第88話 黒髪
お勉強が終わった夕暮れ時、村の広場でアンリはスザンナ姉ちゃんと一緒にトボトボと歩いている。夕日が目に染みるとはまさにこのこと。なんか違う気もするけど、まあいいや。
フェル姉ちゃん達のことを知りたいから、ディア姉ちゃんのところへ向かっている。目指すはすぐ近くの冒険者ギルドだけど、ちょっと疲れて足が重い。むしろ頭が重い気がする。
今日のお勉強はなかなかハード。スザンナ姉ちゃんと一緒じゃなかったら、危なかったかも。もうちょっとでアンリは悪い子にクラスチェンジしてた。
スザンナ姉ちゃんも同じようで、すごくぐったりしている。アダマンタイトという強者の雰囲気は鳴りを潜めて、年相応のお姉ちゃんに見える。つまり、おじいちゃんはアダマンタイトよりも強いってことかな?
スザンナ姉ちゃんは、「はぁ」とため息をついてからアンリのほうを見た。
「アンリはすごいね。あんな勉強を毎日やってたなんて。文字の書き取りで腕が筋肉痛になりそうだし、数字なんてもう見たくないレベル。むしろ滅ぼしたい」
「それは同意。でも、あんなにハードなのは稀。おじいちゃん、ニア姉ちゃんを助けた連絡が来たから嬉しくて張り切ったのかも」
「そうなんだ? もしかして、村に帰ってきたらもっと張り切るのかな? あれ以上になるなら逃げだしたいんだけど」
「実はアンリも逃げ出したい。でも、それは悪い子。フェル姉ちゃん達が無事に帰ってくるまでは、どんな苦境にも耐えて、いい子のままでいるつもり。でも、アンリのクラスチェンジはカウントダウンが始まっていると思っていい」
勉強だけじゃなくて、毎日ピーマンが出るという波状攻撃も食らっている。アンリの体力と精神はかなり削られた。
「……私はそういう約束はしてないから逃げても大丈夫かな……」
「スザンナ姉ちゃん。一蓮托生って言葉がある。それにアンリのお姉ちゃんなんだから、アンリの規範になるようにして。ぶっちゃけた言い方すると、一人じゃ耐えられないから一緒に頑張ってください、お願いします」
「うう、アンリのお姉ちゃんって大変だ……」
スザンナ姉ちゃんは来たばかりなのに、本当にアンリのお姉ちゃんみたいに振舞ってくれる。逃げ出してもおかしくないのに、アンリのお姉ちゃんとして一緒に頑張ってくれるのは、義理堅いで済ませるレベルじゃないと思うんだけど、なんでここまで付き合ってくれるのかな?
「スザンナ姉ちゃんはなんでアンリと一緒に頑張ってくれるの?」
「ええ? アンリはさっき、一緒に頑張ってくださいっていったよね?」
「うん。でも、それは単なるお願い。スザンナ姉ちゃんはそのお願いを無視してもいいはず。すごく大変なのに一緒に勉強してくれるからちょっと不思議に思った」
「別に深い理由はないよ。でも、約束は約束だからね。アンリのお姉ちゃんとして振舞うって約束したんだから守らないと」
「スザンナ姉ちゃんは素敵。これからアンリはスザンナ姉ちゃんの妹として、ガンガン頼る所存です」
「お手柔らかにね」
スザンナ姉ちゃんとそんな話をしながら、冒険者ギルドの扉を開けた。カランカランといい音がする。ちょっと癒された。
「うん、わかったよ。じゃあ、明日の朝にもう一度連絡をくれるんだね? それを聞いてからフェルちゃんに伝えるから」
ディア姉ちゃんが独り言を言ってる……と思ったら、念話をしているみたいだ。カウンターでメモを取りながら、うんうんと頷いている。
多分だけど、フェル姉ちゃんと念話しているわけじゃないみたい。誰とお話をしているんだろう?
ディア姉ちゃんがこっちに気づいて笑顔になったけど、まだお話をしている最中だから、邪魔しないようにしておこう。
ギルドにある椅子に座って待つこと数分、ようやくディア姉ちゃんのお話が終わった。
「二人ともいらっしゃい」
「うん、いらっしゃった。誰とお話してたの?」
「ディーン君のところのベルちゃん。まだ決定じゃないんだけど、明後日くらいに帝都へ攻め込むんだって。その連絡を貰ったんだ」
「そうなんだ?」
「なんでも帝都にいる軍隊が南に向かって動いたみたいなんだ。まあ、十中八九フェルちゃんを倒すための軍隊だよね」
そういえば、昨日のプチ宴会でディア姉ちゃんから聞いた。フェル姉ちゃんが皇帝に喧嘩を売ったって。そもそもなんでそんなことになったのかな?
もしかすると、ディーンって人のためにわざと喧嘩を売ったのかも。フェル姉ちゃんは手伝わないと言っても手伝っちゃう。それがフェル姉ちゃんのいいところなんだけど。高度なツンデレだと思う。
「フェル姉ちゃん達は大丈夫かな?」
「フェルちゃんも考えなしで喧嘩を売ったりはしないから大丈夫だと思うよ。たぶん」
あのレオールってアダマンタイトと傭兵団を数日で壊滅させたんだから大丈夫だとは思うんだけど、今度は傭兵じゃなくて、軍隊だからちょっと心配。詳しくはないけど、色々と勝手が違うと思う。
「大丈夫だよ」
「スザンナ姉ちゃん? 大丈夫って、フェル姉ちゃんのこと?」
「もちろん。フェルちゃんがそこいらの奴に負けるわけがない。アダマンタイトの私だって一騎当千と言われているんだから、私に勝ったフェルちゃんはもっとすごい。それこそ万単位の軍隊にだって勝てると思う」
「あのね、スザンナちゃん、さすがにフェルちゃんでもそれはないと思うよ?」
「そうかな? フェルちゃんが負けるところなんて全く想像できないけど。心配するだけ時間の無駄だと思うよ?」
ディア姉ちゃんが反論したけど、スザンナ姉ちゃんは自信があるみたいだ。
実を言うとアンリもそこまで心配はしていない。どちらかというと、ジョゼちゃん達のほうが心配かな。フェル姉ちゃんは相手が何人でも勝てそうな気がするけど、魔物のみんなは違う。あまり無理をしないで無事に帰ってきて欲しい。
そう思ったときに、カランカランと扉が開く音が聞こえた。
なんとなく不思議な感覚がして振り向くと、そこには見たことのない女の人がいた。
胸元まである黒い髪に、吸い込まれそうな黒い瞳。色白の肌に、ほんの少しだけ赤い唇。一瞬、エルフの人かと思っちゃったけど、右側の髪をかき上げたときに見えた耳は普通だ。
白いマントで全身を覆っているけど、その下は普通の服。武器を持っていないようだけど、ここへ来たんだから、冒険者さんなのかな?
何だろう? リエル姉ちゃんみたいな凛々しい感じの美人さんなんだけど……顔は笑顔なのにすごく冷たい感じがする。ちょっと――怖い。
「ここは可愛らしい冒険者が多いのね?」
透き通るような声でその人が言った。大きくも小さくもない声なのに、よく聞こえる。なんだろう、胸がざわつく。それにタイプは違うけど、レオールって人みたいに危ない感じがする。
「えっと、ここは冒険者ギルドソドゴラ支部です。もしかして冒険者の方ですか?」
ディア姉ちゃんがそう尋ねると、女の人は笑顔のまま頷いた。
「ええ、そうよ。私は冒険者で『黒髪』って呼ばれているわ。そのままよね、もうちょっとひねって欲しいわ」
「く、黒髪!?」
なぜかスザンナ姉ちゃんが驚いたみたい。あれ? でも黒髪って名前を数日前に教えてもらったような? そうだ、アダマンタイトの冒険者のことだ。
「お姉ちゃん、お名前を聞いてもいい?」
ユーリおじさんとかスザンナ姉ちゃんから聞いてはいるけど、本人からも聞いておこう。
「ええ、もちろんいいわよ」
女の人はそう言うと、満面の笑みを見せた。
「私の名前はセラ。ここに住んでいるフェルの友達――いえ、家族かしらね?」
どうみても角がないし、魔族には見えないんだけど……このお姉ちゃんは大丈夫なのかな?
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