第6話 勉強と遊び
午前中の勉強が終わって気付いてしまった。それに気付いたアンリは猛烈に怒っている。昼食が終わった後におじいちゃんへ抗議した。
「おじいちゃん、アンリは怒っている。別の言葉で言うと、アンリはアングリー」
アンリの怒りが伝わったのか、おじいちゃんは目を丸くした。
「アンリが怒っている理由が分からないのだが、おじいちゃんはなにかしてしまったかな?」
いけしゃあしゃあと。おじいちゃんは分かっていてやったはずだ。ここはおじいちゃんが言い逃れできないように理論で外堀を埋めつつ抗議しないと。
「おじいちゃんは二日前の夜、アンリをフェル姉ちゃんに紹介してくれた。それはすごく感謝してる。フェル姉ちゃんの部下にされそうだった時もお母さんの毅然とした態度で事なきを得た。それも感謝してる」
フェル姉ちゃんの誘いにはちょっと心を惹かれた。お母さんがいなかったら、アンリは魔族として生きていたかもしれない。そういう人生も悪くないけど、フェル姉ちゃんの部下というのはダメ。フェル姉ちゃんがアンリの部下じゃないと。
「ふむ、感謝してくれているなら、なんで怒っているんだい?」
「問題は次の日。つまり昨日」
おじいちゃんは首を傾げている。ここまで言っても理解していないみたい。いや、あれは演技だ。知っていてやっている。なら全部言ってしまおう。おじいちゃんに罪を認めてもらうんだ。
「アンリはフェル姉ちゃんに遊んでもらいたい。その交渉を昨日しようと思ってた。冒険者ギルドに依頼を出すだけのお金がないから、本人と直接交渉。世知辛い」
「遊んでくれるかどうかはともかく交渉は必要だね。それがどうしたんだい?」
「アンリは夕方までお勉強。そして夕方からはフェル姉ちゃんがウェイトレスのお仕事。つまり遊ぶ時間がない。これはおじいちゃんの罠。アンリがフェル姉ちゃんと遊べないように策略を使ったのも同然。アンリが怒っている理由がこれ」
フェル姉ちゃんに紹介されるだけじゃダメ。フェル姉ちゃんと遊ぶのが目的。そして信頼関係を結んだら主従契約を結ぶ。そういう計画。一日無駄にしてしまった。
「フェル姉ちゃんは安全だと証明された。だからアンリはフェル姉ちゃんと合法的に遊べるはず。今日の午後は勉強をお休みにして。してくれないと、おじいちゃんは極悪非道だとアンリの頭に植え付ける」
「アンリ、勉強は大事なんだぞ? それにアンリくらいの年頃が一番物事を吸収しやすいんだ。遊ぶのはいつでもできる。でも、勉強は今しかできないんだぞ? ダメな大人になったらアンリも困るだろう?」
「そんな理屈は通らない。ディア姉ちゃんだって子供の頃勉強していたらしいけど、今はあんな感じ。でも、ディア姉ちゃんはすごく面白い。アンリもあんな大人になりたい。お仕事サボって趣味に没頭する感じが最高。将来何になりたいかと聞かれたら、ディア姉ちゃんみたいになりたいって言う」
「やめなさい」
真面目な顔で止められた。ディア姉ちゃんみたいな生き方はダメみたいだ。でも、あれが最高だと思う。
「さあ、アンリ、ワガママはダメだよ。午後も勉強をしようね」
「客観的に見てワガママを言っているのはおじいちゃん。アンリは午後の勉強をストライキする。自由への逃避行」
外に出るために少しずつ動いて外への扉まで移動していた。脱走する準備は大丈夫。外に出てしまえばアンリは自由だ。あの扉の向こうに自由が待っている。
そう思ったら扉が勝手に開いた。そこにはフェル姉ちゃんが立っている。
これはチャンス。フェル姉ちゃんを人質にしよう。
「たの――痛い」
フェル姉ちゃんの右足をがっちり掴む。これでアンリが優位に立った。
「何をする」
「フェル姉ちゃん、いらっしゃい。遊んであげる」
「ああ、フェルさん、すみません。怪我はありませんか?」
「いや、ちょっと痛みがあっただけだ。怪我はない。アンリ、離れてくれ」
「やだ、この足は人質。勉強嫌いだからもう解放してもらう。言うこと聞かないと折る。あと、おやつを持ってきて」
今、この場を支配しているのはアンリ。要求を上乗せしよう。お芋とか食べながらフェル姉ちゃんと遊ぶ。勇者ごっこがいい。
「たとえ折れても勉強はさせるぞ。さあ、席に着きなさい」
しまった。おじいちゃんは犯罪者に屈しない。大義のためには小さい犠牲も必要だと思っているんだ。
フェル姉ちゃんを見上げると、ちょっと呆れた顔をしている。人質として役に立たないことを残念に思ってくれているのかも。
「勉強といったが、何を教えているんだ」
「簡単な算術と文字の読み書きですね。あとは人界の地理、情勢とかでしょうか」
算術とか滅べばいい。そのうち、魔道具で全部計算してくれる時代が来る。覚える必要はないと思う。
「アンリ、一緒に人界の情勢とやらを聞いてみないか。私も興味ある」
まさかフェル姉ちゃんもおじいちゃんの味方? 勉強なんて面白くない。木刀を振っていた方が何倍も面白いのに。
「そんなことより勇者ごっこしようよ。私勇者、フェル姉ちゃんはゴブリン」
「それだと私が死ぬ役だろうが」
ゴブリンが嫌ならコボルトやオークでもいいけど、もっと強い魔物がいいのかな。オーガ?
「いいか、アンリ。いい女とは知識も豊富なのだ。遊んでばかりだといい女になれんぞ」
「そうなの?」
いい女? 格好いい女性ということかな?
「そうだ。教養のある女は誰から見てもいい女だ。私のようにな」
フェル姉ちゃんみたいに? もしかして角が生えてくる? それは素敵。
「わかった、勉強する。終わったら遊んで」
フェル姉ちゃんは頷いてくれた。言質は取ってないけど、頷いたのは見た。必遊。必ず遊ぶと書いて必遊。
「村長、すまないがアンリと一緒に私にも地理と情勢を教えてくれないか」
「ええ、構いませんよ。さ、アンリも席に着きなさい」
勉強が終わった後にフェル姉ちゃんに逃げられたらまずい。ここは逃げられないようにしておかないと。
フェル姉ちゃんが椅子に座ったのを見て閃いた。今日のアンリは冴えてる。フェル姉ちゃんの膝に座ればいいんだ。アンリはまだ子供。そういうのが許される年齢。
文句が出る前に既成事実を作る。全神経を集中させて膝に座るんだ。アンリの身体能力ならやれる。
椅子と机の位置をずらす前にフェル姉ちゃんの膝に登った。そして座る。その時間はわずか二秒。アンリの華麗な動きに抗議の言葉さえない。
フェル姉ちゃんを背中越しに見上げてニッコリ笑うと、フェル姉ちゃんはちょっとため息をついてから、アンリが座りやすいようにもぞもぞと動いてくれた。やっぱりフェル姉ちゃんはいい人。
いつもと同じ勉強が始まるけど、フェル姉ちゃんと一緒なら楽しいはず。終わったら遊んでもらおう。
今日の勉強は各国の情勢の話だった。これは大事。アンリが人界を征服するには情報が必要。フェル姉ちゃんもいるし、ちゃんと勉強しよう。
この村は境界の森という場所にある。境界の森は大陸の中心。エルフも住んでいるけどかなり危険。この森には四天王と呼ばれる魔物がいると聞いたことがある。いつか配下に置こう。
大陸の北東は魔法国オリン。魔法至上主義とかいうところ。アンリはあまり魔法が得意じゃない。どちらかと言えば剣を振るう方が好き。物理的な攻撃が最後には物を言うということを証明しないと。
南東は宗教国家ロモン。女神教という宗教が幅をきかせている国。この村にも司祭様がいる。おじいちゃんはこの国を結構気にしているみたい。知ってる人でもいるのかな?
あと空中都市というものが空を飛んでるとか。多分、何かのトリック。幻視魔法を使ってると思う。本当に飛んでいるなら欲しい。
北西はルハラ帝国。軍事国家。アンリの好み。ニア姉ちゃんとかヴァイア姉ちゃんの出身地とか言ってた。ダンジョンが多いとかよく聞くからいつか探検したい。
大陸の西の外れはウゲン共和国。獣人の国。獅子王って人がいるみたい。いつか部下にしよう。
南西はトラン王国。魔法を使わない国。魔法は得意じゃないけど、使えるのに使わないとかちょっとおかしい。
おかしいと言えば、おじいちゃんもおかしい。トラン王国の事になるとたまに感情的になる。いつも冷静沈着なおじいちゃんにしては珍しい。
多分、おじいちゃんはトランにイジメられた。アンリがいつかやり返そう。やられたらやり返す。徹底的に。禍根は残さない。
大陸の北側は山になっていて龍神とかドラゴニュートとかいるみたい。ドラゴン。格好いい。過去にはドラゴンライダーとか言う、ドラゴンに乗って戦う人がいたとか聞いたことがある。アンリも乗ってみたいな。
国の情勢に関しての勉強は終わったみたい。どの国もこの村ほど面白そうじゃないかな。なんと言ってもこの村にはフェル姉ちゃんがいる。それだけで、この村は最高。ピーマンを作っているのがたまに瑕なくらい。
「さて、今日はこの辺りにしましょう。アンリ、遊んできていいよ」
時計をみたらいつもよりも早く終わっている。おじいちゃんはやることが憎い。おじいちゃんへの好感度が上がった。今日は肩をトントンしてあげる。アンリのトントンはゴッドハンドと言われてる。滅多に披露しないけど今日は特別だ。
フェル姉ちゃんは勇者ごっこが嫌みたいだから、国盗り合戦にしよう。
「うん。じゃあ、フェル姉ちゃん、トラン王国やって。アンリはルハラ帝国やる」
「意味がわからん。魔法を使うな、ということか?」
やれやれ。ちゃんと説明してあげないとダメみたいだ。
「フェル姉ちゃんは大人。子供に本気出すのは良くない。それくらいのハンデはあってしかるべき」
「わかったわかった。私がトラン王国なのはわかったが、何をするんだ? それに仕事があるから夕方までだぞ?」
「もちろん。それまでに決着をつける。木刀で戦う。三回攻撃が当たったら負け」
「木刀? 剣術の戦いということか? いいだろう、なら魔族の力をみせてやる。その目に焼き付けるがいい」
「いや、あの、フェルさん。遊びで魔族の力は見せないでください」
おじいちゃんから物言いが入った。魔族の力を見たかったけど、ダメみたいだ。
「いや、冗談だから。なんで人族って冗談を本気に取るんだ?」
アンリには分かる。これは冗談だと言ってアンリを油断させる作戦。そんな作戦にはひっかからない。常在戦場の気持ちで遊ぶ。
「ちょっと待ってて。装備を整えてくる。フェル姉ちゃんの分の武器も持ってくるから。安心して、武器に細工はしない」
「そんな心配はしてない。それじゃ、広場で待ってればいいか?」
「うん、待ってて」
さっそくアンリの部屋に戻る。そして私の愛剣、魔剣七難八苦をベッドの下から取り出した。これで何度も素振りした。アンリの体の一部と言ってもいい。
これを売ってくれた商人のおじさんは使い続ければいつか封印が解けるとか言ってたけど、本当かな?
アンリは騙されたかもしれないけど、そんなことはどうでも良くなった。この剣にはなんとなく惹かれるものがある。ずっと使い続けよう。
フェル姉ちゃんの武器は、森で冒険してきたときに見つけた木の棒だ。枝といってもいい。でも形が素敵。八大秘宝には入らないけど、これもいい品。これをフェル姉ちゃんに貸そう。
二つを胸に抱えて、早速広場へ出る。
フェル姉ちゃんはちゃんと待っててくれたみたいだ。約束を守れる大人は最高。
「フェル姉ちゃんにはこっちを貸す。大事に使って」
「これ、枝だよな? そっちも木の武器みたいだけど、ちょっと戦力差がありすぎないか?」
「これはハンデ。これでイーブン」
「そうなのか……?」
首を傾げながらもフェル姉ちゃんは木の棒を持って構えた。フェル姉ちゃんはできる。アンリの勘がそう囁いている。ならば、先手必勝。まずは一本取る。
「せい!」
「あいた! アンリ、せめて開始とかの合図をしろ。脛はどんなに鍛えても痛いんだぞ。それにさっきから右足ばかり狙いやがって」
「ぼーっとしているフェル姉ちゃんが悪い。戦いはいつだって突然。これで一対零。アンリ優勢」
「このやろう」
フェル姉ちゃんも本気になった。このまま押し切るぞ。
「これで終わりだ」
こつんとアンリの頭に木の棒が当たった。これで一対三。アンリは負けてしまった。
「フェル姉ちゃんは強い。でも、これで勝ったと思わないで。いつか、第二、第三のアンリが現れる」
「全部アンリだろうが。だが、アンリは強いな。もっと大きくなれば、もっと強くなれるぞ」
「うん、いつかオーガぐらいに大きくなる」
「人族がそこまで行くとどうかと思うぞ? さて、そろそろ仕事の時間だ。遊びはここまでだ」
残念。楽しい時は時間が進むのが早い。いつか時間魔法を覚えて時間をゆっくり進ませたい。
「フェル姉ちゃん。今日はありがとう。明日は何時に遊ぶ?」
「待て待て。明日も遊ぶとは言ってないだろう? 私にはやることがあるんだ。遊ぶのは今度時間が空いた時だな。それまではいい子に勉強でもしていろ」
「大人はすぐに勉強しろって言う。子供心を分かってない」
フェル姉ちゃんがアンリの頭に手を置いてグリグリと動かした。雑。ものすごい雑。ワースト一位ぐらいのなでなでだ。
「大人も子供だった頃がある。その時の教訓をアンリに伝えたいんだ。だから、大人心も分かってやれ。それに遊んでばかりじゃ生きていけない。だから今のうちから勉強するんだ。後で大変になるからな」
「ディア姉ちゃんは遊んでばかりだけど大丈夫だよ?」
「あれは特殊な例だ。何事にも例外がある」
アンリもその例外になりたい。でも、フェル姉ちゃんの言うことも何となく分かる。
「わかった。じゃあ、また今度遊んで。無料で」
「アンリと遊ぶのにお金を取るわけないだろう。お金には困っているが、そこまでは困ってないぞ。ウェイトレスをしてるしな。かなり心を削っているけど。お金を稼ぐって大変だ」
心の底からの声のように聞こえた。大人は大変みたい。
「さて、そろそろ行く。それじゃまたな」
「うん、バイバイ」
手を振ると手を振り返してくれる。そして森の妖精亭の方へ歩いていっちゃった。背中に哀愁を感じる。そんなにウェイトレスの仕事って大変なのかな。
「アンリ、大丈夫かい?」
いきなり背後から声を掛けられたと思ったら、おじいちゃんだった。アンリの背後を取るなんて。
「おじいちゃん。うん、アンリは大丈夫。フェル姉ちゃんは強かったけど、まだ本気じゃないと思う。でも、アンリも奥の手は見せてない。だから悔しくない。次は紫電一閃が炸裂する」
「あれは人に向けて使っちゃダメだよ。約束しただろう?」
「そうだった。うっかり。あれ? おじいちゃんはどうしたの? 散歩?」
「いやいや、アンリが心配でずっと見てたんだよ。でも、心配することは無かったようだ。フェルさんも力加減を間違えなかったようだしね。アンリがフェルさんの脛に一撃入れた時は心臓が止まるかと思ったが、フェルさんは……ちゃんとした大人のようだね。怒りもせずにアンリの相手をしてくれたようだし」
「うん、フェル姉ちゃんは大人。それにいい人。今度遊んでもらう時までにもっと強くなる。次は二本取らないと」
おじいちゃんはちょっとだけ笑って頭をなでてくれた。うん、これ。フェル姉ちゃんも見習ってほしい。
「さあ、帰ろうか。フェルさんと遊んでアンリもクタクタだろう? シャワーで汗を流したら夕食にしよう」
「うん、そうする」
フェル姉ちゃんとの遊びは面白かった。また近いうちに遊ぼう。その時までに強くなっておかないとダメだから、もっと修行しないと。勉強をしている場合じゃない。フェル姉ちゃんに勝てるまで頑張るぞ。
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