第155話 一緒にお勉強

 

 おじいちゃんから出題される計算問題を黙々と解いていく。


 苦しい、つらい、絶望しかない。なんでこんなことをしているのか分からなくなってきた。ううん、もしかしたらアンリは昔からずっと計算していて、フェル姉ちゃん達は妄想だったのかも。アンリが精神的に逃避した結果がフェル姉ちゃん達……?


「アンリ、大丈夫? 目が死んだ魚みたいだよ」


 スザンナ姉ちゃんの声が聞こえた。アンリのことを心配そうに見つめている。


「……スザンナ姉ちゃんは本物? アンリの想像の産物じゃない?」


「傷は浅いからしっかりして。あと十問解けば休憩に入れるから。でも、村長さんも計算百問って……アダマンタイトになってから初めて命の危険を感じた。アンリならなおさらだと思うけど」


「まあ、たまにはこういうのも悪くないだろう? そうそう、引っかけ問題もあるから気を付けるんだよ」


 スザンナ姉ちゃんは本物だった。アンリの妄想じゃない。ということはフェル姉ちゃんも妄想じゃないと思う。でも、算術の勉強中というのも現実だった。残りはあと十問。まだまだ先は長い。


 家の大部屋はアンリにとってアウェー。食事をしたり、素振りをしたりする部屋ではあるけど、その大半は勉強をする部屋としてアンリの心に刻まれている。早く逃げ出したい。


 安住の地はアンリの部屋のみ。でも、そこへ逃げてもすぐに取り囲まれる。なら、冒険者ギルドに匿ってもらうか、フェル姉ちゃんの部屋まで逃げないと。脱出経路は確保済み。あとはいつやるかだけ。


「えっと、これがこうなってこうなるから、こう……かな?」


 それなのにスザンナ姉ちゃんは真面目に問題を解いている。アンリが一人だけだったらいつだって逃げ出せるけど、スザンナ姉ちゃんを置いて逃げる訳にはいかない。


 仕方ない。残り十問。しっかりやっつけよう。




 最後の問題を解く。その答えをおじいちゃんに見せた。


「うん、正解だ。二人ともよく頑張ったね」


 アンリは勢いよく立ち上がって両手で天を突いた。椅子が大きな音を立てて倒れる。スザンナ姉ちゃんも似たようなポーズを取っていた。スザンナ姉ちゃんの椅子は何とか持ちこたえているみたいだけど。


「アンリの戦いは終わった。いつもより早いけど、今日はこれで終わり。世界は平和になった。めでたしめでたし」


「異議なし」


「こらこら、勝手に終わらせたらダメだよ。まだお昼まで時間があるし、計算問題はたくさんあるからね。今までは基礎編。これからが応用編だよ」


 おじいちゃんはなんてことを言うんだろう。ラスボスを倒した後に裏ボスを出してくるなんて。ハッピーエンドに後日談はいらない。


「おじいちゃん、アンリ達はもう限界。これ以上計算したら頭から煙が出る。正直、数字をもう見たくない。下手するとあの時計にも襲い掛かりそう。とくに十一あたりが憎い。あの時計はあの時間あたりから動きが遅くなる」


「時計に数字があるからって壊したらダメだよ。それにいいかい? 何事もね、もうこれ以上ダメだと思ってからさらに頑張ることで成長できるんだよ」


「アンリはまだ子供だから成長しなくていい。むしろ成長を拒否する」


「えっと、私も……成長しなくていいかな……」


 スザンナ姉ちゃんはおじいちゃんに遠慮しているのかちょっと控えめ。でもこういう時はきちんと言わないと。嫌なものは嫌。


「スザンナ姉ちゃん、逃げよう。安住の地を探して逃避行するべき」


「まあ、待ちなさいアンリ。応用編はたったの十問だ。これまでに比べたら些細な物だろう? それに逃げるのは無理だよ? アーシャやウォルフが必ず捕まえるからね?」


「アンリは騙されない。最初にたくさんやらせて後からちょっと出して些細なんていうのは詐欺の手口。全体の量で見ないと。それにおかあさんとおとうさんの包囲網だって逃げ出して見せる。こっちにはアダマンタイトの冒険者スザンナ姉ちゃんがいる」


 ここは断固拒否だ。これ以上、算術を嫌いにならないためにもやらない方向で話を進めないと。でも、こういう時のおじいちゃんは頑固。なにかこう、起死回生の一撃が欲しい。


 そんな都合のいいことは起きないと思っていたけど、誰かが家のドアをノックした。


「たのもー」


 そしてフェル姉ちゃんが入ってくる。なんてタイミング。やっぱりフェル姉ちゃんはすごい。でも、まだ安心はできない。フェル姉ちゃんはたまに敵側に立つ。ちゃんと逃げるまで気は抜かない。


「アンリ、救援が来た。私達は助かる」


「スザンナ姉ちゃんは甘い。ここはまだ敵国。包囲網を逃げ出すまで安心しちゃダメ」


「お前達は何を言ってるんだ」


「フェルさん。どうされました? もしかしてフェルさんも勉強されたいのですかな?」


 その考えは無かった。逃げる事だけを考えていたけど、フェル姉ちゃんと勉強出来るなら頑張れそう。でも算術は嫌。


 スザンナ姉ちゃんもアンリと同じ考えみたい。ものすごく期待した目で見てる。アンリも負けないように目に力を入れよう。


「村長にウゲン共和国の事を聞きたいと思ったんだが、勉強をしているなら後にする。邪魔したな」


「待って。フェル姉ちゃん、見捨てないで」


「子供が助けを求めてる。冒険者なら助けるべき」


「状況的に見捨てても問題ないと思うぞ」


 ここでフェル姉ちゃんに見捨てられたらアンリ達は大変なことになる。村中の時計を破壊するかも。そうならないためにも引き留めないと。ここはスザンナ姉ちゃんにお願いしてお金で解決してもらったほうがいいかもしれない。もしくは何か美味しい食べ物で釣る。


 でも、フェル姉ちゃんは見捨てても問題ないと言いつつ、ちょっと迷ってる感じだ。そしておじいちゃんのほうを見た。


 おじいちゃんは、笑顔で頷いた。


「アンリ、スザンナ君。算数はここまでにして、次はフェルさんと一緒にウゲン共和国の歴史を勉強することにしよう」


 良かった。裏ボスとの戦いは回避された。これからフェル姉ちゃんと歴史の勉強になる。それなら何の問題もない。


 アンリが嬉しさのあまりバンザイすると、スザンナ姉ちゃんも一緒にバンザイしてくれた。


 でも、このままじゃいけない。フェル姉ちゃんは気まぐれ。いつ帰るか分からないから今のうちから捕まえておかないと。


「フェル姉ちゃんはここに座って」


 フェル姉ちゃんはちょっとだけ躊躇したけど、アンリの勧めた椅子に座ってくれた。即座にアンリはフェル姉ちゃんの膝に座る。これで逃げられないはず。


 スザンナ姉ちゃんも気づいてくれたのか、フェル姉ちゃんの横にぴったりくっついた。うん、万全の構え。


「フェルさんは相変わらず子供達に好かれていますな」


「もう少し大人になって貰いたいものだ」


 本当はフェル姉ちゃんを逃がさないための陣形だけど、確かにフェル姉ちゃんの膝は座り心地がいい。


「フェル姉ちゃんの質感は最高。くせになる」


「うん、魔性の女」


「だれが魔性の女だ。そもそも、そういう単語をどこで覚えてくるんだ? 教育に悪いから教えた奴を殴ってやる」


 魔性の女って言葉が嫌そう。魅力のある女性って意味だと思うんだけどフェル姉ちゃんの中では違うのかな?


「教えてくれたのはリエル姉ちゃんとディア姉ちゃん。昨日、フェル姉ちゃんがリンゴジュースを取りに行ったときに教えてくれた」


「そうか。アイツらは後で殴る。まあ、それはいい。それじゃ村長、そろそろ始めてくれないか? 以前も簡単には聞いたが、改めて確認したいと思ってるからな」


 おじいちゃんが笑顔で頷いた。


 すごく嬉しそう。おじいちゃんは誰かに何かを教えるのが好きなのかな? それが全部アンリに向かってるのはちょっと困るけど、今日はフェル姉ちゃんもいるから程よく分散されていい感じ。


「それでは早速始めますかな」


 おじいちゃんが地図を持って来てテーブルの上に広げた。


 よし、フェル姉ちゃん、スザンナ姉ちゃんと一緒にウゲン共和国のことをしっかり勉強するぞ。

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