第11話 ネゴシエーション

 

 お昼を食べてから外にでた。


 勉強が無いってなんでこんなに嬉しいんだろう。すべてがアンリを祝福しているような感じがする。ヤトって獣人の人と交渉できる時間も増えたし、これは幸先がいいかも。


 部屋から交渉に使うためのものは持って来た。これでヤトって人を味方にできないなら土下座するか実力行使をしないと。出来れば魔剣七難八苦は使いたくない。これは最終手段。


 森の妖精亭、その入り口の前に立った。


 いつもはアンリを快く迎えてくれるはずの宿が、今日は難攻不落のダンジョンの様に見える。でも、今日のアンリはハードボイルド。こんなことでは負けない。


 入ろうと思ったけど、まずは近くで踊っているシャルロットちゃんと話そう。怖くなったわけじゃない。まずは情報収集だ。


「シャルロットちゃん、こんにちは」


『こんにちは、アンリ様。ヤト様と交渉しに来られたのですか?』


 シャルロットちゃんが地面に文字を書いた。一度だけ頷くと、シャルロットちゃんも頷いた。


『今でしたらヤト様も森の妖精亭にいらっしゃいますよ。食堂で掃除をされていると思います』


「そうなんだ? ちなみにヤトって人の弱点とか分かる? 交渉するときはできるだけ優位に立ちたいんだけど」


 シャルロットちゃんは腕を組んで考え込んでしまった。そして地面に文字を書き出す。


『ヤト様の弱点と言う訳じゃないのですが、獣人の皆さんは感情が尻尾にでます。言葉とは裏腹に尻尾の荒ぶり方で大体予想がつくとか』


「それはいい情報。ポーカーフェイスが通用しないならアンリにも勝機がある。他には何かある?」


『他にはないですね。ヤト様は「漆黒」という二つ名がつくほどお強い方なので戦いにおいては弱点なんてありません』


 なら実力行使は駄目かも。なんとか手持ちの物で交渉しないと。


「分かった。ありがとう。ちなみにスライムちゃん達の準備は整った?」


『ジョゼフィーヌがアルラウネ、マンドラゴラ、ヒマワリ、それに畑のカカシゴーレムに命令を下していました。いつでも行けます』


「うん、じゃあ、後はアンリがヤトって人を引き込めるかどうかだね。それじゃ、頑張って交渉してくる」


『はい、ご武運を』


 よし、いざ出陣。


 森の妖精亭の入り口、その両開きの扉を押しながら中に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませニャ……? 子供ニャ?」


 やられた。いきなりの奇襲。どうみてもこの人がヤトって獣人だ。考えていた計画がいきなり潰れた。


 でも、アンリはくじけない。まだ挽回できる。


「私の名はアンリ。この村の村長、シャスラの孫。つまり、この村のナンバースリーと言っても過言じゃない」


 お父さんが次の村長で、その次がアンリだと思う。だから三番目。


「ニャ!?」


 ヤトって人は驚いている。ここで畳みかけようと思ったけど、こういう場所で交渉するには手順がある。本で読んだから間違いない。まずはそれに則らないと。


「マスターを呼んで。アンリが来てるって言えば通じると思う」


「マ、マスターニャ?」


 よく分かっていないみたい。ちょっと慌てている感じ。


「森の妖精亭でマスターって言ったらニア姉ちゃん」


「ニャ!? わ、分かったニャ……今、呼んで来るニャ。ちょっと待っててほしいニャ」


 ヤトって人の尻尾がしょんぼりしている。どうやら、出鼻をくじけたみたい。この村でどちらが上かを教えたと言ってもいいくらい。いきなり、いらっしゃいませって言われた時は危なかったけど、盛り返した。


 近くのテーブルに着いて待つ。


 ヤトって人を始めて見たけど、容姿と黒い髪がすごく綺麗。猫耳も素敵。これからはヤト姉ちゃんって呼ぼう。


 ちょっと待つと、ニア姉ちゃんが厨房からやってきた。一緒にでてきたヤト姉ちゃんはこちらをチラチラ見ながら掃除を始めたみたいだ。


「アンリちゃん、いらっしゃい。今日はどうしたんだい? 一人で来るなんて珍しいじゃないか」


「うん。今日は大事な用があって来た。ちょっとだけ食堂を借りる」


「ふうん? 何かの遊びかい? 今ならお客さんもいないから別に構わないけど」


「ありがとう。それじゃまず、ヤト姉ちゃんに水をお願い。アンリの奢りで」


「ヤトちゃんに用があるのかい? なら呼んで――」


「待って。ここはアンリの指示に従って。いきなり呼ぶのは駄目。こういうのは手順がある。ちゃんと水を渡すときは『あちらのお客様からです』って言って」


「奢りも何も水は無料だけどねぇ。でも、まあいいよ。付き合おうかね」


 ニア姉ちゃんは、お願いした通りにコップに水を入れてヤト姉ちゃんに渡してくれた。


 ヤト姉ちゃんは不思議そうにしながらもコップを受け取ってこっちを見た。アンリからの奢りだと分かってくれたはず。


 本で読んだから分かってる。ハードボイルドが情報屋に依頼するときはこうやって呼び出すって書いてあった。こういうのは大事。雰囲気を演出しないと。


 予想通り、ヤト姉ちゃんはこっちにやってきた。


「アンリと言ったかニャ? この水は何ニャ?」


「まあ、座って。アンリはヤト姉ちゃんと交渉したいから奢らせてもらっただけ。でも、それは気にしなくていいよ」


 気にしなくていいとは言っても気になるはず。こうやってちょっとだけでもアンリに恩がある様に思わせる。これで優位に立った。


「ニア姉ちゃん、ありがとう。それじゃ、このテーブルを使わせてもらうね」


「そうなのかい? それじゃアタシは厨房に戻るから遊ぶのもほどほどにね」


「遊びじゃないけど分かった」


「終わったら掃除しますニャ」


 ニア姉ちゃんは厨房に戻った。これで食堂には二人きり。ここからが本当の勝負だ。


「ヤト姉ちゃん。単刀直入に言う。アンリはフェル姉ちゃんを助けに行きたい。だから手を貸して」


 まずは斬り込む。ダラダラやってる時間はない。世間話をしてからでもいいけど、こういうのは最初が肝心。


 それにどうやらちょっと度肝を抜いたみたい。ヤト姉ちゃんは目をパチパチと瞬きしてる。


「どう? 答えは『イエス』か『はい』でお願い」


「ちょっと待つニャ。色々とツッコミどころが多くて驚いたニャ。まずヤト姉ちゃんというのは私の事かニャ?」


「もちろん。ヤト兄ちゃんじゃないよね?」


「そう言う意味で聞いてないニャ。なんで姉ちゃんニャ? 私は獣人ニャ。人族の妹はいないニャ」


「ヤト姉ちゃんは最近この村に来て、ここに住んでるんだよね? この村に住むならみんな家族」


「……私は獣人ニャ。それでも家族なのかニャ?」


 ヤト姉ちゃんは何を言っているのだろう? 獣人とか関係ないと思う。


「質問の意味が分からない。獣人だって、エルフだって、ドワーフだって、ドラゴニュートだって同じ村に住んでいれば家族でしょ? もちろん、魔族のフェル姉ちゃんも家族。そうそう、スライムちゃん達も家族だよ?」


 よく分からないけど、ヤト姉ちゃんは目を大きく開けて驚いている感じ。猫耳と尻尾がピンと上を向いてる。


「……面白い子ニャ」


「えっと、それは誉め言葉? ところで返事はどう? 『はい』って答えて」


「最初は選択肢がおかしかったのに、今度は選択肢もないニャ」


 残念。引っかからないか。よし、ここからが交渉だ。


「ヤト姉ちゃん。もちろんタダとは言わない。だからこういうのを用意した」


 テーブルに一枚の紙を置く。


 ヤト姉ちゃんはその紙を覗き込んでから首を傾げた。


「肩たたき券ニャ?」


「一時間、アンリが肩たたきをする券。アンリの肩たたきはゴッドハンドと言われていて病みつきになる。結構レア。多分、大銅貨三枚くらいの価値はある。これでアンリに雇われて」


 ものすごい大金。なんとかこれで頷いて欲しい。


「ウェイトレスの時給は一時間大銅貨十五枚ニャ。それじゃ一時間も雇えないニャ」


 なんてブルジョワなお仕事。そんなに稼いでいるなんて。しかもそれを払っているニア姉ちゃんは実はお金持ち?


 それはともかく、ヤト姉ちゃんは交渉事を弁えてる。一枚じゃダメだからもっと多く引き出そうとしてるんだ。


 えっと、ヤト姉ちゃんは一時間で大銅貨十五枚稼ぐ。アンリの肩たたき券は大銅貨三枚……五枚あれば、一時間雇える事になるのかな? めずらしく算術が役に立った。ちょっとだけおじいちゃんに感謝しよう。


 でも、一時間だけ雇っても意味はない。多分、一日、二十四時間は必要。一時間が五枚だから二十四倍して……百二十枚? そんなに用意してない。用意してるのは十一枚だけ。ここは出世払いにしてもらおう。


「ヤト姉ちゃん。今用意できるのは十一枚だけ。残りはアンリが大人になったら渡すから、一日雇われて。念書を書いてもいい」


「念書なんてよく知ってるニャ。その前に確認しておきたい事があるニャ」


「確認したい事?」


「そうニャ。フェル様はエルフ達に連れていかれたけど、心配する必要はないニャ。大体、フェル様ならあの場でエルフ達を叩きのめすことも出来たのに、それをしなかったのはエルフの森に用事があるからニャ」


「そうなの?」


「どんな用事があるかは知らないし、連れていかれた時は怒ったけど、よく考えたらそれしかないニャ。だから助けに行かなくてもそのうち帰って来るニャ。それでも助けに行くのかニャ?」


 ジョゼフィーヌちゃん達もそんなことを言ってた。そのうち帰ってくるって。


 実はアンリもそう思ってる。でも、これはチャンスなんだ。それをちゃんと理解してもらわないと。


「ヤト姉ちゃん。フェル姉ちゃんに敬意を払っちゃいけないんだよね? ならこれはチャンスだと思わない?」


「ニャ!? な、なんでそれを知ってるニャ!?」


「アンリの情報網を甘く見ない方がいい。フェル姉ちゃんが捕まっているならそれを助け出して、お礼に敬意を払ってもいいことにするという手がある」


 見切った。ヤト姉ちゃんの尻尾が荒ぶっている。これは食いついたと言っていいはず。もうひと押しだ。


「それにいつかアンリはフェル姉ちゃんのボスになるつもり。エルフの森へ一緒に来てくれたら、フェル姉ちゃんに敬意を払ってもいい様に命令するよ?」


 スライムちゃん達に通用した交渉を食らうがいい。


「……フェル様のボス? アンリが?」


 あれ? なんだか尻尾が荒ぶってない。怒っているわけでもなさそうだけど、呆れた感じになっちゃった?


「アンリには分からないかもしれないけど、フェル様はとても偉大な方ニャ。フェル様の上に立つニャ? そんなことは誰にも不可能ニャ」


「そうなの? たしかにフェル姉ちゃんは強いけど、三本勝負で一本は取ったよ?」


「多分、不意打ちを食らわせただけだと思うニャ。それでも一本取るのは凄いとは思うけど、フェル様は強さだけがすごいわけじゃないニャ」


 強さだけじゃない? 強いことが一番すごいことだと思うけど、違うのかな?


「フェル様はその知恵と行動力で魔界での生活を一気に向上させたニャ。それはこれまでの魔族が誰一人として成し遂げられなかった偉業ニャ。フェル様の強さだけ見ているなんて、アンリはまだまだニャ。そんなことじゃ、フェル様のボスはおろか、部下にだってなれないニャ」


 ショック。アンリはフェル姉ちゃんの強さしか分かってないと言われたも同然。確かにフェル姉ちゃんの強さしか見ていなかったかも。


「それにフェル様の強さだって、今は相当制限しているニャ。はっきり言って本気を出せば今の十倍くらい強いニャ。アンリはもうちょっと現実を見た方がいいニャ」


 フェル姉ちゃんが今の十倍強い? あの一本はまぐれだった?


 さらにショック。つまりアンリはフェル姉ちゃんの事を何も分かっていないということ。


 でも、それならそれでもっと部下にしたい気持ちになった。フェル姉ちゃんと一緒なら人界征服できるって確信した。


「……ちょっと言い過ぎたかニャ? でもフェル様のボスになるなんてことは言わない方がいいニャ。魔族の方達が聞いたらかなり怒ると思うニャ」


「怒られるくらいじゃ諦めない。絶対にフェル姉ちゃんを部下にする。これは決定事項。今は足元にも及ばないかもしれないけど、いつかフェル姉ちゃんに追いついて超えて見せる」


 今決めた。これはアンリの目標。まずはフェル姉ちゃんよりも強くなる。剣の素振りの回数を増やそう。


「アンリは面白いニャ。フェル様に追いつくなんて無理だと思うけど、頑張るといいニャ」


「うん、頑張る。ちなみに聞いてもいい? ジョゼフィーヌちゃんからヤト姉ちゃんは強いって聞いてる。もしかしてフェル姉ちゃんと同じくらい強いの?」


「なるほどニャ。いままでの情報はジョゼフィーヌから聞いたんだニャ。そうニャ……力を制限されているフェル様ならいい勝負ができるくらいの強さニャ。でも、制限を解除すれば足元にも及ばないニャ。正直、私の上に立つ者として、力の制限なんてして欲しくないと思ってるニャ」


「そうなんだ? ならやっぱりフェル姉ちゃんを助けに行こう」


「なんでニャ? さっきも言った通り、フェル様は何もしなくても帰って来るニャ」


 ここは攻め方を変える。アンリがボスになって敬意を払ってもいい様に命令してあげるって言うのはヤト姉ちゃんには効かない。ならヤト姉ちゃんがフェル姉ちゃんの部下であることを攻めよう。


「例えそうでも、強いなら助けに行くのは当然。それにヤト姉ちゃんの上に立つ者ってことは、フェル姉ちゃんは上司なんだよね。スライムちゃん達は行くことになってるよ? 同じフェル姉ちゃんの部下として差を付けられてもいいの?」


「ニャ!?」


 効果あり。尻尾が荒ぶり始めた。


「確かにジョゼフィーヌ達はフェル様の従魔で、直属の部下として地位も高いニャ。ここで私がフェル様を助けに行かないとなると、その差が開くかもしれないニャ……」


 思ったよりも効果的だった。もしかしたらタダで一緒に来てくれるかも。


「あれー? 二人で何を話してるの? もしかして、闇の炎に焼かれちゃうような話?」


 ディア姉ちゃんが来た。お仕事サボって来たのかな?

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