花束とクレーム

「今日は本当にすみませんでした。…ああ、いえ全然。…はい。…えっ、これからですか?…ここって奥さんと同じ病院だったんですか…」


 病院の中庭にあるベンチ。隣で電話しているのは馬鹿な理由で入院中の同居人だ。ビニール袋と猫を見間違えた結果、骨折をするという大馬鹿野郎。それもこれもビニール袋をポイ捨てするような阿呆がこの世に存在するからでもある。ああ、ポイ捨てをするような輩はその報いを今すぐに受ければいいのに。


「うお!」


 世に蔓延る巨悪に対しての怒りと憎しみを募らせていると、頭上から何か湿ったものがバサバサと落ちてきた。思わず声を出して驚いてしまったではないか。くそが。


「花?」


 そう、投げ捨てられてきたのは紫色の小さな花がついた植物だ。


「ラベンダー、かな」

「ポイ捨て、いや、嫌がらせか」

「うーん、そうか?ラベンダーって夏の花だろ。生花のラベンダーなんてまだ珍しいはずだ。そんな貴重なものをおいそれとポイ捨てなんかするか?」


 貴重かどうかなんてどうだっていい。先ずはこの犯人を見つけなければいけない。一体どこのどいつだ。投げ捨てた犯人を射殺さんばかりの眼光を放っている気分で空を見上げる。


「ちょっと、投げ捨てちゃ駄目じゃん!下に誰かいたらどうすんの!」


 きっと犯人は陰湿陰険を絵に描いたような暗黒のオーラを放っているような輩だと想像して見上げると、頭上の開け放たれた窓から聞こえてきたのは、カラッとした元気な女性の声とわんわんという子供の泣き声だった。


「すみませーん!お怪我がないですか?」

「大丈夫ですよ!」

「子供が落としちゃって…どうもすみません!」

「こちらは気にしないでください、泣いているお子さんをあやしてあげてください」


 少しばかり予想外な人物に一瞬戸惑ってしまったが、気を取り直して怒鳴りつけてやろうとする私をしり目に隣に座る同居人が対応してしまった。こいつはいつもこうだ。誰にでもいい顔をする。


「ほら、嫌がらせでもないだろ。そうやってすぐに悪い方に考えるのはよくないよ」

「ふん、そっちこそ、その八方美人な性格はいい加減どうにかしろ。それに故意の嫌がらせでないにしろ窓の外に物を投げるなんて、子供といえども見下げた根性だ。ゴミはゴミ箱へ、子供だってそれくらいわかるだろう」

「だからゴミじゃないって。落としちゃったって言っているだろう。…って文句を言いつつなんだよソレは」


 辺りに散らばったラベンダーを拾い集めて、ポケットに入っていたハンカチをリボン代わりに花を束ねた私を呆れた顔で見る同居人。


「ふんっ、こうすればゴミには見えないだろう。お前はここで待っていろ、窓から投げ捨てたというその子供に叩き返してきてやる」

「…全くお前はさぁ。まぁいいや、ついでに飲み物買ってきてくれよ」


 勇んであの場を離れたもののここは病院だ。走るなどもっての外。点滴を持った人や松葉杖をついている人がいる廊下を、無駄にでかいこの体が邪魔にならないように軽快かつ華麗に移動する。もちろん手に持つ小さな花束の花が散らないように細心の注意を払って。


 座っていたベンチの真上の病室の前には先ほど顔を出して謝罪をした女性がいた。見上げていた時よりもずっと若い印象、というか幼いな。若くして出産というのはさぞ大変だっただろうが、子供の躾がなっていないのはそれとは別問題だ。


「すみません、わざわざ届けてくれるなんて」

「あっ、いや(そんなことはどうでもいい。あなた達はここをどこだと思っている、病院だぞ。どんな症状の人がいるかわからないのに窓からモノを落とすなんて一体どういう教育をしているのか、今回は落としたのが花だったからよかったものの、もっと重いもので当たり所が悪かったら命だって落としていたかもしれない。子供がしたことだから、で済む問題ではない)」


 私は病院内で怒鳴り散らかすような愚物ではない。言外に言いたいことも言えたことだし同居人の元へ戻ろうと踵を返すと、どこかで見た顔のスーツ姿の男性がいた。どこで見たのだろうか、思い出せない。


「あれ、あなたは」


 しかし私とは違い相手はこちらを覚えていたようだ。


「覚えていませんか?先日、といっても少し前ですけどうちの娘が落とした手袋を拾ってくださったのを覚えていませんか?」


 うん、そんなことあったか?まぁ、あったと言われればあったような気もする。うん、向こうがそう言っているのだからそうなのだろう。


「ああ、どうも」

「この病室にはうちの妻が入院しているのですが、お知り合いで…」

「違うの、叔父さん!マキちゃんとカナちゃんを連れてお見舞い来たんだけど、その、二人が思い出の匂いがすればユカリちゃんが目覚めるかもって。だからラベンダーを探して持ってきたんだけど…結局ユカリちゃんは目を覚まさなくって。それでカナちゃんが癇癪起こしてラベンダーを外に投げ捨てちゃったの。そしたら下にいたこの人たちに当たっちゃって」

「そうだったのか」


 何やら訳ありのようだ。というかこの女性は母親ではなかったのか。病室に目を向けると泣きじゃくる子供二人がそれぞれ女性に抱きしめられている。


「うちの娘が大変失礼しました。お怪我や服に汚れなどはありませんでしたか?」


 状況を理解したのか男性は深々と頭を下げてきた。ふん、父親はだいぶまともなようだ。これならしっかりと子供へ教育をしてくれるだろう。


「あ、ええ(花が落ちてきたくらいで怪我をするほど柔ではないが、今後はこういったことが起きないように十分子供に言い聞かせておいてくれるか)」

「…ラベンダーか…」


 言いたいことも伝わったようだし、同居人の元へ戻ろうとしたが男性の視線が私の持つラベンダーの小さな花束に向けられているのに気が付いた。おっと、いけない。これを叩き返してやるんだったな。


「あの(生花のラベンダーはこの時期貴重らしいから、もう投げ捨てないように)大事にして(くれ。ああ、ハンカチは安物だから単なる包装とでも思ってくれて構わない)」


 そのまま小さなラベンダーの花束を男性に押し付け足早に立ち去った。なんだか取り込み中みたいだったからな。言いたいことも伝わったと思うし、私は空気が読める男だからな。


 しかし、寝たきりの嫁さんか。同居人の会社にもそんな境遇の人がいた気もするが、まあ私には関係ないか。


 だがまぁ、泣きじゃくるあの子供たちが笑顔になる日がいつか来ることを願うくらいはしてやるか。

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