第5話 はじめての挨拶

 

 今日の夕食に生涯の敵が現れた。


 緑の悪魔。ピーマン。どんな食材とも合わない孤高の食材。さらに主張が激しい。どんなに細かく刻んでも存在をアピールしてくる。いつか全滅させるのがアンリの夢。


「アンリ、ピーマンを残してはダメよ。ちゃんと食べなさい」


「お母さん、ピーマンは体に悪いと思う。体が拒否反応を示してる。もしかすると、アンリはピーマンが食べられない呪いに掛かっているのかも。代わりにトウモロコシが大好きになる祝福を受けてる」


 アンリの訴えは却下された。証拠が足りないようだ。こんなに嫌いなのに。多分、ピーマンからも好かれてない。相思相愛と言ってもいい。


 お皿に残るピーマンが恨めしい。食べれるものなら食べてみろ、そんな風に煽られている気がする。


 今日はお父さんがいない。内緒で代わりに食べてくれることも無いということ。つまり、アンリはいま絶体絶命のピンチ。援軍が欲しい。


「村長、いらっしゃいますか?」


 家の入り口から、ベインおじさんが入ってきた。相変わらず体が大きい。いつも畑仕事をしているからかな。アンリも畑仕事をしたら大きくなれるかも。


「あら、ベイン。こんな時間に来るとは珍しいわね。お父さんなら書斎にいるから呼んでくるわ。ちょっと待ってて」


「すみません、お願いします」


 お母さんはおじいちゃんを呼びに、隣の部屋に行ってしまった。


 千載一遇のチャンス。おじさんは援軍だ。今の状況を打破してくれる助っ人。追いつめられていることをアピールして助けてもらわないと。でも、無理強いはダメ。お母さんとおじいちゃんに見破られる。おじさんにも気づかれないように助けてもらうんだ。


「ベインおじさん、こんばんは。つまらない物ですが、どうぞ」


 お皿ごとピーマンを提供する。ガブっと言って欲しい。


「アンリさ――ちゃん、こんばんは。いきなりなんだい? えっとピーマン?」


「うん、どうぞ。遠慮なくいって。アンリの事は気にしないでいい」


「ははぁ、ピーマンが食べられないということかな? 確かに子供には苦すぎるかもしれないなぁ」


「それはアンリを侮辱している。名誉棄損で訴えるかもしれない。傷ついたからピーマンを食べて」


 おじさんが困った顔をしている。


 もしかしてアンリと同じように、ピーマンが食べられない呪いに掛かっているのかも。それなら無理には勧められないけど、おじさんはアンリより年上だから大丈夫だと思う。


「そんなに駄目なのかい? せっかくおじさんが精魂込めて作ったんだけど」


 ベインおじさんが聞き捨てならないことを言った。でも、聞き間違いかもしれない。確認しないと。


「おじさんがピーマンを作ったの?」


「そうだよ。このピーマンは村の畑で作った物だね。まあ、この村の食材は大体うちの畑で作った物だから間違いないと思うよ」


 聞き間違いじゃない。おじさんはいい人だと思っていたのに諸悪の根源だった。いわば魔王。アンリが成敗しないと。


「お墓に刻む言葉を言って。いまからおじさんを魔剣のサビにする」


「ど、どうしてそうなるんだい!?」


「おじさんがピーマンを作り出す魔王だと分かったから、アンリが勇者として成敗する。でも、墓は建ててあげる。あと、おじさんの家族にもピーマンを作っていたことは内緒にしてあげる。これは慈悲」


「独身だし、ピーマン作ってるのは村の皆が知ってるけどね……いや、待って! 木刀から手を放して!」


「問答無用。悪の栄えたためし無し」


「えぇ……? あ、そうだ! アンリちゃんに聞いて欲しいことがある!」


 言い訳は良くないと思う。でも、おじさんには遊んでもらったことがあるし、もしかしたらピーマン栽培を強要されているのかも。ちゃんと話を聞いて判断しないとダメかもしれない。


「分かった。おじさんの話を聞く。でも言葉には気を付けて。つまらない事を言ったらその場で紫電一閃が炸裂する」


「怖いよ、アンリちゃん。えっとね、おじさんはピーマン以外も作ってるんだ」


「ピーマン以外? 他のお野菜も作っているということ?」


「そう! 例えば、トマトとか!」


 トマト。赤くてちょっと酸っぱい感じの野菜だ。ちょこっと塩を振って食べるのがお気に入り。チーズで挟むのも良し。でも、それがどうしたのかな?


「それがなに? トマトをお墓に供えて欲しいという意味?」


「いやいや、おじさんを倒すと、トマトが食べられなくなるってこと! それでもいいのかい!?」


 トマトが食べられなくなる……?


 しまった。そういうことなんだ。トマトを人質に取られた。ピーマンを普及するために、他の野菜も作ってカモフラージュしてたんだ。おじさんを倒したらピーマンと一緒にトマトもいなくなる。なんて外道。


 でも、甘い。トマトだけに……トマトは酸っぱかった。


「おじさんはアンリを甘く見過ぎ。アンリは犯罪者に屈しない。トマトが食べられなくなるのは残念だけど、正義には犠牲がつきもの。トマトだって分かってくれる」


「は、犯罪者!? えっと、それなら……そうだ! ジャガイモも作ってるぞ! アンリちゃんもジャガイモ揚げが好きだろ? アレにトマトソースを付けて食べるのが最高なんじゃないか! あれも食べられなくなるぞ!」


 やられた。トマトだけじゃない、ジャガイモも人質に取られた。


 おじさんの言う通りあの組み合わせは最高。ちょっと細めに切ったジャガイモを油で揚げて、トマトソースをたっぷりつける。それを口に入れた時の幸福感は言葉では言い表せないほど。それが食べられないのは、人生の半分くらいが闇に包まれる。


 しまった。おじさんがアンリを見て、ちょっと口角をあげている。アンリの葛藤に気付いたから笑ったんだ。弱点を晒すとはなんたる不覚。


「それにね、おじさんはトウモロコシも作っているんだ。茹でて食べるのは美味しいだろう?」


 さらに追撃。人質は三人。しかも、トウモロコシ。アンリの大切な家族を人質に取られたも同然。


 正義を行使するためには非情にならないといけない。私情はご法度。でも、それでもアンリは情を優先したい。家族は見捨てない。おじいちゃんの言葉だ。それは守らないと。


「アンリの敗北を認める。見逃すから人質を解放して。正義よりも家族が大事。でも、これで勝ったと思わないで。いつかピーマンを人界から排除する」


「いや、人質なんて取ってないから。怖い事言わないでくれよ――あ、村長、助けてください。なんで笑っているんですか」


 いつの間にかおじいちゃんとお母さんが部屋に戻って来ていた。


 アンリは悪に屈したけど、家族を守るためだった。おじいちゃんもお母さんも分かってくれる。


「いや、すまん。面白かったのでな。まあ、決着はついたようだ。用件を聞かせてくれないか?」


 やっぱり、お咎めなしみたい。うん、正義よりも大事なことがあるんだ。アンリは少し大人になった。


 それはともかく、お母さんが言った通り、こんな時間にベインおじさんが家に来るのは珍しい。何の用なのだろう。ピーマンをもっと作るとか言ったら、もうこの村にはいられない。フェル姉ちゃんを誘って村を出よう。アンリも魔族になる。


「ええ、あの魔族のフェルって子について報告をしようとしまして……」


 フェル姉ちゃんの話だ。これは聞かないと。でも、ベインおじさんがアンリをチラチラと見て、話しづらそうにしている。もしかしてアンリが聞いちゃいけない話なのかな?


 でも、聞かないという訳にはいかない。ここはアンリに話しても大丈夫だというアピールをしておこう。


「ベインおじさん、アンリなら大丈夫。これでも口は堅い。何でも言って」


「まあ、大した話でもないので、別に構いませんけど……」


 ベインおじさんがおじいちゃんの方をみた。


「どんな内容なのかね? 内容によってはアンリに部屋へ行って貰うが、まずは簡単に聞かせてもらえるか?」


「はい、フェルって子が、森の妖精亭でウェイトレスを始めたので、その報告に。不要かとも思いましたが、何かあった時はすぐに報告を、と言ってましたので」


 おじいちゃんが口を開けてポカンとしている。


 でも、アンリには分かってた。フェル姉ちゃんがウェイトレスの仕事をするって。でも、そんなことはどうでもいい。


 重要なのはおじいちゃんとの約束だ。


「おじいちゃん、これでフェル姉ちゃんは安全だと証明された。明日から遊んでもらう。これは決定事項」


「まあ、待ちなさいアンリ。ベイン、フェルさんの様子はどうなんだ? その、こう、魔族的に」


「魔族的にと言われても、答えが難しいですね。普通ですよ。なんだかヒラヒラのウェイトレス服を着て、ものすごい勢いで草むしりをしてたようですし、給仕も普通でした」


 草むしりはアンリも良くやる。根こそぎ取ってしまうのがコツ。


「魔族というのが嘘じゃないかと思ってしまうな。なにか他に気になったことはないか?」


「いえ、特には。まかない料理をものすごい笑顔で食べたり、給仕している料理をものすごく見つめていたりと、食べ物が好きなのかな、とは思いましたが。ああ、そうそう、お酒をコップのギリギリまでいれて、ニアに怒られてましたね」


「ニアは魔族を怒ったのか? 大丈夫だったのかね?」


「問題ありませんでしたよ。ちゃんと謝ってましたし。なんか表面張力の限界に挑戦したかったとか言ってましたけど」


 フェル姉ちゃんは分かってる。アンリもコップでそういう遊びをする。お母さんに怒られるところまで一緒だ。もう、親友と言っていいかもしれない。


「おじいちゃん。約束は覚えている? 約束を破ったらアンリはグレるかもしれない。明日は森の妖精亭でご飯を食べよう」


 おじいちゃんは手を組んで黙ってしまった。何を悩んでいるのかな? アンリがグレてもいいと思ってる?


「分かった。明日の夜、森の妖精亭に食事に行こう。その時にアンリをフェルさんに紹介してあげよう」


「おじいちゃんは控えめに言って最高。尊敬できる人はって聞かれたらおじいちゃんって言うようにする」


「いいの? お父さん?」


「まあ、大丈夫だろう。聞いた限り、危険な事はなさそうだ。しかし、本当にウェイトレスをやるとは。しかもウェイトレスの服を着て……何しに人界へ来たのだろう?」


「アンリには分かる。多分、美味しい物を食べに来た。ニア姉ちゃんの料理は最高」


 おじいちゃん達はアンリの方を見て止まっちゃった。でも、すぐに笑い出した。


「ははは、そうかもしれないな。ニアの料理は毎日食っても飽きねぇ。ロンが羨ましいぜ……違った、羨ましいです」


「確かにそうよね。ニアさんの料理は自信失くすくらい美味しいわ」


「ニアはルハラで有名な料理店の料理長だったらしいからな。もしかしたら、本当に魔界にまで名が売れているのかもしれん。まあ、フェルさんについては余計な詮索はしないでおこう。暴れたりしないなら何の問題もない。儂らだって色々と詮索されたくないからな」


 お母さんとベインおじさんが頷いている。詮索されたくない事ってなんだろう? ピーマンを村で作っている事かな?


「おっと、長居してしまいましたね。報告は以上です。それじゃ、俺は――いや、私はこれで。店に戻ってもう一飲みしてきます」


「あまり飲み過ぎちゃダメよ?」


「まあ、ほどほどのところで止めときますんで。それじゃ、おやすみなさい。アンリちゃんもおやすみ」


「うん、ベインおじさん、おやすみなさい。でも一言いわせて。酒は飲んでも飲まれるな」


「はは、気を付けるよ」


 ベインおじさんは、おじいちゃんとお母さんに頭を下げてから家を出て行った。


 おじさんの情報でアンリにもフェル姉ちゃんと会える許可が出た。ピーマンを作っていることは不問にしよう。綺麗事だけじゃ生きられない。悪を許容することも大事だ。


 さっそくフェル姉ちゃんに紹介された時の自己紹介を考えよう。ファーストインパクトは大事。最初に会った時に上下関係が決まると言ってもいい。フェル姉ちゃんには一緒に人界征服をしてもらうから私がボスだって教えないと。


「それじゃ、アンリは就寝の準備をする。安心して、歯はちゃんと裏側まで磨く」


 アンリが部屋を出ようとしたら、お母さんに抱きかかえられた。そして椅子に座らされる。


「アンリ、ピーマンが残っているわよ。ちゃんと食べてから寝る準備をしましょうね?」


 やれやれ、長い夜になりそうだ……!




 今日は森の妖精亭で夕食を食べる。その時にフェル姉ちゃんに紹介してもらえることになった。まだ朝だけど夜が待ち遠しい。


「お母さん。今日の服は強そうな感じにして。最初が肝心だから。できればミスリルを使った服」


「そんなものはありません」


 残念。こういう時に備えておくべきだった。今日のアンリは防御力が低い。フェル姉ちゃんに侮られるかも。せめてブローチとかつけておこう。


 今日は勉強の日だ。でも、アンリは攻略法を知っている。


 無だ。無になる。大気と同化するんだ。そうすると時間が経つのが早い気がする。


 勉強の用意をしていたら、隣の部屋から声が聞こえてきた。フェル姉ちゃんの声だ。まさかフェル姉ちゃんの方から会いに来てくれた?


 ここは知らない振りをして部屋に入る方がいいかも。でも、最初にガツンと言わないと。


「フェル姉ちゃん、いらっしゃい。私はアンリ。手下にしてあげてもいいよ――あれ? フェル姉ちゃんは?」


 声がしたと思ったのに、おじいちゃんしかいない。まさかの声真似?


「フェルさんならさっき家を出て行ったよ。まったく、今日の夜、紹介してあげると言っただろう?」


「ちょっと待ちきれなかった。フェル姉ちゃんは何の用だったの? アンリに会いに来てた?」


「フェルさんは仕事がないか聞きに来たんだよ。ウェイトレスの仕事は夕方からだからね、それまでにやれる仕事を探しているようだ。なんというか、魔族なのに不思議な方だな。ちゃんと人族のルールを守ろうとしているし」


「それならいい仕事がある。アンリと遊ぶ仕事。アンリが冒険者ギルドに依頼してくる。依頼料は出世払い。それまではおじいちゃんが払って」


「フェルさんならやってくれそうだから怖いな。でも駄目だよ。さあ、お勉強の時間だ……どうしてアンリは死んだ魚のような目をしているんだい?」


「心を無にする修行。アンリは形から入る」


 感情を押さえて黙々と勉強しよう。




 やっと勉強が終わった。多分、「無心」のスキルを覚えた。いつか「明鏡止水」のスキルを覚えたい。


 時計を見ると午後の四時半だった。そろそろ夕食の準備が始まる時間。むしろ今から行ってもいいくらい。


「おじいちゃん、森の妖精亭に行こう。席が埋まっちゃうかも。それとも予約してる?」


「いや、予約はしていないが大丈夫だろう。皆が同じ時間に食べるわけじゃないからね。でも、そうだね、五時ぐらいになったら行こうか。遅い時間だとお酒を飲む人が増えるからね」


「うん。それじゃ、準備してくる」


 勉強道具のお片づけをしないと。あとおめかしが必要。


 部屋の机に勉強道具をしまった。このまま封印したい気持ちを押さえて、準備を整える。装備を確認してから、おじいちゃんのいる部屋に戻った。おじいちゃんもお母さんも準備できているようだ。


「お母さん、アンリは変じゃない? 強そう?」


「変じゃないし、強そうよ。でも、木刀は置いていきましょうね」


 攻撃力が下がった。武器が無くてフェル姉ちゃんを手下にできるかな?


「それじゃ行きましょうか。久しぶりにニアさんの料理を食べられるから私も嬉しいわ。技術を盗まないと」


 お母さんはニア姉ちゃんの調理技術を盗むつもりなんだ。それ以前に熱魔法の出力をどうにかして欲しいけど、言わないでおく。それが優しさだと思う。


 お母さんに手を繋がれて、森の妖精亭に向かう。ドキドキしてきた。


「らっしゃい」


 森の妖精亭へ足を踏み入れると、フェル姉ちゃんがお出迎えしてくれた。


 ピンクと白のヒラヒラがついている服を着ている。かわいい。でも、ちょっと目が死んでるかも。アンリが勉強している時と同じ目だ。


「好きなところに座ってくれ。オススメは厨房に近いテーブルだ。料理が早く来る」


 それだけ言うと、フェル姉ちゃんは厨房の方に行っちゃった。


 でも、オススメのテーブルに座るとすぐに戻ってきてくれた。お水を持ってきてくれたみたいだ。


 そしてフェル姉ちゃんは、アンリの事をずっと見てる。ちょっと首を傾げている感じだ。


「この子は私の孫です。アンリ、挨拶しなさい」


 来た。この時を待ち望んでいた。まずは最初にガツンと喰らわせよう。


「私はアンリ。手下にしてあげてもいいよ」


 そして一緒に人界を征服しよう。

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