第5話 壊すための魔法
「『ワタニー城、爆破された塔の再建に着手。トナリ地区の警戒解除』、か」
翌朝、郵便受けに突っ込まれた新聞をその場で広げてヌーラはほっと息をついた。それと同時にじわりと視界が滲む。
トナリ地区と緊張関係にある隣領ワタニー領の領主ワタニー家は代々優秀な騎士を輩出する貴族である。領内の常備軍も精強な戦士揃いで国内最強の声も名高い。万が一ワタニー軍がトナリ地区に攻め入ったとして、トナリ地区に対抗する手立てはほとんどない。何せトナリ地区の守護者である大魔女サーヘラは現在不在。代理は魔法の使えないヌーラである。大魔女サーヘラが振るう強力な攻撃魔法が無い以上、対抗手段は魔女の家の地下にある工房を動かして発動する防御魔法と、住民個々の戦闘に限られる。
「何もなくて良かった、本当に……」
目元をぬぐってヌーラは脱力のあまりその場にしゃがみこむ。トナリ地区にこの人ありと言われ、国王でさえ一目置く大魔女サーヘラが旅立ってからの2年間。大魔女不在のすきを狙ってワタニー領が今日こそトナリ地区に攻め入るのではないかと、ヌーラは生きた心地がしなかった。
大魔女サーヘラは旅立つ直前、行かないでくれと懇願する弟子にいたずらっぽく笑って言ったのだ。
「ヌーラはちゃんと強いわ、自分自身で気づいていないだけ」
けれどその言葉の意味が弟子にはいまだに分からない。どこが強いんだ、と拗ねて呟く。
「もしかして、昨日村の人たちと外で話していたのはそのことか?」
不意に声がしたかと思うと、カヴァリが身をかがめてヌーラの握っている新聞をのぞき込んだ。ヌーラはうわぁッと大声を上げてのけぞった勢いで玄関ポーチから転がり落ちそうになったが、カヴァリがその太い腕で素早く彼を引き寄せる。ヌーラは心臓をバクバクさせながら首を縦に振った。心なしか顔が熱い。
昨日この魔女の家に来た客人たちの中にはトナリ町の町長がいて、トナリ村の村長と地区の相談役代理ヌーラと共に、地区の警戒態勢の解除を行うことを決定した。それを家の外で行ったのは、記憶喪失のカヴァリを必要以上に混乱させないための配慮だった。
「ワタニー城?」
見出しに添えられた再建中の塔の絵を見たカヴァリが首をひねる。ヌーラは木々の合間から見える旗を指さしてやる。
「あれだよ、黒地に金色の獅子の紋章。軍人貴族ワタニー家の城。このトナリ地区にある魔法石の採集スポットを欲しがって、たまにちょっかい出してくるんだよな。魔法石は重要な資源だからな。トナリ地区はあくまでも魔女サーヘラの守護する土地であって法的に認められた領地じゃないから、他領が手出ししてきてもそれを国王に訴えて法的に罰したり裁いたりできないんだよな」
青い空を背景にはためく旗を仰ぎ見ていたカヴァリだったが、ヌーラの声を聞きながら眉間に深く皺を刻んで額を抑えた。脳の奥が疼くような感覚が不快で、こめかみから冷や汗が流れる。快活に弧を描いてみせるはずのくちびるからうめき声が漏れた。
「おい、しっかりしろカヴァリ!」
しまいにはうずくまってしまったカヴァリの肩をヌーラが強くゆすって、その背を撫でた。
「落ち着け、落ち着いて深呼吸だ。ほら、吸って……吐いて……どうした、頭が痛いのか? それとも気持ち悪い?」
しばらくは忙しなく肩を上下させて呼吸していたカヴァリだったが、次第に落ち着きを取り戻した。
「すまない、大丈夫だ」
立ち上がって半ば無理やり笑ったのを見逃さず、ヌーラは彼の背をさすって眉を曇らせる。
「お前、今日は家で大人しくしてろ」
「そんなこと言わないでくれよ。今日もこんなに晴れてるのに留守番なんて」
「顔色悪いぞ。何か思い出したのか?」
ヌーラがダイニングテーブルに怪我人を座らせて、手早く朝食の準備をする。カヴァリは困ったように笑った。思い出せそうで思い出せず、歯がゆい。そう言って胸をかきむしる。そんな彼は、いざ朝食を終えると身支度をしてブーツを履いて、ヌーラがトナリの村に出向くのに同行しようとした。
「一人でいると余計なことを考えてしまいそうだから、気分転換も兼ねて付いて行きたいなって。それに色んな人と話したら何か思い出すかもしれないだろ?」
そう言われて、カヴァリの主治医は渋い顔をした。足首の捻挫を思えば、あまり彼を歩かせるのは好ましくない。しかし今はカヴァリの記憶を取り戻すのを優先したいのがヌーラの正直なところだった。
仕方ない、とヌーラが首を縦に振ると、カヴァリが破顔した。玄関を出て、怪我人の隣に並んでいつもより心持ちゆっくり歩き始めた。その瞬間、である。
「伏せろッ!」
カヴァリが鋭い声を上げた。ヌーラをその背に庇いながら背後を振り返り、素早く抜刀の構えを取る。その場に屈んだヌーラが仰ぎ見たのは、生い茂った低木から飛び出してくる茶褐色の魔獣だった。狼のような形をした魔獣は鋭い牙をむき出しにして人間に食らいつこうとする。そこに火炎一閃、炎が叩き込まれた。
「魔法?!」
ぎょっとしたヌーラがカヴァリのほうを見ると、彼の手にはひと群れの炎が握られていた。カヴァリは火を固めて作られた剣を構えなおし、地面に転がった魔獣にそれを振り下ろした。その火勢たるや、周囲の草や木を焦がすほどである。ギャン、と魔獣が苦しげな声を上げて立ち上がろうとした身体が地面に伏せる。銀色の飾りがついた尾が地面に垂れ、血が流れ出す。その火が飛び散って、一番近いところに植わっていた低木が下草と一緒に燃え始める。バチバチと嫌な音がして煙が立ち上がった。
倒れた魔獣にとどめを刺そうとカヴァリがもう一度素早く炎を振り上げた。だが、それを阻むように背後で突然爆発音がした。緑色の煙が立ち上り、奇妙なにおいがあたりを満たす。
「カヴァリ、こっちだ! 今は走れ!」
煙の中からヌーラの声がしたかと思うとそこから伸びた手に手首を引かれて、カヴァリの握っていた炎の剣が霧散した。
煙と異臭が届かないところまで走ると、ヌーラは呼吸を整える間もなくカヴァリを怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎、あそこまでやるこたぁねぇだろ! もう一撃入ってりゃあの魔獣を殺してたぞ。それに周囲の草木にも燃え移ってた。もっと周りを見ろ!」
まさか怒られるとは思っていなかったらしい。カヴァリは巨体をビクリと震わせる。うろうろと視線をさ迷わせ、さっきまで炎の剣を握っていた大きな手も落ち着きがない。心なしか金髪がくすんだような色に見えた。
「魔獣は人間に害をなすから殺さないとって思って……。俺、自分がどんな魔法が使えるかも忘れてたんだ。だけど身体が自然に動いて、それに、ヌーラが怪我をすると思って……」
手を忙しなく動かしながら、混乱に呼吸を浅くしながらだんだんと尻すぼみになる言葉で弁明をする。カヴァリに、ヌーラはため息をついた。記憶喪失の人間を頭ごなしに叱りつけた自分に呆れたのだ。
カヴァリの手を握り、互いの視線を合わせてヌーラは低く落ち着いた声でゆっくりと彼に喋りかけた。
「俺のこと心配してくれたんだな、ありがとう。でもむやみに傷つける必要はねぇんだ。魔獣は確かに人間にとって脅威だが、音や炎での威嚇、あいつらの嫌がる匂いや獣除けの護符で避けられる。そうすりゃ魔獣はもちろん、俺たち人間だって怪我をしなくて済む。わざわざ戦う必要はねぇんだ」
カヴァリの手にできたタコはおそらく剣を握り続けたことによるものだろう。そんなことを思いながら、ヌーラは記憶喪失の男の手を撫でる。何かを教える時、大魔女サーラはいつもこうして弟子の手を握って目を合わせてくれたものだ。
カヴァリが手を握り返し、深呼吸をする。落ち着きを取り戻した彼は、ヌーラの目を見つめて囁く。
「君はすごいな、ヌーラ。おれは戦うことしか考えられなかったのに」
「俺は魔法が使えないし、武器の類もろくに使えないからああやって戦うのを避けてるだけだ。凄くなんてねぇよ」
「そんなことはないさ。なにせ君は戦う前に勝つ方法を知っているんだからな」
思いがけない評価に、拗ねたように斜め下を見ていたヌーラが顔を上げた。ポカンとして青い目を丸くしている。そんな彼に、カヴァリは身を乗り出してぐっと顔を寄せ、声を弾ませて問いかけた。
「それで、さっきのあの緑の煙はなんだったんだい? 君が作ったのかい?」
「あれは獣除けの香を発煙弾として使えるように俺が改造したやつだ。しばらくうちの周りには魔獣も近づかないと思う。……それにしてもあの狼型魔獣、変な魔獣だったな。尻尾に銀色の輪が付いてた。誰かのペットか? でも魔獣を飼うなんて、そんな技術……」
ブツブツと呟いていたヌーラだったが、はっと我に返ってカヴァリの方を見ると彼もまた何か考え込んでいるようだった。何やら真剣な顔をしていたカヴァリは年齢に似合わない無邪気な笑みを浮かべる。
「尻尾の銀の輪なんておれは気付けなかった。……なあヌーラ、おれに君の知ってることを教えてほしい。君の見ている世界をおれも見てみたいんだ。だから、俺の師匠になってくれ!」
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