第208話 おかえりなさい
ずいぶんと時間が経ったのにいまだにフェル姉ちゃんは目を覚まさない。
これはもうアンリが寝ているフェル姉ちゃんにダイブして強制的に起こすしかないのかも。
リエル姉ちゃん以外は特に何かしているってわけじゃないんだけど、いつ目を覚ますか分からないのをずっと待つというのは精神的に疲れると思う。でも、みんなはそんな弱音を吐かない。
とくにリエル姉ちゃんは聖人教のお仕事もあるのに疲れすら見せない感じだ。
「俺は自分に治癒魔法を使ってるんだよ。だから平気なんだ」
みんな、アンリにそういう嘘を吐く。そんなわけない。治癒魔法は精神的な物には効かないって聞いた。つまりリエル姉ちゃんは気合とか気力だけでフェル姉ちゃんのお世話をしてる。以前よりは休むようになったけど、もっと休まないと体がおかしくなっちゃうんじゃないかな?
コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。外からアムドゥアおじさんがリエル姉ちゃんを呼んでいるみたい。
「すまん、ちょっと聖人教絡みの仕事があるから、フェルのことをよろしく頼んだぜ」
リエル姉ちゃんがそう言って部屋を出て行った……というか、部屋のすぐ外にいるみたいだ。外からの二人の声が聞こえてくる。
『リエル、本当にいいのか? 確かにあの子達はお前を慕っているが……』
『くどい。アイツらは俺と同じだ。なら、俺が面倒をみるのは当然だろ? でも、同情じゃないからそこは間違えるなよ? 単に俺がそうしてやりたいんだよ。それに俺はこの聖都を出てソドゴラ村へ帰る。聖人教のことを全部任せるんだから、それくらいは俺にやらせてくれ』
『そうか。お前の意志は分かった。ならお願いする……変な風に育てるなよ?』
『女はよりいい女に。そして男はよりいい男に育ててやるから安心してくれ』
『それが心配なんだよ。お前にはお前の良さがあるんだから、それを教えてやってくれ……いいか? くれぐれもあの子達の前で結婚したいって言うなよ? あの子達がリエルみたいになったら、その、なんだ、ものすごい罪悪感がある』
『褒めるか貶すかどっちかにしろ』
リエル姉ちゃんとアムドゥアおじさんは何の話をしているんだろう? あの子達って誰の事かな?
お話は終わったみたいでリエル姉ちゃんが部屋に戻ってきた。そしてすぐにフェル姉ちゃんのベッドの横に座って治癒魔法を使い始めた。
「リエル姉ちゃん、部屋の外で何の話をしていたの?」
「ん? ああ、実は俺に子供が出来てな。ソドゴラ村へ連れて行って育ててやるって話をしていたんだよ。リエルおかあさんって慕ってくれて可愛いんだぞ?」
時間が止まるということを経験した。みんながリエル姉ちゃんを見て動かなくなっちゃった。アンリも思考が途切れた感じがする。たぶん、数分くらい止まったと思う。
でも、言わなきゃ。リエル姉ちゃんは大丈夫だと思っていたけど、フェル姉ちゃんの看病でちょっとずつ精神をやられちゃってたんだ。
「リエル姉ちゃん、よく聞いて。そして気をしっかり持って。リエル姉ちゃんは結婚してない。結婚してないリエル姉ちゃんにはコウノトリさんは来ない。その子供は妄想」
「そ、そうだよ、リエルちゃん! 今日はもう休んで! 疲れがたまってるから! もっと強力な魔道具を使って二日くらい寝させるから!」
「リエルちゃん、私が絶対にいい男を見つけてきてあげるから、そんな妄想で現実逃避をしないで。ちょっと異端審問官だった人たちに声をかけてくるよ」
「魔道メイド達に連絡して精神安定の魔法が使える人を呼びます。ご安心ください。その道のエキスパートです」
「リエルちゃん、大丈夫、フェルちゃんは絶対に目を覚ますから。だから以前のリエルちゃんに戻って」
「あのな、ちょっと言い方が悪かったかもしれないが、そういう妄想じゃないんだよ。女神教で保護していた孤児がいてな、その子達の母親になるって話だ。ソドゴラ村に孤児院を建てて一緒に暮らすんだよ」
「……リエルちゃん、まさかとは思うけど、小さいうちから男の子を自分好みに育てて結婚しようとしているんじゃ……」
「ディア、フェルが目を覚ましたら覚えてろよ……あ、でも、異端審問官のやつらに声はかけておいてくれ。まあ、それもこれもフェルが目を覚ましてからだな……ったく、フェルはいつまで寝てんだ。これじゃ俺の結婚が遠のくぜ!」
よかった、看護疲れで変な妄想をしているのかと思っちゃった。それにいつも通りのリエル姉ちゃんを見てみんなもちょっとだけ緊張感がほぐれたみたい。
フェル姉ちゃんが目を覚まさないのは心配だけど、たまにはこういう風に笑ったほうがいい。
「さて、そんじゃ、またフェルに治癒魔法をかけておくか。何がきっかけで起きるか分からないしな、片っ端から治癒魔法をかけてやるぜ!」
「――様」
……あれ? 今、誰が言ったの? 皆もキョロキョロしている。でも、今の声って――!
「――様」
やっぱり! フェル姉ちゃんが何か言ってる!
みんながフェル姉ちゃんの寝ているベッドに近寄った。そして顔を覗き込む。今までの無表情じゃなくて少し苦しそうな顔をしている。
「フェル! おい! 大丈夫か!」
「フェルちゃん!」
リエル姉ちゃんとヴァイア姉ちゃんが呼びかけてる。するとフェル姉ちゃんの顔がちょっと穏やかになってきた。
そしてフェル姉ちゃんはうっすらと目を開けて皆のことを見渡し、顔をしかめる。
「お前ら近い。もっと離れろ」
「フェル姉ちゃん!」
いてもたってもいられなくなって、寝ているフェル姉ちゃんに飛びかかった。アンリダイブ。
「ぐふ」
「アンリちゃん! フェルちゃんは病人だから! トドメ刺しちゃうから!」
フェル姉ちゃんにしがみつこうと思ってたのに、ディア姉ちゃんに引きはがされた。でも、そんなことじゃ引き下がらない。拘束を抜け出してもう一度フェル姉ちゃんにダイブだ。
「なんでお前らが私の寝室にいるんだ。一緒に泊まってはいなかったよな? ちょっと記憶が曖昧で思い出せないが」
フェル姉ちゃんはそう言って起き上がろうとしたけど、体に力が入らないみたいで起き上がれなかった。ずっと寝てたからかな? でも、そんなことは些細な事。フェル姉ちゃんが目を覚ましたことが大事。
「待て待て、無理に起き上がるんじゃねぇよ。結構長い期間寝てたんだ。何があったか知らねぇが、しばらくは安静にしてろ。治癒魔法をかけるから」
「そうなのか? どれくらい寝てた?」
フェル姉ちゃんがそう言うと、リエル姉ちゃんは顔を伏せた。
確か今日で一ヵ月くらいだ。リエル姉ちゃんはフェル姉ちゃんが眠っているのは自分の責任だと思ってるから言いにくいのかも。
そんなリエル姉ちゃんを見てフェル姉ちゃんは不思議そうな顔をした。そしてすぐに驚いた顔になる。
「おい、リエル。お前、大丈夫なのか? 操られていただろう?」
「何言ってんだ? フェルが助けてくれたんだろうが。目覚めさせてくれたのはアビスだったけど、体を取り戻してくれたのはフェルだろ?」
「ああ、そうだったな」
なんだろう? フェル姉ちゃんはちょっとだけ不思議そうな顔をしてる。まだ記憶が曖昧なのかな?
「空中都市でなにがあったか知らねぇけど、色々やってくれたんだろ? その、ありがとな」
「依頼だから仕事を受けてやったんだ。それにリエルより先に結婚していいんだろ? まあ、悪くない依頼料だ」
「おう、俺が認めた奴なら結婚を許すぜ」
「お前、誰にも許可を出さないつもりだな――こっち見ろ、コラ」
みんなが笑う。うん、フェル姉ちゃんもリエル姉ちゃんもいつも通りだ。こういうやり取りはソドゴラ村でもやってた。また見れて嬉しい。
笑いが収まると、メノウ姉ちゃんがフェル姉ちゃんの手を握って微笑んだ。
「おかえりなさい、フェルさん。お腹がすいていますよね? いきなり固形食は厳しいでしょうから、スープか何かを作ってきますので」
「ああ、そうだな。お腹がペコペコだ。でも、おかえりってなんだ? ただいまって言えばいいのか?」
「はい。おかえりなさいませ。ずっと待っておりました」
メノウ姉ちゃんは涙目だ。そして鼻をすすりながら部屋の外へ出る。フェル姉ちゃんのためにスープを持って作ってくるんだろうけど、今日のスープはすごくおいしくなりそう。あとでアンリも飲ませてもらおう。
「一体なんだ? すまんが、状況を教えてくれ。なんだか記憶が曖昧でな。何があったんだ?」
みんなで顔を見合わせる。どうせいつか分かるんだし言ってもいいとは思うけど、どうなんだろう? 起きたばかりだから言わないほうがいいのかな?
でも、ヴァイア姉ちゃんは真面目な顔つきになった。あれは全部説明するって意味だと思う。みんなも、うんって頷いた。
「リエルちゃんが空中都市から白くて丸い物に乗ってレメト湖に落ちたんだけど、その後にフェルちゃんもその丸い物に乗って落ちてきたんだよ」
「私がか?」
「うん、リエルちゃんと同じようにフェルちゃんも気を失っていてね。一緒に聖都まで運んだんだ」
ヴァイア姉ちゃんはその後のことをフェル姉ちゃんに全部話した。
リエル姉ちゃんは目を覚ましたけどフェル姉ちゃんは目を覚まさなかったこと、一ヵ月くらい眠っていたことを全部話した。
フェル姉ちゃんは驚いていたけど、それほどショックではないみたい。ただ、不思議そうな顔をしてる。なんで、って顔だ。
「毎日こうやってフェルに治癒魔法をかけてたんだぜ? 状況が分からねぇから片っ端からかけまくったんだけど、ついさっき、フェルがうなされ始めたんだよ。誰かを呼んでいたような気もするけど、聞き取れなかったな」
そういえば、「様」って言うのは聞こえたけど、名前は分からなかった。そもそも声に出ていなかったのかも。
「意識を取り戻しそうだと思って、皆で呼びかけたんだよ。そうしたら、バッチリ目覚めたってわけだ。フェルの事だから心配はしてなかったけどよぉ、それでもほんのちょっとくらいは心配するだろ? 起きんのがおせぇんだよ」
リエル姉ちゃんがそう言うと、ディア姉ちゃんがニヤニヤしだした。
「ほんのちょっとくらい心配? リエルちゃんはこの世の終わりみたいな顔して心配してたじゃない。ずっとこの部屋に籠りっきりで昼も夜も治癒魔法をかけてたでしょ?」
「ばっ、言うんじゃねぇよ! 大体、お前らもそうだったじゃねぇか!」
確かにその通り。みんな平気そうにしていたけど、たまに辛そうな顔をしてた。たぶん、アンリも。
「みんな、ありがとうな」
「少なくとも俺に礼はいらねぇよ。礼を言うのは俺の方だ。さっきも言ったけど、ありがとうな。フェルのおかげで助かった」
フェル姉ちゃんがお礼を言ったけど、みんなでお礼なんかいらないって言った。
そう、お礼を言われるようなことなんて何もしてない。アンリ達はフェル姉ちゃんが目を覚ますのを待ってただけ。それはお礼を言われるような行為じゃない。当然の行為だ。だから、なんのお礼もいらない。
お礼は必要ないけど、アンリ達を心配させた罰は受けてもらうつもり。やってもらいたいリストもある。
「フェル姉ちゃんはお寝坊さん。アンリはすごく心配した。だから体が良くなったらアンリと遊ぶべき」
「私も。フェルちゃんが心配で食事が喉を通らなかった」
「そうか、心配かけたな。まだ少し体の調子が悪いようだから、治ったら遊んでやる。それに食事をおごってやろう」
そんな程度じゃ足りない。でも、今日くらいは勘弁してあげよう。
そうだ、今日は一緒に寝よう。今までのように同じ部屋で寝るってことじゃなくて同じベッドで寝る。アンリにはそれをするくらいの権利がある。
スザンナ姉ちゃんも同じことを思いついたみたい。アンリはベッドの右側から、スザンナ姉ちゃんはベッドの左側からシーツに潜り込んだ。
「邪魔なんだが?」
「これくらい我慢するべき。アンリはずっと我慢してた。今日は一緒に寝る。何人たりとも邪魔はさせない」
「私もそう。今日はこのベッドで寝る」
「そうだね! 今日はみんなで一緒に寝よう!」
ヴァイア姉ちゃんも参戦してきた。みんなで一緒に寝るにはベッドが小さすぎるけど、大丈夫かな? それにアンリはこのポジションを譲るつもりはない。この場所はアンリの領地。死守しよう。
「おう、もう大丈夫だとは思うが心配だからな、いつでも治癒魔法をかけられるように一緒にいてやるぜ! そうだ、パジャマパーティーするか! 門外不出の恋バナを聞かせてやるからな!」
「どんな恋バナを言うつもりだ。というか、私って病人なんだよな? 静かにしてほしいんだが――聞けよ」
フェル姉ちゃんはまだうまく起きられないみたいだけど、今日くらいはアンリ達のわがままに付き合ってもらう。でも、無理をさせないように気を付けないと。アンリのこの喜びはちょっとセーブしておこう。
でも、良かった。フェル姉ちゃんが目を覚ました。信じていたけど、やっぱり心配だった。
シーツから顔をだしてフェル姉ちゃんを見た。そして腕にぎゅっと掴まる。
「アンリ、ちょっと痛いぞ。もう少し掴む力を抜いてくれ。力が入らないから抵抗できん」
「今日はあきらめて。だいたいフェル姉ちゃんがお寝坊さんなのが悪い。自業自得」
「自業自得なのか……? まあ、心配をかけて悪かったとは思ってるから今日はあきらめるか」
フェル姉ちゃんが首を動かしてアンリのほうを見ながら微笑んでくれた。
うん、夢じゃない。フェル姉ちゃんはちゃんと帰って来てくれた。
おかえりなさい、フェル姉ちゃん。
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