第9話 夜よりも深い暗闇に沈む。
私は暁美さまを追って夜の中を駆けていた。
ここが大きい街だったのがまさに災いした。
さらに今日が連休前の平日だったのも良くなかった。
街には人がごった返していて、私と暁美さまとの距離をどんどん広げてしまった。
暁美さまと離れてしまってから、早くも一時間が経ってしまっている。
あまりに引き離されてしまったからか、私の中の衛星電波受信システムも暁美さまの居場所を一時見失ってしまったのも痛手だった。
私は呼吸をしていないから人のように息が乱れることは決してなかったけれど、それでも製造元が誇らしげに高性能を謳っているAIがこんな時でも高性能らしく焦りや不安といった感情信号をきっちり表現して発信してくるから、まるで必要もない呼吸がひどく乱れてしまいそうな気分だった。
途切れていた私の中の衛星電波受信システムが、ようやく暁美さまの現在位置を探し出す。
それによると暁美さまは、今私がいる場所からそう遠くない所にいるようだった。
しかし暁美さまは、依然として足を止めてはいない。
(暁美さま……、一体どちらに向かわれて……)
そう疑問に思って、私は衛星の情報から暁美さまの現在位置付近の地図を解析する。
瞬間。……私は、今度こそ愕然とした。
ふらふらと覚束ないような動きの暁美さまが向かう先に、小さな踏切があったからだ。
たとえ小さくても踏切には違いなく、この時間帯でもしっかり運行している路線で使用されていた。
この国では踏切をなくす工事などが二十年ほど前から急ピッチで進んでいて、昨今ではほとんど見られなくなるまでになっていた。
それよりも以前から踏切をなくす工事は進められていたが、ここ二十年あたりで目に見えて工事の進行が急ピッチになった。
その理由の一つとして、あまりにも国内での踏切内事故が多くなったというのが挙げられている。
その事故の中には、自ら踏切内へ入って命を絶ってしまった例も少なくはなくて……。
とても嫌な想像がサッと胸をよぎって、同時にかつての主人が冷たい床の上で倒れていたのを目にした時の感覚が、ぞわりと蘇った。
「そ、そんなわけない……、暁美さまが、……まさか…………」
私は震えそうな声で思わず一人呟いて、頭を振った。
踏切がそばにあって、そちらへ向かって歩いているとわかっただけだ。
人として何もおかしい行動ではない。いくら何でも、嫌な方面に想像力を働かせすぎだ。
私は震えてしまいそうな自分を落ち着けたくて、自分の中に浮かんだ想像や予想を必死で打ち消した。
(いくら何でも、暁美さまがそんな……、さすがに…………)
……『さすがに』?
私はそこで妙な既視感を覚えて、ぴたりと自分の動きと思考を停止させてしまった。
――……『(さすがにもう一時間もすれば、疲れを自覚して休憩に入ってくれるはず……)』
かつてそんな判断をして、目測を誤り、かけがえのない存在を失ってしまった夜のことを、……私は忘れたわけではあるまい。
(『まさか』も『いくら何でも』も、『さすがに』も、)
そう言い切れる未来なんてありはしないということを、私はあの夜に嫌というほど学んだはずだ……!
私は衛星電波受信システムの感度を上げて詳細な地図を読み込み、すぐさま暁美さまのもとへと駆ける足を速めた。
バッテリーの減りが極端に早くなってしまうので電波の受信感度を抑えてしまっていたが、今は暁美さまのもとへと追いつくことの方が先決だ。
私は詳細に読み込まれていく地図を使い暁美さまのもとまでの最短距離を探った。
近道となる細かな道があったので、迷わずその道に入って、ひたすら地図上に浮かぶかけがえのない印の場所まで走った。
夜更けの気温は日中より随分と下がっている。
肌感覚のない私には感じることは難しいが、風が肌に当たればきっと人間は寒がってしまうくらいの温度なのだろうと思う。
それに夜は暗い。その重そうな陰が、余計に夜の印象を冷たくしていると、私はいつも思う。
人はぬくもりを好む傾向がある生き物らしい。
それは、人間自体が温度を持った存在だからなのだという。
たしかに人はあたたかい存在だ。彼らのやわらかな肉体も、あたたかいからこそやわらかいのであって、それこそが人が生きているという証拠にもなりうる。
人の形をしていながら冷たいのは、機械か死体かのいずれかだ。
(あの方も、いつもあたたかかったのに……)
暁美さまがそこに居ることを示す地図上の印を追いながら、私はあの夜のこと……主人を救えなかったあの夜のことを思い出していた。
AIがあの時と似たような不安を感じさせているからだろうか。それとも、暗い夜の中に長時間彷徨いすぎたせいか。
どちらにせよ、あれから長いこと蓋をしていたというのに、私の中で何かが一気に溢れてしまいそうになる。
――……真夜中に一人きりで倒れた主人。笑顔がとても素敵だったのに、まるで静物のように動かなくなってしまったあの方。冷たくなった、私の主人。肌感覚はまるでないというのに、それでも初めて感じた『冷たい』という感覚。
……私が、私が、私が暗い夜の中に彼女を置いてきてしまったから!
(私のせいで死んでしまった、私の、愛しい、大切な人……!!)
私はついに溢れ出てきてしまった感情の暴走を、もはや止めることができなかった。
それは濁流のように私を飲み込み、溺れるままに私を暗い底へと沈めようとした。
胸のAIは急激に高まった熱を逃がしきれずに今にも機能を止めてしまいそうだった。
感情信号の暴走は全体のパフォーマンスに影響を与えてしまい、視界映像は乱れて、身体中の回路が焼き切れてしまいそうな感覚さえ覚えた。
(あの時、最後にもう一度、茜さまに声をかければ良かった)
あの夜のことを思い起こすと、私の中には後悔ばかりが浮かんでくる。
(声をかけて、きちんとお顔を拝見すれば良かった。邪魔になるかもだなんて、恐れたりせずに。どうして私は、声をかけるのをあそこで止めてしまったのだろう。私は知っていたはずだ、どんな時でもあの人は私に、邪魔だなんて、一言だって言わなかったじゃないか……!)
私は夜の中を駆けながら、痛いほどの後悔の念に苛まれる。
ガラス製の眼球には潤滑剤と光沢剤としてのオイルが塗られているが、当然それが涙のように流れ出てくることはない。
その代わりに私の視界はどんどんノイズで支配されていく。
視界映像の乱れる間隔は、バッテリーの消耗の速さと比例して短くなっていった。
(ごめんなさい、茜さま。ごめんなさい、ごめんなさい、……ごめんなさい!!)
いくら謝罪を繰り返しても、かつての主人は決して帰って来ない。
今さら何もかもが遅いのだ。
今さら後悔したって、何もならない。
今さら謝ったって、どうにもならない。
かつての主人は、もう何も返してはくれない。
言葉も、声も、反応も、大好きだった笑顔だって……。
視界の端で、あの時と同じように電池マークが赤く点滅しはじめる。
その上にはまた『残量わずか。充電をしてください』と急かすような警告文が表示される。きっと自分の手の甲にも同様の表示が出ていることだろう。
でも私は、……今度こそそれらを無視した。
バッテリー切れを起こして、道ばたに倒れてしまっても構わない。
それで後々、柏木家へ迷惑をかけてしまう恐れがあっても。それが原因で、暁美さまに恨まれたとしても。
たとえもう二度と、目覚めることが叶わなくなったとしても。
私は。
(――もう、大切な人が苦しんでいるのを、ただ見過ごしてしまいたくない……!)
細い道を抜けると、車が一台通れるくらいの舗道に出た。
視界に相変わらずノイズが多いが、衛星からの受信情報は生きている。
暁美さまは近い。
――カン、カン、カン、カン、カン、
……横の方から踏切の遮断機の警告音が聞こえて、私はすぐさまそちらへ顔を向けた。
下がる遮断機の前で立ち尽くす暁美さまの後ろ姿があった。
「暁美さま……っ!」
私は思わずその名を呼び、暗い中でも決して間違うことはないだろう後ろ姿に駆け寄った。
暁美さまはビクリと一回肩を揺らして、そして大きく目を見開いた顔で私の方を振り返った。
「ウィリー……?」
暗さですぐにはわからなかったが、振り返った暁美さまの顔は涙で依然濡れていて、さらに疲れ切ったような表情をしていることが月明かりで判明した。
私はノイズがひどい視界映像の中、暁美さまの手を慌てて取った。そしてしっかりと離さないように強く、両手でその手を握り込む。
「ご無事で、良かった……。暁美さま、離れてしまい申し訳ありません。もう大丈夫です、ウィリーがおそばにおります。さぁ、おうちへ帰りま……」
と、そこで。――ブツン、と。
暁美さまが私を見上げ、どこか苦しみを滲ませた顔を見たのを最後に私の視界映像はブラックアウトした。
バッテリーの充電が尽きたのだ。
……ああ、こんなところで。
私は自分のバッテリーの持ちの悪さを恨めしく思うが、そんな私の気持ちなんてお構いなしに身体中の機能が次々と停止していく。
ついに自分の身体を支えることもできなくなって、私は私を成している器の中で、自分の身体がその場に倒れ込んだような衝撃を感じた気がした。
ルクルト・フレール社製のアンドロイドはバッテリー切れを起こした際、AIの機能が一番後の順番で停止するようになっている。
AIの中に蓄積されたデータを迂闊に損なわないように措置を取るためだ。
私の中の自動データ保護システムが瞬時に反応して、措置を行ったのがわかった。
(……はなさないように、しないと)
私はやっと掴んだ大切な人の手を離したくなかった。
しかし、身体への信号を送れなくなってしまった今は、それすらもできているかどうかわからない。
ブラックアウトした映像だけが広がる視界は、真夜中よりも底なしに暗い気がした。
しかしそれ以上に私は、自分というものの電源が落ちていく感覚に支配されていった。
聴覚マイクなんてすでに切れているはずなのに、そばで暁美さまがずっと私の名を呼んでいる声が耳に響いているような暗闇の中で、私は深く深く、沈み込んでしまったのだった。
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