第11話 目覚めの鼓動と起動音。

――ブゥン、と電気が通って映像が映し出され、自分の中でそれが自分の視界だと認識された瞬間、私は意識が覚醒したのを自覚した。

 

 私はいつも通り充電用の椅子に腰かけていたが、しかし周囲の状況がいつもとまるで違っていた。

 場所がまず、柏木家の納戸ではなかったのだ。

 私の目の前には薄い色のついた大きなガラス窓があって、私はカプセル型の個室ポッドに充電椅子ごと入れられていた。

 縦長のポッド内は広いとはとても言い難く、身じろぎこそできるが……動くことが前提で設計された広さでは、明らかになかった。

 大きな色つきガラス窓の向こうは、白い明かりで満ちた清潔感のある室内が広がっている。

 ガラス窓は大きかったが前方にしかないので、左右の様子を見ることは叶わなかった。

 ポッド外の部屋の奥には扉があって、その扉にも小さいが窓がついている。

 その窓のお陰で、私は扉の向こうに人間が何人かいるらしいということがわかった。

 私が衛星電波受信システムで今の居場所と、暁美さまの情報を取得しようとしたところで突如カプセル型のポッド内で、ピピピピピ……、と典型的な電子音を発し、かと思えば色つきだったガラス窓の色がスッと消えて、完全に透明になった。

 透明になったガラス窓の表面に、『お待たせしました。またのご利用をお待ちしております』と表示が浮かび上がる。

 続いてポッドからではなく、室外から合成音声が流れて、私はようやく今自分がいる場所がどこなのか、察しがついたのだった。


『――……柏木さま、柏木さま。充電ポッドナンバー三番のアンドロイドの充電が完了いたしました。受付キーを必ず持ちまして、アンドロイドの受け取りをお願いします……』


 アナウンスが流れ終わった途端、部屋の奥の扉がパッと開いて、……急き気味に暁美さまが姿を現した。

 衛星電波受信システムによると私はいまだ、暁美さまと出かけた街の中にいる。

 そして、私はその街中にあるアンドロイド充電スポットにいるようだった。

 暁美さまがガラス窓を心配そうにのぞき込み、私がそれに応えるように微笑むと、暁美さまはすぐに手にしていたセンサーキーをかざして、ポッドを開いてくれた。


「ウィリー! 良かった! 大丈夫? ど、どこか痛いところとか、壊れちゃったところとか、ない? 私のこと、わかる? データの破損とか、してない?」


 充電ポッドから出た私を泣きそうな目で見上げ、暁美さまは私へと矢継ぎ早に問いかけた。

 私は涙を溜める暁美さまを宥めつつ、


「どこも損失損壊等ありません」


 と答えて、私を見上げる泣き腫らしたあとのある目をなぜか懐かしく思った。

 なんだか随分と長い充電だったような気もするが、それはとても久しぶりにバッテリー切れなどを起こしたからかもしれない。


「暁美さまのこともちゃんとわかりますよ。データはすべて無事です。……それよりも、ご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ありませんでした。ここまで運ぶのは大変でしたでしょう」


 アンドロイドの重量は、成人男性の標準体重よりも重い。

 年々軽量化が進められているようだが、私などはまだまだ重いとされる世代の生産だ。

 華奢な暁美さま一人で、バッテリー切れを起こした私を運びきったとは、にわかに考え難い。

 他の誰かに手伝ってもらった可能性が浮上する。

 さらに言えば、このアンドロイド充電スポットは無料で使用できる場所ではなく、有料施設だった。

 たしかオプションサービスで、アンドロイド搬送のサービスもあったと思うが、それも有料のものだったと記憶している。

 オプションをつけない充電だけならば今の時代、そこまで高値にならずに利用ができなくはなかったはずだが……、状況を鑑みるに搬送サービスは利用したのではないかと思う。

 しかし、それでも今日の暁美さまの財源にはそこまでの余裕はなかったはずだ。

 それらのことに私が内心首をひねりながら暁美さまとともに扉をくぐると、それらの疑問は一気にすべてが解消した。

 ……扉の向こうの待合室に、健司朗さまと恵美さまがいらっしゃったのだ。


「ウィリー! ああ、良かった。無事に充電できたんだね。心配したよ」


「良かったわぁ、ウィリーちゃん! お店の人、熱暴走がどうのって言ってAIデータ破損とか恐いこと言うんですもの! 本当に大丈夫なの? どこか痛いところはない?」


 健司朗さまはさておき、恵美さまは少々デジタル方面の話が苦手なようだ。

 しかしお二人とも……、健司朗さまは心配そうな顔の表情筋の動かし方が暁美さまとそっくりだし、恵美さまは涙目なところも台詞も暁美さまとそっくりだ。

 私はそれにふと気がついてしまって、柏木家のあたたかさを嬉しく思うと同時に、彼らへの愛しい気持ちを覚えずにはいられなかった。


 私がバッテリー切れを起こした時点で、第一直接契約主である健司朗さまのもとへ自動発信の知らせが入っていたらしい。

 その後、健司朗さまはすぐさま近くの充電スポットを探してそこへ連絡をし、搬送サービスつきで私を充電スポットへと入れてくださったらしい。

 それからさらに、お二方は心配して駆けつけてくださったとのことだった。


「どこも損壊損失等ありません。ご心配とご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした」


 私が深く腰を折って謝罪の意を示すと、健司朗さまが「いや、」と私の肩に手を置き、「きみが無事だったのが何よりだよ、ウィリー」と言ってから、私に頭を上げるように促した。


「もちろん、無茶をしたのは良くないことだけれどね」と健司朗さまは軽く笑いながら付け加え、そして私の肩に置いた手でそのまま優しくポンポンと叩いた。


 それから健司朗さまは、恵美さまとともに受付の奥の方へとしばし姿を消した。

 バッテリー切れを起こした私には、明らかに一般人には難解なエラー画面が表示されていたそうだ。

 そのせいで充電の開始が上手くできず、慌てふためく暁美さまの様子に、詳しい店員がわざわざ奥から出てきて対応をしてくれたのだという。お二人はその礼を伝えに行ったらしかった。


「……ごめんね、ウィリー」


 待合室で健司朗さまと恵美さまが戻るのを待っていた最中、暁美さまが俯きながらぽつりとそう口にした。

 時間帯が時間帯だからか、待合室には私と暁美さまだけの状況だった。

 私が返事をする前に、俯いたまま暁美さまは続ける。


「勝手にウィリーのそばを離れちゃって。お父さんからとても怒られたわ。指示証明も渡していないアンドロイドを外で一人にするのはとても良くないことだ、って。今回は何もなかったから良かったけれど、運が悪かったらどうなっていたかわからないって……」


 下を向いたまま沈んだ声でそう話す暁美さまに、私は返す言葉に迷って沈黙してしまう。

 ここ日本では、アンドロイドが一人で外出するには『指示証明』というものを貰う必要があった。

 それはその名前の通り、アンドロイドが『現在、契約主から指示を受けて外出しています』という事実を証明するもので、それをアンドロイドのメモリー内に登録してもらうだけでアンドロイドは外出の際の様々な危機や困難を免れることができる。

 明確な身分証明書がないアンドロイドの身分証明書代わりにもなるし、間違って不法アンドロイド回収業者に連れて行かれることもない。金銭の所持もある程度は許されるし、買い物もそれを提示するだけで簡単にできる。

 万一、事故などに遭ってしまった時だって『指示証明』があればすぐに契約主へ連絡がいくようになっている。

 その他にも『指示証明』の効果はたくさんあり、アンドロイドが単体で外出する際には必ずと言って良いほど持つようなものだった。

 だからこそ、反対に『指示証明』がなければそのアンドロイドは外出中すぐに危機に瀕してしまう。

 そうやって回収業者に連れて行かれてしまったり盗難に遭ってしまったりして、所有者のもとへ戻ることが叶わなくなってしまったアンドロイドたちは、実際に大変多くいる。


「そんなこと、私も知ってたはずなのに……。本当に、本当にごめんね……」


 暁美さまは謝罪の言葉を繰り返す。

 私は結局、ちょうど良い返答を見つけられずに首を横に振って見せることしかできなかった。

 そもそも、暁美さまのクラスメイトの方々が暁美さまへあんなひどい嫌がらせをしなければ、このような事態にだってならなかったはずなのだ。

 暁美さまは悪くないと思う。私は憤然としながらそう思うが、仮にも暁美さまのクラスメイト、いわばご学友にあたる人を悪く言うわけにもいかないので、私は生成されそうな声をぐっと堪えて消した。

 健司朗さまはよほど強くお叱りになったのだろうか、暁美さまは下を向き続け、肩も丸まってしまって、その大変落ち込んでしまっている様子が私にはとても気の毒に見えた。


 と、そこで私は自分の服のポケット内に入れたままにしてしまっていた物を思い出し、俯き続けている暁美さまへと声をかけた。


「暁美さま、こちらを……」


 私はなるべく優しい笑顔が浮かべられるようにしてから、暁美さまへとそれを手渡した。


「これ……っ」


 暁美さまは、手渡されたそれを目にしてとても驚いた表情で顔を上げた。

 

 ……暁美さまの手の中に、今日購入した電子文房具を渡したのだ。


「申し訳ありません、パッケージも探したのですが見つけられませんでした。汚れはできるだけ拭き取りましたが、少し傷が残ってしまっています。内部の損傷がなければ良いのですが……」


 手の中を凝視していた暁美さまは、私の言葉にハッとなって「い、今起動して確認してみる!」と電子文房具の動作確認を行った。

 電子文房具の装飾が上品に光り出し、そして。


「だ、大丈夫みたい! どこも壊れてない! ありがとうウィリー! もうなくしちゃったかと思った……っ」


 暁美さまは表情を明るくさせて、とても大事そうに手元に戻った電子文房具を両手で握り込んだ。

 目尻にうっすらと涙も浮かんでいる。私はひとまず暁美さまの表情が明るくなったことに胸を撫で下ろした。


「ありがとう、ウィリー」


 傷のついた電子文房具を見つめながら、暁美さまは静かにそう重ねた。

 私は少し気恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになってしまって、再びどう返せば良いのかわからなくなってしまった。


「いえ、傷も残ってしまいましたし、たいしたこともできず申し訳ありませ……」


 結局そんな台詞しか紡ぎ出せなかった私の声を遮るように、


「ううん、違うの」


 と、暁美さまが首を横に振る。

 暁美さまはそれから少しだけ躊躇うように一拍置いて、ゆっくりと口を開いた。

「……あの時ね、」


「あの時、ウィリーが来てくれて、私すごく嬉しかった。『もう大丈夫』って言ってくれて、本当にすごく嬉しかったの。それに、ウィリーがあれからずっと手を離さないでいてくれたから、私……」


 死ななかったよ。


 私の聴覚マイクが辛うじて拾えたくらいの、とても小さな声で暁美さまはたしかにそう口にした。


(やっぱり、暁美さま……)


 暁美さまの言葉を受けて、私はバッテリー切れを起こす前の状況を思い出した。

 その時の私の予想が外れていなかったことに空恐ろしさを感じ、しかしそれ以上にその最悪とも言える事態を未然に防げたことに強い安堵感を覚えずにはいられなかった。

 バッテリー切れを起こした後も、私は暁美さまの手を離さずにいれたようだ。

 少なくとも健司朗さま方がいらっしゃるまでは、手を離すのを止めずにいれたのだろう。


 ……夜の中で暁美さまを一人きりにせずに、いれたのだろう。


「みっともないところ、見せちゃったね」


 暁美さまが恥ずかしさを誤魔化すかのように笑顔を作って、頬を掻く仕草をした。

 私は一瞬、その言葉の意味するところがよくわからずにAIが混乱しそうになってしまった。

 なので、はっきりと問うた。

 最高品質を謳っているAIでも、わからないものはわからない。


「……何が、みっともないのですか」


 私がまっすぐ問うと、暁美さまは「えっ……」と声を出してとても意外そうな顔をした。


「な、何が……って、そんなの……」


「クラスメイトにいじめを受けておられたことですか。感情的になられて外出先でお泣きになられたことですか。そのまま所有アンドロイドを置いて、一人で行ってしまわれたことですか。衝動的に自死をなさろうとしたことですか。それとも……、本当は人一倍夜に怯えておられることですか」


 私がそうやって連ねると、暁美さまはどんどん顔を青ざめさせて言葉を失った状態になってしまった。

 暁美さまの目に涙が浮かんでいるのを見て、私は少し意地悪すぎただろうかと思ったが、ぐっと堪えてなるべくその思いが伝わらないように努めた。

 やがて青ざめたまま再び床の方へ視線をやってしまった暁美さまは、小さく息を吐いてから口を開いた。


「……そ、そうね、全部よ。今ウィリーが言った全部の、私のそういうところを見られちゃって、本当にみっともないなって思ったの。みっともなくて、だからすごく恥ずかしくて。私、本当に、……本当に駄目だね」


 最初こそ平静を装っておられたものの、その声の震えはどんどん大きくなった。すでに泣き腫らしている状態の目を、さらに真っ赤にして、暁美さまは懸命に涙を堪えている。


 私はそんな暁美さまの言葉を、やはりよく理解できない。


 私の誇るAIをもってしても、そんなもの……理解したくもなかった。


「私には、暁美さまが『みっともない』とは、まったく思えません」


 そう言うと、暁美さまは涙を溜めていた目を途端に見開いて、こちらへ顔を向けた。

 まるで信じられないといった表情で、暁美さまは私を凝視している。

 そんな暁美さまの様子を確認して、私はつけもしない溜め息をつきたくなった。

 それは暁美さまに対してではなく、この十四歳の少女がここまでの反応を見せるような事態にさせてしまった、その所以を想像したからだ。

 この方はきっと今まで、そう思わざるを得ないような言葉を散々浴びてきてしまったのだろう。


(もしかしてあの人も、こんな風になにかを悩んでいたのだろうか……)


 私はもはやこの世にいないかつての主人を思いながら、ぼんやりとそんなことを思う。

 逃げることも叶わず。

 だからと言って立ち向かおうとしても、自身の無力さを思い知らされるだけで。

 暗中模索の状態で一人きりもがいて、そんな中で投げかけられるのは自分を責めるような言葉ばかり。

 私は暁美さまの心境を思い、その辛さをAIが再現するのを感じて静かに目蓋を降ろした。

 

 ……そんな彼女を、夜の強大さに悩む彼女を、助けるにはどうすれば良い?

 

 私は目蓋を降ろしたまま、悩んだ。

 最高品質のAIは答えを教えてはくれない。


 ……この問題には、正解なんてものは存在しないから。


(……茜さま、)


 どうか、力を貸してください。

 私は痛くなりそうな胸のうちで、忘れもしない笑顔に向かって祈った。

 視界の端でバッテリーの残パーセント表示が、闇に負けまいと光り続けている。

 私はそれを初めてまぶしく思いながら、ゆっくりと目蓋を上げた。


「暁美さま」


 私は、私のすぐ隣で今も夜に怯え続けてしまっている、大切な少女の名を呼んだ。

 その少女の目に涙が溜まったままなのを確認して、そして同時にその目の人物が、以前に向けてくれた明るい笑顔を思い出して、私は自分に刺さった棘を抜くように次の声を生成する決意をした。「私も……、」


「私も、夜は恐いです。それはもう、ずっと、とても恐ろしいです。夜の中にいるというだけで、不安で不安で仕方がありません。大切な人が、夜に連れ去られそうで、夜に奪われやしないかと、とても……とても恐くて堪らないのです」


 私が必死で紡ぎ出した言葉たちを、暁美さまは黙って聞いてくれていた。私は改めて暁美さまの前に立ち、その不安に満ちた瞳を見つめ返した。


「私のかつての主人は、夜の間にその命を落としてしまいました。私は、その時充電中で、主人が倒れたことに気がつくこともできなかったのです。今でもその夜のことを思い出します。でも……、どんなに思い出しても、どれだけ悔いても、もうその主人は二度と戻っては来ません」


 暁美さまは私の話に大変驚いた様子を見せた。

 唐突に知らされた事実に戸惑いを滲ませる暁美さまの目を、私は今一度見つめ直して、そしてそのあたたかな手を取った。

 

 この少女は、まだ、たしかに、私の前で存在してくれている。

 

 だから、私は言わなければならない。


「でも、暁美さま。暁美さまはきちんと生きていらっしゃいます。あんなに傷ついてしまわれても、たとえ衝動に突き動かされそうになってしまわれても、……暁美さまは最後には生きることを選んでくださった。先ほどはああおっしゃいましたが、バッテリー切れのアンドロイドは基本、関節の固定化をしません。簡単に私の手を振りほどくことは可能だったはずです。それでも、あなたはそれをなさらなかった。あなたは、きちんと生きることから逃げなかったのです。あんなに心ないことを言われて、つらくないはずがありません。私が知らない、たくさんの悔しい思いもなさっているでしょう。それでも、このウィリーの手を離さないでいてくださった。逃げることよりも、それを優先してくださった。そんな、……そんな方を、『みっともない』だなんて、私は思うことはできません」

 

 私が言い切ると同時に、見開かれたままだった暁美さまの目から、ぼろり、と涙があふれた。

 そして顔をくしゃくしゃにして、暁美さまはどこか悔しそうに言う。


「手を、離せなかっただけだよ……。私は、そんな偉いように言われること、してない……。ウィリーの手に、情けなく縋っていただけだよ……。め、迷惑かけた癖に……、都合良く甘えて、縋りついていただけだよ……っ」


 ぼろぼろと涙を流しながら反論する暁美さまに、私は余計に胸が痛くなった。

 私はAIの発する熱を慎重に逃しながら、「暁美さま」と再びその名を呼び、しっかりとその手を握り直した。


「暁美さま。たとえそうだとしても、まったく構いません。このウィリーは、暁美さまが生きることを選んでくださったことが何よりも嬉しいのです。だから大丈夫です。そんな風に、ご自身を責めることをなさらなくても、大丈夫なのですよ」


 そこまで言うと暁美さまはとても苦しそうな顔を一瞬見せて、しかしそれ以降反論するのを止めてくれたようだった。

 だが、それきり暁美さまはうなだれてしまって、さらに涙が止まる様子もなかったので私は内心戸惑わずにはいられなかった。


(暁美さまはきっと、まだ苦しんでおられるんだ……)


 私はそれに気がついて、暁美さまにかけるべき最も有効な言葉を懸命に探した。


 夜の存在に怯える少女を救うことのできる、明解な言葉を。

 夜から少女を守り抜くための、最適な言葉を。


 大切な人を二度と失わないための、間違いのない、言葉を。


 私はAIをフル稼働させて、瞬時に答えを何百、何千と弾き出した。

 言葉が次々浮かんで、シミュレーションを一瞬のうちに行って、目の前の少女の笑顔を引き出す答えを必死に模索した。

 しかし。

 

 何千、何万と計算とシミュレーションを行っても、……どれも


 しばらく悩んだ末、その上確信も持てずに、困り果てた私は、結局。


 ……自分がただ言いたいことを、口にした。


 私の喉奥のスピーカーが、恐る恐る声を紡ぎ出す。

 目の前の誰かの気持ちよりも、自分の気持ちを優先した言葉を口にすることの苦しさにあえぐような感覚に苦しみながら、私は思いを、口にした。「暁美さま……」


「暁美さま、どうか、……どうか、お一人で、そうやってお一人だけで、悩まないで、ください……。そんな苦しそうな、悲しそうなお顔をなさらないで、ください……。苦しくなるほど、ご無理を、なさらないでください……。もっと私を、このウィリーを、頼って、ください……。私は……、ウィリーは……、ウィリーは……、あなたがつらそうにしていると、とても苦しい、……です」


 いざ声に言葉を乗せてしまうと、それは次から次へあふれ出てきた。

 熱暴走のそれとは違った、息苦しさのようなものが私を襲って、いちいち私の声を詰まらせて邪魔をした。

 私のそんな情けない声たちを聞いて、暁美さまが顔を上げた気配がしたが、私は自分の気持ちを優先してしまった申し訳なさに負けて下を向いていたので、その表情を見ることができなかった。

 

 私が紡ぎ出した言葉は、結局どれもこれも、あの夜に言いたかった言葉ばかりだった。

 そんなことに後から気がついて、私はさらに申し訳なくなる。

 これでは、慰めたいのか慰められたいのか、わからないではないか。

 私がそうやって落ち込んでいると、


「……泣いているの? ウィリー」


 と、短い声が……涙声の混ざった水っぽい、それでいて優しい声が、唐突に私の耳に届けられた。

 思わず私が顔を上げると、暁美さまが目をかすかに見開いて、私を見つめていた。

 そして私の顔をその目に映すと、滲んだ涙を溢れさせながら、くしゃりと微笑んだのだった。


「ごめんね、泣かないでウィリー。アンドロイドを泣かせたなんて知られたら、私またお父さんに怒られちゃうわ」


 言いながら、暁美さまは慰めるように私の腕あたりをさすった。そのまま自分の涙を拭って、暁美さまは続ける。


「……でも、ありがとう、本当に。私のために、そこまで思ってくれていたんだね。……そう、だよね。ウィリーがそうやって必死に言ってくれたから、私も今やっと思い出したよ。またいつの間にか私、勝手に自分がこの世界に一人ぼっちだって、思い込んでたみたい。そんなこと、……全然、なかったのにね」


 暁美さまはいまだ涙の残る目を細めてはにかみ、まるで自分へも確認するかのようにそう言った。


(私が、泣いていた……?)


 その言葉を不思議に思って、私はすぐに頬のあたりを触って確認したが涙らしきものは一切付着してはいなかった。

 どういうことかわからず私がしばし呆けたようになっていると、「ウィリー」と私を呼ぶ暁美さまの声が聞こえてきて、私はハッとなって顔を上げた。

 私と目が合うと、暁美さまは今度はどこか切なくなるような笑みを浮かべていた。その目には涙のあとが残るだけで、もう涙は溜まってはいない。

 

 そのまま暁美さまは、私の繋いだままの手をぎゅっと握り返してきた。


「ウィリー、お願いがあるの」


 聞いてくれる? と暁美さまは切なそうな表情のまま首を傾げる。

 私はすぐに首を縦に振って、「はい」と頷いて見せた。

 暁美さまは「ありがとう」と静かに礼を言うと、一拍だけ目を伏せるようにして沈黙して、その後まるで何かを見据えるようにしっかりとした目で私の方を、……否、前を向いた。


「ウィリー。私ね、やっぱりこのまま逃げてちゃだめだと思うの。夜はやっぱり苦手だけれど、でもどうにかして克服していかなきゃ、私の望む未来は手に入れられないと思う。だから……、これからもう一度、ちゃんと生活を戻す訓練をし直そうと思うんだ。今まで何度も失敗しちゃったけれど、でももう一度、頑張ってみたいの。ちゃんと訓練して、症状を治して、私も、お日さまが出ている時間に起きていられるようになりたい。でも……」


 暁美さまはそこで何かに迷うように言葉を途切れさせた。

 まっすぐ語っていた暁美さまの瞳が、不安に揺らいでいる。

 私は言葉を詰まらせてしまった暁美さまから視線を離さず、黙ってその手を強く握った。

 暁美さまがそれに気がついて、弱々しく私を見る。

 まるで息を飲むようにして待つ私に、暁美さまは、ふ、と泣きそうな笑みを零して、安心したかのように言葉を再開した。


「……でもね、私一人だと、どうしても自信がないの。だからウィリー、手伝って……くれる?」


 少しだけ照れくさそうにしながら、暁美さまは笑って私へと、たしかにそう言った。

 私の中のAIがにわかに熱を持つのを、私は密かに感じ取る。


 ……それは、あの悲しい夜に、私が欲しかった言葉だった。


 私はようやく与えられたその大事な言葉を噛みしめるように、深くしっかりと頷いて見せた。「もちろんです」


「しっかりとお手伝いさせていただきます、暁美さま」


 私の返事に、暁美さまは今度こそ嬉しそうな明るい笑顔になった。

 私もその笑顔に嬉しくなって、笑みが零れてしまうのを止められない。

 そうやって一緒に笑い合っていると、待合室の扉が開いて健司朗さまと恵美さまが戻って来られた。


「待たせてごめんよ、二人とも。さあ、帰ろうか。……ああ、もうこんな時間だ。今日ばっかりは僕たちも暁美と一緒の就寝だなぁ」


 健司朗さまが伸びをしながら、どこか嬉しそうに笑った。


「そうね、明日がお休みで良かったわぁ。あ、もう『明日』じゃないわね。ふふ、暁美ちゃん、今日は久しぶりに一緒のご飯ねぇ」


 恵美さまがにこにことしながら、やはり嬉しそうに言う。

 当の暁美さまは、そんなあからさまなお二人の愛情に少しだけ照れてしまっているようだった。

 それでも私が「良かったですね」と言うと、「うん」と顔を綻ばせて返事をしてくれた。

 

 そして暁美さまはパッと健司朗さまと恵美さまのもとへ歩み寄って、「あのね、後でお父さんとお母さんに相談したいことがあるの」と早速、訓練の相談を持ちかけていた。


 もとより娘思いのお二人のことだ、すぐにそれを承諾してくださり、私たちは充電スポットを後にすることにしたのだった。



 帰りは健司朗さまの提案で、無人タクシーに乗って帰路につくことになった。

 仕事の疲れを思い出されたのだろう、完全自動運転の車の中で健司朗さまと恵美さまはうつらうつらと眠ってしまった。

 座席が二列シートになっているタイプの車で、前の方の座席に私と暁美さまが隣同士に座ることになった。

 運転席と助手席はなく遮るものもなかったので、前面を覆うような大きなフロントガラスがよく見えた。

 フロントガラスにはモニタが内蔵されているようで、半透明の動く広告や、現在地を示すナビの映像が端の方に映し出されている。

 最後部の座席では健司朗さまと恵美さまが寝息を立てていたが、暁美さまはやはりまだ眠くないようで、外の流れる景色を眺めていた。

 その顔は、もはや夜にただ怯えていた少女のそれとは、少しだけ違うものになっているようにも、私の目には映った。

 

 ……やがて、周囲の景色が白けてきて、街並みが明るみに染まり出した。

 ガラス越しの私たちの顔にも、まぶしい光が当たり始める。

 

 夜明けがやってきたのだ。

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