第3話 目覚めた時間、それの持つ意味。
――ブゥゥン……、と電気が通って映像が映し出され、自分の中でそれが自分の視界だと認識された瞬間、私は意識が覚醒したのを自覚した。
広いとはとても言い難い小さな部屋。
季節物の家電や調度品、幼い子供が作ったと思われる工作品などが部屋の中には仕舞われていた。
どうやらここは納戸のようで、私は残った狭い床面積をめいっぱい占拠した充電椅子に腰かけていた。
考えるよりも早く、私の中の数々の新しい情報が私に現状を教えてくれる。
その情報によるとどうやら私はまだ日本という国にいて、二日前にあのリサイクルショップで購入されたらしい。
この納戸はその購入者の住居の一室のようだ。
……あのリサイクルショップに入ったのが先月の今頃だったから、それこそあと一日でも遅ければ私はスクラップ工場行きだっただろう。
私はどこかひやりとした気配を感じて部屋の小さな窓を見上げた。
窓の外には、相変わらず夜がひしめいていた。
少し遅い時間だが、契約主はまだ起きているだろうか。初回起動を終えたのだから、私は早速契約主へと挨拶をしなければならない。
とりあえず納戸から出なければ、と私が椅子から立ち上がった、ちょうどその時。
「――……勝手なことしないでよッ!! アンドロイドなんて!!」
突如納戸の扉の向こうから喚くような声が響いてきて、私は思わず動きを止めてしまった。
扉の向こうで誰かが口論をしているようだった。……否、口論というよりも喚くような声が一方的に誰かに何かを訴えている。
幼さを残す少女の声だった。その少女の声は随分と感情的な声色になっていて、昂ぶりすぎて今にも泣き出してしまいそうなものだった。
私は若干躊躇ったが、ごく静かにその扉を開けた。
……扉の向こうには人間が三人も立っていた。
男性一人、女性二人。女性のうち一人は十代と思われる若い少女。
扉を開けた途端その三人の人間は驚いたような顔をして、一斉に私の方を見た。
同時にずっと響いていた少女の喚き声も消え入るように途絶え、喧騒に支配されていた住居は一気に夜の静けさを取り戻した。
「や……やあ、ウィリー。目が覚めたかい。椅子の置き場が納戸になってしまってごめんよ。うちはなかなかスペースがなくてね。そのうち君の部屋を用意するから少しだけ我慢しててくれ」
男性が取り繕うようにそう言って、困ったような笑顔を私へと向けた。
私の中の登録情報と生体認証システムによると、彼が私を購入してくれた当人で、登録上の第一直接契約主……つまり今回の主人にあたる人間のようだ。
私は新しい主人を前にして、丁寧に腰を折った。
「この度はご契約いただきまして、まことにありがとうございます。私、株式会社ルクルト・フレール社製家庭用アンドロイド『
私が自身の基本情報をそこまで言いかけたところで、新しい主人は慌てた様子で手を振って「ああ、いいよいいよ」とそれを中断させた。
「きみの基本情報だよね。大丈夫、そのあたりはデータをちゃんと読んだから」
優しげに主人は言って、この場の三人の紹介を始めてくれた。
まず主人の名前は
そして、もう一人。
健司朗さまは最後に、目線を下の方へ遣ったまま、何かを堪えているような顔をしている少女を紹介した。
「僕らの一人娘の
健司朗さまはそう促すが、暁美さまは下を向いたままこちらを向かなかった。
暁美さまは整ったお顔立ちだったが、普段から化粧などはされていない様子だった。
髪も染めたりしておらず、黒くつやめいている。きっととても素直な性格の方で、笑った顔など愛らしい方なのだろうと、私に心密かながらも窺わせた。
しかし、今の暁美さまは眉間にしわを寄せて、唇を尖らせて、じっと視線を私から外している。
暁美さまの口が開かれる気配はない。しばし待った後、私はそんな暁美さまの前まで行き、ゆっくりと腰を折った。
「これからよろしくお願いします、暁美さま」
私は笑顔を作ったが、当の暁美さまはこちらをちらりとも見てはくださらなかった。
「暁美……」と、健司朗さまが暁美さまを咎めるような声を漏らす。
それに対し私は慌てて健司朗さまへ話しかけた。
……父親の叱責の気配に、暁美さまが今にも泣き出してしまいそうだったのだ。
「健司朗さま、丁寧なご紹介ありがとうございます。早速ではございますが、これからの私の主な仕事内容を伺ってもよろしいでしょうか」
私の言葉に健司朗さまは、気を取り直すように目線を私の方へと戻した。
「ああ、そうだね。ウィリー、君には主に家事をお願いしたい。僕と恵美は日中仕事に出てしまっていてね。帰りは遅いし朝も早いから、なかなか家の中のことに手が回らないんだ。僕らの代わりに家事全般を……」
「……だからっ! 家事なら私がするって言ってるじゃない! こんなアンドロイド、今すぐ返品してきてよっ!」
健司朗さまの言葉を遮るようにして、黙り込んでいた暁美さまが突如大声を発した。
健司朗さまが溜息を吐く。私はまた内心慌てたが、私がフォローするよりも早く健司朗さまが口を開いた。
「いい加減にしなさい、暁美。お父さんとお母さんは、暁美が……」
「こんなアンドロイドがいたら……っ!」
父親の言葉すらも聞かずに、暁美さまは力強いまでの眼光をもって私を睨む。その刃のように鋭く光る目には、いっぱいの涙が溜まっていた。
「――こんなアンドロイドが家にいたら私は、もうどこにもいれなくなるじゃないっ!!」
そう暁美さまは叫ぶように悲痛な声を上げる。そして堪えきれないといった表情でリビングから勢い良く出て行ってしまった。健司朗さまと恵美さまがその背に向けて名を呼ぶが、その足は止まることはなかった。
廊下の向こうでバタン! と扉が閉められる大きな音がする。暁美さまは自室へ戻られてしまったようだ。
「……申し訳ありません」
すぐに私は謝罪を口にした。理由は不明だが、自分が契約主家族の空気を悪くしてしまったのは違いない。これは家庭用アンドロイドとしては大変良くない事例だ。
しかし健司朗さまはそれを聞くと「君が謝ることじゃないよ、ウィリー」と優しく返してくださった。
「むしろ謝るのはこちらの方だ。起動初日に申し訳ない。……どうも難しい年頃でね」
健司朗さまは言いながら、困ったように頭を掻く。隣で恵美さまも頬に片手をあてて、悲しそうにため息をついている。
もしやあの年齢によく見られる反抗期というものだろうか、と私は一瞬思ったが、先ほどの暁美さまの言葉を反芻するに何か別の事情を抱えているようにも感じて、私は内心首をひねった。
私が「お気になさらず」と返すと、健司朗さまはふと小さく笑い、そして暁美さまの出ていった扉の方を見つめて静かに口を開いた。
「……じつは、あの子は夜に眠るのが苦手でね」
健司朗さまは扉の向こうにある、一人娘が逃げ込んでしまった部屋の方から目線を離さずに語る。
「一種の睡眠障害だと医者からは言われたよ。睡眠の時間が世間一般とは大きくずれてしまっているんだ。あの子の場合、日中起きていられなくて夜に目が冴えてしまう。もともとはそんなではなかったはずなんだけど、昨年あたりからずっと悩まされていてね。あの子はそんな状態だから……今はもう学校にも行っていない」
健司朗さまの言葉に、恵美さまもひどく沈痛な顔になった。
……暁美さまは、学校へ行かれていない。
私は聞かされたその事実に、暁美さまがなぜ私を睨んだのかわかった気がした。
暁美さまの様子を見るに、夜中に外出して遊び歩いているようにも見受けられなかった。
この柏木家のマンションは駅にも近く、少し行けば遊びに出られるような立地でもある。最近は大分遅くの時間まで営業時間を延ばしている大型店も増えてきた。しかし、それでも夜中の街はどうしても……いわゆる『ガラが悪くなる』のが傾向として強い。犯罪件数も日中より格段に多くなるし、夜間の方が物騒なのはいつの時代も変わらないようだ。
人は見かけによらないとは言うが、私には暁美さまがそんな夜分遅くに出かけるのを好むようなお人柄には、どうしても思えなかった。
つまりその私の予想が当たっているとすれば暁美さまは、このご自宅の中でずっと、一日を過ごしているということなのだろう。
「もしかして暁美さまは、私にご自分の居場所を奪われるとお思いになったのでしょうか……」
私は暁美さまの心情を察し、つい独り言のようにそれを口にしてしまった。
するとそれを耳にした健司朗さまは、少し意外そうな顔をしたかと思うと、少しだけ可笑しそうな様子で軽く笑った。隣の恵美さまも同じように笑う。
お二人はどこか仕方がないような……、とても愛おしいものを、素直に愛おしいと思うような表情をなさっていた。
「まったく、僕らの娘が娘でなくなる訳でもあるまいし……」
そう呟くと、健司朗さまはまた困ったように笑う。そして、「ウィリー」と改めて私を呼んだ。
「すまないね、ウィリー。あの子の態度は僕らが謝るから、どうか許してあげてくれ。本当に、いつもはあんなことを言うような子ではないんだよ」
健司朗さまは優しい顔のままで今一度私へと謝罪を繰り返した。
私はすぐに首を横に振って「とんでもないです」と返した。
「私のことなら本当にご心配なく。お気遣いありがとうございます。私も配慮が足りませんでした。暁美さまに、嫌われていないと良いのですが……」
私が若干慌て気味に言うと、健司朗さまと恵美さまはまたふんわりとした笑顔になった。
「……君も、アンドロイドにしては少し変わった『故障』を持っているそうだね」
健司朗さまのその言葉に、私はかつて自分の胸に貼られた『難アリ』のシールを思い出す。
……そうなのだ。私は、前の主人が亡くなってから、夜間の時間帯に充電設定ができないエラーが出るようになった。
その『故障』のために、私はリサイクルショップへと売られたのだ。
目の前で健司朗さまは微笑んで、私の肩へ優しく手を添えた。
「君なら、あの子の気持ちも少しわかってくれるのではないかと思ってね。情けない話だが、私たちだけでは今のあの子の気持ちに寄り添ってあげることが難しい。いや、私たちが情けない気持ちになる分には構わないんだ。ただ、あの子がどうしても心配でね……」
健司朗さまの表情はとても優しさに満ちていたが、その顔には苦悩のようなものが滲んでいた。
健司朗さまは私の硝子の目をまっすぐ見て、懇願するように言った。
「ウィリー、家事の他にあの子のことも……暁美とも、どうか仲良くしてやってくれるかい」
私を見る健司朗さまの瞳も、その横にいる恵美の瞳も、とても真摯で切実なものだった。
私はその言葉を受け止め、しっかりと頷いて見せた。
きっとこの指示は、先ほどの家事のそれよりもずっと上位にあたるのだろうと私は判断した。
「ご下命、承りました。どうぞお任せください。この『ウィリー』、アンドロイドとして使命をまっとうさせていただきます」
私の返事に、柏木夫妻はようやくそろって安堵なさった顔をした。
時刻はすでに夜の二十一時をすぎている。
今や夜しか活動できなくなってしまった私を受け入れ、そして必要としてくれる存在がこの世界にまだいたことを、私は内心信じられない気持ちで感じていた。
たしかに私はまだ必要とされている。
必要とされているのならば、それに応えなければならない。
それが私の、アンドロイドの、絶対的な使命だと私は思っている。
(茜さま、ごめんなさい……)
寝室へと向かわれた柏木夫妻を見送りながら、私は心の中だけでこっそりと前の主人へ謝罪した。
(私は、……もう少しだけ、こちらで頑張ります)
すでにここにはいない、かつての主人へ私は静かにそう告げる。
彼女の声は当然返って来ないのだけれど、それでも私は彼女へと告げずにはいられなかった。
照明のお陰で部屋の中はとても明るいが、カーテンの隙間から覗く暗闇から夜の気配が染み込んで来ているようだった。
たとえ宝石のような星々や、やわらかそうに発光する月が出ているとしても、私は二度とそんなものに誤魔化されたりはしないだろう。
……夜はいつでもドロリと暗い。
すぐに私たちをその高い粘度の闇に取り込んでしまう。
私はまだそんな夜を打ち負かす方法がわからないでいるが、どうやらこの家の中でも夜は猛威をふるっているようだ。
でも。
「……もう、奪わせません」
皓々としたリビングの明かりのもと、私は一人呟いた。
そんな私の決意を含めた独り言すら、大きすぎる夜の中に吸い込まれてしまったような気がして。
私は悔しくて一人、照明のもとで俯くしかできなかった。
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