第9話 獅子の子

 ヌーラとカヴァリが空から滑るように落ちてくる。強大な氷の剣を操り彼らを追尾するヴァトに迷いはない。氷の剣で追い立て、自分の手持ちの剣とで挟み撃ちにする。町役場の施設を人質に取っているのはこの際見逃しても良い。ヌーラの身体捌きが2年前よりはるかに鋭くなっているのは計算外だった。それに、あの四肢に装着した魔道具も2年前から随分パワーアップしている。自分より大柄なカヴァリを抱え上げているのだから随分なものだ。だが自分が勝てばそんな計算違いは無かったことになる。勝てば良い、それだけだ。

 ヴァトが空を睨みつけて剣を握って腰を落として構えを取る。不意に、ヌーラの腕に抱えられていたカヴァリが炎の剣を手に取って、ヴァトをめがけて横薙ぎに振るった。

 すかさず前に出てそれを防いだのはエレドナだった。地上に降り立ったカヴァリに襲い掛かり足止めしている。一方で、ヌーラはその脇を抜け、ヴァトをめがけて駆けてきている。すかさず、宙に浮かせていた巨大な氷の剣をヌーラに差し向けた。

 地面を踏みしめるヌーラの脚に力が入る。魔道ブーツが光を上げて、彼の身体は氷の剣の追跡を逃れるように弾丸のようにヴァトをめがけて突っ込んでくる。そしてそのまま、ヴァトの目の前から消えた。

「……は? ヌーラ、どこに」

 周囲から歓声が上がった。

「今の見たか? なんて動きだ!」

「ヌーラのやつ、ヴァトの足の間を滑って背後に回りやがった!」

 ヴァトが焦って振り返りざまに斬りかかろうとする。

 だが。

「ヴァト、前ーッ!」

 誰かが警告する。しかし、術者が集中を切らしたことで巨大な氷がコントロールを失って、ヴァトを目標として飛び込んだ。混乱して倒れこんだ彼の上にヌーラがのしかかって宣言した。

「……俺の勝ちだ」

 形の良い顎から汗がしたたり落ちる。向こうの方では炎の剣を喉元にあてがわれてエルドナが顔を青ざめさせている。勝敗は誰の目からも明らかだった。シン、とあたりが静かになってからあたりに驚愕が広がった。

「勝っちまったぞ、あのヌーラが……」

「魔法の使えないあのヌーラが自警団団長候補の奴らに勝っちまった!」

「あの子、2年前より強くなってるわ!」

「すごい……!」  

「ヌーラ、すげぇ! お前弱かったのに、ヴァトに勝った!」

 群衆からひょこりと顔を出したリュカが興奮気味に言って、頬や目をキラキラさせて飛び回る。人々もヌーラを取り囲んで彼と話をしようとする。先に倒れたダタンらは端の方で介抱されながら、どこか憑き物の落ちた顔をしている。だがヴァトだけは我慢ならないとばかりに立ち上がり、抗議した。

「どこが勝利だ、ヌーラ! お前が勝った? あのよそ者がいなけりゃ勝てなかったくせに!」 

「まだわからないのかい」

 返事はしたのは、そのよそ者本人だった。

「それがヌーラの強さのひとつだよ。毎日毎日一生懸命なヌーラを見て、おれは無性に彼の味方をしたくなったんだ。だからこの結果は、おれを味方につけたそういうヌーラの強さの勝利だ」

 そう言ったカヴァリに笑いかけられ、ヌーラが顔を真っ赤にする。

「お前、よくしらふでそういうこと言えるな! 恥ずかしい奴!」

 無邪気なやりとりに周囲の人々もどっと笑い声をあげる。その光景を見ていると、なんだか怒っているのも馬鹿らしくなってヴァトはため息をついて地面に転がった。そう、ヌーラは驚くほどに強くなっていたのだ。

「ヌーラ、次は負けないからな」

 ヴァトがそう口にすると、ヌーラは戸惑いながらも「ああ」と返事した。

「それから……カヴァリって言ったか? お前、後でちょっと俺と手合わせしてくれ」

「ああ、もちろんだ! それからヌーラの格闘術も」

 きっと参考になる、というカヴァリの言葉が発せられることは無かった。腹のあたりを押さえて地面に倒れこんだ。

「カヴァリ、しっかりしろ!」

「攻撃? どこから!」

 ヴァトが警戒し、ヌーラはリュカを守るように自分のそばに引き寄せつつカヴァリに声をかける。そんな彼らの努力を嗤うように、群衆が割れてカツンとヒールの音が響いた。そこに、女が立っている。長い金髪に、黒い上等な服を身に着け、腰に剣を下げたその女は石畳をツカツカと歩いてカヴァリに近寄った。女は茶色い瞳でヴァトをちらりと見やると、冷え冷えとした声で倒れ伏すカヴァリに声をかけた。

「この程度の男に勝ったことを誇るなどワタニー家の一員とは思えん言動だ、兄上」

 群衆がざわついた。

「ワタニー家だって? あの女、いま兄上って言ったぞ!」

「おい見ろ、あの女の胸の紋章! 黒字に金獅子、ワタニー家の紋章だ!」

「カヴァリの奴、ワタニー家の出身なのか? なんでそんなお坊ちゃんがこんなところにいるんだよ!」

「トナリ村の近くで行き倒れて、魔女の家で保護されたらしいが……」

 しかしそんなざわめきを無視して、ワタニー家の娘はカヴァリの腕をグイと引いて立たせた。

「帰るぞ、兄上。父上も随分兄上を探していた。……まったく、次期当主への任命を拒むとは。反抗期もほどほどにしろ」

 とたんにカヴァリがかぶりを振って身動ぎし、妹の手から逃れて頭を押さえて倒れこむ。嘔吐きながら唸る兄の様子に首をかしげながら、ワタニー家の娘はそのまま喋り続ける。

「このトナリ地区の魔法石採掘場を我がワタニー領に組み込めば、それを資金源として領地運営もはかどる。一方でこのトナリ地区は公的に認められた領地ではないから、この地を我が領に組み込むことは何ら王国法に背きはしない。一体兄上がこれの何が不安なんだ?」 

 うずくまってゼィゼィと肩で息をしていたカヴァリだったが、ゆっくりと顔を上げてヌーラを見つめて震える声で言った。

「……ごめん、ぜんぶ思い出した」

「お前……」

「俺、ワタニー家の長男なんだ。カヴァリ・ワタニー、それがおれの名前。昔っから炎の魔法が得意でさ、みんなおれを凄いとほめちぎって、怖がって、貴族学校じゃ誰も近付きやしなかった」

 記憶喪失だった行き倒れの男の告白に、その場にいた者たちの間に動揺が走った。

「うそだろ、あの男、ワタニー家なのか?」

「魔女様の工房にある魔力防壁はどうした、ヌーラ!」

 問われて、魔女の家の住人は口ごもる。魔女の工房にある魔力防壁は大群による突撃を防ぐためのものであり、数人が連れ立って通行することを拒みはしない。 

「だとしても、トナリの森をどうやって通り抜けたんだ? よそ者があの森を通過するのは難易度が高いはずだが……」

「……そうだ、あの魔獣。尾に銀色の輪が飾ってあった」

 ヌーラが呟くと、ワタニー家の娘が驚いたような声を上げた。

「そう、それはワタニー家が特別に調教した作戦補助用の魔獣。兄上を探すように命じたのだけれど致命傷を負って戻ってきて、結局情報を半分しか抜けないまま死んでしまった」

 残念だ、とさしたる感慨もなく彼女が呟くと、カヴァリが眉間に皺を刻み今にも泣きそうな顔になって口を開く。

「おれが、殺した……?」

 ヌーラは身体を寄せて何か言葉をかけようとするが、何を言えばいいのか分からずカヴァリの手を握って黙り込む。一方で自警団の団長らは、群衆を離れて町の各地点に動ける団員たちを配置していく。

 町の人々は戸惑い、口々に囁き合う。

「あのカヴァリって青年、記憶喪失だって言うけどそれもどこまで本当なのかしら」

「行き倒れてたっていうけど、行き倒れを装ってここにスパイとして潜入したんじゃないか? だって、いま現にああやってワタニー家の人間がもうひとり来た」

「本人が望んでいなくても、スパイの役割を負っていたと?」

 人々の視線がワタニー家の妹に向く。それまで黙ってニヤニヤと事の成り行きを見守っていた女は、ニィと歯を見せて獰猛に笑った。

「ただの庶民たちかと思えば、なかなかどうしてよく気が付く。まずはあの役場の旗をすべて焼き払ってやろう! 大魔女サーヘラもかつてそうやってトナリ領の領主に宣戦布告してこの地を手に入れたというからな!」

 長い金髪を揺らして、その手が腰に下げた剣に触れる。周囲の人々はとっさに子供や妊婦を後方に下げ、動ける者たちがそれに対抗しようとする。その中で真っ先に動いたのはヌーラとヴァトだった。帯剣を抜こうとした彼女の手が凍りつき、一瞬のスキができる。そこを逃さず、ヌーラが拳を握って顎を下から殴りつけた。人体の急所を突かれ、さすがに軍人家系の一員も体勢を崩す。

「……なる、ほど。このレオナ・ワタニーを足止めできる戦力があるか。だが、弱い!」

 しかしそこからの復帰は素早かった。体勢を立て直し、ヌーラを蹴りつける。そこからは一方的だった。殴られ、蹴られ、圧倒的な暴力の前に怪我だらけになったヌーラは、それでも立ち上がった。そしてのろのろと拳を振り上げてレオナにむけて振りかぶる。

「弱い、弱い、弱い! その程度の実力で大魔女サーヘラの弟子を名乗るか!」

 レオナがヌーラを投げ飛ばして、さっきからだんまりを貫いている兄に声をかけた。

「しかしこうも反撃が厳しいなら態勢を整えねばならんな。兄上、我が家へ戻るぞ。何よりもまず父上に帰還の挨拶をして、身なりを整え次第、次期当主任命の儀を行うぞ」

 霞むヌーラの視界で、カヴァリが泣きそうな顔を上げて首を横に振って怯えたようになっているのが見えた。

「嫌だ、嫌だ、ワタニーへは帰らない! あんな暴力に支配された家の次期当主になるくらいなら、名誉も家名も記憶も捨てた方がマシだ!」

 頑是ない子供のようにわめくカヴァリに、妹のレオナはカッと目を見開いた。そのまま苛立ちをぶつけるように兄の腹に拳を打ち込んだ。

「私がいくら暴れても実績を上げても得られたなかったものを得られるのだぞ、せめて喜んで受け取れ」 

 カヴァリがうめきながら妹の腕の中にもたれかかる。それをひょいと担ぎ上げ、ピュウと口笛を鳴らすと空から巨大な鳥型の魔獣が舞い降りた。尾羽根の付け根には銀色の輪が飾られている。魔獣の背に乗せられながら、上手く気絶できなかったらしいカヴァリがヌーラのほうに手を伸ばす。

「ヌーラ、ごめん、初めて友達ができたのに、変なことになっちゃって。おれもトナリに生まれたかった……」

 その声がどれだけヌーラに届いていたのか分からない。鳥型魔獣は主人たちを背に乗せて空へと浮き上がった。自警団の面々がそれを攻撃したが、魔獣はそれを回避してついにワタニー領の方へと消えて行った。

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