第2話 夕暮れの幸運、またはそのニュアンス。
「これはルクルト・フレール社の『ウィリー』シリーズじゃないか? どうしたんだろう、随分と破格で売っているな」
街が夕暮れに染まった頃。
とあるリサイクルショップを訪れた一組の若い夫婦……
色素の薄い肌と、濃い緑色の光彩レンズを宿した瞳。やわらかそうな亜麻色の髪を上品に頭の後ろで結い上げていて、大変品が良かった。服装はおそらく購入時付属の標準的なものだろうと思われた。丈の長い紺色のワンピースに、白いエプロンを着けている。
そんな展示ケースの中で停止しているアンドロイドの左首筋に、夫妻もよく見知った【ルクルト・フレール社】という企業のロゴマークが入っているのに気がついたのだ。
ルクルト・フレール社と言えば、海外のアンドロイド製造会社で、業界の一流ブランドだ。
そこが出すアンドロイド製品はどれも高値で有名だが、品質はたしかなものであることでも有名で、国内でも高い人気を誇っている。
高級ブランド品を多くは持たない柏木夫妻でもその名を記憶していたほどのアンドロイド製造会社だ。
中でもルクルト・フレール社が近年出した『ウィリー』シリーズは独自開発の最高品質を謳うAIが組み込まれており、世界中で評判高い人気のアンドロイドシリーズだった。
――『私は家庭用アンドロイド『ウィリー』。“家族を愛し助けるのが使命です”』……。
当時の『ウィリー』シリーズが販売されたとき、そんなうたい文句が大々的に使われていた。
そんな人気商品であるはずの『ウィリー』が、夫妻の目の前で驚くほどに低く設定された価格で販売されていたのだ。
ブランドロゴマークの入った正規品の『ウィリー』シリーズならば、たとえ中古品だとしてもかなりの値が張るはずだった。
まさか、このブランドロゴマークは正規品によく似せた偽物なのだろうか……。
そう勘ぐって夫妻が不思議に思っていると、夫人の方が「あら」と何かに気がつき声を上げた。
「この子、膝の上に何か落ちているわ。シールかしら」
夫人は展示ケースの中を指差す。その指先へと夫の柏木氏が目線を落とすと、たしかにアンドロイドの膝の上に裏返ったシールのようなものが落ちていた。
おそらくこのシールが、目の前の信じ難いほどの低価格設定の秘密を握っているらしかった。
――『いらっしゃいませ、お客さま。こちらの商品をお求めですか?』
ピコン、という電子音とともに展示ケース脇でモニタが起動される。
浮かび上がったモニタの中ではショップの制服を着た女性が丁寧にお辞儀をして、それから夫妻に笑みを向けた。
営業スマイルとして完璧なその笑みの横には、目の前のアンドロイドの基本情報が載っていた。
夫である柏木氏は夫妻を代表してモニタへと問いかけた。
「やぁ、『商品について質問』を頼むよ。このアンドロイド、ルクルト・フレール社の『ウィリー』シリーズだよね? 他の店よりも値引きが大きいような印象なんだけれど、この価格設定の理由を教えてくれるかな」
柏木氏が問うと、ピコン、という音とともに画面が切り替わった。
再び丁寧にお辞儀をしたモニタの中の女性が、完璧な笑みのまま合成音声を発する。
――『ご質問ありがとうございます。回答いたします。はい、こちらの商品はたしかに株式会社ルクルト・フレール社製の【Will I e《ウィリー》】シリーズ、第二モデルになります。当店のこちらの商品における値引き理由は、おもに三つあります。一つ目は当商品が初回起動およびカスタム済中古品であること。二つ目は最新モデルではなく、従来モデルであること。三つ目は、メインシステムにおいて重大な不具合を有している個体であること。以上が回答になります』
モニタの中の女性が『どうぞごゆっくりご検討ください』とお辞儀をする。
柏木夫妻は揃って首を傾げる。メインシステムに不具合がある……?
柏木氏は再び画面を呼び出し、質問を重ねた。もちろん質問内容は、その『メインシステムの不具合』についてだった。
再びモニタが開き、『ご質問ありがとうございます』と合成音声を発する。そして夫妻はモニタが提示した説明を聞き、思わず耳を疑ったのだった。
「……自動充電を『夜間』に指定できないエラー?」
柏木氏は驚きのまま、今し方受けた説明をそう繰り返した。
店頭購買モニタが丁寧に夫妻へ教えてくれたのは、にわかには信じ難い内容だったのだ。
アンドロイドの膝の上のシールが、ひらりと足下へと落ちる。シールは翻って、表面を上にして落下した。シールには、赤文字で大きく「難アリ」と書かれていた。
……昨今販売されているアンドロイドには、大抵「自動充電機能」というものが備わっている。
要は管理している人間が都度都度そのアンドロイドの電池残量を気にし、確認しながら充電についての指示をしたりせずとも、アンドロイドが自ら自分の電池残量を確認し必要ならば充電に入るよう自主的に動いてくれるようにする機能設定のことだった。
さらに加えて『時間帯の設定』項目で時間帯を指定しておけばアンドロイドは自分が動ける限り、その指定した時間帯に充電へ入るようにしておいてくれるという便利な設定項目もあった。
設定、と言っても口頭での指示も受け付けるような至極単純な機能設定の一つだが、アンドロイドが市場に売り出されてまだ間もない頃はこの設定項目がまだ備わっていないものが多かった。最近になって追加された機能だ。
それと言うのも、昔のアンドロイドAIは曖昧な表現を使った指示がことごとく苦手だった。
何時何分何秒という時刻はきっかりわかるが、たとえば「昼」という単語だけでは昔のアンドロイドは指示を理解できなかったのだ。
加えてアンドロイド自体の重量も見た目以上に重量がある。
そのため万一彼らが充電スポットから離れた場所で充電切れを起こしてしまった場合、契約主は相当な重量の彼らを……一般的な日本人男性の平均体重よりも重い彼らを、それぞれ専用の充電スポットまで運んであげなけれなばらなかった。
アンドロイドAIの仕組み上、アンドロイド達が曖昧な表現やニュアンス表現が理解できないのは仕方がないことだと思われていたが、それを五年ほど前に突然覆したのが、かの【ルクルト・フレール社】だった。
ルクルト・フレール社が新しく開発したアンドロイドAIによって現在流通しているアンドロイド達は、その日の日付と時刻と契約主の予定と都合を逐一照らし合わせてから判断しなければならなかった「朝」や「昼」や「夕方」、「夜」が区別できるようになった。
主たちが言う「適当に」や「かわいい」の発言に対して詳細を聞き返さなくても良くなった。
この機能があることによって、人間側の負担は心理的な意味でも大きく軽減したことは言うまでも無い。
……そんな便利な機能の一つ、『充電時間の設定』機能がどうやら柏木夫妻の前の『難アリ』アンドロイドは故障してしまっているらしい。
なぜだか充電時間指定を『夜二十一時から翌朝五時まで』に設定しようとするとエラーが起こるらしい。
柏木氏は不可解そうに首を傾げて、再びモニタを起動させて問うた。
「このメインシステムの不具合は、今後のアップデートでも直らないのかい?」
モニタの中の女性が明朗に答える。
「こちらの商品に生じております不具合は、プログラム上の欠陥には該当いたしません。今後も公式アップデートでは対応されないと思われます」
「たとえ、初期化を行っても?」
柏木氏が静かにそう質問を重ねると、モニタの中の女性は続けて首を横に振った。
「原因は不明ですが、この不具合はメインシステムに干渉するものらしく、初期化を行っても不具合は再発すると思われます」
回答を聞きながら、氏は隣の夫人に軽く肘上あたりを叩かれた。
とくに痛くはなかったが、それに促されるようにして氏は謝罪も丁度良く口にすることができた。
昨今は人工知能搭載機へ初期化行為は、人権侵害さながらに扱われることが多い。
聞かなければならないことではあったが、おそらくモニタの中に映っている女性も人工知能のそれだ。横で聞いていた夫人もさすがに失礼だと感じたのだろう。
謝罪の言葉を聞いたモニタ内の女性は、「お気になさらず。どうぞごゆっくりご検討ください」とやわらかな笑顔のまま言って、お辞儀をしてからモニタを消した。
柏木氏は夫人とともに改めて目の前のアンドロイドを見る。
『ウィリー』シリーズ第二モデルにあたるこの機種は、充電を一日一回のペースで行わなければならない。そもそもルクルト・フレール社の『ウィリー』シリーズは、高価格帯ながらもあくまで一般家庭向けの商品として売り出されたものだ。
昨今の大抵の一般家庭は夜間に就寝するので、大抵この機種を持つ人間は自身も就寝してしまう『夜間』に設定することが多い。……まさに目の前の個体が設定できない時間帯になってしまうのだろう。
「しかしさすがに『ウィリー』シリーズでも、メインシステムに故障があるとここまで値崩れがおきるのか……」
そんな理由のために、この店でこの個体は破格で売られてしまっているらしかった。
しかし夜間に働いてほしい家庭も少なくはないだろうに……、とも氏は首を傾げかけたが、店の中を見れば低価格なのも頷けた。
この店には傷一つない中古アンドロイドが所狭しとばかりに並んでいる。
その上アンドロイドの修理、とりわけメインシステム関連の修理はノンブランド品でも相当費用がかかる。ブランド品ともなれば製造元へ直接修理に出すのが一番なのだろうが、中でもルクルト・フレール社は修理費がやたらと高額に設定されている。噂によると、とてもではないが一般家庭には出せない金額らしい。
だから昨今は手持ちのアンドロイドがもし壊れてしまったならば、よほどの不都合がない限り修理には出さないというのが世間の一般家庭の選択だった。
無理に修理へ出すより、故障の一つや二つ受け入れてしまった方が人間側の負担が少ないのだ。
……そして、何らかの事情でそれを受け入れてもらえなかった個体は大抵捨てられるか、こうやってリサイクルショップへと売りに出されてしまう。
数十年前ならまだしも、今やこのような店に人工知能搭載機を売りに出すこと自体はあまり世間的には聞こえの良いものではないのだが。
とにかく、この店には故障していない個体も多々あるというのにわざわざ同等の値段にはできなかったのだろう。
ましてやルクルト・フレール社は数あるアンドロイド製造会社の中でも『質が良い』ことを売りにしている会社だ。故障しているという事実はその売り文句の真逆の印象を与えかねないのかもしれない。
ブランド品という理由が、目の前のアンドロイドには却って自身の価格を下げる一因となってしまったのかもしれない。
(……何にせよ、これはあまりにも幸運だ)
同じようなことを思ったらしい夫人が、輝きに満ちた目をして柏木氏の肩を揺すった。
肩を揺すられながら柏木氏も興奮を隠しきれない様子で夫人を見返す。
柏木氏はモニタに対して、その他の不都合はないかよく確認してから、今一度夫人と目を合わせて頷き合った。
店内へ入ってきた時はやや疲れた顔をしていた二人の顔は、今や輝きに満ちていた。
モニタの『ご購入』ボタンが光る。
……そして、ピコン、という音とともに『お買い上げありがとうございました』と、画面の中の女性が綺麗な一礼をしたのが表示された。
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