第9話素顔

 


 レイナと出会って今まで、彼女は常に俺に対して優しかった。

 いつも仮面で顔を隠している為表情は分からないが、優しい声で俺の我儘や要望も何でも受け入れてくれた。

 彼女は、そういう優しい女性だと思っていた。

 それが間違いとは全く思わないが、今思い返せば彼女は俺といる時に他者が入ると極端に無口だった。

 会話は俺に任せて、自分は数歩離れた位置で警戒するように此方に視線を向けていた。

 俺という人間と接する時の彼女以外、俺はレイナの事を知らない。


 俺は今日、彼女の別の顔を知る事になる。



 ◇



「死ね下女共が」


 護衛達を吹き飛ばしたレイナは、今まで聞いた事のないような低い声でそう言った。


「お前ぇ、自分が何をやったのか分かっているのかいぃ?」

「勿論。ただのゴミ掃除よ」

「ゴミぃ?聞き間違えかいぃ?誰がゴミだってぇ?」

「お前に決まってる。これ以上彼に手を出すなら本気で殺すわ」


 デブーリはワナワナと怒りを溜め込むように、レイナを睨みつけるが、レイナは何でもないかのように堂々と振る舞う。


「っ!お、お前達ぃ、あの不細工を殺しなさいぃ!これは反逆罪よぉ!」


 デブーリが怒りを爆発させて怒鳴るように護衛に命じると、レイナに吹き飛ばされた護衛達も含めてレイナに向かって剣を向けた。


「デブーリ様に逆らうなら、ここで叩き斬る!」

「お前が死ね」


 数人の護衛がレイナを斬りつけるが、目に見えない動きでそれを避けたと思えば、次の瞬間には護衛達が血を噴き出して地面に倒れる。


「こ、こいつは疾風だっ。簡単に勝てる相手じゃない!囲め!そして一斉に切り掛かれ!」

「遅い」

「ぐがッ...」


 隊長らしき人物がレイナを囲むように命じるが、レイナが動く方が速い。護衛が動く前に全員を制圧し、立っている護衛は既に1人もいなかった。


「あとはお前だけよ」

「わ、ワタシに手を出せば貴女は死刑よぉ。いいのかしらぁ」

「別に構わないわ。お前だけは絶対に此処で殺す。生きて返せば、また彼を狙うでしょうお前は」

「も、もうあの男には手を出さないわぁ。約束するからぁ。死にたくないぃ!」

「信用出来ないわ」


 レイナは命乞いにも一切耳を傾けずに、デブーリの元まで歩み寄る。

 そして、一切の容赦もなくデブーリに向かって剣を振り上げた。


「死ね」

「レイナ!」

「きゃっ。し、シュナイダー?」


 俺はデブーリに切り掛かる前に、レイナに抱きつく形で止めに入る。

 レイナを人殺しする訳にはいかない。


「殺すのだけはダメだレイナ!」

「は、離してシュナイダー!殺しておかないとまた貴方が狙われるわ!」

「それでもダメだ!こいつを殺せば、レイナも殺されるだろ!」


 デブーリがどれだけ外道でも、貴族を殺せばどうなるか分からない。いや、あいつの口ぶりを信じるなら、きっとレイナは処刑されてしまうだろう。


「貴方の為に死ねるなら私はそれでも構わない!」

「俺が嫌なんだ!」


 それだけは嫌だった。

 レイナとこれまで一緒に生活して一緒に飯を食って一緒に笑い合って、楽しかったんだ。

 この世界にいきなり放り出されて不安で仕方なかった俺が、レイナの側に居たら安心したんだ。

 今まで散々レイナに助けて貰っておいて、どの口がと言われるかもしれないが、俺はもうレイナなしで生きられる気がしない。


「頼むからそんな事言わないでくれ...。俺はレイナと一緒に居たいんだ...」


 レイナが死ねば、きっと俺はこの先死ぬまで後悔する。

 そう思う程に、俺の中でレイナという存在は大きいものになっていた。


 俺の言葉を聞いてレイナの肩から力が抜けて、剣を地面に落とした。


 その時だった。

 デブーリがレイナの背後から剣を突き刺そうと迫ってくるのが見えた。


「死ねぇぇ!!」

「っ!危ないレイナ!」

「え?きゃっ」


 俺の腹に剣が生えていた。


「ごぶっ...」

「シュナイダー!」


 俺はレイナを庇う形で剣を突き刺された。

 目の前には、唖然と立っているデブーリ。


「今すぐ消えろ。死にたくないならな」

「ひいぃぃぃ!」


 デブーリが悲鳴を上げて逃げていくのが見えると、急に力が抜けてレイナの体に寄りかかる。

 レイナは自分の膝を下敷きにして、俺をそっと地面に倒すと、俺の口に何かを突っ込んだ。


「シュナイダー!ポーションよ!今すぐ飲んで!」


 直ぐに傷が塞がって痛みが消えていくのを感じた。

 全て飲み干すと、完全に痛みは無くなった。

 すごいなポーション。

 病院要らずじゃないか。


「‥‥‥何で私を庇ったのよ」

「体が勝手に動いてたんだ」


 本当に条件反射だった。

 何も考えずとも勝手に体が動いて、気が付いたらレイナを庇っていた。

 だがよく考えたらレイナならどうとでも対処出来たよな...。

 そう思うと、何だか刺され損だった気もする。


 だが、レイナが無事で本当によかった。

 俺はレイナを見つめる。


「レイナ、これからも一緒に居てくれるか」

「......ええ。貴方が嫌になるまでずっと側に居るわ」


 なら多分一生だろうな。

 こんないい女、他にいない。





 バキッ


「あ」


 あれだけ激しく動い所為か、不意に仮面が割れる。

 割れた破片が地面に落ちて、隠されていたものが晒された。



 そこに居たのは、女神だった。

 はっきりとした二重瞼、整った鼻筋、シミも汚れもない真っ白な肌。

 綺麗とか美人なんて次元ではない。

 その今まで見た事がない程の美貌に、俺は言葉を失った。


「み、見ないで!」


 レイナが叫んだ。


「お願いだから見ないで!貴方だけには見られたくないの!」

「分かった。分かったから!落ち着けレイナ!」


 レイナは先程までの堂々とした振る舞いから想像も出来ないくらい弱々しく膝を抱えた。

 尋常じゃない怯えようだった。


 分かっていた事だ。

 レイナにとって、仮面は絶対の防具だった。

 それだけがレイナを外敵から守ってくれていたんだ。

 その防具が無くなった彼女は、恐怖に怯えるか弱い少女だった。


 レイナの気持ちを本当の意味で理解出来ない俺には、ただ彼女が落ち着くのを待つ事しか出来ず。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌われたくない嫌われたくないのぉっ...!」


 狂ったように同じ言葉を繰り返すレイナを、羽織っていた服で上から覆った。



 ◇



 泣き続けるレイナを何とか引き摺って家に到着した頃には、すっかり夜になっていた。

 俺が話し掛けてもレイナは答える事なく、ただ嗚咽を繰り返すばかり。


 そして数時間後、やっとレイナが口を開いた。


「‥‥‥えて」

「ん?なんて言ったんだ」

「消えて」

「え、消えてって...」

「私の目の前から消えてよ!」


 レイナは何かが爆発したように叫んだ。

 その後もレイナは止まらず、早口で捲し立てる。


「貴方にだけには見られたくなかった!でも見られた!ならもう終わりじゃない!貴方も私を嫌になったでしょう?醜いって見下して貶して!私から離れていくんでしょう!」

「......」

「私貴方に酷い事言われたら耐えられない。きっと死ぬわ。お願い。何も言わずに私の前から居なくなって」

「‥‥‥」

「居なくなってよ!お願いだから!」

「‥‥‥」


 初めて、レイナの本音を聞いた。

 本当は俺と一緒にいる時から怖くて仕方なかったんだと思った。いつ拒絶されるのかと常に怯えてたんだろう。

 今まで普通に仲良くしていた人間が急に態度が豹変して自分を拒絶されるのは、唯の赤の他人に拒絶されるとは訳が違う。

 そんな思いを抱えてそれでも俺を助けて、一緒に居てくれてたのか。


 ああ。

 俺はレイナがどうしようもなく、愛おしい。



「‥‥‥何で何も言わないのよ」


 この全てに怯えた不幸な女を、何としても俺の手で救いたい。


 その為なら、俺も話そう。


「俺、本当はこの世界の人間じゃないんだ」

「何を」

「気が付いたらこの世界に居てさ。でも、俺は嬉しかった。前の世界では割と酷い扱い受けてたから」

「何の話を、してるの?」

「不細工なんだよ。前の世界で俺は」

「は?」


 レイナ程酷くはなかったかもしれない。

 それでも、顔で全てを判断されてきたのは同じだった。


「何の冗談?私を馬鹿にしてるの?」

「冗談じゃない。この世界とは美しさの基準が逆転してるんだ。前の世界の基準で言えば俺は不細工でレイナは滅茶苦茶美人だ」

「そんな馬鹿な話がある訳ないじゃない!」

「そう言われても、全部本当の事だ」


 不細工なだけでいじめられた。不細工なだけで疑われた。不細工なだけで社会のクズだと言われた。


 不細工な俺は、普通の人に見下されて貶されて生きるしかなかったんだ。


「そんな馬鹿みたいな話、信じられる訳ないじゃない...」

「どうすれば信じてくれる?」


 君と俺は同じだ。

 そう言われた所で、今が違うのだから信じられる訳がない。

 それが分かっていても、俺にはレイナを信じさせるだけのものが何も思い付かなかった。


「抱いて」

「......は?」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


「貴方から見て私が美人だって言うなら、抱いてよ」

「‥‥‥レイナとこんな形でするのは嫌なんだけどな」


 俺はレイナが好きだ。

 美人だからとかじゃなく、自分に厳しいこの世界で何処までも強くて優しい彼女だからこそ、心の底から愛している。

 前の世界の価値観を持つ俺にとって、そんなレイナとなし崩しでそういう関係にはなりたくなかった。


「ほら、出来ないんじゃない。そんな嘘並べて、どういうつもりよ。こんな形は嫌?私が大事だからとで言いたいの?ならさっさと抱いて。それが1番信じられるの。出来ないなら、そんな甘い言葉吐かないで!」


 だがレイナの言葉で、そんなのは俺の独りよがりなのだと気付いた。


「‥‥‥後悔しないんだな?」

「貴方に抱かれて後悔なんてする訳ないじゃない。寧ろ今までの全てが報われるわ」

「分かった」


 レイナにとって、それが信じられる証拠となるなら。

 俺を縛るものは、もう何もない。


「え、ちょ、そんな、嘘...」

「嘘じゃない」

「やめ、そんな近い、んっ!」


 俺はレイナを抱き寄せ、強引にレイナの唇を塞いだ。

 無理矢理口を開いて舌を絡めると、レイナもそれに応じるように舌を動かす。


 熱く濃厚な口づけは暫く続いた。


「はぁ...はぁ...」

「これでも信じられないか?」

「......信じられない。まだ......」

「分かった。もう止まれないからな」


 この日の夜、俺はレイナを抱いた。

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