第98話 いきなりの戦闘
今日は森の妖精亭にあるフェル姉ちゃんの部屋にお泊り。楽しみで仕方ない。でも、その楽しさをまんべんなく味わうには準備が必要。完璧なお泊りの用意をしないと。
まず魔剣。封印を解くためには毎日一緒の部屋で寝たほうがいいと商人のおじさんが言ってた。嘘かもしれないけど、アンリは信じてる。だから持っていこう。
後は着替え。レディは身だしなみが大事って、おかあさんが言ってた。アンリもそう思う。
お泊りだけど、八大秘宝の一つ、ジェット大王イカはお留守番。森の妖精亭の部屋にはシャワーしかなくて湯船がないから、雄姿をお披露目できない。ジェット大王イカは陸だとタダの置物だ。
うん。これで完璧。さっそく森の妖精亭へ行こう。
アンリの部屋から大部屋に戻ってくるとおじいちゃんが笑顔になった。
「家出は諦めてくれたようだね?」
「うん。色々な要望が通ったから家出はなし。でも、お泊りするから今日は帰らない。あと宣言しておく。アンリは今日夜更かしの記録を更新する」
「あまり夜更かしするのは良くないが、今日くらいはいいだろう。でも、フェルさんに迷惑を掛けちゃダメだよ?」
「大丈夫。迷惑を掛けてもフェル姉ちゃんなら分かってくれる」
「……そこは迷惑を掛けないって言うところだよ?」
そんなおじいちゃんとの問答も終わって、「いってきます」と元気よく言ってから外へ出た。
まだ明るいけどそろそろ夕方になる。夕食はフェル姉ちゃんがおごってくれるって言ってたし、早く行かないと。
そう思ったら、冒険者ギルドからディア姉ちゃんが出てきた。
「あれ? アンリちゃんどうしたの?」
「森の妖精亭へ行くところ。今日はフェル姉ちゃんの部屋にお泊り」
「ああ、そうなんだ。でも、なんで魔剣を背中に背負ってるの? 私も行くところだったから一緒に行こうか。フェルちゃんに夕食をおごってもらうことになってるんだよね!」
ディア姉ちゃんもフェル姉ちゃんに夕食をおごってもらえるんだ? 今日のフェル姉ちゃんは太っ腹だ。
そう思った瞬間に大きな音がした。バキって木が折れるような音。
そして森の妖精亭の壁を突き破ってフェル姉ちゃんが吹っ飛んできた。フェル姉ちゃんは空中でバク転してから地面に左手と両足をつく。でも、吹っ飛んできた勢いで広場を滑るような感じになってる。ちょっと格好いい。結構離れていたのに、アンリ達の前まで滑ってきた。
「フェルちゃん! 急に飛んでくるなんて危ないでしょ!」
「びっくりした」
アンリもディア姉ちゃんの言葉に同意。それにびっくりした。壁を突き破ってくるなんてダイナミックすぎる。一体何があったのかな?
フェル姉ちゃんがそのままの姿勢で、ちらっとだけこっちを見た。「まずい」って顔をしてる。
「私から離れろ! 巻き込まれるぞ!」
フェル姉ちゃんがそう言った瞬間に、突き破った場所からセラって人が飛び出してきた。両手に短い剣を持って、ものすごいスピードで近寄ってきた。
「アハ! アハハハ! フェェェルゥゥゥ!」
う……セラって人から嫌な感じが溢れている感じ。ちょっと気持ち悪い。
あっという間にセラって人がフェル姉ちゃんに接近する。そして剣で攻撃。フェル姉ちゃんはそれに応戦した。
速すぎて良く見えない。でも、どちらかと言えばセラって人が押してる? でも、なんでこんなことになっているんだろう?
一瞬のスキをついて、フェル姉ちゃんのパンチがセラって人の腹部を襲った。セラって人が吹っ飛んだけど、着地したらすぐにフェル姉ちゃんのほうへ駆け出す。ものすごく前のめりの姿勢だから、長くて黒い髪の毛が地面を這っているヘビみたいだ。
「待て、セラ! お前と戦うつもりは無い! 引け!」
「アハハハ! 嫌よ! もっと楽しみましょう!」
もしかしてフェル姉ちゃんとセラって人は戦っている? なんで?
「アハ……ハ? あら? 何かしらこれ?」
セラって人の動きが止まった。どうしたんだろう?
よく見ると、セラって人の周囲がちょっとだけキラキラしている。光を反射してる? あ、もしかして糸? クモの糸がセラって人に巻き付いてる?
「なに!? なんなの!? フェルちゃん! この人怖い!」
ディア姉ちゃんが脇をしめた状態で肘を曲げている。手のひらを上にして、指を全部セラって人に向けているけど、何をしているんだろう?
「へえ? 面白いわね? アラクネの糸かしら? なら力比べしましょうか?」
セラって人が動くと、それに合わせてディア姉ちゃんが引きずられた。
もしかしてクモの糸ってディア姉ちゃんがやったのかな? それでセラって人を拘束しようとしている?
「ギャー! 助けて! 助けて、フェルちゃん! この人、ゴーレムみたいに力が強い! 引き留めておけない!」
「ディア! 糸を切り離せ! セラ! ソイツは人族だ! 手を出すな!」
やっぱり! ディア姉ちゃんはセラって人にアラクネ姉ちゃんの糸を巻き付けて止めようとしているんだ!
「フェルちゃーん! 早く! もう持たない!」
「ディア、いいから糸を離せ! 危険だ!」
たぶんだけど、ディア姉ちゃんの力じゃセラって人を拘束できないんだ! このままじゃディア姉ちゃんが危ないかも! ここはフェル姉ちゃんに従おう!
アラクネ姉ちゃんの糸はすごく強度があるって聞いたことがある。でも、アンリの剣技なら何とか切れるはず。
「フェル姉ちゃん、まかせて! 【劣化・紫電一閃】」
背負っていた魔剣を両手に持って、アンリが持っている唯一の技、紫電一閃、その未完成版をディア姉ちゃんとセラって人の間に放った。未完成でも斬れるはず!
何かしらの手ごたえがあった。剣を振りぬくと、ディア姉ちゃんは後ろにゴロンと転がる。糸が切れたから勢い余って転んだと思う。
「アンリ、よくやった! ディアを連れて離れていろ! ディアもアンリを守れ!」
フェル姉ちゃんの指示に従って、すぐにディア姉ちゃんを起こす。
「ディア姉ちゃん、フェル姉ちゃんの指示に従おう。アンリ達じゃあの戦いに入れない」
「そうだね。くやしいけど、フェルちゃんの邪魔になりかねないから離れていよう」
フェル姉ちゃん達から距離を取る。その間にもフェル姉ちゃんはセラと戦っていたけど、やっぱり押されているっぽい。服がボロボロだし、怪我もしてる。
「【治癒】【治癒】【治癒】」
リエル姉ちゃんが森の妖精亭の入口から飛び出してくるとフェル姉ちゃんに向かって治癒魔法を使った。
すごい。あんなに離れているのに、フェル姉ちゃんの傷がみるみる治っていく。
「フェル! 大丈夫か!」
フェル姉ちゃんがリエル姉ちゃんの声に反応してちょっとだけ頷いた。
「アハハハ! これならいくらでも戦えるわね!」
傷は無くなったけど、それでもまだ押されている。セラはフェル姉ちゃんよりも強い……?
あれ? いつの間にかセラの周囲に石が浮いてる?
「フェルちゃん、離れて!」
ヴァイア姉ちゃんの声がしたと思ったら、フェル姉ちゃんがいきなり消えた――違った。転移したみたいだ。そしてその瞬間にセラの周囲に白い霧状のものが現れて、一瞬で氷の山ができた。
もしかしてあの氷の山にセラがいる?
「大丈夫!? あの人は氷山に閉じ込めたからもう大丈夫だよ!」
ヴァイア姉ちゃんはそう言ったけど、フェル姉ちゃんは警戒を解いていない。そして何もない空間からグローブみたいなものを取り出して右手に付けた。
フェル姉ちゃんは深呼吸をすると、ジャケットを脱ぎだす。そしてネクタイを緩めて、シャツの腕をまくった。最後に髪の毛を後ろで束ねると、うなじが見えて、束ねた髪の毛は犬のしっぽみたいになってる。
もしかしてフェル姉ちゃんが本気を出すときのスタイル?
でも、セラはあの氷の山の中だと思うんだけど?
「フェルちゃん? もう大丈夫だよ?」
ヴァイア姉ちゃんがフェル姉ちゃんにそう言った。アンリもそう思うけど、フェル姉ちゃんは首を横に振る。
「ヴァイア、助かった。だが、アイツはこんなことで止まらない。すぐに出てくるから、皆と宿に戻っていろ」
フェル姉ちゃんがそう言うと、バキって音がして、氷の山にヒビが入った。
「嘘……あれを壊せるの!?」
「アイツは勇者だ。それぐらいできる」
フェル姉ちゃんの言葉に皆が驚いた。もちろんアンリも。
勇者ってあの勇者? あのセラが勇者ってこと?
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