。

「それは知る由もないです。あのタニアですよ?」


 姫様の笑いを無視して、過去でタニアとセシルがそういう関係に発展するようなでき事、会話、なんでもいいから小さな手がかりがあるか、脳内で回想し始める。自分の記憶をいくら遡って探しても、らしきことは見当たらない。

 やはり姫様の言うように、私は鈍感すぎたのか。


「考えてもわかりません。あの二人はいつ…」


 不意に両手が後ろから回って来る。

 体の正面に到達すると、その手がお腹に当てて、両腕は腰に抱き着く。背中にくっついてくる温もりに続き、首筋に当たる柔らかな温かい吐息も感じるようになった。

 自分の回想に思い浸っている間、姫様はいつの間にか後ろに立ち、私を背後から抱き着いてきた。


 それほど強く抱きしめられていない。姫様の体の間はまだ隙間いっぱいある。けど、シャツと空気と薄いワンピースの布を通しても、彼女の体温とすこし速い鼓動が伝わってくる。

 温かい。


 嬉しくなるとたまにタニアと私に抱き着いたりするが、今はそういう雰囲気ではない。

 彼女の動きは、まるで小石を湖に落としたかのようで、私の心の湖面にさざなみを立たせる。


「ジュン…」

 優しさの中に寂しさも含まれる甘い声が、さらに私の心をかき乱す。

 ドク、ドク。心臓の鼓動は勝手に速くなっていく。

 どう反応すればいいかもわからない。

 なぜ突然こういう体勢になったのか、彼女がどういう意図でこうしているか、見当もつかない。ただ硬直して彼女に抱き着かれるまま。


「姫様…?」

 戸惑っても仕方がない。頑張って声を発して、どうにか状況を打破する。


「あっ、ごめん!」

 私の声を聞いた途端、姫様は慌てて私から離れる。

 彼女の様子を見ようと振り返ったら、今度は彼女が背を向けて来る。

 しばしの無言を経て、姫様が口を開く。


「シャツ一枚で寒そうだから、つい。嫌だった?」


 振り返ってくれたが、顔は下がったまま。

 そういうことだったのか。最初はあんまり感じなかったけど、話が長くなり、シャツ一枚は確かにちょっと寒かった。

 にしても、その「つい」は心臓に悪すぎた。


「いいえ、ちょっと驚いただけです」

「よかった」

 姫様はほっと息をつく。


「もう遅いだから、部屋まで送ります」

「ここで寝たらダメ?」

「ダメに決まってます!朝タニアは私を王城から投げ出しますよ」


 ほんの少し前の気遣いはどこに行った。

 明日タニアが姫様の部屋に行って、居るはずの人がいないとわかったあとのことは全然想像したくない。


「残念」

「そんなこと言わずに、さぁ戻りましょう」

「はいはい」


 本当に残念そうな表情を見せながらも、姫様はあっさりと私の部屋から出た。


 色々と濃い夜だった。

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