第163話 お見送り

 

 今日はフェル姉ちゃんが獣人の国、ウゲン共和国へ行く日だ。


 朝早くから出発するみたいだから早起きして広場でスザンナ姉ちゃんと一緒に待機してる。でも、早すぎた。まだ誰もいないみたい。


「ちょっと勇み足だった」


「早い分にはいいんじゃないかな。それに朝の新鮮な空気っていうのもいい感じだよ。周囲が森だからかな? 町なんかと違ってすごく空気が澄んでる」


「アンリはこの村とエルフの森くらいしか知らないから分からないけど、そういうものなんだ?」


 スザンナ姉ちゃんは体全体を使って深呼吸をしている。ここはアンリもしておこう。さらにはレィデオ体操という古の準備運動もしちゃう。


「おはよう。お前たちは何をしてるんだ?」


 運動していたら、フェル姉ちゃんがやってきた。


 いつもの執事服に戻っている。ディア姉ちゃんの修理はすごく早い。たしかズボンの裾部分がちょっと焦げちゃっていたけど今は新品同様だ。


 前の執事服も良かったけど、フェル姉ちゃんはこっちのほうが格好いいと思う。


「おはよう、フェル姉ちゃん。何をしているなんて愚問中の愚問。アンリ達はフェル姉ちゃんのお見送りに来た。一番乗りは譲らない」


「いや、何をしているってその変な踊りのことだったんだが――ああ、もしかして体操か。なぜか魔界にも同じ体操がある。大昔からある体操なんだろうな」


「そうなんだ? アンリ達はちょっと朝の空気を吸ったらテンションが上がって体操してたけど、メインはフェル姉ちゃんのお見送りだから」


「そこをアピールしなくてもいいけど、まあ、ありがとうな」


 フェル姉ちゃんはアンリとスザンナ姉ちゃんの頭をなでてくれた。昨日といい最近多い。アンリはいつでもウェルカム。


 なでなでが終わった後、スザンナ姉ちゃんが周囲をキョロキョロと見渡した。


「そういえば、今日はカブトムシさんのゴンドラには乗っていかないの? いつもは使っているよね?」


「さすがに獣人達が多くてな、あのゴンドラでも全員は無理だから今回は徒歩だ。今回は人族がいないから、脚力で問題ない」


 今回行くのはフェル姉ちゃん、ヤト姉ちゃん、アビスちゃん、それにレモ姉ちゃんと獣人の皆。確かに人族がいない。でも、歩いていくのは結構時間がかかるんじゃないかな?


 たしか森を抜けるには徒歩で二日くらい。そこからルハラ帝国を通ってウゲン共和国へ行く。おじいちゃんの話だと、森をでてからウゲン共和国へは大体一週間くらいはかかるみたい。


 つまり行くだけで九日かかっちゃう。


 ウゲン共和国は砂漠だらけだけど結構広いんじゃないか、とも言われているから、砂漠に入っても目的地まで結構かかりそう。二、三日はかかるのかな。


 それに向こうで何日かは滞在すると思う。


 つまり全部で一ヵ月くらいかかるってことだ。


 それを考えるとため息が出ちゃう。


「フェル姉ちゃん、早く帰って来て」


「なんだいきなり。まあ出来るだけ早く帰ってくるつもりではいるが」


「うん、出来れば全力疾走でウゲン共和国へ行って来て。帰りも全力で帰ってくる感じで」


「なんでだ。でも全力疾走はないが、似たような感じの強行軍になりそうだ。獣人達が国の心配をしているみたいだからな。それに獣人達は足が速い。それに合わせて移動しないと……ルハラの平原を多くの獣人達が走るのはちょっとシュールな気がしてきた」


「もしかしてカブトムシさん並のスピードで移動できたりする?」


「どうだろうな。でも、似たような日程で行くつもりだ。森を抜けた先の町へは今日到着予定だし、次の日にはエリザベートやドッペルゲンガー達が防衛している城塞都市ズガルまで行く。そこで補給をしてからルハラの最も西にある町まで二日で行く予定だ。町の名前はグリトニ、だったかな。その町からはすぐにウゲン共和国へ入れるらしいぞ」


 ええと、四日でウゲン共和国の近くまで行くってことかな?


 すごい、アンリの想像していた日程の半分になった。となると、一ヵ月くらい日程も半分になるから二週間くらいかな? うん、それくらいなら許容範囲。


 そう思ったところで森の妖精亭からレモ姉ちゃんが出てきた。


「お、おはようございます! お、遅くなりました!」


「いや、予定の時間までまだあるから遅れてないぞ。おはよう」


「で、でも、フェル様の後に来るなんて部長クラスの人たちに知られたら怒られますよ! 特に軍部のオリスア様とか!」


「そういうのをやめろと言ってるんだけどな」


 フェル姉ちゃんは魔王なんだから、魔族の人に崇められているみたい。でも、フェル姉ちゃんはそういうのが苦手らしい。昨日、森の妖精亭でそんなことを言ってた。


 いけない、まずは挨拶だ。


「レモ姉ちゃん、おはよう」


 アンリとスザンナ姉ちゃんが挨拶すると、レモ姉ちゃんも「おはようございます」と返してくれた。


「あと、タンタンちゃんも。おはよう」


 レモ姉ちゃんが背中に背負ってる剣に挨拶した。


「俺にも挨拶してくれるのか? いい子だな、お前ら。おう、おはようさん」


 アンリ達とタンタンちゃんのやり取りを見てフェル姉ちゃんが首を傾げた。


「お前たちって面識があったか? 話をしたことはなかったと思ったが」


「昨日、森の妖精亭から帰るときに広場でレモ姉ちゃんに会ったから、その時にお話をした。なかなか刺激的だった。一緒にいたディア姉ちゃんが操られそうになって大変」


「ちょ、言うなって! あ、いや、フェル様、違うんですよ! ディアの奴がちょっと操ってみてって言ったから、それに従っただけでして! 操って悪いことをしようなんてこれっぽっちも思ってませんから!」


 タンタンちゃんはフェル姉ちゃんに怒られてる。操るような行為は駄目って言われてたみたいだ。


 それにしてもしゃべる剣ってすごい。


 詳しくは覚えていないみたいだけど、第二世代で作られた武器だってタンタンちゃんが言ってた。


 インテリジェンスソードって言われていて、昔は何本もあったとか。でも、今は数えるくらいの本数しかないみたい。いまでも遺跡の奥の方にそういう意志のある武具が眠っているはずだから、大きくなったら探してみたらどうだって言われた。


 それはそれで興味があるけど、アンリの剣は七難八苦とフェル・デレの二本。それで十分。


 大事に長く使ったらタンタンちゃんみたいにしゃべれるようになるか聞いてみたけど、それは無理だろうって話だった。


 タンタンちゃんがしゃべれるのはそう言う風に作ったからであって、後からしゃべれるようになることはないみたい。


 ちょっと残念。七難八苦とフェル・デレのおしゃべりを聞きたかった。もちろんアンリもお話をしたい。


 そんなことを考えていたら、いつの間にか広場に皆が集まってきた。


 皆がフェル姉ちゃん達に気を付けるんだぞって言ってる。


 そしてニア姉ちゃんが大量のお弁当をヤト姉ちゃんに渡していた。ヤト姉ちゃんはそれを亜空間に入れているみたい。獣人さん達のお弁当だと思う。


 たくさんいる獣人さん達はなぜかタジタジしている感じ。ちょっと涙ぐんでいる人もいる。


 獣人さんとはあまりお話をしなかったけど、もうちょっとお話をしたほうが良かったかな。でも、また来るみたいな話をしているみたいだし、それは次の機会にしようっと。


 最後にアビスちゃんがやってきた。アンリのほうを見てから近寄ってくる。


「アンリ様、スザンナ様、それでは行ってまいります」


「うん、アビスちゃん、気を付けてね」


「はい、気を付けます。必ず私が最強で最高であることを証明してみせましょう」


「……何の話? たしかにアビスちゃんは最強で最高だとは思うけど」


「いえ、こちらの話です。この遠征の目的の一つにそれが含まれているということですね。そうそう、アンリ様とスザンナ様がヴァイア様から貰った魔道具に映像を送るようにしますので、それを見て楽しんでください」


「そうなんだ? フェル姉ちゃんもそうするって言ってたけど、ちょっと怪しいからアビスちゃん、お願いね」


「はい、毎日数回は送るようにしますので、楽しみにしていてくださいね」


 アビスちゃんはそう言うとフェル姉ちゃんのほうへ歩いて行っちゃった。


 これで全員の準備が整ったみたいだ。


「それじゃちょっとウゲン共和国まで行ってくる。何かあれば念話で連絡をくれ。それじゃ出発だ!」


 フェル姉ちゃんがそう言うと、獣人さん達は雄たけびを上げて森の中へ駆けて行った。ヤト姉ちゃんが一番だったと思う。


 そして、なぜかフェル姉ちゃんとレモ姉ちゃん、それにアビスちゃんが残ってる。


「アイツら最初から飛ばし過ぎだ。というか全力疾走なのか……」


「フェル様は転移があるからまだいいじゃないですか。私はこの鎧を着て走るしかないんですよ……」


「脱げばいいのに」


「鎧がないなんて恥ずかしくて無理です!」


「お二人ともおいて行かれますよ。早く行きましょう」


「そうだな……それじゃ行ってくる」


 フェル姉ちゃんは皆にそう言って急に消えた。たぶん、見える範囲まで転移したんだと思う。


「フェル様、置いて行かないでください! できれば転移はなしで!」


 レモ姉ちゃんは走っていっちゃった。結構速い。


 そして残ったのはアビスちゃん。


「アビスちゃんは行かなくていいの?」


「もちろん行きますよ。これくらいはハンデですね。それでは行ってきます」


 アビスちゃんはぐぐっと前かがみになると、いきなり背中に黒い翼が生えた。そして膝を曲げてから思いっきり伸ばすと、ドンって音がして宙に飛びあがる。一度だけこっちを見て手を振ってから皆が向かったほうへ飛んで行っちゃった。


 そういう行為は事前に言っておいて欲しい。みんなポカンとしてる。実はアンリも。


「さ、さあ、皆。見送りは終わりだ。フェルさん達がいなくてもちゃんと仕事をしよう」


 さすがおじいちゃん。一番に意識を取り戻した。そしてなんの問題はなかったように振舞ってる。おじいちゃんの言葉で皆もぞろぞろと動き出した。


「さあ、アンリ達も午前のお勉強しようか」


「まずは朝食を食べてから。それまで自由の時間。そこは譲れない」


 そう言って皆で一緒に家に帰った。


 フェル姉ちゃんは二週間くらいいない。でも、それは仕方のないこと。今度帰って来た時までにたくさん修行して、アンリがすごく強くなっているのを見せて驚かせようっと。

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