抱け、各々の正しきを胸に

 ネフィリムの脅威から街を守るために設置され、今や黒の黎明に掌握されてしまった首都防空設備。

 その絶大な威力に阻まれ、ルシル達は高度を上げてバッキンガム宮殿からの距離を取らざるを得なかった。


「――ルート大尉、ロザリ中尉。二人とも、死んでないでしょうね」

『当然です』

『……!』


 部下二人の無事を確認しつつ、ルシルは上空から眼下の街を見渡す。

 夜明けの霧に包まれたロンドンは街の至る所に存在する対空火器が発する砲煙で更に視界不明瞭だ。


「……けど参ったわね。流石は魔鎧騎も無い時代に構想された首都防衛機構……。少し限度を超えているんじゃない? ロンドンのお偉方はどれだけ自分達の身が心配だったのかしら」

『確かに広い海岸線を満遍なく守るよりは拠点防衛の方が容易いのは明らかですが……。空ではなく地上から攻められたらどうするつもりだったんでしょう。試しにやってみますか?』

「……駄目よ。街中で魔鎧騎同士での戦闘などということになれば、市民への被害が大き過ぎる。同じ理由で、ここから防空陣地を一つひとつ制圧射撃で潰していくのも許可できない」

『……では、打つ手なし。万事休すですね』


 ルートの言葉にルシルは一人歯噛みする。


 彼女達の目的はロンドンそのものではなく、そこに巣食う黒の黎明の撃滅。

 ロンドンの街や市民には被害を出すわけにはいかない。だがそうなると派手な戦術行動は取れない。

 そして敵は、そのことを理解して、利用している。

 この街の市民一人ひとりを人質に取られているようなものだ。


 しかしそれでは、状況は膠着したまま。

 黒の黎明には上空を旋回する白鳩を仕留められる決め手が無いかもしれないが、ルシル達も敵に手出しをすることができない。


 そして時間経過で利を得るのは、ルシル達ではなくパトモス達だ。

 彼が蒔いた種は時間と共に芽吹き人々を魔女狩りへと駆り立て、アルベルニア全土を混乱の渦へ叩き込む。


 その絶望の未来だけは、絶対に回避しなければならない。

 しかし、であるならば――


『団長、意見具申よろしいでしょうか』

「……なによ、改まって」


 白鳩騎士団副団長たるルートは、意を決して述べる。


『現状では街の建造物や市民の私的財産――生命を含め、それらへの被害はやむを得ないものと考えます』


 目標を達成する為の副次的被害、コラテラル・ダメージ。

 確かにここで手をこまねいていればロンドンだけで済まないような事態に発展する。

 アルベルニアという国を守るためロンドンという街を犠牲にするという考えは、功利主義的理論の上では成り立つだろう。


 ルシルとしてもそれが一考に値する方策であり、そして現状それ以外に取り得る手段が無いことも理解していた。

 しかし、彼女の返答は重たい。


「……少し、考える時間を。……私達騎士はアルベルニア連合王国を守るために存在します。その剣で国民を貫くことは許されない。……それを善しとした時、私達にこの空を飛ぶ資格は無くなるでしょう」

『……決断されるのならば、実行は私が。団長のお手を汚させるようなことは致しません』

「……ルート。あなた、私がそれで喜んで許可するとでも? 決めるのも、やるのも、私よ。率先垂範、それが指揮官というものでしょう」

『しかし団長には今後、その気高きお立場でもって国を導いてもらわねばなりません。白鳩騎士団副団長という職責に基づき、断固容認できません』


 お互いの立場で退くことのない二人。

 議論に遣える時間は僅か。

 決断が迫られる。


『――……っ!』


 そんな最中、ロザリから発された驚き混じりの思念。

 それに促されるように二人は視線を眼下へ向ける。


 ロンドン中心部の防空陣地。

 その一つで、何かが起こっていた。


「あれは――」


 散発的に聞こえる銃声。

 留まることのない群衆。

 止まない怒号。


 争いの渦中へ身を投じる覚悟の決まった、人々の叫び。


『防空陣地を制圧していた黒の黎明と、戦闘が発生している……? 鎮圧されていた軍の発起でしょうか――いえ、軍人だけではない、大多数はロンドンの、市民――』

「…………」


 ルートの言う通り、それはロンドンの市民が黒の黎明へ仕掛けた闘争。

 制圧された防空陣地を奪取し解放すべく敵に立ち向かう人々。


 戦端が開かれたのは一箇所だけではない。

 二箇所、三箇所――今やロンドン中へその戦いは広がっていた。


「――どうして、こんな」


 その光景を前に、ルシルは言葉を詰まらせる。

 黒の黎明はロンドンの軍を制圧するほどの武力を持った集団だ。そんな相手に碌な装備も無く訓練も受けていない一般市民が立ち向かえばどうなるのか、結果は火を見るよりも明らか。

 事実、黒の黎明構成員との戦闘で一人、また一人と倒れていく――しかし、倒れた数よりも大勢の市民が勢いを止めることなく立ち向かい、敵を呑み込み排除していく。


 パトモスの演説で揺れ動かされた人々の心は、今決まった。

 空を翔け戦う白鳩の姿を見て、人々は決意した。


 自らの手で自らの街を守るため、決起したのだ。


 ネフィリムの目的は魔女が持つ魔力を摂取することであり、多くの国民はその巻き添えとなって異形の脅威にさらされているだけ。

 その言説には、今すぐにでも飛びつきたくなる引力があった。

 特にネフィリムへ直接抗う術を持たず無力の恐怖に苛まれ続けてきた一般市民にとっては、その脅威から解放される可能性というのは余りにも魅力的だった。


 ――しかし同時に、心の片隅で思った。


 自分達の安寧の為に魔女達を犠牲にするのは、正しい行いと言えるのだろうか?


 そしてその疑問は、パトモスの演説など関係無く、遥か以前から抱えていた疑問であり、悩みであった。

 ネフィリムから国を守るという重大な役目を軍人達や、魔法が使えるだけのいたいけな少女に背負わせていることに対しての、罪悪感。

 常日頃から抱えていた苦悩だったからこそ、一つの切っ掛けで表出する。


 ネフィリムを呼び寄せる原因が彼女達自身だったら、彼女達を排斥することは許されるのか?

 彼女達はこれまでそんな事実も知らず、純粋に国や民を守る為に血を流して戦ってきたのではないのか?

 一般人だとか魔女だとか関係無く、お互いに手を取り合って助け合い生きていくことが、人としてあるべき形なのではないのか?


 そんな疑問の中、人々は目にした。

 空を覆わんばかりの魔鎧騎を相手にたった三騎で懸命に戦う白鳩の姿を。

 対空砲火の嵐に阻まれながらも必死に空を翔けるその鳥を。


 ――自由になりたいと、人々は思った。


 誰に言われて決めるのでもなく。

 自分自身の心に従って生きたいと。

 海の向こうから侵略され一つの国へ追い立てられ分厚い煙に覆われた不自由なこの世界で、それでも各々の意思で飛ぶあの白鳩のように。

 気高く自由でありたいと、人々は願った。


 そしてネフィリムに脅かされ続けてきたこの国の民はよく知っていた。

 自由には対価が必要なことを。

 立ち向かわねば、得られないものがあることを。


 故に彼らは各々の心に従って、反抗することに決めたのだ。


「――無茶苦茶よ、余りにも! こんなの、一体何人の死者が出るか――」

『……彼らの意思も、固まったのでしょう』


 今やロンドンの街全体を覆った闘争を前に、少女達は。


『これが彼らの答えだというなら、団長。私達にはそれに応える義務があるはずです』

『――…………』


 最早収拾はつかない。

 勝つか負けるか、そのどちらかしかあり得ない。


 そして戦士達の心に火を着けたのは他でもない白鳩だ。


『団長。この戦いの指揮官は、あなたです』


 上に立つ者には義務がある。

 他者からの献身と信頼に応える義務が。


 ――ルシル……。私はあなたに、この国を導いて欲しい。


 今は亡き母の言葉が思い起こされる。


「――ロザリ中尉、少し無茶を言ってもいい?」


 やがてゆっくりと、ルシルはそう問いかけた。


『……!』

「……ロンドンの街にいる市民全員へ、伝信を繋いで欲しいの。短い時間で構わない。一言言いたいことがある」


 伝信魔法の難易度と負担は対象とする範囲と人数に比例する。

 六百平方マイルの範囲で同時に五百万人以上の人間に対して伝信を繋ぎ思念を伝える――ルシルにも伝信魔法の心得はあるが流石にそんな大それた事はできない。

 他のどんな魔女にもできない。

 できるとすればただ一人。


『――――…………ッ!!』


 ルシルの要請に、ロザリは躊躇うことなく応えた。

 ぐらつくゴールウェイをデュッセルドルフが支える。

 そして今、ロンドンの意思が一つに繋がる。


「――皆さん、私は白鳩騎士団団長、ルシル・シルバ・アルベルニアです。こうして皆さんと想いが一つになった瞬間を、とても嬉しく思います」


 しん、と。闘争の喧騒の中で一瞬間、街が静けさを取り戻す。


「――今、多くの言葉は必要無いでしょう。ですが私から皆さんに、一つだけお願いしたいことがあります」


 ルシルは知っている。嫌というほど知っている。

 人が亡くなる悲しみを。

 痛さ、辛さ、苦しさを。


 そして同時にそれが、どうしようもなく尊いものであることを。


 人が人であるために。

 自分が自分であるために。

 人は時に自己を犠牲にすることで大切な何かを守ろうとする。

 止めたくても止めることなどできない。

 だから、心の限りに願うことしかできない。


「――どうか、死なないで」


 そんな彼女の願いは伝信を通してロンドン中に伝わった。

 人々は吼える。

 その願いを、力に変えて。


『――まったく、感動的な演説じゃあないか。泣かせるねぇ』


 そんな中、不意にルシルの前に現れたのは。


「……ジャクリーン・ザ・リッパー」


 黒の黎明幹部、ロンドンの斬り裂き魔。

 その彼女の駆る魔鎧騎が相対する。


 因縁の相手、三度の対戦。

 しかしこの戦いが最後になることを、両者は自然と確信していた。

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