第7話 記憶の魔女

 隣町の山の上に、御旗自然公園という施設がある。私は車を走らせてそこの駐車場まで来ていた。

 車を置き、景色を観ようと丸い木の柵に近づき手をかけて覗く。下には紅葉した森が連なりその端からは刈り取られた後の田園が続いていた。割るように伸びた農道を目で辿ると学校に突き当たり、その奥からは民家が広がっている。他にあるのは、ドームや図書館、役場とかの背が高くわかりやすい形をした建物。そしてそれら全部を縁取り取り囲むようにしてある山々と一際高い八千歳山。今は昼だけど、夕入りがちょうどあの山に沈んでいくからここはこの街の絶景スポットになってるらしい。

 私は景色を背にし柵に腰をかけた。今、ここには私しかいない。空を見上げると雲がゆっくりと流れている。音も、風が吹かない限りない。

 のんびりとした時間だ。落ち着ける空間。だけど、私はそうはならなかった。それどころか、緊張している。息苦しさを覚えるくらいにはドキドキしていた。

 視線を正面に向ける。そこにはこの公園の管理棟がある。私は今からそこに行かなければならなかった。そこにいる『魔女』に会わなければならない。

 

「行くか⋯⋯」

 

 そう呟いてみても、足は動かなかった。正直行きたくない。『魔女』というのは比喩でそう表わされているわけではないらしい。事実として、魔法を使う女という意味だという。年齢が二百二十六で女、見た目は二十台。人を殺すのを厭わず、魔法で気づかせる間もなく殺してしまうそうで、そんなのがすぐそこの建物の中にいるというのだ。流石に怖い。

 そもそもの話、なぜこんな所まで来たかというと、単刀直入に、名取から連絡が入ったからだ。『魔女』に会って、話をして、何かしらの情報を持って帰るだけで五十万円。情報はどんな些細な事でもいい。しかも何人かは既にこの仕事をこなしていて、その誰もが無事に帰ってきているという、聞く限りじゃノーリスクの仕事。行った本人たちも特に何もされず余裕だったと言っていたらしい。

 とはいえ、不安しかない。正直言ってほぼ初対面だった名取の話は何一つ信用できる気がしないのだ。手探りで自分の力だけで知っていくしかない。

 その為、緊急時に備えて武器を買ってきた。サバイバルナイフ、一本24,200円。安いのか高いのかわからない。ただこれで戦闘する可能性が生まれたわけだけど、だからといって闘えるとは言えない。そりゃいざとなったらナイフを抜くだろうけど、今現在ではそんな覚悟なんて持っているわけもない。ナイフを持ち歩くのさえ抵抗があったのに、それを現実で生き物に向けるなんて無理に決まっていた。

 

「⋯⋯寒いな」

 

 心も身体も財布の中も。

 

「だったら帰る?」

「えっ——」

 

 あり得ない音が聞こえた。女の——私以外の声。その発生源を探す必要はなかった。いつの間にかすぐ隣に居たのだ。

 ブラウンのトータルネックセーターを着た女。その女は、私と目が合うなり手を伸ばしてきた。何の淀みもなく、勢みもなく、遠慮もない。緩慢な動きで私の頭を目指していた。それを前にして動けない。動いたら最期だと思った。かと言ってできた事と言ったら車の中にナイフを置きっぱなしにした後悔くらい。

 頭に白い指が触れると、真っ直ぐに私の目を見つめてきた。私も同じように見返す。

 触れられたらアウト。そう思ったのに何ともない。恐怖心が薄れた私は、手を伸ばし隙だらけになっている女の右腹にフックをかます——のは流石に悪いので右胸に手を吸い付け、ついでに右手で左側も触った。

 

「何をしているのかしら」

「それはこっちのセリフですよ。いきなり人の頭に手を乗せるなんて失礼じゃないですか?」

 

 女は無言で頭から手を離す。私も口実がなくなったので離した。

 すごく大きく柔らかかった。そのくせウエストが細い。腕も細い。⋯⋯この人は、今まで出会った中で最強かもしれない。

 

「貴女、何者?」

「それも、こっちのセリフです。いや、魔女の人、であってますか?」

「⋯⋯ああ、そういう人間ね」

 

 魔女というにはいかにも現代人ぽい姿だけど、何もないところから突然現れたし、魔女であると考えるのが自然だ。それに妙に普通の人から外れたような表情をしている気がする。いや、どんな表情だ、と自分でも思ってるけど、私の感性がそう言っていた。強引に解釈するなら落ち着き過ぎている顔、だろうか。

 

「興味が湧いたわ。向こうで話しましょう」

 

 そう言って、女は消えた。と思ったらまた現れた。

 

「⋯⋯また、無効化するのね。移動するだけだから解いてくれないかしら」

 

 その言葉の意味に少しの間頭を捻る。一つ思い当たるものがあった。私の夢の力。それでワープか何かの魔法を無効化したんだろう。夏帆ちゃんに教えてもらった事を思い返すとそれが一番妥当な気がする。

 

「目を瞑るから、その間にもう一度やってもらってもいいですか?」

「わかったわ」

 

 目を閉じる。息も止め念のため耳も塞いだ。それでいけると私の直感が言っていた。

 

「ついたわ」

 

 五感を放つと景色が変わっていた。建物の中。多分管理棟だろう。

 

「掛けて」

 

 木製の四人がけのテーブルに座っていた魔女に促されるまま対面に座った。

 

「ねえ、ただの人間が、どうやって魔法を無効化したの?」

「⋯⋯私も、こうなったのは初めてなんですけど、夢の力を使って、ですね」

 

 気恥ずかしさを覚えたけど続ける。

 

「自分が認識できない力は私に影響しないようになってます」

 

 そう口にすると、しっくりくる。

 夏帆ちゃんも言っていたけど、夢を現実にするのがこの力だ。とんでもない力だけど、現実を上書きできるほどの想像力がないと何も起こす事ができないのが、今となっては理解できる。

 二十年以上物理の中で生きて築いた常識はそう覆ることはない。それは反面、私の知らないうちに魔法で現実を変えようとしても私の周りでは変わらないって事だ。

 

「私からも聞きます。最初に頭に手を置いたのは、何をしようとしたのですか」

「記憶を抜き取ろうとしたのよ」

「⋯⋯それは、なぜ?」

「楽しいから。今まで私を探ろうとここに来た人には、代わりに私のちょっとした情報を置いて帰ってもらってるわ」

 

 そんな感じだったのか。というかさっき記憶を取られかけてたのか。胸を揉んでおいて良かった。

 

「それにしても、そうだとしたら、その力のこと、私に言ってよかったのかしら? 転移できたのを見るに、前もって宣言したら魔法も通じるということよね。もしかして、魔女を軽く見てる?」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 穏やかで優しげな表情にしては凄みのある問い方だ。

 正直言って外見で気を許した感はある。ちょっと誘惑されちゃったのは否定できない。

 

「見てますね。侮ってるとかじゃなくて、人と接してるときと同じ感覚で」

「そう」

 

 そう言っても魔女は何もしてこなかった。もしかしたら魔法で殺そうとしたりとかしてるかもしれないけど、私は気づかない。

 

「記憶、私から抜きますか? 多分やろうと思えばできると思いますけど」

「やめておくわ。たまには、口から聞くのも良いから。名前は?」

「望月真奈です。そちらは?」

「⋯⋯言わなきゃダメかしら?」

「言わなきゃ、私も喋りませんよ?」

 

 とぼけるように言うと、魔女は微かに困った顔をする。敵意とかは感じられない。本当に会話を望んでいるようだった。

 

「貴女が決めて?」

「え、名前をですか?」

「そうよ。幾つかはあったのだけど、全て忘れてしまったの。これからは貴女の名付けた名前で生きていこうと思うから」

「名前、か⋯⋯」

 

 長いこと生きてると忘れるものなんだろうか。まあでも仮にでも名付けてみるか。名は体を表すと言うし、わかりやすいのが良いだろう。それに立派な大人に名付けるわけだから、大人らしい名前がふさわしい。

 ミドルネームなんかも必要か? なんとか・E・なんとか、みたいな。とするとアルファベットにはカップ数を当てはめるのがちょうどいいな。

 

「魔女さんって胸のサイズはいくらですか?」

「怒るわよ」

「あ、ハイ」

 

 いや、ヤバい。ちょっと無敵モードになってしまった。

 

「ちょっと今は思いつかないから、考えておきます」

「別にいらないわ。私は誰かと関係を築きたいわけじゃないの。ただ一方的に知りたいだけ」

「なるほど。⋯⋯じゃあ今日のところは帰った方がいいですかね」


 別に名前を決めなきゃ違う話をしちゃいけない、なんてルールはないけど、仕事分の情報収集はもう十分だろう。


「⋯⋯そうね。ならまた来なさい。貴女は少しだけ面白いから。⋯⋯ああ、私が記憶を抜くことを伝えるといいわ」

「わかりました。胸が大きいことも伝えておきます。⋯⋯嘘です」

 

 やばいやばい。見た目が好み過ぎてスイッチが戻らない。死ぬとこだった気がするよ。

 

「今回だけよ」

「はい。⋯⋯それじゃ、お元気で」

 

 一人で建物の外に出る。その後駐車場に向かって歩いた。途中気になって振り返ると、魔女は外出てきていて、くたびれた微笑みと共に胸の前で小さく手を振ってくれた。私は何となく一礼してまた前を向く。

 別れ際になって初めて彼女の素の表情を見た気がする。ミステリアスというか退廃的というか、諦観が滲んだ未亡人のような魅力があの微笑みにはあった。改めてまた来よう、五十万円も手に入るし。

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