第10話 ヌーラの強さ

 ワタニー家の兄妹の影が見えなくなると、ヌーラとヴァトは町の医者から治療を受け、一方で町長や自警団長を中心に人々は今後の対応に迫られた。

「結局、あのカヴァリ青年はワタニー家の長男だったのか」

「だが、次期当主になることを拒んでいたな」

「ひとまず、ワタニー家が攻撃の意思を見せた時のために警戒態勢を取るとして、カヴァリ青年のことは……」

「おうちの事情、というやつのようだし、どうしたらいいものか……」

 そう言いながらも、トナリの町の人々は互いに顔を見合わせてワタニー家の長男の心配をしていた。

「ちょっと可哀そうだったわよね」

「生まれる家は選べないからな……」

「あんなに嫌がっていたのに、無理やり連れ帰るなんて酷いことするよなぁ」

「その、連れ戻してあげたい、よね……」

 町長は包帯や湿布まみれになったトナリ地区相談役兼守護役代理の方を見た。ヌーラは眉間に皺を刻み、癖のある髪をかき回してため息をつく。まさか、あの呑気で陽気な男が、トナリ地区にとって天敵とも言うべきワタニー家の者だとは思わなかった。だが、間違いなくあの男は真心からこのトナリ地区を気に入っていたはずだ。嫌がるカヴァリに無理やり次期当主の座を継がせるなどさせたくはない。だが部外者がそれに口出しする権利はない。無理やり連れ出すなどもってのほかだ。王国法に規定された貴族子弟誘拐の罪で訴訟されても文句は言えない。

「多分、そう時間を置かずにワタニー家がこっちに攻めてくるはずだ。あのカヴァリとかいう大火力を回収できたわけだしな。……あいつを連れ戻してやりたい気持ちはあるが」

 去り際のカヴァリの声が蘇る。記憶喪失のくせに堂々としていたあの男が、弱弱しい子供のように泣いていた。力になってやりたいと思うし、彼が望むならトナリ地区に招いてやりたいと思う。だが現実的ではない。

 だがここに一人、勇敢な者がいた。

「みんな、カヴァリがトナリにいてくれたら良いなぁって思ってるんだろ? それで、カヴァリはトナリで暮らしたいなぁって思ってるんだろ? じゃ、それが全部じゃん」

 リュカだった。少年は自警団の隅にあった子供用の木剣を腰に帯びてすっくと立つ。外に出ようとする彼を周囲の大人たちが止めようとするが、リュカの顔には緊張と恐怖が滲むが迷いはない。その酷く澄んだ瞳で周囲の大人たちを見回し、それからヌーラを見つめた。

「みんなが行かねぇならオレがカヴァリを連れ戻しにワタニー城に行く」

「待ちなさい、リュカ!」

「法律云々のことは別にして、私たちじゃあのワタニー家には敵わないわ! さっきのあの戦いぶりを見たでしょう?」

「そんな風に無理だ無理だって言ってたら、あの弱っちいヌーラがヴァトたちに勝っちまったんだろ」

 毅然としたリュカの言葉に、待ったをかけた大人たちがぐっと口をつぐむ。少年はそのままヴァトたち自警団若手団員の方を見て言葉をつづけた。

「弱っちい魔法も使えないヌーラがあのレオナとかいうくっそ強い奴に立ち向かったんだぞ。だったらそれよりも魔法が使えて強いオレたちが戦わなくてどうすんだよ。そんなんカッコ悪いだろ」

 震える手をぎゅっと握って小さな拳を作り、リュカは大人たちの制止を振り払って表に出る。小さなはずの背中は、しかしそれ以上に大きく見えて大人たちが目を細める。そして、リュカの行く手を阻みつつ誰からともなく声を上げた。

「……万が一訴えられても、カヴァリ君本人がきっと自分の意思だったって言ってくれるはずだし」

「まあそもそもワタニー家に敵わないかもしれないし」

「まあね、いつも向こうに見えてるお城まで行きたいって言ってる8歳の子供を一人で行かせるわけにはいきませんからね。大人の引率は必要ですよね」

「途中で魔獣が出てちょっと戦闘になっちゃって手が滑って人に魔法をぶつけちゃうかもしれないですけどね」

 唖然としていた町長たちも、ため息をついてネクタイを締めて互いに頷き合う。

「ま、ワタニー領との関係についてはそろそろはっきりさせなくてはと思っていたところです。そのための対価が私の首ひとつで済むなら安いものです。ヌーラくん、馬を貸しますから、万が一に備えて大魔女サーヘラ様に一報入れてください」

 ヌーラはただもう驚きあきれながら首を縦に振るのみである。そんな彼に、いつもヌーラが行きつけにしているパン屋の娘が笑いかけた。

「君がああやって敵わないはずのものに挑んでいるのを見るとね、勇気がわくんだ。何度も打ちのめされて、負けても、それでも何度も立ち上がる。……私もそうあろうって、そうありたいって思えるんだ」

 ふとカヴァリの言葉がよみがえる。「誰かを味方につけるという強さ」、そういうものが、確かにあるのかもしれない。

(……強さ。そういう、強さが、俺の強さだと言うのなら)

 ヌーラは町長がかしてくれた馬にまたがり、そのまま一度家まで戻り、地下工房の魔道具から大魔女サーヘラにトナリ地区での事態を録音して届ける。本人がここまで戻ってきてくれるかは分からない。けれど、ヌーラは確かに大魔女サーヘラに見込まれてその役割の代理を任命したのだ。その証だってきちんと預かっている。

 リビングルームの隅にある子供用のカラフルな小さな戸棚を開けて、そこに入っている大きな紋章を取り出した。そこに描かれた狼の印こそ、この国の王家の紋章である。銀と魔法石を組み合わせたその魔道具の一種を抱え、ヌーラは荷物を準備し始める。

(俺にも俺だけの戦い方ができるかもしれない)


***


 既に空から太陽は去り、月が浮かんでいる。

 ヌーラの提案した「作戦」を聞いた町長や町の人々は戸惑いながらもそれに頷いた。トナリ地区は小さな地域だ。住民の数もささやかなので、伝言ゲーム方式で情報を共有しても、さしたる問題は起きなかった。

「一部反対派もいましたが、今後のことを考えるとヌーラ君の提案も悪くない、と」

「何より、今まで守護役である大魔女様に頼りきりだったことを考えると、こうあるのが正しいという意見が多く」

「そもそも、領地でも自治区ないけど王国直轄領でもない謎の地域でしたからね、トナリ地区は。行政上、今まで何度か王宮からどうすべきか相談はあったんです」

「……だが、カヴァリの奪還に失敗したら全部がおじゃんだ。上手くできるのか?」

 自警団のヴァトが指摘すると、近くにいたリュカが元気よく手を上げた。

「オレが奪還部隊の先頭に立つ! 子供を積極的に殺せる奴なんてそうそういないはずだぜ。ワタニー城の奴らがオレにビビってる間に、カヴァリを連れ戻すんだ!」

 周囲の大人たちが舌打ちし、あるいは額を覆って天を仰ぐ。この勇敢な子供はいっそ命知らずという言葉がふさわしかった。話を聞いた父親がすっ飛んできて息子を止めようとしたが聞く耳持たないのが現状だった。

 ヌーラはため息をついて、リュカの正面に座り込んで視線を合わせて言った。

「リュカ、お前の言葉は一理ある。けどな、最前線を走るっていうのは未知の罠を踏みぬく可能性があるし、相手に子供がいることを認識せずに攻撃するかもしれない。そうなったら俺たちやみんなリュカ、お前を守る。全力でな」

 ここまではわかるか、と問えば聡い子供はどこか落ち着きない様子で首を一つ縦に振る。

「そうなったら、みんなお前の代わりに怪我をする。俺たちはお前を守るためだったらいくらだって怪我してもいい。けど、そうやってみんなが怪我してちゃカヴァリを取り戻せる確率も下がる」

 分かるか、と言えばリュカは嫌そうな顔をしてから頷いた。そこからは父親の役目だった。鍛冶屋は息子の傍に屈みこんで、その頭をなでながら言った。

「みんながうまく動けるように地味な仕事をしたり帰りを待つのも強さだぞ。……リュカ、お前は強い子だ。勇敢で高潔な、そういう本当の強さを持っている。お前は俺や母さんの誇りだよ」

 父親に抱きしめられてリュカが鼻を鳴らした。大人たちについていけないのがよほど悔しいらしい。それをほほえましく眺めながら、大人たちはヌーラを中心に作戦とそれに参加する人員の確認を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る