第116話 商人
じっくり聞かせてもらおうかと思ったのに、アンリとスザンナ姉ちゃんは大部屋から追い出された。
でも、こんなことでアンリは諦めない。ネバーギブアップ。
これは隠密的な行動をとるのが一番。台所へいってコップを二つ取ってきた。
「これはスザンナ姉ちゃんの分。扉にこれをくっつけて耳を当てると部屋の声が聞こえてくる隠密道具。使って」
「ありがと。でも私の水を使えば、もっと良く聞こえるよ。ドアの隙間から水を流し込むけど、ちょうど雨が降ってるから、床がちょっとくらい濡れていても分からないと思う。少し待ってて」
なんて頼もしい。さすが、スザンナ姉ちゃん。
スザンナ姉ちゃんが水筒から水を床に垂らすと、その水が平べったいヘビみたいになって大広間のドアの隙間から中へ入っていった。ジョゼちゃんみたいだ。
ドアの前に残った水から声が聞こえてくる。部屋の中に入った部分がこっちへ声を送ってくれているみたいだ。
『ラスナさんでしたな。エルフと取引をしている魔族とのことですが、一体どういった理由でお会いになりたいのですか?』
これはおじいちゃんの声だ。
『それは本人に言うので貴方に言う必要はないな。まあ、エルフに関わること、とだけ言っておこう。ところでお嬢さんが出て行ったのは魔族を呼びに行ったのかね?』
こっちはあの商人さんの声。
『いえ、呼んでくるようには言ってません。本人に伝えるようにはいいましたが。それに私は村長として住人を守る義務があります。詳しい事情も分からずに紹介することはできませんな』
『ほう、守る? それは逆ではないのかね? その魔族にこの村が守られているのでは? こちらも魔族の情報を色々と得ている。強い魔族なのだから守る必要などないと思うがね』
『物理的にはそうでしょう。ですが、貴方は商人だ。口が上手い。人族に疎い魔族なら丸め込めると思っているのでは?』
『確かにその通りだが、魔族は関係ないな。どんな者であろうと丸め込む自信はある。商人の武器はこの口から出る言葉のみ。真実も嘘も織り交ぜて、相手を篭絡する。そんなことをずっと続け、そして勝ってきた。魔族と交渉するのは初めてだがね』
『さすが三大商会の一つに所属している商人ですね。だからこそ、事情も分からずにあの人に会わせたくないのです。余計な負担になりますからね。ですので、このままお帰り頂けませんか?』
『商人は命よりも金だ。金の匂いがするところで帰れなど、商人に死ねと言っているようなものだよ。悪いが引く気はない。それに守りたいと言うなら交渉の場に一緒にいたらどうかね? 私としてはそれでも構わんよ? 誰がいようと勝つのは私だがね』
商人のおじさんは自信たっぷりだ。どんな交渉をするのかアンリも見たい。
『さて、時間が惜しい。ここへ連れてくるなり、案内するなりしてもらえないのなら勝手に探しに行くが、どうするかね? 連れて来てくれるなら貴方に謝礼を払うのもやぶかさではないが?』
『……謝礼はいりません。仕方がないので、本人に伺ってきましょう。本人が嫌だと言ったら諦めてください』
『諦めは悪い方でね。それは約束できないな』
ドアの開く音がした。おじいちゃんは森の妖精亭へ向かったのかな。
部屋には、おかあさんとおとうさん、それにラスナって商人と二人のメイドさんだけだ。でも、とくに話をすることはなさそう。
『一つ聞いていいかね?』
あれ? ラスナって人が質問をした?
『先ほどの村長といい、貴方達二人といい、どこかで会ったことがあるかね? 最近ではなく、ずいぶんと古い記憶なので思い出せないのだが』
『……いや、初めて会ったと思う』
おとうさんの声だ。それにおかあさんも否定した。アンリも見たことないから、ラスナって人の勘違いだと思う。
『そうかね? たしかトラン王国で見かけたような気がしたんだが……以前はトラン王国に?』
『いや、東だ。オリン魔法国から来た』
初耳。そういえば、おじいちゃん達はこの村にずっといたのかと思ったけど、この村はアンリが生まれたころに作ったとか聞いた。それ以前のことは聞いたことがない。というか、アンリが赤ちゃんの時に村を開拓したって、ちょっと危険だと思うんだけど。もうちょっと大事にしてほしかった。
『服装や調度品などはトラン王国の物のように見えるが? この村でトラン王国の商品を手に入れるのは難しいだろう? どんな手を使って手に入れたのかね?』
そうなんだ? 国によって色々違うのかな? スザンナ姉ちゃんなら色々な場所に行っていると思うから聞いてみよう。でも、おかあさんやおとうさんにばれないように小声で聞かないと。
「スザンナ姉ちゃん、服装とか調度品は国によって違うものなの?」
「私は西のほうへ行ったことがないからそっちは知らないけど、オリン魔法国とロモン聖国に関しては知ってるよ。言われてみると確かにその国の特色があって結構違うかな?」
「そうなんだ?」
「うん、例えばオリン魔法国だと、幾何学的な模様が入った服を着ている人が多い気がする。ロモン聖国だと白っぽい服が多いかな。村長さん達の服ってそのどっちでもないと思う。アンリが着ているのもそうだから、ルハラ帝国かトラン王国の物なのかな?」
アンリ達が着ている服はディア姉ちゃんが作ってくれたものじゃなくて、以前からあるものだからどこで買ったかは知らない。気にしたことはなかったけど、今度、どこで買ったか聞いてみようかな。
おっといけない。いまは諜報活動中。スパイとしてこっちに専念しないと。
『この村は位置的に人界の中心だ。色々な商人がここを通る。いつかは忘れたが、その時に買っただけだ』
『人界の中心であることはその通りだが、ここにトラン王国の物があるのは気になるところだ。トラン王国の物はルハラ経由では来ないだろう? トランから海を通ってロモン、そしてオリンを通ってくるしかない。しかもオリンからこの村を通るとなれば、行きつくのはルハラだ。ルハラでトランの物が売れる訳がない。つまりオリンからルハラへ行く商人がこの村を通ったとしても、トラン王国の物があるわけないのだがね?』
ルハラ帝国とトラン王国は戦争していたから仲が悪いって聞いたことがある。だから基本的にお互いの国の物は買わないとか。それに商人さんがルハラとトランを行き来するのは結構大変だとか、以前おじいちゃんから聞いた気がする。戦争中は無理だし、休戦中にちょっとだけ行き来が出来る程度とかも言ってたかな?
『答えられないかね? まあ、今回はそれを追求するつもりはないが、商人としての勘がこれは金になると囁いているのでね。魔族との交渉が決裂になったら、今度はここを攻めようか。それが嫌なら、魔族との交渉が上手くいくことを願ってくれたまえ』
もしかしてこれって脅されてる? フェル姉ちゃんとの交渉を手伝えって言っているようなものだと思う。
『ラスナ、だったな。色々と言っているようだが、それ以前に魔族と交渉して無事でいられると思っているのか?』
『色々と調査はしている。この村にいる魔族はよほどのことをしない限り人族を襲うことはない。ルハラの町のひとつは壊滅的な状況に陥ったが、あれは軍隊の責任だ。ただの平民に手を出すような魔族でないことは分かっているので、少なくとも命の危険はないな』
『そうか。だが、商人は命よりも金なのだろう? 商人にとって命よりも大事な金に被害が出ないとどうして思っているんだ?』
『交渉に来ただけで金の心配などする訳ないだろう? それに多少は損をしても十分に取り返せると思うがね』
『どんな交渉をするのかは知らないが、真っ当な交渉ではないのだろう? 俺はあの人とそれほど関りはないが、それでも分かる。あの人を騙すような行為をすれば、手痛い反撃を受けるぞ?』
『……なるほど。魔族はずいぶんと評価されているのだな。その助言は頭に入れておこう』
『そうするといい。それとあの人なら、広場を挟んだ正面にある森の妖精亭という宿にいるはずだ。村長は本人の意思を確認するといっていたが、あの人ならおそらく村のために会おうとするはずだ。交渉ならそこでするんだな』
『そうかね、情報に感謝しよう。なら、時間を無駄にしないためにもこちらから出向こうか』
ドアの開いた音がした。たぶん、ラスナって人が出て行ったんだと思う。
でも、それはどうでもいい。問題はおとうさん。
大部屋のドアを勢い良く開けた。
「おとうさん、見損なった。フェル姉ちゃんのいる場所を教えちゃうなんて」
「アンリ、聞いていたのかい? ダメじゃないか、大人の会話を盗み聞きするなんて」
「そんなことはどうでもいい。せっかくおじいちゃんがフェル姉ちゃんのことを守ろうとしていたのに、あれはない」
あれはフェル姉ちゃんに対する裏切り行為。フェル姉ちゃんは交渉ごとに弱そうな感じだから、おじいちゃんが守ろうとしていたのに。
「アンリはフェルさんが負けると思っているかな?」
「そんなわけない。交渉には弱そうだけど、フェル姉ちゃんはどんな時も勝つ」
「お父さんもそう思うよ。おじいちゃんはフェルさんに余計な負担を掛けたくなさそうだけどね、正直なところ、フェルさんならあの商人との交渉くらい負担にも思わないだろう。だから、無駄にここにいられるよりは交渉してもらって、早めに痛い目にあったほうがいいんだよ」
痛い目にあうのが前提なんだ? でも、確かにその通りな気がする。余計な気を使わなくても、フェル姉ちゃんなら大丈夫なような気がする。
……うん、判定はセーフ。おとうさんの行動はフェル姉ちゃんの強さを信頼した上での対応。裏切りってわけじゃない。
でも、フェル姉ちゃんとラスナって人の交渉はこの部屋でやらなくなっちゃった。
なら、森の妖精亭に乗り込むまで。スザンナ姉ちゃんと突撃だ。
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