第6話 守るための強さ

「ってことで、おれ、ヌーラの弟子になることになったんです!」

「誰も弟子入りの許可なんてしてねぇぞ、カヴァリ。そもそも俺はまだ師匠から弟子を取る許可も貰ってない」

 青年たちの漫才のようなやり取りに、村長の家に集まったトナリ村の人々がわっと沸き立つ。気のいい村人たちは、行き倒れていた記憶喪失の青年をすっかり受け入れていた。昨日「魔女の家」を訪れた村長から事前にカヴァリの話を聞いていたのもあるだろう。しかし何よりもあの無邪気さと陽気さだ。あれを前にすると警戒するのもなんだか馬鹿らしくなってくる。

 冗談じゃない、とカヴァリの弟子入り発言に悪態ついたヌーラに、その正面に座っていた村長の娘が笑って声をかけた。

「カヴァリくんと一緒にいるとなんだか生き生きしてるわ、ヌーラくん」

 素敵なことね、と軽やかに言った彼女に周囲にいた人々も同意する。魔道具の手入れや御符の作成を頼みに来た村人たちだ。

「昔のサーヘラ様を思い出すなぁ。ここがまだトナリ領だった頃にあの悪徳領主をボコボコにしたときも、トナリ領から地区に改称されてその守護者になったときも、サーヘラ様はいつもどこか冷めた顔をしておられた」

「だけどねぇヌーラ、あんたを拾ってから大魔女様は随分変わられた。毎日些細なことに一喜一憂して、今まで見えてこなかったものが見えるようになった。そんな風におっしゃっていたよ」

「異なる視点・異なる思考を持つ者の前に立って、そこで初めて自分が何者であるか気付く。そういう出会いは大切にしなくちゃいけないよ……って、これも大魔女様の受け売りだけど」

 ヌーラはすぐ隣に立つカヴァリを見上げる。少なくとも、魔法も使えないヌーラを「戦う前に手段を持っている」などと評したのはカヴァリが初めてだ。そんなこと思ってもみなかった。けれど、不思議とカヴァリの言葉を受け入れている自分がいる。きっと他の人が言うのであれば真に受けなかった。トナリの村の人々が言うのなら、気を使われていると思って申し訳なく感じたはずだ。トナリの町の人々が言うのなら、馬鹿にしていると判断したはずだ。

 ヌーラが一つ呼吸して目をそらし、何でもないことのように喋り始める。

「俺は魔法が使えないから、魔法については教えてやれない。ま、あの感じを見てるとお前はその必要もなさそうだけどな」

 家の前で魔獣相手にカヴァリが振るった魔法を思い出しながら、ヌーラが頭を掻く。そしてもう一度顔を上げて互いの視線を合わせる。

「それでも良ければ、俺が知ってることをお前に教えてやる」

「ありがとう師匠!」

 カヴァリに否やはない。琥珀色の目を輝かせ、喜びを身体いっぱいで表現するようにヌーラを抱きしめようとする。けれど彼はするりとそれを避ける。

「師匠はやめろ。今まで通り呼べ」

「うん、うん、分かった!」

 カヴァリは金髪を跳ねさせて何度も首を縦に振る。その様に呆れて笑いながらも、ヌーラは村人たちそれぞれに手入れした魔道具や御符を渡したり、逆に修理してもらいたい物を渡したり、相談事や占いを頼み、今後の天気の様子を尋ねる。「魔女の家」のトナリ地区相談役としての役割が一通り終わると、見慣れた少年の姿が村長の家に駆けこんできてカヴァリの足元をくるくると回った。鍛冶屋の息子、リュカである。

「カヴァリ、お前変な奴だな。ヌーラは魔法が使えなくて弱いのに弟子入りするなんてさ」

「いや、ヌーラの強さはそういうのじゃなくて……」

「なあカヴァリ、お前、すげー強い火の魔法使うんだろ? 魔法のこと教えてくれよ、オレは強くなりてーの。大魔女サーヘラ様みたいに強くなって、ワタニー領からこのトナリ地区を守れるようになりたいんだ」 

 リュカは子供ならではの強引さでカヴァリの手を引き、自宅の隣にある父親の仕事場まで彼を連れて行く。その後ろをのろのろと付いて行くヌーラが不安そうな顔をしているのも無理ないことだ。

 鍛冶場は早めの昼休みのせいか人がいない。炉の火も消えている。ヌーラはため息をついた。

「勝手に鍛冶場に入ったらダメだろ、危ないぞ」

「でもこの時間なら父ちゃんたち家でご飯食べてるから、鍛冶場には誰も入ってこないんだ。村のみんな、まだオレに魔法は早いって言うんだぜ。でもここなら!」

 小さな村のことだ。村の広場や端の方で魔法の練習など始めようものならすぐにバレて大人たちに止められるだろう。

 リュカの強情さと好奇心の強さはヌーラもよく知るところである。特に魔法に対する思い入れは強い。それはヌーラが毎朝の新聞配達のたびに感じていることだ。「魔法を見せて」とカヴァリに強請る少年を止めるのに魔法が使えない自分では力不足と考えた彼は、とりあえず隣の母屋に向かおうとする。だが背中に勢いよく熱風が吹き付けると、とっさに後ろを振り返った。

 カヴァリの手に炎でできた剣が握られている。険の柄に手をかけて抜刀の構えを取る。さっきまでニコニコと無邪気に笑っていたはずの青年は、今は射すくめんばかりの目つきになっている。今朝、家の前で魔獣を相手にしたときと同じ目だ。その構えの奇妙な静けさとまなざしの鋭さが意味するところを、魔法を使えないヌーラも知っている。強力な技を放つ前に独特の空気、それを鋭敏に感じ取って彼はとっさに手近にある棒を手にして、カヴァリに飛びかかる。それと同時に、抜刀の動きでカヴァリの手元から半円状に炎が噴き出した。炎が燃え盛りながらあたりを舐め取ろうと赤い舌を伸ばす。

「馬鹿野郎ッ!」

 ヌーラが手にした棒でカヴァリの顎を下から突く。その衝撃で術者が集中を切らして炎が掻き消えるのと、二人がもつれあって鍛冶場の床に転がったのはほぼ同時だった。ようやく体勢を整えると、ヌーラは開口一番カヴァリを叱りつけた。

「加減ってもんを知らねぇのか! この鍛冶場は魔力防壁が組んであるから火事にはならなかっただろうけど、ちょっと間違えたらリュカが大怪我してたんだぞ!」

 途端にカヴァリが目を見開いて体を起こし、金髪を砂まみれにしたまま鍛冶場の端に立ち尽くしている少年に深く頭を下げた。

「すまない、周りが見えていなかったせいで君を危ない目に合わせてしまった! 無意識で身体が勝手に動いてしまったんだ! 多分、記憶をなくす前のおれがずっとああいう魔法の使い方をしていたんだ。身体に染みつくほど……」

「いや、オレはすげーかっこいい魔法が見れて嬉しかったけど」

 ペタンとリュカがその場に座り込む。火勢のすさまじさに対する興奮と、怪我をしていたかもしれない事実、そしてとっさにカヴァリの魔法を封じたヌーラの剣幕に唖然としている。

 一方で、カヴァリは剣ダコのある自身の手をじっと見つめてうち沈んでいる。ヌーラはため息をついてそんな彼に声をかけた。

「今ので確信した。お前の魔法は敵を倒し薙ぎ払うことに特化して鍛えられた魔法だ。だから手加減を知らない。一撃目から全力で素早く魔法を敵に叩き込むことを徹底して身体に覚えさせている」

 底抜けに陽気な男が、顔を伏せて黙り込む。金髪が砂に塗れてくすんでいる。しばしの沈黙ののちに彼は震える声を絞り出した。

「おれ、この魔法で人に怪我をさせるところだったんだな」

「ここが普通の家屋だったら火事になってた」

「物を壊して、人を傷つけて……命を奪っていたかもしれないんだな」

 酷い魔法だ、と額を抑えて首を横に振る。脳みその奥がズキズキと痛みながら疼く。血を流しながら横たわる狼型魔獣の姿がちらつく。

 不意にヌーラがカヴァリの頭をわしわしとかき回した。カヴァリが沈痛な面持ちのまま顔を上げる。

「リュカ、お前、自警団に弟子入りしたいんだっけ?」

 突然問われて戸惑いながらもリュカは首を縦に振った。

「大魔女様がいらっしゃらないから、代わりに自警団に……」

「さっき見た通り、魔法ってのは扱い方を間違えたら人を簡単に殺せるし、大切な物だって簡単に壊せる。だからこそ強い魔法を使えるようになるには間違いが起きないようにたくさん訓練しなきゃいけない。俺の師匠もよく一人で魔法の練習をしてた。大魔女なんて呼ばれてるのにな」

 少年は自身の身体を抱きしめるようにして僅かに震える自信の腕を撫でていたが、顔を上げてあどけない瞳で魔女の弟子に問いかけた。

「大魔女様が?」

「面倒くさいやってられるかってグチりながらな。魔法以外にも格闘術も。俺だって鍛錬につき合わされた。それで、たまに泣いてた。自分が扱う力の大きさが怖くなって。……リュカ、お前はそれでもやるか?」

 誰もが憧れる大魔女の素顔を知って、それでもなおリュカは首を縦に振った。

「オレの目標はみんなを守ることだもん。そのために強くなりたい」

 だからやるよ、と宣言する声は妙に大人びた響きをしている。分かった、とヌーラは言って魔法を極めようとする少年の頭を撫でた。

「じゃ、明日は俺と一緒にトナリの町の自警団まで行くぞ。俺は町の人たち相手に色々用事があるけど、自警団までの送り迎えは俺がするから」

 ヌーラの言葉に、リュカが顔を輝かせた。踊るように立ち上がって、ヌーラの周りをくるくると回る。それに苦笑しながら、ヌーラはまだ座り込んだままの男に手を差し伸べた。

「何かを壊したり殺せる魔法を追求するのも、それを適切に扱うのも鍛錬あるのみ、らしいぜ」

 師匠が言ってた、と悪戯っぽく大魔女サーヘラの弟子が笑う。カヴァリは眉をハの字にしたままそれでも微笑んで、差し出された手をそっと握って立ち上がった。すかさずヌーラはもう片方の手でカヴァリの手を包んでやって、低く落ち着いた声で喋りかける。

「……カヴァリ、いま俺の手を握ってるそういう優しさで魔法を使うんだ。何かを倒すんじゃなくて、温めるような気持ちで。やってみろよ」

「えッ、でもそしたら君がやけどを!」

「魔法は術者のイメージに大きく左右される。術者が望むなら相手を傷つけ無い炎を出すことができる」

 ほら、と促されてカヴァリが魔力を介抱する。握られた二人の手で一瞬炎が強く吹きあがったが、それはすぐに小さな灯になってゆらゆらと揺れながら燃え始めた。傍で見守っていたリュカもはしゃいだような歓声を上げる。

「ほら、ちゃんとできてるじゃねぇか!」

 二ッとヌーラが歯を見せて笑う。すると、カヴァリが琥珀色の瞳をきらめかせて破顔一笑。それと同時に小さかった灯がみるみる大きくなって、あまりの熱にヌーラが悲鳴を上げた。

「消せ、火ィ消せ、カヴァリ! 魔法使う時は集中しろ!」

「ぎゃー、ヌーラが燃えてるー!」

「あわわわわ、すまない! 今消す、消すから!」

 火は消えたものの、騒がしくなった鍛冶場を訝しがってリュカの家族や近所の者たちが顔を出す。何事かと問う大人たちに、結局リュカは洗いざらいすべてを話した。あわや怪我人が出ることろだったと知ると村人たちは顔を青くして年下たちを心配し、それから彼らを少し叱った。そして、ヌーラがトナリの町の自警団までリュカを送り迎えすることを知ると、彼の両親はヌーラに頭を下げて息子を託した。

「それじゃ明日の朝、村の前で」

 村人たちから貰った手作りの石鹸や蝋燭、ドライフルーツや野菜を抱えてトナリ地区の相談役代理は、カヴァリを連れて森の中に帰っていく。中途半端ではあるものの人を傷つけない魔法を使えたことに心なしか足取りも軽いカヴァリの隣で、ヌーラの表情は硬い。カヴァリは巨体をかがめて彼の顔を覗き込む。

「ヌーラ、やっぱりおれの魔法が何か」

「そうじゃねぇよ、問題があるのは俺の方だ。リュカの手前、トナリの町の自警団まで送るとは言ったが……絶対あいつらと顔を合わせちまうから」 

 ヌーラががしがしと頭を掻く。癖のある黒髪が青い瞳を覆い隠して、その表情は読めない。

「トナリの町に行くこと自体、気が重いってのに」

「それじゃ、どうして」

「……俺は魔法が使えなくて弱いから。俺一人なんかじゃ到底トナリ地区を守るなんてできねぇから。ちゃんと普通に魔法が使えるリュカもここを守りたいって言ってくれるのが嬉しかったんだよ」

 味方が増えたみたいで。

 つぶやきは掻き消えそうな声だった。カヴァリは凛々しい顔に爽やかな笑みを浮かべると、ヌーラの肩を抱いた。

「君は弱くなんかないぞ、誰かのために自分の苦手なことにも立ち向かえる。それは強い者にしかできないことだ」

 カヴァリの口元に八重歯が覗く。肩まで伸びた金髪と相まって若獅子のように見える美丈夫はそのまま、ポカンとするヌーラに爽やかに笑いかけた。

「明日はおれも君に付いて行くぞ! 君の知ってることを教えてもらうと約束したばかりだからな」

 少し前なら、ヌーラは拗ねてその申し出を断っていただろう。自分のどこが強いのだ、そんな強さに意味はない、と言っていたはずだ。けれどヌーラは今、ただ黙って首を縦に振った。

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