第6話 私とあなたの不都合な時間帯。

 私が柏木家ですごした日数は、早くも三ヶ月目に突入していた。

 聞いたところによると柏木家はアンドロイドを購入したのは私が初めてだったそうだが、少しでも早く私が柏木家の生活に慣れることができるようにと日々大変良くしてくれた。

 そのお陰もあり、私は柏木家の方々とは随分打ち解けることができたと実感するほどになっていた。

 今やこの家で初回起動された日が少し遠く感じてしまうほどだった。


 そんな中で私の懸念はもっぱら、暁美さまとご両親である健司朗さまと恵美さまのお二方が、家の中で顔を合わせる時間は極めて少ないという事だった。

 不定休の仕事をなさっている上に、健司朗さまも恵美さまも仕事に出られてしまうのは早朝の七時頃で、暁美さまと顔を合わせられるのは長くて一時間ほどだった。

 お二方とも朝は出勤支度でバタバタしてしまうので、どうしても暁美さまとゆっくり会話ができるという余裕がない。

 さらに帰宅時間も遅い時刻になることが多く、大抵お夕食は職場で済まされてしまう。

 帰宅後も、いくら娘のためにと睡眠時間を後ろにずらそうにも体力的に無理が生じてしまうので、どうしても満足に会話を楽しむことが難しいらしい。

 だが忙しいながらも健司朗さまと恵美さまはしょっちゅう文面などを使用し、私へ暁美さまの様子を聞かれていたりしているので、お二人なりに暁美さまを心配しそして愛していらっしゃることが窺えた。

 それでも暁美さまの方はやはり、それでも寂しい思いを抱えていらっしゃるようだった。

 就寝の身支度を終えた暁美さまが、朝の玄関でご両親を見送る光景はもはやこの家での日常の一コマになってしまっているが、玄関扉が閉まった後の暁美さまの背中はいつもどこかひっそりとしていて物悲しい気配を帯びているようで、それを見るのが今の私にとって何よりもつらい光景になっていた。


 ……そんな柏木家の日常が過ぎていた最中。

 真夜中のリビングで妙な声が聞こえ続けていることに私はふと気がついた。

 一体何の声かと部屋を見回すと、暁美さまがソファーの上に寝転びながら端末の画面を睨み、唸り声を上げているのを私は発見した。


「いかがされましたか、暁美さま?」


 私はウンウンと唸り続ける暁美さまへ問いかける。

 私の声に暁美さまはようやく画面から目を離して、いかにも難しい顔をして振り返った。

 そして「……これ」と、端末の画面を私の方にも見えるようにしてくれる。

 画面の中には、国内の有名な文房具メーカーの公式ホームページがあった。

 画面の中心で、銀色の細長い筆記用具のようなものが表示されている。

 筆記用具のようなものの横には、『ついに発売日決定!』とか『電子文房具界の革命!』とかの立派な文章が自信ありげに流れていた。

 暁美さまが横でつまらなさそうに口を尖らせて、画面の真ん中あたりを指でトントンと突くように示す。


「これ、来週発売の最新の電子文房具なんだけど。これがね、私、発売前からすっごく欲しいって思っていて、お父さんとお母さんにも前から相談していた物なんだけど……、どうも通販で扱ってないらしいの」


 つまり買おうとしていた商品が、目論見が外れて実店舗販売限定の商品だったので買う手立てがなくなってしまったとのことだった。

 夜遅くまで営業している店舗が増えてきているとはいえ、依然量販店の類いは都心近くにある超大型店くらいしか夜間営業を実地していない。

 このマンション近くにも文房具を扱っている店があるらしいのだが、暁美さまの活動時間帯には営業をしていないそうなのだ。

 暁美さまは相当残念だったようで、大きな溜息を吐いて肩を落とす。そのままソファーの上で空気の抜け切った風船のように脱力した状態になってしまった。

 よほど気落ちされてしまったのだろう。暁美さまは世間一般の活動時間と真逆の生活なので、なかなかこういった買い物にも気軽に赴けない。

 最新だか何だか知らないが、この『電子文房具』とやらは暁美さまにとってそんなに惹かれるものなのか? と私が若干の嫉妬を抱いて再び端末の画面へと目を遣ると、『販売取扱店舗』の欄に見覚えのある店の名が挙がっているのに気がついた。

 それは柏木家のマンションの最寄り駅から、少し乗車時間はかかるが乗り換えなしで行ける駅にある、総合量販店の大型支店名だ。


「暁美さま、こちらのお店ならば、たしか夜の遅い時間帯も営業されています。お任せくだされば、私がお遣いに行って参りますが……」


 私はすっかり空気の抜けた風船になっていた暁美さまへ、端末画面内の支店名を示して提案する。

 暁美さまはどうやら最初に判明した実店舗販売限定に対する落胆が大きすぎていたようで、肝心の実店舗一覧の項目で見落としていたようだ。

 暁美さまは途端に目を見開いて「うそっ!」と勢い良く起き上がって、飛びつくように画面を覗き込んだ。


「ほ、本当だ……! 何で見落としちゃったんだろう! 駅からもそう遠くない店だわ! 営業時間もぎりぎり間に合う! こ、ここなら、私でも……ッ!!」


 私は興奮した様子の暁美さまの言葉に、「え?」と思わず人間のような聞き返しの声を上げてしまった。もちろん聴覚マイクが聞き漏らしたわけではない。

 この総合量販店の大型支店は、たしかに最寄り駅から一本で行けるとはいえ、わりと大きな街中に存在する。当たり前だ、大きな街だから大きな支店が構えられているのだ。夜間営業だって早くに導入された。それは大きい街の支店だから。しかし反面、大きい街には怪しげな繁華街もあり、とくに夜間は日中とは雰囲気がガラリと変わるというのがこの国には大変多いのも常だった。

 今、私が示した街ももれなくそういった面がある街の一つだった。

 私は自分の中のAIモジュールが妙に熱くなったり、かと思えばひんやりとしたりとおかしな状態に陥った。機械は汗がかけないから、AIが混乱したり焦ったりするとモジュールの調節と対処に毎度苦労する。

 ルクルト・フレール社はAIの品質こそ自信があるようだが、反面それを補助する機能(たとえば放熱機能とか!)に改善の余地があると私はいつも思う。

 暁美さまを見ると、すでに出かける計画を立てたり営業時間と販売開始時刻を調べたりして大はしゃぎをなさっている……。

 

 ……ま、まさか、この満十四歳でしかない柏木家のお嬢さまは……、私がこの家に来てから一度たりとも夜遊びや非行らしいことをした姿も見せたことがないこのお嬢さまは……、道を尋ねられたらどんなに『あなた絶対にこの街にお詳しいですよね?』という輩でさえも気がつかずあまつさえ絶対足を止めて丁寧に対応してしまうだろうこと想像に難くないほど純真で心もお優しい上にさらにお顔立ちも整っていらっしゃるこのお嬢さまは……!

 

 まさか! 深夜の危険が数十倍に膨れ上がった街に! お一人で出るとおっしゃっているのだろうか!!?



 ……私の予感は案の定、大的中だった。


 暁美さまによると、どうやらその商品には購入店特典がついており、実店舗にて購入時に使用者本人登録をすれば、その特典が手に入れられるらしく……暁美さまはその特典もお目当てだったらしい。


 ……大切なお嬢さまを一人で深夜の街に行かせるわけにはいかない。


 家庭用アンドロイドの私に何ができるかわかったものではないが、心配で心配でショートしてしまいそうな私は、すぐさま暁美さまの買い物の付き添いを申し出た。

 もし暁美さまに万が一のことがあれば、私はAIが壊れて今度こそポンコツになってしまう自信がある。

 私は暁美さまに過保護だと言われつつ、この家に来て初めて、暁美さまと一緒に外出をすることとなったのだった。

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