第7話 挑発

 

「自分で決めたこととはいえ、気が重い……」

 トナリの町の自警団の詰め所に遊びに行けるとはしゃぐ新聞配達のリュカとは対照的に、ヌーラは朝から顔色が悪い。低い声で唸りながらも、村や町に行く際に使うカバンにいつも以上に荷物を詰めて準備を進めているあたり、ヌーラは生真面目だった。そんな彼の後ろではカヴァリが意気込んでいる。

「もしも自警団にいる件の連中が君のことを馬鹿にしたら、必ずおれが止めるぞ!」

「……お前、自分が怪我人なの忘れてるだろ。まあ連れ回してる俺にも責任あるけど」

「でも身体の包帯もほとんど取れたし、足首の痛みも引いてるぞ。腫れも引いているだろう?」

「ほんとに凄いよな、お前の回復力。古傷も凄いし、多分」

「君の治療のおかげだよ」

 微笑まれ、ヌーラは少し顔を赤くして口を閉ざし、ブーツの紐をきつく結んで立ち上がる。荷物の入ったカバンを担ぐと2人は並び立って家を出た。

 まだ朝早い時間に村の入り口でリュカと合流して3人でトナリの町に向かう。時折表情を硬くするヌーラの隣で、リュカは飛んだり跳ねたり忙しない。大魔女サーヘラがいない今一番彼の理想に近い自警団の詰め所で、そんな場所に遊びに行けることが楽しみで仕方ないらしい。しばらく歩いたところで、そんなリュカにヌーラが声をかけた。

「……リュカ、ちょっと休むぞ」

「なんでだよ、オレめちゃくちゃ元気だぞ」

「お前は元気かもしれねぇけど、カヴァリの奴はもともと足首を怪我してるから休ませてやらねぇと」

 そう言って、道のわきの草地に座り込みながらカヴァリに目配せする。カヴァリもそのあたりをよく分かっていて「ちょっと疲れたなぁ」などとわざとらしく言ってヌーラの隣に腰を下ろした。リュカはそんな2人を見て胸を張る。

「ヌーラは弱いからな、仕方ないしオレも一緒に休んでやる」

 トナリの村からトナリの町まで、歩けば30分ほどかかる。子供の足ではもっと時間がかかる。村には馬やロバが1頭ずついるが、どれも村人たちが仕事に使うので滅多なことでは貸してもらえない。大魔女サーヘラならその有り余る魔力で空を飛んで行くところだが、魔法の使えないヌーラは地道に歩いていくしかない。

「大魔女様はすごかったよなー、すいすいって空飛んでさー」

「空を飛べるなんて、魔法を極めたごく一部の人しかできねぇからな。小さい頃に何度かあの人のホウキに乗せてもらったことがあるよ」

「大きくなってからは?」

「2人分も浮かせるのはキツいからって言われて拒否された」

 苦笑したヌーラが立ち上がり、またトナリの町への道を歩き出す。その道中、リュカは彼を見上げて、妙に大人びた口調で提案した。

「ヌーラ、自警団の詰め所まで一緒に来るのが怖いなら別にオレ一人で行ってもいいぞ。詰所の場所はオレも知ってるから。町の入り口で分かれて、お前は町長のところに挨拶に行ったらいい。無理すんなよ、自警団のやつらが苦手なんだろ。……ま、無理ねぇよ」

 反論がないのは、それが図星だからだ。

 2年前、大魔女サーヘラが旅立って最初にヌーラがトナリ町に立ち寄った日の夕方、彼は頬を腫らして鼻血を流しながら帰ってきた。トナリ地区の守護者大魔女サーヘラの後任が魔法も使えないヌーラであることに不満を抱いた自警団一部メンバーと喧嘩をした。ヌーラに対する不満が大魔女サーヘラに対する批判にすり替わった時、彼の我慢は限界を迎えた。かつて一瞬だけヌーラと学校で机を並べたこともある自警団新入り団員たちとの口論は売り言葉に買い言葉で殴り合いのけんかにまで発展した。自分のことはまだしも、自分を拾い育ててくれた師匠を馬鹿にされたのに黙っていることはできなかった。

 ヌーラは諦めなかった。何度も倒れて血を流し、頬を腫らし、嘲笑交じりに魔法を振るう彼らに拳と魔道具だけで果敢に立ち向かって、ヌーラは負けた。止めようとする人々を遠ざけたのはヌーラ自身だった。どうしても自分の力だけで勝ちたいという気持ちがあった。幼い頃彼を嘲笑した者たちは、彼に無力さを叩きつけた。その言葉の一言一句を、ヌーラは鮮明に思い出せる。

「どれだけ立派な志でも、それに伴う力が無きゃ意味がねぇんだよ。テメェのその非力さでどうやってあの大魔女サーヘラの代理を務めるってんだ」

「ワタニー家の騎士共が攻めてきたらどうやって対応する。魔法防御壁が突破されたらどうするつもりだ、魔法も使えないお前ごときが守れるって言うのか?」

「サーヘラ様も何を思ってこんな弱い奴にトナリ地区守護役を任せたのか」

 彼らの発言はある程度、筋が通っていた。その上この時完膚なきまでに敗北したことで、幼いころの記憶と相まってヌーラは自警団をことさら苦手としていた。だが、今日ばかりはそれを理由にまだ8歳の少年をトナリの町の入り口で放流するわけにはいかない。それにリュカの父親に自分が責任を持って送り迎えすると約束したのだ。

「いや、詰め所まで付いて行くよ。いくらトナリの町が田舎町とは言っても、魔法石の産地だから買い付けに来る商人とかでそれなりに人の出入りがあるから危ないし」

 ヌーラが説得すると、リュカは彼らの数歩前を歩いて「しかたねーなー」と了承する。不承不承といった様子のリュカだったが、それでも賑やかなトナリの町の入口が見えると目を輝かせて歩を早めた。

「早く、ヌーラ! カヴァリもおせーぞ!」

 年上たちの手をぐいと引いて、町の門をくぐった。

 トナリの町は田舎町と言って差し支えない。石造りの家々、町を流れる小さな小川、中心には町役場と自警団の詰め所、そして広場。広場には尖塔が建ち、そのてっぺんに吊るされた鐘が朝と昼と夕方の3度鳴らされる。そんなどこにでもある小さな町だ。けれど他の町と違うところがあるとすれば、町で魔法石が採取できることだろう。町から少し離れたところには小規模ながらも魔法石の採掘場が存在する。この重要資源を扱う市が月に2回開かれ、他領から商人や魔法石加工業者、時には大道芸人や旅の楽団が訪れて田舎町には珍しい華やぎを見せる。ヌーラがトナリの町を訪れるのは、この市が立つ日だ。市の端に設けられた専用ブースで人々の依頼を聞いてやるのだ。トナリの村の住人も、もう少し時間が経てば買い物のために市に出かけるだろう。

「こっちだ、行くぞ!」

 町の中央ではためく町の紋章の旗が掲げられた自警団の詰め所を指さして、リュカがぐいぐいとヌーラの手を引く。一方でヌーラの足はますます重い。彼がなぜそこまで自警団に近づくのを嫌がるのか一応の事情を聞かされているカヴァリだが、とにかく立ち止まっていても始まらない。大きな手でヌーラの背を押して詰め所へと向かった。


***

 自警団の年かさの者たちがリュカやその他町の子供らを連れて、街の外れにある空地に連れて行く。一方で若い団員たちが引率役のヌーラをぎろりと睨みつけた。

「ワタニー城が動かなくて良かったな、大魔女の弟子」

「あそこが動けば、魔法も使えないお前に手に余るような事態になっていたはずだ」

「それでどうしたの、ヌーラ? また私たちに負けに来たの?」

「かわいそうなこと言ってやるな、ヌーラは魔法が使えないんだから」

「そうだな、ヌーラは弱いんだから」

 自警団の若者たちがどっと笑い声をあげる。皆、2年前にヌーラが彼らに惨敗したことを知っている者たちだ。ヌーラ自身も、拳を握りしめ奥歯をかみして首まで赤くしながら、足元を見つめて反論のひとつも出来ずにいる。脳裏をめぐるのは2年前、彼らに惨敗した時のこと。殴られて腫れあがった頬の痛み、目を焼くような魔法の輝き、口に入った砂の苦さ。どれも鮮明に覚えている。どれだけ懸命に挑んでも、彼ら相手に勝つことはできなかった。

 嘲笑を遮るようにそれまで黙って事の成り行きを見守っていたカヴァリが声を上げた。

「ヌーラは弱くないぞ」

 きっぱりとしたその物言いにその場の誰もが……ヌーラですら……唖然とし「は?」と間の抜けが声を上げる。自警団の若手団員はカヴァリをギロリと睨みつける。

「お前、例の行き倒れだろう。口をはさむな」

「そもそも、よそ者がヌーラの何を知っている?」

 だがカヴァリは怯まない。それどころか堂々とした態度で、精悍な顔に笑みさえ浮かべて言ってのけた。

「知っているさ。ヌーラは魔法を使えない。でも強い、お前たちが思うよりももっとずっと」

「そうは言うけど、ヌーラは2年前私たちに惨敗したのよ」

「その話も聞いた。だがそれは一人でお前たち複数人を相手にしていたからだろう」

「トナリ地区相談役にして守護役の大魔女サーヘラ様には俺たちが何人束になってかかっても敵わなかった。負け犬ヌーラはそのサーヘラ様の代理を務めているんだ。……だってのに負けた」

「ヌーラはまだ負けてない」

「どこがだよ」

 マイペースに反論するカヴァリに、自警団若手団員のリーダー格と思しき青年が舌打ちする。彼の名は確かヴァト。ヌーラが学校に入った時、隣の席に座っていた。大魔女サーヘラの元でどんな修行をしているのか一番熱心に聞きたがり、魔法を使えないと知ると心底がっかりした顔をした。その時のことをヌーラはよく覚えている。学校で一番魔法が上手で、運動神経が良かった。王都の騎士団を目指して入団できなかったのは噂で聞いた。

 そんなことをぼんやりと思い出したヌーラの耳に、いっそマイペースとも言うべきカヴァリの声が届いた。

「勝つまでやれば良い。そしたら途中の負けはただの一時的、戦術的撤退になる。それに君たちが語っているいるヌーラは2年前のヌーラだ」

 口をはさむタイミングを見失っていたヌーラがぎょっとする。そんな雨乞いじゃないんだから。いや、それよりも前にその話の流れはなにかおかしくないだろうか。だが彼が何か言うよりも早く、ヴァトがカヴァリの胸ぐらをつかんで言い放った。

「表に出ろ。……デカい口を叩いたんだ、勝ってみせろよ」


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