第43話 手に汗握る戦い
ヤト姉ちゃんとフェル姉ちゃんの偽物が対峙してる。
偽物のほうは結構余裕な感じ。結構へらへらしてるからフェル姉ちゃんっぽくない。ちょっとだけイラっとする。フェル姉ちゃんはいつだって格好いいのに。
『やれやれ、魔族の身体能力を見ましたよね? 貴方じゃ勝てませんよ? 噂通り獣人は馬鹿なんですか?』
しかもヤト姉ちゃんを馬鹿にした。アンリが強かったら必殺技をさく裂させるのに。
『身体能力だけで勝てると思っている方が馬鹿ニャ。それに転移出来ないフェル様なんて雑魚ニャ』
『ちょっと待て』
フェル姉ちゃんが心外という顔でヤト姉ちゃんにツッコミを入れた。アンリもちょっと待って欲しい。今、ヤト姉ちゃんはフェル姉ちゃんのことを雑魚って言った?
転移ができないフェル姉ちゃんって条件だったけど……転移ってさっき見せてくれた瞬間移動のことのはず。空間魔法の一種で瞬間的に相手の懐へもぐりこむアレ。
確かに一瞬で相手との距離を詰めてしまう魔法は強いと思う。でも、アレがなくてもフェル姉ちゃんは強いと思うんだけど……あれ? よく考えたらフェル姉ちゃんが戦ったところってさっき初めて見た? 夜盗を殴ったのは見たけど、あれは相手が弱すぎるからノーカン。
フェル姉ちゃんが強いとは思ってたけど、実際に戦うところは初めて見た気がする。とはいっても、パンチ一発だけだったけど。しまった、もっと目に焼き付けておくんだった。
それはともかく、ヤト姉ちゃんは転移できないフェル姉ちゃんなら雑魚扱い……?
でも、おかしい。前にヤト姉ちゃんと交渉したとき、フェル姉ちゃんが本気をだしたら足元にも及ばないとか言ってた気がする。ということは、雑魚って言ったのは嘘?
色々考えていたら、ヤト姉ちゃんが動いた。
でも、ものすごくスローモーション。あれじゃ攻撃されに行くようなものだと思う。大丈夫かな?
……あれ? なんだろう? ヤト姉ちゃんから目が離せない? それにさっきから体が動かせない感じ。なんというか、目に見えるものとか聞こえるものが全部ゆっくりになった。
偽物は何もしないままヤト姉ちゃんの接近を許した。しかもヤト姉ちゃんはいつの間にか手にナイフを持ってる。ちょっとネズミっぽい感じのナイフ。
そのままヤト姉ちゃんは偽物のフェル姉ちゃんを刺した。痛そうというより、なんで躱さないんだろうって感じ。それに偽物は刺されてから驚いている。
『グアアアアァ! 何を、何をしました!』
『刺しただけニャ』
あ。なんとなく感覚がもとに戻った気がする。一体何があったんだろう?
「ねえ、おとうさん、今、変な感じじゃなかった? なんかいつもと違った気がするんだけど」
おとうさんが顎に手を当ててずっと外を見つめている。少ししてからアンリのほうを見た。
「あれは多分、『陽炎』ってスキルだね。周囲にいる人の視覚や体感時間を狂わせるスキルでゆっくり時間が流れる感じがするんだよ。ヤトさんがそれを使って、周囲の人達全員がそういう感覚になったんだと思うよ。お父さんもそんな感じになった」
「そうなんだ? ヤト姉ちゃんすごい」
もしかしたらフェル姉ちゃんを雑魚呼ばわりしたのも、ちゃんとした実力があるからこそなのかな?
「ヤトさんがすごいのはその通りなんだが、あのナイフも結構な業物だね。さっきドッペルゲンガーと話していたようだが、あのナイフは『貫通』スキル付きだ。そんなもの、人界にどれだけあるか……」
「貫通スキル?」
「あらゆるものを貫通する属性といえばいいかな。どんなに堅い鎧でもそのスキルが付いた武器には意味がない。なんでも貫くからね」
すごい。それは防御力無視攻撃。ヤト姉ちゃんはそんなナイフを持っているんだ。アンリの剣にもそういうスキルが欲しい。グラヴェおじさんにお願いしよう。
偽物のフェル姉ちゃんがヤト姉ちゃんと距離を取って何かを話してる。名前を聞いているみたいだけど、どうしたんだろう?
『情報を見つけましたよ! 貴方は……えっと……ウェイトレス?』
『看板娘ニャ』
良く分からないけど、ヤト姉ちゃんが看板娘なのは知ってる。森の妖精亭の看板娘。猫耳が素敵。アンリもお金があったら通い詰めたい。
『馬鹿にしてるのですか! そんなわけないでしょう! もっと別の記憶を……!』
別の記憶? もしかして変身したフェル姉ちゃんの記憶を見てる? そこからヤト姉ちゃんの情報を見ようとしているのかな?
『ま、魔王軍強襲部隊隊長……? し、漆黒のヤト……?』
『そのチューニ病な二つ名はもう捨てたニャ』
ものすごい恰好いい役職が出てきた。魔王軍強襲部隊隊長。しかも、漆黒とかいう二つ名まであるなんて。そんなの憧れるに決まってる。
外にいるディア姉ちゃんがソワソワしてる。分かる。すごく分かる。
偽物のフェル姉ちゃんとヤト姉ちゃんがまた戦い始めた。
明らかにヤト姉ちゃんのほうが遅いんだけど、攻撃がまったく当たってない。むしろ余裕で躱してる。どうしてだろう?
「おとうさん、なんでヤト姉ちゃんは偽物の攻撃を躱せるの? 明らかに偽物のほうが速いよね?」
「ドッペルゲンガーの攻撃は単調だ。ヤトさんは攻撃を予測しているんだろう。ほら、偽物の攻撃が始まる前に動いているだろう?」
本当だ。ヤト姉ちゃんは偽物の攻撃が始まる前にすでにその場にいない感じで動いてる。むしろ偽物は何もないところへ攻撃している感じ。
『終わりニャ』
偽物のパンチをしゃがみながら躱して、さっきの貫通スキル付きのナイフで胸を一閃した。すごい、流れるような動きで全く無駄が無い感じ。
偽物はそのまま膝をついて、切られた胸を押さえてる。これでヤト姉ちゃんの勝ちだ。
実戦らしい実戦を初めて見た感じ。いつもはおじいちゃんやおとうさんとの模擬戦ばかりだからこういうのはすごく勉強になる。ちょっとうずうずしてきた。
あれ? でもヤト姉ちゃんは自分のナイフを見ながら不思議そうにしている。どうしたんだろう?
あ、偽物が足でヤト姉ちゃんの足を払った。でも、ヤト姉ちゃんはバク転して躱したみたい。そして偽物がまた煙に覆われた。
あれは鳥? 鳥に変身したってこと?
偽物は鳥の姿のままノスト兄ちゃんとかおじいちゃんがいるほうへ攻撃しようとしてる! 危ない!
でも、フェル姉ちゃんが転移で立ちはだかって鳥を殴った。鳥は殴られて吹っ飛ばされたけど、そのまま飛んで行っちゃった。あれは逃げたってこと?
逃がしたのは痛いけど、すごく手に汗握る戦いだった。ヤト姉ちゃんがあんなに強いなんてちょっとびっくり。どちらかといえば、フェル姉ちゃんの戦いも見たかったな。
……いけない。そういう考えは良くない。ロミット兄ちゃんとかオリエ姉ちゃんが無事だったことを喜ばなきゃ。おじいちゃんも大丈夫みたいだし、まずは皆が無事だったことを喜ぼう。自分の都合を優先させちゃダメ。
「とりあえずではあるけど、少しは落ち着いたようだね」
「ええ、皆が無事でよかったわ。でも、すごいわね。ヤトちゃん。しかも魔王軍強襲部隊隊長って……普段のウェイトレス姿からは想像もできないけど」
アンリもおかあさんの意見に同意。強いとは思っていたけど、予想以上の強さだった。でも、フェル姉ちゃんはあのヤト姉ちゃんよりも強い?
全然想像できないんだけど……もしかしてヤト姉ちゃんが言った雑魚って割と正解なのかな? あとでヤト姉ちゃんに聞いてみよう。
あれ? いつの間にかおじいちゃんがいない? それにリエル姉ちゃんが狼さんに魔法をかけてる? あれが治癒魔法かな?
「おじいちゃんはどこへ行ったの? さっきまで広場にいたよね?」
「ああ、村の皆にさっきのドッペルゲンガーを警戒するよう伝えに行ったみたいだ。また戻ってくる可能性があるからね。でも、これからフェルさんが後を追うようだよ。ドッペルゲンガーのことを調べてからみたいだけどね。そんなことが聞こえてきたよ」
「そうなんだ。それならもう安心」
フェル姉ちゃんがヤト姉ちゃんほど強いのかどうかは今の時点ではちょっと分からないけど、なんとなく安心できる。でも、調べるって何を調べるのかな?
狼さんはフェル姉ちゃん達と話が終わったらどこかへ行っちゃった。アンリもお話したかった。
フェル姉ちゃん達は冒険者ギルドへ入っていった。よし、アンリも行こう。
「ちょっと冒険者ギルドへ行ってきます」
「待ちなさい、アンリ。危険だから外へ出ては駄目よ。ドッペルゲンガーが戻ってくるかもしれないでしょ。まだ警戒しなきゃ」
「それはそうだけど、どちらかというとフェル姉ちゃんの近くにいたほうが安全な気がする」
「それを言われると返す言葉がないんだけど、たとえ安全でもアンリがオリエちゃんみたいに人質になったら大変でしょ?」
「アンリもそれを言われると返す言葉がない。分かった。もうちょっと大人しくしてる」
アンリも強ければフェル姉ちゃん達と戦えたのに。もっと修業しないとダメだ。
でも、今日の戦いはものすごく為になった気がする。すぐにでも体を動かしたい。
そうだ、このまま今日の勉強はおサボりしよう。色々あったから勉強はうやむやにする。さっそく部屋に戻って素振しようっと。
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