目覚めの花

「ねぇ、何をコソコソ話してるの?」

「ナイショ!」


 従姉妹二人を子守中でメッセージアプリに返信のないアタシを心配して様子を見にやって来た同級生の友達、ううん、親友のヒナとミユ。さっきまでは楽しく五人で話していたのに、気が付けば従姉妹のマキちゃんとカナちゃんは朝からの続きとばかりに内緒話を始めている。それを見たミユが尋ねても、アタシと同じくはぐらかされてしまった。


「あー、なんかね、今朝からずっと二人でコソコソ話してんのよ。公園に行くときも何かヒントがあるかも、とかって言ってたし。でもアタシには教えてくれないんだよね」

「ふーん、ヒントかぁ。ねぇ、マキちゃん。何か探しているならお姉ちゃんたちも手伝おっか?二人だけより、いっぱいで探した方がきっと見つかるんじゃないかなぁ」

「ほんとう?」

「今だってサクラと三人だけよりアタシたちが一緒の方が賑やかで楽しいでしょ?いっぱいいた方が絶対いいよ」

「そっか、あのね、あのね、…ママが起きる匂いを探してるの」


 マキちゃんの言葉に、一瞬何を言っているのか理解できなかった私達の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。


「この子たちのママって事故で入院してるっていう…」


 一年前、交通事故に巻き込まれたこの子達のママのユカリちゃんは一命を取り留めたものの、意識不明のままだ。その身を挺して二人の子供を庇ったらしい。


「お隣のおばちゃんがね、パパに言ってたの。すっごく嬉しかった時の匂いは頭の中を刺激するって。そしたらママが起きるかもって。パパはそうなればいいねって言ってたけど、仕事が忙しいから匂い探してくれないの。だからマキとカナで探すの」


 話しながらどんどん泣きそうになるマキちゃんの顔を見て、どれだけママに会いたいのだろうと胸がちくちく痛んだ。私には想像できないほどの思いがこの子たちにはあるのだろう。ママと話したい、ママの作ったご飯が食べたい、ママに抱きしめてもらいたい。アタシが享受してきたものをこの子たちは…。


「うーん、匂いねぇ。そんなことあるのかなぁ、確かに懐かしい匂いって思うことはあるけど」

「あー、でも調べてみたらガセってこともないっぽいよ。ほら」


 ヒナが差し出したスマホには嗅覚と脳の関係の記事がたくさん表示されていた。


「でも記憶に残る匂いかぁ。サクラはこの子のママとよく遊んでもらってたんでしょ?」

「そういわれても…。匂いか…。ユカリちゃんが嬉しかったことか、嬉しかったこと…」


 四人の視線が一斉にアタシに向けられる。そんな目で見られても都合よく思い出すはずもないよ、そう泣き言を言いたくなったアタシだったけど、どこからか漂ってきたメープルシロップの甘い匂いに、ある日の情景がフッと頭によみがえった。


『ねぇねぇ、ユカリちゃん。しあわせって何?』


 そう、あれはアタシが小さかった頃。結婚を控えたユカリちゃんがうちに遊びに来ていたときのことだ。頻りに幸せという単語を連呼するママとユカリちゃんに幼いアタシが聞いたんだっけ。


『私の幸せは今かなぁ。こうやって可愛いサクラちゃんとホットケーキ食べてる今はとっても幸せだよ』

『それに結婚前で浮かれ切っているしね』

『もう、お姉ちゃんってば!』

『一番幸せ?』

『うーん、一番はこの先にとっておこうかな。子供をこの手に抱いた時、子供の成長をあの人と見守るとき、きっとずっと幸せだと思うから』

『じゃあ、今までで一番は?』

『サクラちゃんは一番が好きね。うーん。そうだなぁ。ユカリちゃん今度結婚するでしょ?旦那さんになる人に結婚しようってプロポーズされたときは今までで一番幸せだったかな』

『ちょっと、うちの子にまで惚気るのは止めてよね』

『いいじゃない、北海道っていう場所でね、ラベンダーっていう綺麗ですっごくいい匂いのする花がたーっくさん咲いている場所で好きな人にずーっと、ずーっと一緒にいようって言ってもらえたのよ』

『それがユカリちゃんの一番?』

『そうね、今のところはね』


 たぶん、あれがアタシの中で「幸せ」が定義された瞬間。


「…ラベンダー」

「ラベンダー?」

「うん、ユカリちゃん、この子たちのママに聞いたことがあるの。プロポーズは北海道のラベンダー畑でしてもらって、すっごく幸せだったって。ねぇ!これってありえるくない?」

「ラベンダーってことは花屋?」

「だね、とりあえず行ってみようよ」


 プロポーズなんて絶対に最高の思い出に違いないとアタシ達三人は大盛り上がり。そんなアタシの裾をチョイとマキちゃんが引っ張った。


「ねぇ、ママこれで起きる?」

「ママおきるの?」

「う…」


 二人の純粋無垢な眼差しに言い淀んでしまう。ユカリちゃんがこれで目を覚ますかと聞かれてしまうと、正直なところ匂いで目が覚めるとは思えない。だってラベンダーの匂いって結構世に溢れている。誰かの洋服にラベンダーの匂いがする柔軟剤が使われているかもしれないし、芳香剤の匂いにだってラベンダーの匂いのものもある。


 よくよく考えたら入院中の病室で一年間、一切ラベンダーの香りが漂ってこないなんてことはないと思う。でも一パーセントでも、万が一でも生花の匂いだったらって可能性もあるかもしれない。盛り上がってはみたものの、これで確実に目覚めるとは言い難いし、この二人をぬか喜びさせたくはない。


「ねぇ、ここで不安に考えても何も変わらないよ」


 返答に詰まった私に代わってミユが従姉妹二人を抱きしめた。


「あのね、何が起こるかわからないのが人生だよ。あなた達のママが目覚めるかもしれないし、目が覚めないかもしれない。でもね、奇跡ってあるからさ、やってみようよ」


 いつになく真剣なミユの表情。どこか説得力のある言葉に背中を押されたアタシ達は花屋へと向かった。


「ラベンダーですか?ちょっと時期が早いなあ。夏の花だからねぇ」


 近所の花屋を回ってみたけど、残念ながらラベンダーは見つからなかった。途方に暮れていた時、マキちゃんと同い年くらいの女の子が駆け寄ってきた。


「マキちゃん!」

「ハナちゃんだ!」


 どうやら幼稚園のお友達らしいその女の子の後ろにはスタイリッシュでまるで雑誌から飛び出てきたモデルのようなママさんがいた。


「あら?あなた達は?」

「あ、えーっとアタシはこの子たちの従姉妹です。今日はこの子達のお父さんが仕事だっていうんで代わりに面倒をみているんです。あ、この二人は私の友達です」

「あら、そうなの。えらいわねぇ。お花を買いに?」

「あー、ええ、まあ。ラベンダーをこの子達のママのお見舞いに持って行ってあげたかったんですけど、ちょっと時期が早かったみたいで」

「あら、ラベンダーを?どうして?」


 そこで経緯を説明すると、そのママさんは優しい顔で頷いた。


「そっか、匂いね。」


 結局は子どもの戯言、馬鹿にされるかと思ったけど、それはなんだかすごく優しい顔だった。


「ねぇ、うちへいらっしゃい。たぶんラベンダーあるわよ」

「えっ」

「うちの母、母って言っても旦那のだけどね。ガーデニングが趣味で温室栽培なんかも手を出しちゃってねぇ。この前誇らしげに見せてきた花、たぶんラベンダーだと思うのよね」


 まさかの急展開。ここまでくると本当に奇跡が起こるんじゃないか、私は今まで感じたことのない、不思議な気持ちになっていた。ラベンダーの匂いでユカリちゃんの目が覚めるんじゃないかって。


 仲良く手をつなぐマキちゃんとカナちゃんとハナちゃんを先頭に花屋のすぐ近くだというママさんの家に向かい、彼女の案内で庭へと進んだ。そこにある小さな温室には色とりどりの花が咲いていて、その一角には紫色の小さな花が咲いたプランターが置かれていた。


「これでしょ、ラベンダーって。私はあんまり花には詳しくないんだけど、母が色々と教えてくるものだから。…はい、どうぞ持って行って」


 手早く近くにあった花ばさみで根元から何本かラベンダーを切るとマキちゃんへと渡す。それを大事にギュッと抱きしめるマキちゃん。そんな持ち方じゃお花が潰れちゃう、そう思ったけれどアタシが今とやかく言うことではないか。


「フフ、少しでも役に立つなら嬉しいわ。私が育てた花ではないけれどね。…不思議ね、今日は家ですごそうと思っていたのに、急にハナが外に行きたいなんて言い出すから散歩に出たのよ。そしたらあなた達に偶然会って、ラベンダーが必要なんて」


 


 幸いここから病院までは歩いて行ける距離だ。ラベンダーがしおれないうちに急いで病院に向かった。病室に入ると、マキちゃんとカナちゃんはそっとラベンダーをママの枕元に置いた。


「ママ、これで起きてね」

「おきてね」


 二人の祈るような言葉に、アタシたちも一緒に心を込めて願った。


 でもアタシはどこかわかっていたんだ。そう、奇跡なんて簡単には起こらないって。

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