第10話 ハードボイルド

 

 朝食に出された半熟卵を見て、これを拒否した。今日はそういう気分じゃない。


「お母さん、今日は固ゆでにして」


 お母さんは不思議そうにしている。それはそうだろう。アンリは半熟派だ。そこをあえて固ゆででお願いすると言うのはあり得ない。言うなれば、太陽が西から昇る感じ。でも、今日は固ゆでの気持ち。なんせアンリには仕事がある。


「えっと、半熟卵が嫌になったの?」


「ううん、今日はそう言う気持ちなだけ。あえて言葉にするなら今日のアンリはハードボイルド。食べ物からして妥協は許されない」


 ハードボイルドだから固ゆでを食べる。アンリはゲンを担ぐほう。


 今日はヤトって獣人と交渉しないといけない。一分の隙も許されない。頑張ってお安く雇わないと。フェル姉ちゃんを助けるには戦力が必要なんだ。


 改めて茹で直された卵を受け取り、殻をむく。殻をむく時は力加減が重要。力を入れ過ぎると、ぐちゃってなる。


 ……うまい具合にひびを入れるとツルリと剥けるんだけど、今日は駄目だった。何かを暗示しているようで良くない。よし、リトライだ。


「お母さん、ゆで卵おかわり。固めで。あと、牛乳をストレートで」


「食べ過ぎよ、アンリ。今日の朝ごはんはここまで。さ、おじいちゃんと勉強のお時間でしょ。頑張ってね」


 卵二つは駄目だった。アンリのお腹はまだいけるのに。でも、仕方ない。今日は早く勉強を始めて早めに切り上げてもらおう。そして森の妖精亭に行かないと。


 急いで勉強の準備をして戻ってきた。


 おじいちゃんはびっくりしていたけど、嬉しそうにアンリの頭を撫でてくれた。


「今日はやる気があるみたいだね。いつもこれくらいの気持ちでいてくれると嬉しいんだが」


「勉強が好きな子供はいない。でも、今日は特別」


「どうしてだい? 今日は何かあったかな?」


「今日のアンリはハードボイルドな気分。何事もクールに対処するつもり。そこでおじいちゃんに提案がある。肩たたき券をあげるから勉強の時間を減らして。一枚につき一時間。悪くない取引だと思う」


 ……駄目だった。十時間ならおまけして十一枚あげると言っても駄目だった。これはアンリのゴッドハンドが破られたということ。いつも評判いいのに。


 でも、それならそれで別の作戦に切り替えよう。


「それじゃ今日は勉強の内容をアンリに決めさせて」


「ふむ、何の勉強をしたいんだい?」


「エルフの事が知りたい。弱点とか急所。こう、一撃必殺的な」


 おじいちゃんの目が鋭くなってる。


「……アンリ、エルフのいる森へ行ってはいけないよ?」


「おじいちゃんの想像力はたくましすぎる。そういう意味で言ってない。エルフに襲われた時の対処として知りたいだけ。アンリの目を見て判断して。本当だから」


 おじいちゃんが疑いの眼差しでアンリを見ている。でも、アンリは負けない。にらめっこだって強いし、イタズラした時だってシラを切り通した。


「……仕方ないね。それじゃ、エルフだけじゃなく、人界にいる種族について勉強しようか」


 本当はエルフに絞ってほしかったけど、あまり要求を突きつけるのは良くない。ここで妥協しよう。


「うん、それでお願いします」


「それではまず、種族についてだ。基本的に人と呼ばれる種族は六種族。人族、エルフ族、ドワーフ族、ドラゴニュート族、獣人族、そして魔族だ。そうだね、まずは人族から説明しようか」


「それは知ってる。種族の中で一番弱いとされている種族。でも数が多いからこれだけ繁栄したって聞いてる」


 おじいちゃんは満足そうにうなずいた。


「そうだね。人族はどの種族よりも弱いけれど、どの種族よりも数が多い。人界に五つの国があるのはこのあいだ教えたけど、その内の四つは人族の国だ」


 たしか、魔法国家オリン、ルハラ帝国、ロモン聖国、トラン王国だったかな? ウゲン共和国は獣人の国とか聞いた覚えがある。


「そしてアンリのいう通り、残念ながら人族は種族としては一番ひ弱だろう。でも、その数の多さでずっと人界を支配してきたと言っていいね」


 以前の勉強で教えてもらったから知ってる。でも、その事にちょっと物申したい。


「アンリも色々と情報を仕入れて疑問に思ってることがある。ディア姉ちゃんが言ってた。アダマンタイトのランクには、すごく強い人がいるって。それに女神教の勇者も強いって司祭様は言ってた。本当に人族って弱いの?」


「確かにそうだね。人族の中には稀に異常な力を持って生まれてくる人がいるんだよ。そういう人達が歴史に名を残したりするわけだね」


 おじいちゃんはそう言った後、アンリの方をじっと見つめてきた。どうしたんだろう?


「アンリの顔に何かついてる? 朝食は行儀よく食べたから顔には何もついてないはず。アンリは身だしなみにはうるさいよ?」


「ああ、いや、そういう意味じゃないよ。話を戻すけど、そういう人達がいたとしても稀だよ。ほとんどは普通の人、あらゆる種族よりも弱いね。だからこそ群れをなして他の種族や魔物から身を守ったと言える。そういう理由から国ができたんだろうね」


「そういう難しいことは分からないけど、数の暴力って言葉は知ってる」


「ちょっと、いや、全然意味は違うけど、まあ、数が多い方が色々と有利という意味ではあってるかな。そして、そのせいで獣人達はほとんどの地域を追われてしまったからね」


 獣人。今日交渉するヤトって人も獣人だ。これは聞いておかないと。


「それじゃ次は獣人の事を教えて」


「そうだね、獣人は人族と獣の中間みたいな種族だよ。アンリは会ったことが――森の妖精亭で働いている獣人の人には会ったかい?」


「ううん、会ってない。でも昨日、広場でフェル姉ちゃんが連れていかれる時にいたのをちらっとだけ見た。普通の人に見えたけど、髪の毛が耳っぽくて、尻尾があった気がする」


 あれは素敵。


「そうだね、あの人はヤトさんという魔界にいた獣人だそうだよ。フェルさんの部下らしいね」


 その辺りはジョゼフィーヌちゃんから情報を得ている。でも初めて知ったように振る舞わないと。なにかを企んでいると思われたら大変。ここはしっかりとポーカーフェイス。


「そうなんだ。なんだか猫っぽい感じだった」


「うん、彼女は猫の獣人なんだよ。他にも犬の獣人とか、狐、熊、ウサギ、それに象の獣人がいるね。種族としては全部別なんだけど、全部獣人と言う括りで言われているよ」


「いつかウゲン共和国へ行く事に決めた。絶対に。象の獣人に会いたい。もしかしたらキリンの獣人もいるかもしれない。あとカピバラ」


 おじいちゃんは少し笑ってから首を横に振った。


 それはダメって事なのかな?


「獣人は迫害されてウゲン共和国へ追いやられたって話をしただろう?」


「うん、それに獅子王って人がいるって話も聞いた」


「そうだね。当然、獣人達は人族に対していい感情は持っていないんだよ。もしウゲン共和国に行ったら、捕まって殺されてしまうかもしれないよ?」


「そうなんだ。残念。あれ? でも、宿で働いているヤトって獣人は? 危なくないの?」


「魔界にいた獣人だからね、五十年ほど前に魔族に庇護を求めて魔界へ行った獣人の子孫なんだろう。見た感じ人族と会うのは初めてだったんじゃないかな? それにフェルさんの部下だから人族に仇なすようなことはしないようだね。話によると、ウェイトレスの仕事をものすごく嬉しそうにやってるらしいよ」


 それが本当なら、交渉は楽かな?


 でも、アンリはまだ子供。お金はあまり持ってない。できれば出世払いでなんとかしてもらおう。


「さて、次はドワーフ族かな」


 なかなか本題に入ってくれない。でも我慢。ここでエルフ族だけ詳しく聞いたら今までのフェイクがバレちゃう。ドワーフ族にも興味がある様に振る舞わないと。


「ドワーフは知ってる。大人でもアンリくらいの背にしかならない。それとお酒好き。あとヒゲもじゃ」


「まあ、大まかにはそうだね。ドワーフ族はそれに加えて手先が器用だ。鍛冶師になる者が多い。東にある町、リーンよりもさらに東にドワーフ達が住む村があるんだが、鍛冶師のドワーフは引く手あまたで各地にいるんだよ」


「そうなんだ? でも、ソドゴラ村にはいないよね?」


「ここで鍛冶をしてもあまり意味がないからね。ダンジョンでも近くにあれば違うのだが、この村は森を抜けるための休憩所という認識が強いんだ。だから、ドワーフがここに来ることはないと思うよ。もし村で鍛冶が必要なら、リーンへ行って頼むくらいだろうね」


 残念。来てくれたらアンリの武器を作ってもらうのに。


「さて、それじゃ次はドラゴニュート族だね」


 おじいちゃんは分かっててエルフを後回しにしているのかもしれない。アンリを最後まで勉強させようという策略なんだ。


 確かにエルフの話が終わったらソワソワするかもしれない。でも、甘い。今日のアンリはハードボイルド。タフでクールなアンリはそれくらいじゃボロを出さない。


 ここもドワーフの時みたいに興味がある様に振る舞わないと。


「ドラゴニュートはリザードマンみたいな人の事だよね?」


「会う事はないと思うが、そんなことを言ったらダメだよ? 彼らは竜の人であって、トカゲの人じゃないんだ」


 ドラゴンとトカゲは全然違うって昔教わった気がする。多分、尻尾がとれるかどうかの違いだと思う。


「うん、注意する。それで、ドラゴニュートの人は強いの? 弱点は? やっぱり尻尾?」


「聞いた話だと強いそうだよ。それに狂暴だ。ただ、彼らは北にある大霊峰からは出てこない。あそこにいるという龍神を守っているらしいからね。そういう事もあって実はあまり良く知られていないんだ。言葉をしゃべれるかどうかも分からないんだよ」


 龍神。強そう。いつか部下にしたい。でも、言葉が通じない可能性があるんだ。ならボディランゲージで攻めればいいかな?


「さて、それじゃエルフの話をしようか」


 待ってました。でも、喜ばない。ここは興味がありそうでなさそうな態度でいないと。


「うん、お願いします」


「おさらいになるけど、エルフは西の森にいる種族だ。見た目は美しく、耳が長いのが特徴かな。そして魔法に長けている。そうそう、エルフは長命種とも言われていて、長い長い時を生きる種族なんだよ」


「長い? 人族は大体八十歳くらいだよね? エルフはもっと長く生きられるの?」


「そうだね、人族の寿命は大体それくらいだ。まあ、魔物もいるし、魔族との戦いもあったから平均寿命はもっと低いかもしれないが、何もなければそれくらいだろう。でも、エルフ達はもっと長い。大体四百歳から五百歳まで生きると言われているね」


「そんなに長生きなんだ? 大人になってもいっぱい遊べるなんて素敵」


 あれ? なんだろう? おじいちゃんがちょっと悲しそう。


「おじいちゃん、どうかした? 大人って遊べないの?」


「……ああ、いや、何でもないよ。ただね、アンリ、今は分からないかもしれないが、長く生きると言う事は楽しいだけじゃない。辛い事や苦しいことも続くと言う事だ。長い生は多くの悲しみもある――すまない、まだ子供のアンリにいうことじゃなかったね」


「おじいちゃんにも悲しいことがあるの?」


 おじいちゃんはびっくりしてアンリを見つめている。なにかあったのかな? 朝食に嫌いな食べ物がでた? アンリもピーマンが出た時はすごく悲しい。


「おじいちゃんもそれなりに長生きだからね。辛い事や悲しいことはあるよ……でもね、今は楽しいこともある」


「楽しい事? それはなに?」


「それはこうやってアンリに勉強を教えられる事かな」


「おじいちゃん、いい笑顔でそんなことを言ってるけど、アンリにとって勉強はとても辛くて悲しい事。つまりアンリをそういう気持ちにさせるおじいちゃんは性格が悪いと言ってもいいくらい」


「まあまあ、アンリ。今のうちから勉強しておけば、将来絶対に役に立つぞ? その時にアンリはおじいちゃんに感謝するはずだから、騙されたと思って勉強しよう、な?」


「そんな未来は永遠に来ないと思う。騙されたと思って、じゃなくて、アンリは確実に騙されてる。算術なんて滅べばいい」


 いつか滅ぼす。それはアンリの使命。


「おじいちゃんの心無い言葉にアンリは傷ついた。もう、午後は勉強できない。中止を要求する」


「ふむ……実は今日の午後は用事があってそもそも勉強はやらないつもりだったんだよ。でも私がアンリを傷つけてしまったのなら、これからは母さんのアーシャに勉強をみてもらったほうがいいかもしれないね。午後はアーシャに勉強を見てもらおうか?」


「後出しジャンケンはズルい。さっきのは勉強したくないから言ってしまった嘘。アンリは傷ついてない。無傷と言ってもいい。おじいちゃんに勉強を教わりたい」


「そうかそうか、それならおじいちゃんの午後の予定はキャンセルして勉強をしようか?」


 ……やられた。これはアレだ。悪者が良く使う手。なんて非道。今日のおじいちゃんは手ごわい。なんとか打開策を見つけないと。


 そんなことを考えていたら、おじいちゃんが笑い出した。


「ちょっと悪ふざけが過ぎたかな?」


 そう言ってアンリの頭をなでてくれた。悪ふざけ?


「なに、冗談だよ。今日の午後、そして明日は一日勉強なしだ。おじいちゃんは司祭様と話があるからね。アンリも勉強を休んだ方がいいだろう」


「……おじいちゃん、本当に本物?」


「……アンリのその言葉におじいちゃんが傷ついたよ。いままでだって休みをあげていただろう?」


「そうだけど、それは誕生日とか、なにかすごい特別な日だけで普段のおじいちゃんはそんなこと言わない」


「……そんなに勉強をさせていたかな?」


「うん、勉強のない日がないくらい。普通の子なら家出してる。アンリだから耐えられたと言っていいと思う」


「……少し見直さないといけないかもしれないね。とりあえず、今日の午後と明日は勉強をしないでいいから安心しなさい」


「うん、分かった。今日のアンリはハードボイルドだから過去の事は水に流す。恨みには思ってないからおじいちゃんも安心して」


「ハードボイルドじゃなかったら恨んでいたのかい? ……アンリ、どうして答えてくれないのかな?」


 それは言わぬが花。


 でも、よかった。これでヤトって人と交渉できる時間が増えた。そして明日スライムちゃん達と一緒にエルフの森へ行こう。フェル姉ちゃんを助け出さないと。


「……何も言ってくれないのはちょっと怖いんだが、午前中はまだ時間があるから続きを勉強しようか」


 おじいちゃんはメンタルが強い。この状態でも勉強をさせようとするところは侮れない。でも、続きってなんだろう? もう教わる種族はないと思うけど。


「続きって?」


「もう一つ、種族はあるだろう? 魔族のことだよ」


 魔族。フェル姉ちゃんのことだ。なら大丈夫。知ってる。


「それは教わらなくても知ってる。魔族はフェル姉ちゃんをみれば一発。大食いで笑顔が素敵。あと強い」


「フェルさんを見ているとその印象が強いね。でも、魔族というのは怖いものなんだよ?」


「それは嘘。フェル姉ちゃんは怖くない」


「確かにフェルさんは怖くないね。強いはずなのに暴れたりしないし、人族のルールに従っている。強いというだけで普通の人族と全く変わらないんだ。昔から言われている魔族のイメージとはかけ離れている感じだね」


 確か魔族は昔、人族と戦争していたって聞いたことがある。残虐非道だったとか聞いたけど、フェル姉ちゃんを見るとそんなことない。多分、昔の魔族はお腹がすいていたんだと思う。フェル姉ちゃんを見ているとそんな感じがする。美味しいものが無かったら暴れそう。


 そこから推測すると、美味しいものをあげれば魔族は暴れない。完璧な推理。ハードボイルドだから冴えてる。


 これだけ知ってるなら、おじいちゃんに教わる必要はない。


「おじいちゃん、過去は過去、今は今。だから魔族の事を勉強するならフェル姉ちゃんを見てればいい。だから教わらなくても平気」


 おじいちゃんは、あっけにとられていた感じだったけど、急に笑い出した。


「そうかもしれないね。フェルさんならよほどの事がない限り暴れることもないだろう。これからゆっくり観察させてもらいなさい。今はエルフに捕まっているが、そのうち戻ってくるだろうからね」


 そう、フェル姉ちゃんは捕まっている。勉強なんかしてる場合じゃないんだ。ヤトって獣人と交渉して助けに行かないと。


 これからもフェル姉ちゃんをしっかり観察するために、エルフから助け出すぞ。そして部下になってもらおう。

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