第250話 閑話:剣の声を聞く少女
昼を少し過ぎた穏やかな日差しの中、一人の男がトラン王国の王都マイオスの北門をくぐった。
美丈夫。男を表現するならその言葉が一番合うだろう。
精悍な顔つきに、革製の服の上からでも分かる無駄な肉が一切ない体つき、そして背中には自身とほぼ同じ大きさの大剣。その姿に多くの女性が一瞬だが目を奪われるほどだ。だが、女性たちは次の瞬間にはその男が誰なのかを理解する。男はこの王都でも有名な人物なのだ。
遠巻きに見られる視線を少しだけ煩わしいとは思いながらも、男は目的地へと歩き始めた。
男が王都マイオスへ来たのは帰省と言う意味もあるが仕事でもある。仕事の依頼主は男の母親。理由はほとんど知らされてはおらず、仕事を頼みたいから帰って来いとの内容だけだった。
仕事の内容は護衛のようだが、誰を護衛するのかすら説明がない状態で有無を言わせぬ物言い。相変わらずとは思いつつも何年も王都へ帰ってこなかったこともあり、たまには母に会っておこうと帰ってきた。
男は普段、冒険者として活動している。ランクはアダマンタイト。冒険者ギルドでも最高峰のランクだ。
年齢は三十。十五の時に家を飛び出し、冒険者となった。そして冒険者として活動していく中、その強さとギルドへの貢献度から、勇者協会に認められて勇者となった。
当時、男の出生から勇者として認めるべきかどうかが議論になったが、それはすでに過去の事。その問題を蒸し返す者はいない。
男は勇者というものに興味はなかったが、とある制度に関しては興味があった。それは聖剣を使えるという制度だ。
聖剣。それは使用を制限しなくてはいけないほどの力を持った剣だ。剣の強さ自体には善も悪もない。あるのは使用者の善悪だけだ。強大な力に溺れないよう、聖剣の使用者は勇者協会が認めた勇者だけなのだ。
男は目当ての聖剣を使いたいがために勇者となった。そして許可を得て使っているのが背負っている聖剣だ。
十年ほど前に勇者となり聖剣を手にしたが、いまだに聖剣を使えているとは言い難い。
剣を振るうことは出来る。剣の力を解放することも出来る。だが、男には剣を振る度にどうしても違和感があった。剣に仕方なく使わせてもらっている、そんな違和感だ。そしてここ数年はそれがかなりひどくなってきた。最初に手にした頃よりも使い心地が悪くなっている。
世の中には意志を持つ武具や、所有者制限がかかっている物がある。しかし、この剣は自分の祖先が使っていた剣だ。自分にその資格がないのかと言われると少々疑問に思う。
男の母も若い頃はこの剣を振るった勇者の一人であった。だが、そんな話を聞いたことはない。自分にはなにか足らないものがあるのだろうか、と何度も自問していた。
その答えが明確に出ることはない。ならば、剣に認められるまで精進するだけだ、といういつもの回答に行きつく。
男がその答えを出したところで目的地である屋敷に着いた。
メイドに案内されて男の母がいる庭園へ向かっている。
身なりを整えてから、と思っていたが、メイドにその必要はありません、と言われ、そのままの恰好で歩き始めた。ホコリまみれの服装だが、そんなことを気にする母ではないな、と考えを改めて、メイドの後を歩いた。
王都の貴族街でも一際大きな屋敷では歩くだけでも一苦労である。とはいえ、男の母がみすぼらしい屋敷に住むわけにはいかない。
男の母親は、順位は低いながらも王位継承権を持っているのだ。
そして、その子である男にも末席ながら王位継承権がある。男やその母は王族に名を連ねる者であり、本来ならば冒険者などをやっていていいものではない。だが、男の母が勇者であったことや、男の父親のこともあり、王族や貴族の振る舞いは求められてはおらず、自由な行動が許されているのだ。
男の父親については母親以外誰も知らない。しかし、一つだけ分かっていることがある。
それは父親が魔族と言うことだ。額よりもやや上から茶色の髪をかき分けて一本だけ生えている黒い角。それが男の父親が魔族であると証明していた。
当時、人族と魔族の間に生まれた子供は珍しいものだった。それは今でもあまり変わらないだろう。全くないという訳ではないが、よほどの理由がない限り、人族と魔族が結ばれることはない。
魔族は人界にも多くいる。だが、数年で魔界へ帰るという規則があるのだ。人界にいられるのは数年、それ以降はかなり高齢になるまで人界に来ることは許されていない。
人族と魔族が恋仲になったとしても、短い期間で別れが来る。そして、魔族側に逃避行と言う言葉はない。それが使命であるかのように魔族は必ず魔界へと帰るのだ。
魔界は魔族でなければ生きるのが辛いところである。むしろ魔族でもギリギリなのだろう。住めるのは魔界にある三つのダンジョンのみで、その地表は致死性の魔素が蔓延し、触れていれば五分と持たずに命を落とす。
多少ならダンジョンと言う閉鎖空間で生活することも可能だが、ほとんどの人族はそれに耐えられない。肉体的にも精神的にも人族が魔界に住むことは不可能なのだ。
そんな理由から、人族と魔族の子供というのはよほどの訳ありと思われている。
そして勇者であった母が魔族の子を産んだ。それは訳ありという言葉では表現しきれない事だった。
勇者協会が認める勇者とは魔族達の王、魔王に対抗するための戦力である。人族と魔族が敵対しているわけではないが、戦いになる可能性がゼロと言うわけではない。魔族の子を産む者を勇者として認めて良いものか、勇者協会では何日も議論が続いた。
だが、当時人類最強とも言われた勇者である男の母は、それを笑い飛ばす。
「真実を知っていれば勇者という称号がどれほど滑稽なものであるか分かるものよ? それに魔族と戦争なんかしたら、もっと怖い人に怒られるわよ?」
そう言って何の未練もなく勇者の称号を返上したのだ。
父親は誰か、真実とは何か、もっと怖い人とは誰か、その答えを男は知らない。子供の頃に何度も聞いたが、答えは決まって同じだ。
「世の中には知らなくてもいいこともあるのよ。でも、いつか貴方も知るときが来るかもしれないわね」
そう言って微笑むだけだった。
ここ最近はそんな疑問すら忘れていたが、久しぶりの帰省で思い出した。もしかしたら今日はその答えを貰えるのかもしれない。そう思いながら男は母親のいる庭園に足を踏み入れた。
庭園の中央には白い小さな円形のテーブルと、同じ白色の椅子があり、二人の女性が座っていた。
向かって右側には男の母親が、そして左側には十五、六くらいの少女がいる。二人ともとくに話をしていたわけではないようだが、そこに険悪な雰囲気は感じられない。どちらかと言えば、和やかな雰囲気だろう。
男の母は優雅にカップに入ったお茶を飲んでいる。少女の前にもカップは置かれているようだが、まったく手を付けていないようだった。
男が母親に直接会うのは五年ぶりだ。だが、老いたという感じはしない。すでに五十を過ぎた年齢であるにもかかわらず、見た目は三十でも通るだろう。茶色の髪が年齢に似合わないほどの艶を出しており、白いドレスに良く映えている。
少女に関しては、男のほうに記憶はない。ただ貴族的な立ち振る舞いを感じた。座っているだけでも平民とは異なる。だが、着ている服は革製の物で、冒険者であると言っても違和感がない服装だった。
「おかえりなさい。五年ぶり、かしら?」
「ただいま帰りました。なかなか帰れずに申し訳ありません」
「いいのよ。私もここを飛び出して十年くらいは帰らなかったから。そういう家系なんでしょうね」
男の母親が楽しそうに笑う。血は争えないと言うことなのだろう。男のほうも苦笑した。
メイドに座るように促されるが、剣を担いだまま座ることは出来ない。ならば、と空間魔法で亜空間を作り、その中に剣を入れようとした。
だが、その行為を母親に止められる。
「台座を用意してあるわ。そこに置いてちょうだい」
男が母の視線の先を見ると確かに台座があるのが確認できた。なぜそんなことをするのかは分からないが、特に拒否することでもないので、言われたままに台座へ剣を置いた。
そして用意されていた椅子に座る。メイドが流れるような動作でお茶を用意したのを確認して、一口だけお茶を飲んだ。
「それで母上。私に仕事とは一体なんでしょうか?」
「こういう時は世間話をしてから切り出すものよ?」
「母上も私もそう言う性分ではないでしょう?」
「確かにそのとおりね。でも、その前に確認したいことがあるからちょっと待って。もし、違うのならば仕事の話自体なくなるかもしれないわ――それでどうかしら?」
どうかしら、と聞かれたのは少女の方だった。男も自然とそちらへ視線を向ける。
少女は台座に置かれた剣を凝視していた。しばらく見つめていたが、その剣から視線を外し、男の母親のほうを向く。
「はい、間違いありません。この剣です」
「そう……それにしても残念だわ。私には何も聞こえないのだけど」
「何の話ですか? 聖剣がなにか?」
「この聖剣だけど、最近なにか違和感がなかったかしら?」
最近の状況を当てられて男は驚いた。なぜそれを母が知っているのか。その思いが顔に出たのだろう。母親のほうがやっぱりと言う顔をした。
「なぜ、それを? まさかとは思いますが、こちらの少女が何か原因を知っているのですか?」
「ほぼ正解ね。その理由はこの子が知っているわ」
男はいまだに紹介もされていない少女のほうを見た。
少女は少しだけビクッと体を震わせてから、母親のほうを見る。
母親が頷くと、少女はまた男のほうを見て口を開いた。
「声が聞こえるのです」
「声……?」
「はい、この聖剣フェル・デレから声が聞こえます。自分をある場所へ連れて行って欲しいと」
男は少女の話に耳を傾ける。
少女は何年か前から頭に声が響いていたそうだ。だが、それを親に相談しても、思春期特有の思い込みの可能性があると思われ、それを信じる大人は誰もいなかった。
だが、日に日にやつれていく少女を見かねた親が同じ貴族へ相談をしたところ、男の母親にその話題が伝わった。
興味を持った男の母がいくつか質問をすると、少女はそのすべてに完璧に答えた。質問のほとんどはトラン国の歴史を学べばすぐに回答出来る。
だが、少女はこの人界でも知る人が限られる剣名の由来についても完璧な答えを返したのだ。少女の話では頭に響く声がその答えを教えてくれたらしい。
男の母親はがぜん興味がわき、その声の元である聖剣を今の所有者である男と共に呼び戻したのだった。
男はこの状況をどのように捉えるべきか迷っていた。
聖剣の声が聞こえる。それが本当のことなのかどうなのか分からないためだ。母親は信じているようだが、男にはそれを信じることが出来ない。
だが、一つだけ試したいことがあった。もしも聖剣の声が聞こえると言うなら、それを知っているはずだからだ。
「すまないが、簡単に信じることは出来ない。だから俺も質問させてもらっていいか? 聖剣の声が聞こえると言うなら、聖剣が見たり聞いたりしたものを答えられるはずだ。それに答えられたのなら俺も信じようと思う」
「はい、聖剣に答えられるかどうかは分かりませんが、聞いてみます……あ、えっと構わないでしょうか?」
少女が男の母親に許可を求める。男の母親むしろ面白そうにしているようで、首を縦に振った。
男は深呼吸してから少女を見つめた。そして母親のほうへ視線を移す。
「俺の父親は誰だ? 聖剣なら知っているはずだ」
その質問に男の母親は目を丸くする。少女は少しだけ首を傾げたが、目を瞑り、聖剣のほうへ顔を向けた。
どういった意図があるか分からないが、母親と少女がグルと言う可能性がある。事前に打ち合わせが出来ない、それでいて母親に聞けば分かる、さらには自分が昔から知りたかったことを男は質問した。
たとえ答えられなくてもいい。この質問で母が答えてくれる可能性もある。それだけでこの質問をした価値があったと男は思った。
しばらく待ったが少女は何も答えない。それはこれが茶番だったという証拠だった。
「残念ながら時間切れ――」
「魔王……」
「なに?」
「魔王アール。それがお父様だと言っています」
長年知りたかった答えが少女の口から出てきた。だが、それがあっているかどうかは分からない。男はすぐに母親のほうへ視線を向けた。
男の母親は驚いた顔をしてたが、徐々に笑顔になる。
「あっているけどちょっと訂正ね。その人は先代魔王よ。そして私が勝てなかった最強の魔王――懐かしいわ」
「まさか……本当に? 魔王アールと言えば、歴代最強の魔王と言われている魔王の中の魔王では?」
「歴代最強の魔王だったかどうかは別として、確かに強かったわ。何度か戦ったけど一度も勝てなかった。そして勝ち逃げをされたわ……いつか向こうへ行ったらまた勝負しないといけないわね」
母親が寂しそうにお茶の入ったカップを見つめる。
男は察した。
魔界の事情に詳しくはないが、魔王アールはすでに他界しており、子はいないとされている。つまり、自分が魔王の子供であることはおそらく本人達だけの秘密だったのだ。
魔王に子供がいる、しかもそれは人族との間に生まれた子供。魔族の中ではどうだか知らないが、トランの王族としてはただの魔族との子供よりもスキャンダルであることは容易に想像できた。
だからこそ、自分にもそれを言わなかったのだ。男はそう結論付けた。
「信じるか信じないかは任せるわ。でもね、この私、狂姫ナキアが自分より弱い男の子供を宿すわけないでしょ? それだけで信ぴょう性がある答えだと思うわよ?」
狂姫――クルイヒメ、キョウキ。母親の若かりし頃の二つ名。男はその言葉だけで納得した。
「いえ、納得のいく説明でした。どんな言葉よりも説得力があります……ならこの少女の話は――」
「信じられないけど本当の話よ。まさかここで貴方の父親のことまで言われるとは思っていなかったけど」
「と言うことは、護衛するというのはこの少女を?」
「ええ、何があるかは分からない。ただ、聖剣が行きたい場所がある。この子と聖剣を連れてその場所へ行って欲しいの。私が行っても良かったんだけど、今の聖剣の所有者は貴方なのだから貴方に任せるわ」
男はその言葉に強く頷く。そして少女を見た。
目指す場所に何があるかは分からない。だが、聖剣の声を聞く少女と共にそこへ行くことは自分の運命のような気がしたのだ。
次に男は台座に置かれた聖剣へと目を向ける。
聖剣は何も言わないが、光を放ったような気がした。
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