約束

 防空設備が次々と沈黙していき、白鳩を阻むものが無くなっていく空で。

 待ちかねていたとでも言いたげな雰囲気を呈しながら、彼女は現れた。


 相変わらず見たことの無い黒の黎明独自の魔鎧騎。

 だがこれまでルートとロザリが墜としてきたものとはどこか違う。

 騎体の構造と装備が。

 恐らくはジャクリーン専用のカスタム騎。


『氷の騎士サマは、一緒じゃないのかい?』


 そんな嘲笑を、ルシルは真っ直ぐな瞳で受け流す。


「……わざわざ私の前に立つなんて。余程引導が欲しいのね」


 火と水属性魔法の出力を上げ、騎体内の蒸気圧を一気に高める。


『恐いねぇ。そんな黒い魔鎧騎なんかに乗ってさぁ、誰かの葬式だったりするのかな?』

「……ルート大尉。ロザリ中尉を連れ下がってなさい。この切り裂き魔の相手は私がする」


 ジャクリーンの言葉は無視して、彼女は静かに部下二人へと指示を出す。

 ルートはそれに対して何も言わず、伝信魔法で消耗したロザリを抱えて後方へと下がっていった。


『有り難いねぇ、一対一の決闘とは。あんたら全員まとめてじゃあ、勝てるわけがないもんなぁ。こんな私にも勝てる見込みを与えてくれるんだから、心底お優しい騎士サマだことで』

「……これ以上言葉は要らないわよ。もう存分に、あなたの死にたがりは伝わった」

『……ははっ、笑わせんなよルシル・シルバ。死にたがってんのはテメェだろ?』


 直後、ロンドンの空で衝突する。

 二騎の魔鎧騎。

 二人の魔女。

 そして相容れない二つの信念。


 ジャクリーンの魔鎧騎から、無数の薄い刃がばらまかれる。

 それは円形の鋭い刃。

 人が手で掴むことなど想定していない、穴の無い戦輪だった。


 刀剣舞闘リッパー・スプラッター

 彼女の代名詞とも言える魔法によって操られた無数の刃が、冰華目掛けて舞う。


『もう十分に思い知っただろう、この世界の残酷さを! そして理解しただろう、ここに執着することは無意味だとッ!』


 複雑な軌道を描いて飛来する戦輪。

 ルシルは彼女から盗んだ技、葬演武踏リーパー・ストラッターで阻止しようと試みるも、戦輪の制御は奪えない。


『無駄だ! 一朝一夕のもんじゃねえ、この技も、この想いもッ! 生半可な覚悟で止められるだなんて思ってくれるなッ!!』

「――そう。ならばこちらも、それ相応の覚悟で相手をしましょう」


 迫り来る戦輪を、正面から冰華が弾く。

 刃を拳で、殴り飛ばす。

 瞬間、拳と刃の間には眩い閃光が生まれる。


 火・水・風・土、基本四属性の魔力を精密均等に制御し衝撃を生む魔法戦技マジカル・アーツ

 四方八方から向かってくる戦輪を、的確な魔鎧騎操作で迎え撃ち、光でもって打ち払う。


 それはまるで絵画に描かれたような芸術的な威容を見せつけた。


「あなたの歪んだ刃はこの拳で打ち砕く。私はこの世界を、無意味だなんて思っていない」

『そんな言葉は聞きたくねぇんだよ、イイコちゃんがよォォオオオオッ!!』


 慟哭にも似た叫びと共に、更に無数の刃が飛ぶ。

 刃と刃が衝突し、最早ジャクリーンの制御からも外れた軌道で宙を舞う。

 そしてそんな刃の嵐の中を、自らの装甲が斬りつけられることも厭わず魔鎧騎自体が突っ込んでくる。


『なあ、知ってるだろ!? あんただって分かってるんだろ!? 人は所詮どこまでいっても無力だ! 不自由だ! 運命という巨大な流れに呑まれている! 人ひとりの努力なんて、想いなんて、運命の前には何の役にも立たないちっぽけなものだッ! 天才ともてはやされるあんただって、これまで数限りない別れを、不条理を! 思い知らされてきただろうがッ!!』


 自身が傷つくことを前提とした猛攻。

 自身を犠牲としてでもここで終わらせるという覚悟。

 ジャクリーンの叫びを、ルシルは冰華と共に受け止める。


『人の手で自由になるものなんて無い! 希望なんてものも、未来なんてものも、無いし要らないッ! 勘違いをするな、その手で掴み取ったそれは、自由ではなくただの檻だ! 物事を正しく見ないから見誤る! この空を飛ぶ力を持ってるからって、傲慢になるなッ! 鳥でさえ空につながれているッ! あんただって、この国につながれているんだッ!!』

「――それでも」


 嵐の中で、冰華が拳を握りしめる。

 想いを、力を、そこに込めて。


「それでも、空を飛ぶことは素晴らしいッ!!」


 渾身の一撃は、正面からジャクリーンの魔鎧騎を破壊した。

 砕ける装甲、飛び散る破片、吹き出す蒸気。

 飛行魔法を維持できない程の衝撃で、魔鎧騎はロンドンの街へ落下する。


 奇しくもそこはイーストエンド。

 ルシル達との一件で崩落した黒の黎明アジトの跡地であった。


 土埃を上げて墜落した魔鎧騎を見下ろすように、ルシルの冰華が地面に降り立つ。

 胴体部を中心に圧壊しあちこちから白い蒸気を吹き出すジャクリーンの魔鎧騎は、もう立ち上がることなどできないだろう。

 元より操縦席に居た彼女が無事であるはずもない。


「……やっぱり死にたがっていたのは、あなたの方だったわね」


 変わり果てた魔鎧騎の残骸を見下ろし呟く。そんな中、伝信が力無い微かな思念を拾う。


『……なんであんたは、生きられる……。こんな、どうしようもない煤けた世界で……。色んなものに、縛られながら……飛んでいられる……』

「……確かに私は縛られている。友の想い、家族の想い、人々の想い、自分の想い……。色々な想いが私を縛り、形作り、この世界で生かしている」


 それは確かに重いし苦しいし、辛いし悲しい。

 もしも解放される時が来るのなら、それはそれで楽なのだろう。


「……けれど、それも含めて自分だから。誰の想いに縛られたっていい。運命とやらに縛られてもいい。私は、その上で私のやりたいことをする。飛ぶのが難しい空なら、飛びやすいようにしてみせる」

『……はっ。意味わかんねぇ……。お可哀想な人生だな、ほんと……』


 なんと言われようと構わない。

 どれだけ苦しくても構わない。

 これが彼女の答えだった。


『……なあ、アルベルニア……。あんたもやっぱり、死ぬべきだよ……。私が、あんたを一緒に、連れて行ってやる……』


 心底哀れむような、慈悲すら滲むような声で。

 そんな不穏な台詞。

 彼女は微かに笑った。


『水と火の魔法に適性を持つ騎士ってさ……。最期は、こうすることを求められてるんじゃあ、ねえのかな……』


 刹那、ルシルは身の危険を感じ飛行魔法を発動する。


 しかし間に合わない。


 刃も想いも魔鎧騎も砕かれこと切れるのを待つだけだったはずの彼女は、その最期の瞬間に過去最大の魔力を練り上げる。


 大量の水、超高温の炎。

 水は熱せられて水蒸気に気化する際にその体積を千七百倍にまで増大させる。

 一滴の水であれば、その際に生じる膨張圧力は僅かな程度であるが、大量の水が瞬間的に気化した際の衝撃は爆発と表現して差し支えない。


『感謝は、要らねえよ……。私とあんたの仲だろ……?』

「ッ――」


 油断してはいなかった。

 しかし見誤った。

 彼女の底すら無い執念を。激情を。


 視界が真っ白く染まる。

 まだやるべきことがあるのに。

 全く終わりではないのに。


 ルシルの思考が、止まる――


「アイラ――」

『――凝花天結エリア・メノスッ!!』


 瞬間、真っ白な世界がそのまま凍結する。


 魔鎧騎の残骸も、その中のジャクリーンも、白い蒸気ごと閉じ込めて。全てを封じる巨大な氷。


 瞬き一つの時間の中に目の前で起こった余りにも衝撃的な出来事。彼女は言葉を失った。


 そして死を覚悟して溢れた呼び声に応えるかのような、焦がれ求めた少女の声が、言う。


『……団長。約束、守りに来ましたよ』


 跳ね起きるような勢いで空を見上げる。

 そこには、修理のためドーバーへ置いてきたはずの愛騎、雷雪。

 平和の象徴たる白鳩の名を表すが如く磨き抜かれた純白の魔鎧騎が、ロンドンの空からルシルを見守っていた。


 凍ったままだった時間が、氷解する音が聞こえた。

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